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エンタメはひとりじゃないと教えてくれる 日中を行き来する陳暁夏代さん

日本と中国を行き来して活躍するマーケターの陳暁夏代さん(撮影・斎藤大輔)
日本と中国を行き来して活躍するマーケターの陳暁夏代さん(撮影・斎藤大輔)

日本と中国を行き来しながら、主にエンターテインメントや若年層向けの分野でコンサルティングを手掛けている陳暁(ちんしょう)夏代さん。幼少期から3~4年おきに行き来し、現在は日本が拠点です。2017年には合同会社DIGDOGを設立し、中国向けのコンサルやマーケティングを担いました。そんな陳暁さんに、エンタメや広告ビジネスに寄せる思い、ひとりであることについて、お話を聞きました。

エンタメに込めたメッセージ

大学ではジャーナリズムを専攻。幼い頃から周囲を観察していた(撮影・斎藤大輔)

――中国にいらした頃から一貫してエンタメ事業に取り組まれていますね。

陳暁:中国で生まれ、父親の仕事の関係で幼少期は日本で育ち、政治的にセンシティブな関係の2国間で育ちました。その中で、些細(ささい)なことでも政治問題には触れてしまうことが嫌でした。

例えば小学生の時にも、自分は何も悪いことをしていないのに名前だけで「中国人帰れ」と言われたりしたこともあって、中国人でいる限り、日本にいたらいじめを受けるというのは自分にとっては日常の一部でしたね。それはその後、中国に住んでいた時も同じで、今度は逆に日本人として咎(とが)められる。それが特殊なことでもなく、悲惨なことでもなく、それを背負うべきポジションで生まれてきたんだと。身長が小さい子はチビと言われて、とても太っている人はデブと言われる。それと同じです。先方にそこまで深い意味もなければ、理解もない。無意識的殺人と呼んでいます。

幼少期からそうやって世間から一歩引いた距離で生きてきた私ですが、エンタメの話をする時だけは、周りも政治には、触れなくなるんですね。シンプルにマンガ、アニメはずっと好きで触れてきましたが、エンタメには垣根を越える力があると感じていました。中国も日本も関係ない、愛好を語る上で属性は関係ないということをエンタメは教えてくれた気がします。

――その思いを広めるために、どういうことをされているのですか。

陳暁:「中国も日本も関係ない」を拡張すると、女も男も関係ない、年齢も関係ないとなりますが、それをそのまま愚直に言い続けてもメッセージだけが浮いて、消費されてしまい、本質に刺さりません。ですが、それに個人のストーリーや、色がついた時に人を動かすんですね。映画や音楽、漫画や小説がその例です。私も伝えたいメッセージをスパイスにしておいしいご飯に混ぜる、ということをやりたくて。

それは諦めでもありますね。ある社会問題に対して、デモをしても誰も関心を持たない。でも、タレントが一言何か言ったら、ニュースになり、世の中が動くということを見てきました。だったらタレントの方に行った方が早いのではと。

――そもそも、仕事としてエンタメに接したのはいつだったのでしょうか?

陳暁:20歳の頃ですが、今の私にも影響を与えたイベントは上海万博でした。運営、ゲストのアテンド、通訳などをやっていましたが、万博は、世界中の精鋭と最先端が国をアピールする場なんです。そして、アピールの仕方はエンタメなんですよね。例えば、最新のトイレをアピールするときは、映像と音楽があってダンサーが踊ります。

新しいものをアピールする時、人は「飾りがないと見ない」ということを当時から感じていました。自分がなぜエンタメやイベントに関わり続けるのかというと、そこが原点なんじゃないかと思いますね。

日本のコンテンツが海外進出するには

ツイッターのフォロワーは3万人。必ずエビデンスを調べて書く(撮影・斎藤大輔)

――エンタメを取り巻く最近の環境を見ると、動画配信が普及して媒体が増え、エンタメのコンテンツの数も増えています。一方で、誰もが知るドラマや本は減っているという印象です。

陳暁:「テレビが終わる、面白いコンテンツがない」という風潮は、シンプルに娯楽の選択肢が増えたのと、制作側の体制の堕落があるのではないかと思います。

PCやスマホというエンタメを受け取る端末や、チャンネルの選択肢が増えた結果、小さなコンテンツが増えてファンが分散し、テレビのコンテンツの存在が目立たなくなってしまっただけで、メガヒットの出る頻度は変わっていないと思います。小さい土俵でも作って発表できるのはいいことでもあり、逆に、大きい土俵で命をかけて作るコンテンツが減った、ということなのかもしれません。一長一短ですね。

――では、日本のエンタメが「世界」に出るために必要なことは何だと思いますか?

陳暁:日本に関しては世界を意識せず、閉じた状態で作りたいものを作った方が、結果的には良いと考えています。『スラムダンク』は、日本の学校の日本の部活の話ですが、世界中で流行(はや)っていますよね。それはキャラクターや友情、愛や勇気にファンがついてるからで。

グローバル化は、世界中に向けて万人受けするものを作りにいくとコアがぶれる場合が多いので、特定の人に向けて作ったものをチューニングするくらいでいいと思います。例えば、抹茶、禅、ウォシュレットなど、国内需要に即して開発したものが、世界でも売れています。海外進出を意識すると、無理が生じてコンテンツの力が薄まってしまうような気がします。世界中のいいコンテンツを探してビジネスにしようとする人たちは、日本へやって来てコンテンツをチェックしているので、海外は無理に意識せず、濃いものを作ることが、世界展開への近道なのではないでしょうか。

営業から考える広告ビジネス

昨年からイベント「NOBODY」も主宰。人が喜ぶのを見るのが好き(撮影・斎藤大輔)

――中国から日本に来て2013年に入社した広告会社は4年後に退社しています。

陳暁:もともと2、3年で辞めるつもりで入りました。辞める頃、ちょうど国内で中国ビジネスへの参入の相談が増え、中国のマーケティングについて個人的に相談を受けることが多くなり、玉の打ち返しみたいな感じで仕事をし始め、独立しました。何をやりたいということはなかったですね。会社を辞めたのは、会社員生活に区切りを付けただけで。

――営業志望で入社されたそうですね。

陳暁:もともと中国の芸能事務所で働いていたので、日本では芸能と企業をつなぐ"広告ビジネス"の仕組みを学びたいと思い入社しました。ところが、クリエイティブに配属されてしまったんですね。営業志望だった理由は、ビジネスの仕組みを知るために、クライアントの窓口に立ってお金の流れを見たかったからです。

クリエイティブに興味がなかったのは、国とトレンドをまたぐと「いいクリエイティブ」の基準と需要が変わるので、日本でやる必要はないと判断していたからです。3年目に営業に異動したのですが、見積もりを作るのが一番楽しかったですね。

――日本の広告ビジネスについて学んだ今、どのような印象を持っていますか。

陳暁:日本の広告会社から独立する人は、有名なクリエイティブディレクターが多いです。その人の考えることが面白いから、その人に対してお金を払う、というような感じで。でも、それは日本のマーケットでの話なので、そのままでは海外に進出できません。日本で最高と言われたクリエイティブがインドで同じように最高とは言われるかは分からないですよね。これからは広告という狭い枠組みを超えて、新しい広告の仕組みを考えないといけない時期なのではないでしょうか。

やりたいことをやれているか

肩書に「女性」を付けるのは不要と語る。「女性」が取れたら何もなくなるのでは(撮影・斎藤大輔)

――フリーランス、会社員両方を経験されて、今はどのようにお感じになっていますか。

陳暁:フリーランスや会社員という区分がそもそも本質的ではなく、自分のやりたいことがひとりでできればひとりでいいし、100人が必要だったら、それを集めたらそれはもう会社です。組織か個人かではなく、自分がやりたいことができているかだと思いますね。やりたいことができているなら、雇用形態は何でもいいのではないでしょうか。肝心なのは、働いているか働かされているかの意識の差だと思います。それがモチベーションやクオリティーにつながると思います。

――日本人の働き方についてはどう思いますか。

陳暁:副業解禁以前に、会社員は、特に大手の会社だと9時から終電までいます。16、7時に仕事が終われば余った時間に何かしているはずです。「副業解禁」という言葉の前に、社内の勤務時間や業務体制、特に配属ミスなどを雇用形態を整理整頓しなくてはならないはずです。無駄な段取りがないか、無駄なしきたりを守っていないか。

――最後に「ひとり」についてどう感じていますか。

陳暁:ひとりは嫌いです。人はひとりでは何もできません。自分に近いやりたいことがある人、その仲間と出会えることが大事だと考えています。そういう人たちが一緒になってやれれば素敵だしその仲間を組織にすることで、可能性が広がります。これからはそういう取り組みをしていきたいです。

――では、エンタメが「ひとり」でいる人にとってできることは何だとお考えでしょうか。

陳暁:自分が「ひとり」ではないと教えてくれることではないでしょうか。ラブソングを聴いてグッと来るのは自分と同じ感情が見つかったときですよね。

共感は「孤独の解消」なんです。それがエンタメの力だと思っています。

【陳暁夏代さんプロフィール】
中国で生まれ、幼稚園、小学校を日本で過ごし、その後再び中国へ。大学在学中からフリーランスでイベントの運営や通訳を開始、芸能事務所のサポートをした後、日本の大手広告会社に入社。2017年に同社を退職後、マーケティングやブランディングに関するコンサルティングを手掛ける合同会社DIGDOGを設立。再びフリーランスに戻り、Twitterでの情報発信、メディア出演やイベントでの登壇など活躍の幅を広げている。

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