- 作者: 三谷幸喜,松野大介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/11/15
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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内容紹介
「新しいこと」、「おもしろいこと」ばかり考える
希代のクリエーター、三谷幸喜の頭の中身。
『12人の優しい日本人』『古畑任三郎』から最新作『清須会議』まで、
アイデア創り・制作の舞台裏を語り尽くす。
●紙人形と心理グラフを使って登場人物一人ひとりの心情を考える
●プロデューサーから無茶な発注をされたほうが楽しい
●「天才の近くにいた人」に注目する
●脚本を書くときは、「あるイメージが浮かぶ」ところから始まる
●99パーセントを理詰めで創るのは、1パーセントの破綻を魅力的にするため・・・ほか、三谷流創作術の全貌が、今、明らかに!
三谷幸喜さんが、これまでの自分の仕事について、一作ごとに語っていった本。
聞き手も三谷さんと「笑い」や「映画」の趣味が近いという松野大介さんなので、かなりリラックスして語っておられるように思います。
(三谷さん自身も「松野さんが聞き手だったので、リラックスして話せたような気がする」と仰っています)
これを読んでいると、現代のヒットメーカーの一人である三谷幸喜さんも、必ずしもすべての作品をヒットさせているわけではない、ということがわかります。
三谷さん自身が満足している+視聴率も良かった、という作品もあれば、自分では満足しているけれど、視聴率はあまり振るわなかった、という作品もあり。
『今夜、宇宙の片隅で』や『合い言葉は勇気』といったドラマは、三谷さん自身は大好きな作品なのだそうですが、視聴率的はあまり高くありませんでした。
(ちなみに、僕も大好きな『王様のレストラン』は、「脚本で悩んだり、演出家とモメたこともないし、仕上がりもよかった」そうで、「やりたいことが一番いい形で出来た」と仰っています)
また、三谷幸喜脚本+ダウンタウンの浜田さんの主演で鳴り物入りで始まりながら、視聴率的には大苦戦してしまった『竜馬におまかせ!』というドラマについて、こう述懐しておられます。
三谷幸喜:あのドラマはあの時代に生きてた竜馬と仲間たちの群像劇でした。最終回の1話手前くらいの回で、竜馬が、大野弁吉っていう実在した発明家に会う回がある。
弁吉が「自分は生まれる時代が早すぎた。いろんな発明が浮かぶが、今はそれを形にする技術がこの世にない」と言う。後に生まれていればすごい発明家になれば、と。
反町隆史さん演じる人斬りの岡田以蔵は剣の達人で、逆に「生まれてくるのが遅すぎた」と言う。戦国時代ならすごい武将として名を挙げたかもしれない、と。
そこでダウンタウンの浜田雅功さん演じる竜馬が「じゃ、俺はどっちだ。早すぎたのか、遅すぎたのか」と聞いたら、弁吉が、「おまえはちょうどいいんじゃないか?」と。
自分で書いている時に”なんていいシーンなんだろう”と思えた。それは大好きな早坂暁さんが書かれたNHKの『天下御免』へのオマージュでもあるんです。早すぎた男として平賀源内がいて、遅すぎた男として小野右京之介という剣豪がいて。
僕はそこに”ちょうどいい人”を入れて3人にした。そのシーンが大好きだったのに、オンエアを観ると、本当に思い出したくないので忘れてるけど、柳生博さん演じる弁吉の最後の台詞が、言い間違えて変な日本語になってたんです。本当の台詞も今となっては僕の中で曖昧だけど、「おまえはちょうどいいんだよ」だったかな。それが、「おまえがちょうどだよ」とかそんな感じになってた。それだと台詞として弱いし、日本語としてもどこか変なんですよね。
僕はスタッフに「この台詞は何ですか。日本語としておかしい」と訴えたら、「気がつかなかった」と言われて……。この人たちは僕の深い思い入れとは全く違うレベルでドラマを創ってる”と。スタッフを悪く言いたくはないんですけど、”てにをは”が違うのを現場で誰も指摘せず、撮り直さないでOKするといいうのは困る。
「うまくいかなかったドラマ」には、こんな軋轢もあったんですね。
こういうスタッフだったから、『竜馬におまかせ!』がうまくいかなかったのか、それとも、期待されたドラマだったのに、視聴率が上がらなかったから、スタッフも投げやりになってしまっていたのかはわかりませんが(最終回のひとつ前の話ですから)、その後、三谷さんが民放ではフジテレビでしかドラマをつくらなかったのは、この苦い経験があったから、なのかもしれません。
どんなすぐれた脚本家がいても、それをうまく形にしてくれるスタッフがいなければ、良い作品にはならない。
そして、三谷さんが自ら監督として映画を撮り始めたのも、こういう「伝わらないことへのもどかしさ」があったのではないかと思われます。
脚本家・三谷幸喜の名前を世に知らしめたのは、『古畑任三郎』『振り返れば奴がいる』『王様のレストラン』といったテレビドラマの仕事なのですが、三谷さんの連続テレビドラマでの仕事は、民放では2000年の『合い言葉は勇気』が最後で、その後は、2004年のNHKの大河ドラマ『新撰組!』があるだけです。
(人形劇『新・三銃士』という面白い仕事も2009〜2010年にあるのですが)
テレビでも、単発のドラマはあるものの、三谷さんの仕事の中心は、舞台や映画になってくるのです。
大河ドラマ『新撰組!』は、三谷さんの思い入れがとくに強い作品のようです。
三谷:このドラマは収録も見に行くようにしてたし、新しい劇団を作って、1年間みんなで創った芝居であるように感じた。劇団「新撰組!」みたいな。
いまだに山本耕史主催の「新撰組!忘年会」が毎年開かれてる。すごいメンバーのキャスト、スタッフがきて、僕はお酒飲めないから1時間で帰りますけど、去年の忘年会も盛り上がったみたいで、最後は役者の何人かが全裸になって踊ってたらしい(笑)。早く帰ってよかったです。撮影当時も今の忘年会も山本さんががんばって、みんなをまとめてますね。
大河は本当に歴史が好きな作家じゃないと書けないと思う。過去には、脚本家が本当にこの人物が好きなのか疑問に思うような大河もあった。なんとなく空虚な感じがするというか。それは観ていてわかる。
堺雅人さんやオダギリジョーさん、藤原竜也さん、山本耕史さんなど、その後ブレイクした若手の役者さんがたくさん出ていた『新撰組!』。彼らにとっても、大切な作品なのでしょうね。
誰が全裸で踊っていたのか、ちょっと気になるところではあります。
この本のなかで、三谷さんは「自分が史実をもとに書く理由」について、こう仰っています。
三谷:僕は自分が”選ばれた人間”だとはまったく思ってない。たまたま運がよかったことと、いい出会いをしたこと。その恵まれたチャンスを生かす力はあったとは思うけど、とてもじゃないけど何万人にひとりの才能の持ち主だとかは思わない。日本のテレビ史、映画史、演劇史に残りたいとも思わないけど、それ以前に残れる気がしない。でも、そういう僕でも出来ることはあると思う。
選ばれていない人たちが、『この物語は自分たちのことだ』と思ってくれて、励みになるものを書く。それは選ばれた側の人間には出来ないと思うんです。選ばれてない側だからこそ書くことができる気がして。
舞台の『アマデウス』のラストでサリエリが観客に向かって、
「全ての凡庸なる人々よ、私は貴方の守り神だ」
みたいなことを言う。それを学生時代に客席で観た時、僕のことを言ってくれてる!ととてつもなく感銘を受けたんですよ。本当はサリエリだってすごいし、僕はサリエリにすらなれないんだけど、僕は僕で守り神になりたいと思った。
史実を書く時のテーマは全部それなんです。
僕は三谷さんは天才だと思うのですが、御本人はそう考えてはおられないようです。
たしかに三谷さんが好んで主役に据える人物は、歴史の「主役」ではなく、主役の傍にいて、主役を支えたり、見つめていたりする人なのです。
三谷:映画を撮る時の矛盾は、撮ってる時は自分がおもしろいと思うものを創ってる。そして出来上がると、今度はみんなに観てもらいたいと願う。で、そのためにはどうすればいいか考えるけど、作品が出来た後だからみんなが観てくれるように祈るしかない(笑)。『僕がおもしろいと思ったものを、みんなもおもしろいと思ってくれるよね?」と。
その話を以前、明石家さんまさんにしたんですよ。自分もそうだ、とおっしゃってた。自分がおもしろいと思うことをやるだけで、みんなも同じように思ってるかはまったく自信がないんだって。今は、自分が笑えるものはみんなも笑ってくれてるから成立してるだけであって、いつかはズレる時がくるかもしれない。だからあとはもう祈るだけだ、と。
――フリートークだから瞬間的なものなのに?
三谷:だから彼は瞬間瞬間で祈ってるらしい(笑)。
三谷: 『ジュラシック・パーク』観た時、僕はすごく感動したのに、「人間が描けてない」って批判されてた(笑)。あれだけ恐竜が描けてるんだから、人間が描けてなくていいじゃん! って思う。
三谷幸喜さんは、順風満帆のクリエイター人生を送ってきた人だと思ってきたけれど、実際には思い通りにいかないことも多かったし、いまでもさまざまな「旧い価値観」と闘ってきている人なのだなあ、ということがわかるインタビューです。
三谷作品のファンだけれど、映画のプロモーションのためにテレビに出ている三谷さんしか知らない、という人は、ぜひ読んでみていただきたい一冊です。
三谷さんに興味がない、あるいは好きじゃない人にとっては、インタビュアーの松野さんと気が合いすぎていて、少し緊張感に欠ける内容かもしれませんが。