「龍馬伝」「るろうに剣心」演出した大友啓史監督、最新作「影裏」に込めた思いとは
盛岡を舞台にした沼田真佑さん原作の芥川賞受賞作品『影裏』(えいり、文芸春秋)が映画化され、全国公開中です。監督は、盛岡出身の大友啓史さん。NHKでドキュメンタリー制作を経験し『ちゅらさん』(2001)、『ハゲタカ』(07)、『龍馬伝』(10)などのドラマを演出した後、独立して映画を撮るように。『るろうに剣心』(12)シリーズ、『3月のライオン』(17)などのヒット作を世に送り出し続けています。
今回は、原作『影裏』の言葉選びや自然描写に魅了され、受賞前から映画化を考えていたという大友監督に、自身の出身地が舞台の作品に寄せる思いや、独立を決意した経緯、映画作りに対する姿勢などを聞きました。
原作の「手触り」を大切に
【あらすじ】
今野秋一(綾野剛)は、会社の転勤をきっかけに移り住んだ岩手・盛岡で、同じ年の同僚、日浅典博(松田龍平)と出会う。慣れない地でただ一人、日浅に心を許していく今野。2人で酒を酌み交わし、釣りをする日々に今野は心地よさを感じていたが、突然、日浅は何も言わずに会社を辞めてしまう。そんなある日、ふいに日浅が今野を訪ね、再会を果たした2人は夜釣りへ。ところが、ささいなことで雰囲気が悪くなり、今野は1人自宅へ戻ったきり、再び2人は連絡を取ることなく時が流れてしまう。そしてある時、日浅の行方不明を知った今野は、日浅を捜すが、その過程で見えてきたのは、これまで見てきた彼とは全く違う別の顔だった……。(公式ホームページなどから作成)
――映画化にあたってどのようなことを心掛けていましたか。
大友:原作の「手触り」を大切にしました。この作品には、他の芥川賞作品がそうであるように、ストーリーうんぬんではなく、文体そのものの美しさがあります。その「手触り」を生かすことで豊かな映画にしたかったんですね。決して長くはない原作の行間をできるだけ豊かに映像化することを心掛けました。
映画では、登場人物たちの表情のアップを多用し、目の奥に宿る感情で「もしかしてそうなのかな、いや違うかもしれない」とお客さんに感じてもらえるような演出を意識しました。「本当はどうなのかは、見る人が考えて決めればいい」というスタンスで撮ったのです。
――劇中の東北の緑や、お祭りのシーンは、鮮やかでみずみずしいものでした。
大友:濃密なドラマを抑えたトーンで演じてもらっていますが、芝居の熱量は高いので、それを反映すべく、自然の緑は、東北の青みがかかった緑ではなく、黄色が入った「熱帯の緑」にしました。僕は18歳まで盛岡で育ちましたが、その頃はこんなに緑が濃いとは感じませんでしたね。一方、震災の後のシーンは全体的に色を抜いています。
今回の作品に限らず、人は場や時代に影響されて生きているので、その場や時代背景を丁寧に描くことを心掛けています。今野の日常生活も丁寧に撮っていますが、そのシーンも含めて、なぜ今野がこんなに人の心の動きに敏感なのか、その点も含めて、観客の皆さんが思いを巡らせれば分かるように演出しています。
この世に必ず存在する「影」
――「屍(しかばね)の上に立ってんだよ、俺たち」という日浅の言葉がありますが、本作は東日本大震災を挟んで時が流れます。
大友:『影裏』が一つの神話だとすると、日浅の言葉は自然の声を代弁しています。
日浅は幼いころから釣りを通して自然と会話しており「こうしたからこうなる」という世界では生きていません。都会に生きていると、社会的な評価に縛られがちですが、日浅は自覚はないものの、それとは全く異なる本質的なものの価値を分かっています。そういう人は、東京よりも地方にたくさんいるんですね。よく考えてみたら、人が屍の上に立って生きているのは、特別なことではありませんよね。
――確かにそうですが、意識するのは難しいですね。
大友:NHKに入局して間もない頃、秋田でドキュメンタリーを撮っていましたが、50年のキャリアを持つ理容師さんが死に化粧のことを語っていた場面がありました。昔は秋田では病院ではなく、家で家族にみとられて亡くなることも多く、子どもの頃から「人には終わりが来る」ということを、自然と意識するようになったというんですね。
東京では、死は日常から隔離されているように見えますが、地方では、都会より死は身近に存在しているように思います。それは人間関係が、より濃密な形で存在しているからでしょうか。そうした普遍的な「人間の終わり」を、この世界に必ず存在する「影」として捉えて描きたいと思っていました。
――作品作りの上で大切にしていることはありますか。
大友:NHKで教わったことは、ジャーナリズムの基本は「声にならない人の声を届ける」ということでした。それは、自分のすべての作品の発想のベースになっています。
例えば、自分の手掛けた『るろうに剣心』シリーズの主人公は、人々を守るために剣を振るう浪人で、『影裏』の主人公の今野も、日浅も捨ててきた過去のある人物。その誰もが、社会に対して声を大きくして何かを言うというタイプではありません。その無名の人たちの邪心から遠く離れた声と姿をひとつひとつ拾い上げたい、という気持ちがあるんですね。
独立し、新しい場所に身を置いて
――NHKで演出した『龍馬伝』の放映後、独立されましたね。
大友:南カリフォルニア大学に映画作りの視察のために留学した時に、映画への情熱が高まり「辞めたい」と思ったこともありましたが、その時は代表作もないのに辞めても仕方ないと思っていたんですね。ところが、映画『ハゲタカ』を撮ったこともあって『龍馬伝』を放映していた頃から、頻繁に外部の方から映画制作の企画の話が来るようになりました。
面白い仕事、目立つ仕事をすると自分から働きかけなくても声を掛けられるんだな、ということがその頃分かりました。
ですから、僕の意識としては積極的に決意して辞めたのではなく、目の前にある一つ一つの仕事を丁寧にやっているうちに、自然と独立して映画を撮る方向へ人生が流れて行った感じですね。
――独立後、心掛けていることはありますか。
大友:自分にとって新しいことに挑戦するようにしています。常に新しい座組み、新しいチームでやりたいという気持ちがあるので、フリーになってからは、1作ごとに作品のタイプも製作プロダクションも意識的に変えています。映画監督というと、すべてイメージ通りに作りたい人を思い浮かべるかと思いますが、ドキュメンタリー出身ということもあって、僕は違います。自分ですべて決めると、そこで作品が自分の枠に固定されてしまう気がしてしまうんですね。
自分のイメージ通りにやるのであれば、局内で作り上げた「大友組」がありましたから、NHKにいたままの方がよかったのかもしれない。外に出るということは、NHKで積み上げて来たスタッフとの関係を捨てるというなので。ところが、一度はそうしてみる方が面白そうだと感じたんですね。作る目的と自分自身が身を置く場所を新しくして、違う感覚を得たいと。基本的には「人間を描く」ということをずっとやっているので、周りの座組みや環境を変えていかないと刺激がなくなってしまうという危機感もありました。今も外国であろうとどこであろうと、どこへ行っても自分の作品が撮れる監督でありたいという気持ちでいます。
「情報の村」から抜け出すために
――興味のある情報にしかアクセスしない人たちが増えている現代で、映画作りやジャーナリズムの意義とはどのようなものでしょうか。
大友:僕がなぜ今、映画監督の仕事をしているかと言うと、盛岡の田舎の高校に通っていた頃、映画館に行けば大画面で知らない世界を知ることができたからなんですね。そこに行けば違う国や違う人生に触れることができます。知らない世界に触れてみようという意識は人間にとって大切ですよね。
ところが、ネットで検索して情報を摂取していると、いつの間にか知ることのできる情報が自分の検索履歴にどんどん吸い寄せられていってしまいます。それはずっと一つの「ムラ」にいるようなものです。
――確かにそうですね。
大友:村にこもっていてはダメですよ、と促すのがジャーナリズムだと思います。ところが、映画の世界も、ジャーナリズムの世界も、やはりいろんなルールがあるんですね。でも、そこは遠慮せずに、誰かが声を出して変えていかなくてはならない時期だと思っています。
「つくる」ためにひとりに
――監督にとって「ひとり」はどのようなものですか。
大友:ひとりでいる時間をいかに作るかが勝負だと思っています。ひとりでいる時間にオリジナルな言葉が生まれてくるんですね。
誰かと一緒にいると、安心するのかもしれませんが「つくる」という行為は結局ひとりに還元される行為です。過去に出会ったこと、浴びて来たことを整理することが必要なんですね。そういう意味では、孤独の時間がないとダメなんだろうなと思います。
――ひとりが寂しいと思うことはありますか。
大友:寂しいと思うのは、たくさんの人に囲まれている時ですね。現場の演出はもちろん、お金のこと、時間のこと、自分のクリエーティブのこと、すべて自分で決めなくてはならないという気持ちが、そうさせるのかもしれません。楽しそうだね、とよく言われますが、本当はいつになったら撮影が楽しくなるのかと(笑)。今は、撮影が終わるとひとりになって、いろんなことを反芻(はんすう)します。その時に寂しさは感じません。映画監督はそういう仕事なんじゃないかと思いますね。