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あの時、住友銀行で何が起きていたのか〜元取締役が明かす衝撃の真実

闇勢力との戦い、権力闘争の内幕

会長、頭取、専務、常務の権力闘争、そして闇の勢力に無残に食いちぎられていく日々……。

戦後最大の経済事件「イトマン事件」。その中心舞台となった住友銀行で、あのときなにが起きていたのか。発売前から金融業界で話題の衝撃作『住友銀行秘史』を書いた元住友銀行取締役が、すべてを語る。

私が「内部告発者」です

〈私が出した「Letter」とは、内部告発文書だ。

宛先は大蔵省の土田銀行局長。差出人名は、イトマン従業員一同。

イトマンが抱える不動産案件の多くが固定化し、すでに金繰りが急速に悪化しており、このままいけばイトマンの経営のみならず、メーンバンクである住友銀行への影響も避けられない……。そんな実態を具体的に記して、大蔵省に内通したのである。(中略)

のちにイトマン事件が明るみに出ると、この内部告発文書はさまざまに出回ることになる。しかし、これを誰が出したのか、誰が書いたのか、当時もいまも「犯人」はずっと特定されずにきた。気付いていた人もいたのかもしれないが、それは私であった〉

「イトマン事件」をめぐるそんな衝撃の告白が書かれた「問題作」が発売された。

いまなお多くの人の記憶に刻まれるイトマン事件とは、日本経済が1980年代の熱狂するバブル経済から一転、「失われた20年」という長く暗い時代へと落ちる狭間に起きた前代未聞の事件であった。

【PHOTO】iStock

上場企業であった中堅商社のイトマンを舞台にして、本来であれば裏社会に生息していたような勢力が好き放題に跋扈。メーンバンクであった住友銀行の幹部たちが慌てふためくのをあざ笑うかのように、暴力団、地上げ屋などの闇の勢力によって巨大銀行が喰いものにされたのである。

当時は絵画取引、ゴルフ場開発などの名目で数千億円、数兆円とも言われる巨額が飛び交ったが、その一部はどこへ消えたのかわからないまま。多くの謎を残しながら、バブル崩壊の象徴として人々に鮮烈な記憶を植え付けた「戦後最大の経済事件」であった。

今回上梓される『住友銀行秘史』では、そんな事件の語られてこなかった真実、住友銀行内部の知られざる裏面史が明かされている。

発売されたばかりの『住友銀行秘史』。すでに各所で話題となっている(amazonはこちらから)

著者は、元住友銀行取締役の國重惇史氏。東京大学卒業後、'68年に住友銀行に入行。大蔵省担当であるMОF(モフ)担を長く務めた後、イトマン事件の最中に住銀内で「当事者」として動き回っていたエリートバンカーである。

なぜいま、「告白」することを決意したのか。

國重氏本人が語る。

「私がイトマン事件当時に見聞きしたこと、みずから体験したことはすべて墓場まで持っていくつもりでした。

事件当時、住友銀行内においてこの事件の全貌について最もよく内情が見えていたのは私だったと思います。だからこそ、話せば多くの人に多大なる迷惑がかかるという想いを強く持っていました。

一方で、ずいぶん前に知り合いの編集者から言われた、『イトマン事件の記録はあなただけのものではなく、日本の経済史の一場面として、絶対に残しておくべきです』との言葉もずっと私の中に残り続けていました。

そうした中で、私は昨年末に70歳になりました。あの事件から四半世紀が過ぎたいま、事件の関係者の中にはすでにお亡くなりになった方も少なくないし、住友銀行も三井住友銀行として生まれ変わった。

これを機に、事件を語れる人間の一人として記録を残しておくのも自分に与えられた役割の一つではないかと考えるようになったのです」

すべてが綴られた手帳

もちろん、事件から20年以上が経ったいま、当時の記憶がはっきり残っているのかと心配する向きもあるだろうが、それは杞憂である。というのも、國重氏は事件の最中、克明なメモを手帳に書き残していたからである。

手帳の始まりは1990年3月20日。そこから事件が終結するまでの約2年あまり、ほぼ毎日のように住銀幹部らがどう動いていたかが「同時進行形」でつぶさに綴られている。

本書では、そんな「超一級の資料」の記述をもとに、当時の生々しい一部始終が描かれている。國重氏が言う。

 

「そもそもイトマン問題が世に知られるのは'90年5月24日、日本経済新聞がイトマンの経営不安についての第一報を打ったのがきっかけです。しかし、私はその数年前からイトマンの問題に気が付き、『このままでは住銀が大変なことになってしまう』との危機感を強めていました。

MOF担時代から知る新聞記者などに記事化してほしいと頼んだりもしたのですが、時はまだバブル絶頂の浮かれた時代で、乗ってくる者はいなかった。それならば自分一人でも動くしかない、なんとしてでも住友銀行を守らなければならないと独自に動き始めていたわけです。

当時の役職は業務渉外部の部付部長で省庁担当の仕事でした。私はそんな業務時間の合間を縫っては、住銀幹部たちから極秘情報を聞き出し、MОF担時代から付き合いのある大蔵省や日銀の幹部などから内部情報を集めて回りました。

そして、スーツの内ポケットに入る縦型の手帳にメモを取り続けたのです。読み取れるかどうかという小さな文字でびっしり書いた手帳は、最終的には8冊分になりました」

そんな「秘中の秘」の手帳に登場するのは主要人物だけでも70名以上。

住友銀行で「天皇」と呼ばれていた磯田一郎会長や当時の巽外夫頭取、後に三井住友銀行頭取となる西川善文氏などの住銀幹部たちだけではなく、イトマンの河村良彦社長、イトマンを喰い物にしようとしていた伊藤寿永光氏や許永中氏といった事件の「主役」たちが次々に登場。さらには、後に日本郵政社長を務める坂篤郎氏や現証券取引等監視委員会委員長の佐渡賢一氏など政官界の人物までも数多く出てくる。

なにより驚かされるのは、本書ではその人物たちの一挙手一投足、微妙な心の揺れ具合までが具体的な日付とともに詳述されていることである。

〈4月14日、西副頭取の機嫌が悪い。住友クレジットサービスの鈴木雍社長が来たが、帰った後も、相変わらず暗かった。

4月16日夕方、西副頭取が磯田会長のところに入った。磯田会長の機嫌が悪い。伊藤寿永光氏や稲川会の石井進会長が、西武ピサで大量に絵を買っていく、と二人で話していたようだ〉

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