敦賀市とは、福井県嶺北地方の付け根あたりにある、嶺南地方最大の都市である。
概要
北陸-関西ないし山陰-北陸間の、陸海双方の要衝であり、かなり早くから鉄道と近代的な港が整備された。1910年には欧亜国際連絡鉄道の日本側受け入れ港となり、未曾有の発展を遂げた。この欧亜国際連絡鉄道は現代の対欧州航空路線に相当する。昔は外国産、国産問わず多くの地球儀にその名前が載ってたほどの国際都市だった。戦前に市制を施行していたりもする。
戦後、従来の交通の要衝の町からから関西圏への電力供給を担う原子力発電所を多数抱える電力の町として脱皮し、現在では原発由来の税金やら匿名の寄付やらで地方交付税が不要なほど市財政は潤っていた…が、原発の廃止が進むことから緊縮体制に入っている。
しかし、山に囲まれた敦賀付近で災害が起こると大変で、特に関西・嶺南から北陸・嶺北に向かう道(国道8号・北陸自動車道・北陸本線)は全て敦賀を通っている。このため山間部の道が途絶すると大変なことになる。
また原発関係者が多く住むということで意外と標準語を聞く機会が多い町でもある。
関西の電波がモロに入るため、地元のケーブルテレビの加入率は100%近い。
敦賀と港
敦賀は日本書紀にも、朝鮮半島にあった伽耶諸国から、都怒我阿羅斯(ツヌガアラシト)がやってきた湊として古名の「角鹿(つぬが)」とともに登場する。その為ツヌガアラシトの名前から角鹿の名が生まれたという説が一般的となっている。しかしながら古事記の仲哀天皇紀には「亦其入鹿魚之鼻血臰。故号其浦謂血浦、
その後大宝律令において「敦賀」に改称され、10世紀からは日宋貿易の拠点となる。江戸時代には北前船の寄港地として栄える。
明治維新後はかなり早い段階で近代的な港が建設され、20世紀に入る前に敦賀港が国際港として開港した。そして前出のとおり欧亜国際連絡鉄道の日本側受け入れ港として大いに繁栄することとなる。現在でも当時をしのばせるモダンな建造物がいくつか存在している。
また欧亜国際連絡鉄道の一端を担う町となったことで、数多くの人々がこの地を訪れた。国際連盟残留か脱退か、日本の命運を託された松岡洋右たちが欧州へ向けて旅立ったりもしたし、杉原千畝によってビザを発給されたユダヤ難民が上陸した「人道の港」として、人の命を救いもした。
姉妹都市
納豆王国水戸市と姉妹都市提携を結んでいる。これは天狗党の乱のさい、天狗党一行が敦賀にて捕らえられたさい、かなりよい待遇で迎えられたことに起因する(その後幕府軍が到着し、幕府軍により虐待、のちに一行全員が処刑される)。
余談だが水戸市はひこにゃんの治める彦根市と、桜田門外の変が原因で110年ほど仲たがいしていたが、敦賀市が仲介して仲直りし、両市は姉妹都市となった。
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 1
- 0pt