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第15回土肥金山砂金採り大会

新年最初の先のイベント 恒例の土肥金山砂金採り大会へ〜

ラッキー賞は25-11でゼッケン番号14番〜 惜しい! 25番なら当選だったのに〜

https://x.com/toikinzan/status/1877964043887210696?t=NuqHfBBBpUzTLvxCC1cuiw&s=19

参加料が大幅値上げだったせいか、空席がちょこちょこあったのが残念。

 

宝達山の金鉱床

地質図幅説明書『石動地域の地質』から

https://gbank.gsj.jp/ld/dlform/?url=/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_10021_1989_D.pdf

金鉱床 宝達山近くに加賀前田藩の金山の一つがあった.木村ほか(1949),加藤(1952),鈴木(1953)によれば,この金山は天正9(1581)-12年頃に開かれて長く栄えたが,寛永5(1628)年に地震によって坑道が壊滅し閉山したと伝えられてきたようであり,明治以降に多くの箇所で探鉱されたが,成功した例がない.

宝達山加禰山旧記并問掘願一件,天明元(1781)年という候爵前田家の昭和9年11月7日の記録(金沢市立図書館保管)を見ると,金山は1586-1627年の間に盛んで,その後も続き,1757年から不順になったようで,1586-1673年の判金産出量が収録された限りで数千枚に達している.
鉱床の近代的調査・研究は2・3しかないが,次記の事柄などが報告されている.佐藤(1912)は,昔の金山は旧坑も分からない,粗粒なアプライトの貫入部に胚胎した鉱石を試掘した跡が野田集落近くにあると記述しており,木村ほか(1949)は,10箇所近くの旧坑を調査し,野田西方山腹では大正末期-昭和初期の旧坑で幅10 cm 以下の,石英脈や粘土脈らしいものが認められ,泥谷付近にはアプライト脈を追ったと思われる明治時代の旧坑があると報告している.また,加藤(1952)は20箇所余りの旧坑の位置(大多数が第27図の鉱染の多い地区にある)を図示し,主要な金鉱床は花南岩の節理に沿った網状石英脈であり,風化部を手掘りした狸穴式坑道が無数にあるほか,表土を猫流しした跡も見られると述べている.

金鉱床の鉱染が多いのは宝達山の南東側なのね。まあ、旧坑の分布からしてもそうだよなあ。以前に砂金掘りに入ったのは北側だったけど、南側の川に入ってみるべきかもしれない。

「表土を猫流しした跡」は柴金遺構だなあ。この地域の詳細なCS立体図が見られるようになることに期待。

 

どんどん進め、航空レーザー測量

www.jiji.com

 林野庁は、森林資源や地形情報の把握に向け、航空機からレーザーを照射して地表を3次元で計測する測量の実施を自治体に呼び掛けている。森林管理や林道整備に生かすだけでなく、地震や豪雨が発生した際の地形変化を分析し、災害対応にも活用できる。ただ、国内の民有林(私有林と自治体の公有林)で測量と解析が完了しているのは2023年度末で約6割にとどまっており、林野庁はデータの整備を急ぐ。

年々、このような取り組みが進んでいるのは実感しているが、全国的に見るとまだまだ・・・というかデータはかなり取られているはずで、問題は一般の人でもデータが利用できるよう公開されることが大事かな。