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バベットの晩餐会

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劇場公開日:

バベットの晩餐会

解説

20世紀のデンマークを代表する女流作家カレン・ブリクセンの同名小説を映画化した群像劇。19世紀後半、デンマーク辺境の小さな漁村に質素な生活を送る初老を迎えたプロテスタントの姉妹がいた。そこにパリコミューンで家族を失ったフランス人女性バベットがやってくる。その後、彼女は家政婦として長年姉妹に仕えるが、宝くじで大金を手にいれると、村人のために晩餐会を開きたいと申し出る。第60回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞。1989年に日本初公開。2016年、デジタルリマスター版でリバイバル公開。

1987年製作/102分/G/デンマーク
原題または英題:Babette's Feast
配給:コピアポア・フィルム
劇場公開日:2016年4月9日

その他の公開日:1989年2月18日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

スタッフ・キャスト

全てのスタッフ・キャストを見る

受賞歴

第46回 ゴールデングローブ賞(1989年)

ノミネート

最優秀外国語映画賞  

第60回 アカデミー賞(1988年)

受賞

外国語映画賞  
詳細情報を表示

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(C)1987, A-s Panorama Film International. All Rights Reserved.

映画レビュー

3.5クロ・ヴ―ジョを飲んでみたい

2024年1月23日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

楽しい

幸せ

・将校ローレンスにどこか惹かれながらも、厳しい戒律を守って教会の務めに精進する姉マーティーネ。
・オペラ歌手のパパンに歌の才能を認められながらも、姉とともに人々に奉仕する道を選んだ妹フィリパ。
・パリの最高級レストランの女性料理長の腕前を持ちながらも、革命のためにすべてを失い寒村のこの教会で家政婦として慎ましい食事をつくり続けるバベット。
・恋を忘れるため、軍務に励み、出世を果たすと誓い、自分を律して将軍になるも老いたローレンス。
・姉妹とともに厳しい戒律を守って生きてきた村人たち。。。

宗教や革命や土地や規範に縛られた人たち。
これらの人たちがバベットの晩餐会の前と後で、大きく何か変わったわけではない。
でも明らかに晩餐会前とは「何か」が変わっている。
それを言語化できないもどかしさ。。

と思ったら、どなたかのレビューに最高の表現が。失礼して引用させていただく。
「これまでの人生を悔いることもなく、魂の高潔を守ったまま、バベットが供する極上のフレンチに今を生きる喜びを感じ、心をほぐしていきます。」

それにしても招待客からバベットにもっと賛辞をあげてほしかった!(笑 将軍が一人絶賛していたけど厨房にいるバベットに届いてる?「シェフを呼んでくれ。」と将軍にバベットを呼びだしてほしかったよ。(笑) しかしバベット、へとへとに疲れ切ってたなあ。力出し切った感じ。今にもタバコ吸いそうな感じやった。

途中まで姉妹中心のエピソード、バベットは30分過ぎた頃にようやく登場という構成。「一体誰の映画なんだ?」と焦点のもっていきかたに戸惑ったが、観終わってみると単にバベットが主役の映画という単純なものじゃあないんだよね。姉妹やバベット、将軍、村の人たち皆なのだろう。

いいワインやシャンパンが飲みたくなる。良い食材を使った料理も。
しかし食後のコーヒーの後にさらにコニャックをのむのね。

「人生におけるこういう教訓を伝えたいのだ」というハッキリしたものは見せてこない。
ひょっとしたらそんな意図さえないのかもしれない。
ただグッとくるセリフはたくさんあった。ほとんど将軍のセリフ。

・「人生の辛い選択などに、実は意味はない」
・「我々には我々が選んだものが授けられております。しかしまたそれと同時に、我々が選ぼうとしなかったものも、我々には与えられているのです。」
・「常にあなたが心の中にいました。これからも毎日、あなたと共に生きます。それもご存じですね。」

最後のセリフなんて、キュンとくる。純愛だ。。
かっこいいぞローレンス将軍。

※「画質というか色味がお洒落」と高校生の娘が。なるほどー。

コメントする 9件)
共感した! 11件)
momokichi

5.0旅人をもてなしなさい

2025年2月2日
Androidアプリから投稿

ノルウェー映画を続けての鑑賞です。
前回は「わたしの叔父さん」でした。
そしてノルウェーの人々を静謐な目で描く画家、ヴィルヘルム・ハマスホイに驚き心酔している近ごろのきりんです。
映画を観たあとにこの画家の絵を見れば、かの国にはどんな人たちが住んでいるのか、なるほどなと判ります。
弱い外光。壁の色、外壁の色。かすかに水色がかった灰色の世界。そこに黒い服を着た女がいて、いずれも後ろ姿でモデルになっている絵です。

僕はノルウェー人とは、ご飯をご一緒した思い出があります。牧師さんの一家でした。
堅物で、禁欲的で、ちょっと融通がきかなくって、僕の考え方と生き方についてけっこうな鋭い批判をもらいました。ご飯を食べながらですよ。
なもので、この映画の人々の意固地な様子には膝を打ってしまいましたね(笑)

「ルーテル派教会」は、僕たちが学校で習った宗教改革のイメージからすれば、そのグループはきっと革新的でニューウェーブ的な集団なのだろうと思ってしまいがちですが、実はその逆です。マルチン・ルターこそ教皇庁から追放されましたけれど、本人たちにとってはまったくその積りではなかったわけで。
だから「ルーテル教会」は意外にも頑なに16世紀の頃のカトリック教徒としての習慣と生き様を残している=わりと古い形態の教会なのです。

・・・・・・・・・・・・・

本作は
政治難民を受け入れた村人の物語でした。
清貧を旨とする彼らの信仰。
堅パンを水で溶かして、カレイの出汁で煮込むドロドロのお粥。
祈りを重んじ、善行に励み、美食を遠ざけ、質素なお粥だけで生きる。それだけで日々を暮らしてきた北方の村人には、外国人バベットの腕によりをかけたフランス料理は受け入れられるのでしょうか。

◆世話になった友人に手料理を振る舞うこと。
◆逆の立場だと、自分がその家に招かれて料理を振る舞ってもらう事。
◆家族のために食事や弁当をこしらえる事。

実は毎食毎食、複数人で囲む食卓の場では、この共に生きて一緒に食べるという“奇跡”が起こっているのだけれど、
ついつい毎日の食事は馴れ合いになってしまっていて、夫婦であったり、親子であったり、
我々の食卓は忙しいスケジュールの合間にかき込むだけの、おおよそ もてなしや感謝とはかけ離れたものになりがち。
つまり「食事」は、心を失ってしまうと、カロリー摂取だけの「食餌」作業になってしまうものです。

・・・・・・・・・・・・

[メモ]
僕が招いてもらった食卓で、生涯忘れられない もてなしがいくつかある。

①食べ物がどこにも無かった食事会。
約束の時間に扉を叩いてみると、なんと大掃除の真っ最中でこれ如何に!おかずもご飯も何も用意がなかったTさんの家。
貧しい用務員住宅で、彼は客人を大切にもてなそうと思って座敷の掃除を始めたら「失礼がないように見えない所まで掃除をしなくては」と、彼は思い立って畳を上げて奮闘していたのだ。
おかずも無し。お茶碗一杯のご飯も炊いていない。
だから湯呑みのお茶だけを頂いて、お話だけをして訪問先を後にしたものだ。
もてなそうと奮起した朴念仁の思いに感慨。

②片手が麻痺しているAさんのアパート。
是非食べに来てねとお誘いを受け、お訪ねしたらお料理は途中で止まっていた。「絆創膏を貼ってもらえますか」と彼女。片手で包丁を扱い、動かぬ麻痺した手で野菜を押さえていたのだが、手を切ってしまったのだと。
台所で一緒に再開し料理を作ったけれど、何を食べたんだったかはぜんぜん覚えていない。

③子供が作る料理。
これは誰しも覚えがあるだろうが、それは自分の子供時代の経験であったり、我が子が作ってくれた料理の忘れられない特別の思い出だ。
家庭科の授業で目玉焼きを習ったうちの息子が、家族みんなのぶんの目玉焼きを焼いてくれた。そして綺麗に焼けたものは家族に。黄身が潰れてしまった失敗作は自分の皿に取り分けた姿。
その皿に親としての僕が見たもの、そして受け取ったものは、言葉を失うほどに尊い思いと、彼の成長の姿だった。

もてなされる事の、特別の奇跡は、一生心に残る感謝の思い出になる。
だから、誰かのために思いを込めて料理する行為って、毎回が特別の晩餐会なのだよね。

・・・・・・・・・・・・

本作、
牧師の娘たちが、パリの革命から亡命して、嵐の夜に流れ着いた不審者バベットを家政婦として雇うのであるが、
旧約聖書にこうある ―
「みなし児と寡婦、そして寄留の外国人を大切にせよ、なぜならあなた方がエジプトで奴隷の身分であったときに神があなた方をそのように守り、救って下さったからだ」と。
そのように命じる旧約聖書モーセ五書の教えが、村人たちの信仰を、実体のあるものとして息を吹き返らしめたドラマだった。

守ってきた清貧と、美食との一騎打ち。
大人気だったはずのバベットを「悪魔呼ばわり」しての気まずい沈黙の食卓。その様子が滑稽でギャグでしかなく、僕は吹き出す。

でも異分子の闖入に、警戒もしてしまった村人が、もう一度 心尽くしのもてなしを受けた。
そして同じ釜の飯を食べることで、いま一度大切な晩餐の奇跡を取り戻したというドラマ。

北欧の映画はスチールカメラのような顔の撮り方が特徴的。
まるでモノクロの、戦前の作品かと思いきや1987年制作。

起承転結の尺のバランスはあまり上手くはいっていないし、フランス人バベットのあのくたびれ様に対して村人たちは正面から御礼も言えていない。
食後、表に出て、井戸の周りで讃美歌を歌いながら かごめかごめをするだけのエンディングとか可笑しくて。

あまりにも素朴すぎてローカルで、戸惑うほどに地味な村の生活。
辺境映画ではあったけれど、
そして村人たちの反応は芳しくはなかったけれど、あの面白みには欠ける(ゴメンナサイ) ノルウェー人でさえも、 美味しい物には抗えなかったよねー?
って、そういうお話でした。

コメントする 5件)
共感した! 8件)
きりん

4.0食事、料理。神との関係。

2024年12月16日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:VOD

寒村の素朴な人々…その心の支えに宗教というものがあった。…と、それはいい。でも、映し出される映像で、わたしは圧迫感とか閉塞感を感じていた。それが前半だった。

でも後半は変わってきた。
とても面白かったのは、パリの超豪華料理が、全く縁がないはずの人々…その料理が何であるかも理解できない人々の口に入る、という運び。しかも彼らは、それを幸運と思っていないばかりか、恐怖感まで抱いている! 思わず笑えてくる。奇想天外な話だ。

しかし考えてみれば…、
料理は、天からの恵みを有り難くいただくということと捉える、そして、その恵みが、それを受けるのに最もふさわしい人(最も敬虔な人)にもたらされた、そしてバベッドは神の恵みを、最もふさわしい形にして人々に伝えるという仕事をした。(芸術家の任務は、そういう捉え方もあるのでは) そう考えれば何の違和感はない。

メンバーからバベッドへお礼の言葉はなくてもよかった。メンバーが感謝する相手は神だと思う。バベッドもまた、信仰心をもってやるべきことをやっただけなのだろう。ひとりひとりが神と繋がっていた。やってあげた、お返しする、お礼をしなくては、などということは、彼らの価値観では、さほど問題にはならない。

観終わってみれば、ユニークでユーモアさえも感じさせる明るさがあり、かつ確実に心を洗ってくれる良い映画だった。

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共感した! 2件)
あま・おと

昔々あるところに・・

2024年9月20日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 19世紀デンマーク、海辺の寒村。初老の姉妹の下で働く下働きの女性の料理がもたらす小さな奇跡のお話。

 特別な意味があるとは思えない小さな出来事の積み重ねが、やがて絶妙の隠し味として効いて来るこれこそ一流料理人の様なフィルムさばきです。でもこれは高級レストランの御馳走ではなくじっくり煮込んだ郷土料理の優しさだな。小さな火の囲炉裏端で「昔々あるところに・・」と言うおばあちゃんのお伽噺を聴いている様な穏やかな思いになれました。また、どこか釘が一本抜けた様な妙な可笑しみも北欧映画テイストです。これは絶品。

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La Strada