「旅人をもてなしなさい」バベットの晩餐会 きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
旅人をもてなしなさい
ノルウェー映画を続けての鑑賞です。
前回は「わたしの叔父さん」でした。
そしてノルウェーの人々を静謐な目で描く画家、ヴィルヘルム・ハマスホイに驚き心酔している近ごろのきりんです。
映画を観たあとにこの画家の絵を見れば、かの国にはどんな人たちが住んでいるのか、なるほどなと判ります。
弱い外光。壁の色、外壁の色。かすかに水色がかった灰色の世界。そこに黒い服を着た女がいて、いずれも後ろ姿でモデルになっている絵です。
僕はノルウェー人とは、ご飯をご一緒した思い出があります。牧師さんの一家でした。
堅物で、禁欲的で、ちょっと融通がきかなくって、僕の考え方と生き方についてけっこうな鋭い批判をもらいました。ご飯を食べながらですよ。
なもので、この映画の人々の意固地な様子には膝を打ってしまいましたね(笑)
「ルーテル派教会」は、僕たちが学校で習った宗教改革のイメージからすれば、そのグループはきっと革新的でニューウェーブ的な集団なのだろうと思ってしまいがちですが、実はその逆です。マルチン・ルターこそ教皇庁から追放されましたけれど、本人たちにとってはまったくその積りではなかったわけで。
だから「ルーテル教会」は意外にも頑なに16世紀の頃のカトリック教徒としての習慣と生き様を残している=わりと古い形態の教会なのです。
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本作は
政治難民を受け入れた村人の物語でした。
清貧を旨とする彼らの信仰。
堅パンを水で溶かして、カレイの出汁で煮込むドロドロのお粥。
祈りを重んじ、善行に励み、美食を遠ざけ、質素なお粥だけで生きる。それだけで日々を暮らしてきた北方の村人には、外国人バベットの腕によりをかけたフランス料理は受け入れられるのでしょうか。
◆世話になった友人に手料理を振る舞うこと。
◆逆の立場だと、自分がその家に招かれて料理を振る舞ってもらう事。
◆家族のために食事や弁当をこしらえる事。
実は毎食毎食、複数人で囲む食卓の場では、この共に生きて一緒に食べるという“奇跡”が起こっているのだけれど、
ついつい毎日の食事は馴れ合いになってしまっていて、夫婦であったり、親子であったり、
我々の食卓は忙しいスケジュールの合間にかき込むだけの、おおよそ もてなしや感謝とはかけ離れたものになりがち。
つまり「食事」は、心を失ってしまうと、カロリー摂取だけの「食餌」作業になってしまうものです。
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[メモ]
僕が招いてもらった食卓で、生涯忘れられない もてなしがいくつかある。
①食べ物がどこにも無かった食事会。
約束の時間に扉を叩いてみると、なんと大掃除の真っ最中でこれ如何に!おかずもご飯も何も用意がなかったTさんの家。
貧しい用務員住宅で、彼は客人を大切にもてなそうと思って座敷の掃除を始めたら「失礼がないように見えない所まで掃除をしなくては」と、彼は思い立って畳を上げて奮闘していたのだ。
おかずも無し。お茶碗一杯のご飯も炊いていない。
だから湯呑みのお茶だけを頂いて、お話だけをして訪問先を後にしたものだ。
もてなそうと奮起した朴念仁の思いに感慨。
②片手が麻痺しているAさんのアパート。
是非食べに来てねとお誘いを受け、お訪ねしたらお料理は途中で止まっていた。「絆創膏を貼ってもらえますか」と彼女。片手で包丁を扱い、動かぬ麻痺した手で野菜を押さえていたのだが、手を切ってしまったのだと。
台所で一緒に再開し料理を作ったけれど、何を食べたんだったかはぜんぜん覚えていない。
③子供が作る料理。
これは誰しも覚えがあるだろうが、それは自分の子供時代の経験であったり、我が子が作ってくれた料理の忘れられない特別の思い出だ。
家庭科の授業で目玉焼きを習ったうちの息子が、家族みんなのぶんの目玉焼きを焼いてくれた。そして綺麗に焼けたものは家族に。黄身が潰れてしまった失敗作は自分の皿に取り分けた姿。
その皿に親としての僕が見たもの、そして受け取ったものは、言葉を失うほどに尊い思いと、彼の成長の姿だった。
もてなされる事の、特別の奇跡は、一生心に残る感謝の思い出になる。
だから、誰かのために思いを込めて料理する行為って、毎回が特別の晩餐会なのだよね。
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本作、
牧師の娘たちが、パリの革命から亡命して、嵐の夜に流れ着いた不審者バベットを家政婦として雇うのであるが、
旧約聖書にこうある ―
「みなし児と寡婦、そして寄留の外国人を大切にせよ、なぜならあなた方がエジプトで奴隷の身分であったときに神があなた方をそのように守り、救って下さったからだ」と。
そのように命じる旧約聖書モーセ五書の教えが、村人たちの信仰を、実体のあるものとして息を吹き返らしめたドラマだった。
守ってきた清貧と、美食との一騎打ち。
大人気だったはずのバベットを「悪魔呼ばわり」しての気まずい沈黙の食卓。その様子が滑稽でギャグでしかなく、僕は吹き出す。
でも異分子の闖入に、警戒もしてしまった村人が、もう一度 心尽くしのもてなしを受けた。
そして同じ釜の飯を食べることで、いま一度大切な晩餐の奇跡を取り戻したというドラマ。
北欧の映画はスチールカメラのような顔の撮り方が特徴的。
まるでモノクロの、戦前の作品かと思いきや1987年制作。
起承転結の尺のバランスはあまり上手くはいっていないし、フランス人バベットのあのくたびれ様に対して村人たちは正面から御礼も言えていない。
食後、表に出て、井戸の周りで讃美歌を歌いながら かごめかごめをするだけのエンディングとか可笑しくて。
あまりにも素朴すぎてローカルで、戸惑うほどに地味な村の生活。
辺境映画ではあったけれど、
そして村人たちの反応は芳しくはなかったけれど、あの面白みには欠ける(ゴメンナサイ) ノルウェー人でさえも、 美味しい物には抗えなかったよねー?
って、そういうお話でした。
コメントありがとうございます。
なんと元ワイン屋さんだったのですね!
クロ・ヴージョは安くても3万近くするとは。。余計に試してみたくなりました。私に違いが解るのか自信ないですが(笑
「ポトフ」は予告編で興味をそそられたのですが、まだ未視聴なので観てみます!
アンドロイド爺さん様
「貧しい芸術家はいない」。
それ僕もハッとした言葉でした。
貧しい村にあっても料理人もオペラ歌手も豊かな自分の人生をプライドを持ってつかんでましたね!