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2018-10-07

Steven WeinbergのTo Explain The Worldを読んだ

邦訳では「科学の発見」という題名がついているSteven WeinbergのTo Explain The Worldを読んだ。

著者のSteven Weinbergはノーベル物理学賞の受賞者でイスラエルの熱烈な支持者だ。

冒頭で「本書で筆者は過去を現代の基準で批判する愚を犯す」と書きながら、この本は科学がどのように発展してきたかを解説している。

本書はまず、古代ギリシャにおける万物を構成する元素の説について取り上げる。古代ギリシャの哲学者が、元素は水だとしたり、火だとしたり、水、火、土、空気の4種類だと主張している歴史を取り上げる。

ここまではまあいいとして、プラトンの提唱した説を取り上げて悶絶する。プラトンは四大元素である火、水、土、空気について、とても小さい元素が存在し、5種類ある正多面体をそれぞれ割り当てた。たとえば火は正四面体で、水は正二十面体といった具合だ。その仮説を立てるのはいいとして、割り当ては一体どういう理由で行われたのか。プラトンは単にそれが理想だからとしか語らない。

科学というものは、まず観測し、観測結果から仮説を立て、仮説が観測結果に従うことを検証するものだ。

しかし古代ギリシャでは、科学は科学ではなく哲学で、単に理想を追求するものでしかなかった。なので万物を構成する元素は元素は火や水といったわかりやすい理想的なものになり、元素は5種類ある正多面体であるとし、完全数を尊びといった、現実の観測結果より理想を追求し、理想が現実に従わないことは無視されていた。

その後、本書の大半は天体の運行の予測を通じた科学の発展に費やされる。

天体の運行には規則性があり、古代から占星学などの存在により、天体の運行を正確に予測する需要があった。

古代ギリシャ時代から地球が中心で月、惑星、太陽、その他の恒星は全て地球の周りを回っている説が主流であった。

古代ギリシャ時代にはすでに地球を中心とした天体の運行を予測する数式モデルが考案されていたが、他の天体はすべて地球を中心とした真円で回るなどと定義されていたため、現実の観測とは大いに異なっていた。しかも、それぞれの天体が謎の理由で割り当てられた正多角形に内接する真円で回るなどという、これまたプラトンのように理想を追求したモデルであった。

天体は地球を中心に真円で回転するモデルを使うと、惑星はある時期だけ逆方向に回りだしたりする。惑星が大抵の言語で語源からして、惑う星であるのも、これが原因だ。

そこでプトレマイオス説が考案された。この説では、天動説で現実の観測結果に近似させるために、あまりにも無理やりな天体のモデルを考案した。天体は太陽を中心に真円で回っている。この真円を従円と呼ぶ。天体は従円を線上を中心としてさらに真円で回っている。この真円を周転円と呼ぶ。

プトレマイオス説は複数の真円を組み合わせ、真円の大きさをパラメーター化することで、惑星の運行を現実に近似させることを試みた。その結果、かなりの制度で現実の観測に近似した天体モデルを作ることに成功した。

プトレマイオス説は科学だ。観測から観測結果に従う数式モデルを作ったわけで、これは科学と言える。

プトレマイオス説は哲学者からは理想ではなく天体の予測のための方便であるとされていた。天文学者(この時代の天文学者は占星学をかねる)は積極的に使っていた。というのも、プトレマイオス説は現実の観測結果の近似していて、予測に役立つからだ。

その後、様々な天文学者がプトレマイオス説により複雑な周転円を追加することで、さらに現実の観測結果に近づける努力が行われた。

太陽を中心として天体が公転している地動説は以前にも理想として提唱されたことはあったが、現実の観測結果を説明できる具体的な数式モデルはコペルニクスによってまず作られた。ただし、コペルニクスの数式モデルは精度が悪かった。というのも、コペルニクスは天体は太陽を中心に真円で公転していると定義したが、実際には太陽は中心ではなく、天体の公転軌道は真円ではないからだ。

本書は中東の科学についても解説している。中東の科学はイスラム教の普及によって妨害されるまでヨーロッパより進んでいた。ギリシャ時代の学説は中東からもたらされる形でヨーロッパに再発見された。その後イスラム教の普及により中東の科学の発展は阻害された。

そしてガリレオ・ガリレイの時代までやってくる。ガリレオ・ガリレイは優秀な望遠鏡を発明し、望遠鏡によって精密な天体観測をした。その結果地動説を唱えるわけだが、その上でパトロンであるローマ教皇を天動説を信じているなどと批判したので宗教裁判にかけられて地動説を封印する。後世に残る逸話によれば、このときガリレオは「それでも地球は回っている」とつぶやきながら法廷を後にしたと言われる。

宗教裁判の後、ガリレオは晩年まで自宅に軟禁状態におかれるわけだが、ガリレオの科学への情熱は冷めていなかった。ガリレオは落下する物体の速度について研究していた。落下する物体の速度を観測するのは当時としては難しい。というのも、速度が速すぎるために正確な観測ができないためだ。

ガリレオはこの落下速度の問題に対し、科学的な観測方法を考案する。緩やかな傾斜面を転がる球を使うことで速度の計測を可能にした。時間の計測には水時計を使った。傾斜角を変えることでガリレオは速度は傾斜角に比例することを示し、傾斜角を転がる球は落下速度の計測の代わりに使うことができることを示した。もちろん現実には、球と傾斜面の摩擦にもエネルギーが使われるが微々たるもので当時実現可能な観測方法としては十分なものだった。ガリレオは傾斜角を転がる球を机の端から飛ばし、その軌道が放物線であることも観測している。

本書はニュートンの説明に移る。ニュートンによって科学革命はクライマックスを迎えるわけだが、しかしこのニュートンという人物はなんという奇人だろうか。ニュートンは生涯、イングランドのごく狭い地域より外に出ることはなかった。ニュートンは潮の満ち引きについて多大なる関心を持っていたにもかかわらず、生涯一度も海を見ることはなかった。中年に至るまでニュートンは身近に女を寄せ付けることがなかった。母親とて例外ではない。50代になってから親戚の美しい娘を家政婦として雇っているが、この2人の間に男女関係はなかった。ニュートンは科学以外にも、非科学的な錬金術や宗教について多大な著作を残している。

ニュートンの研究者の間でよく言われることには、ニュートンは最初の科学者ではない。ニュートンは最後の魔法使いである。時代が魔法から科学に変わる節目の時期にあって、魔法から科学への橋渡しをした人物だ。

ニュートンの法則を記述したPrincipiaは、単に重力を説明し得たために偉大だというわけではない。ニュートンはPrincipiaによって、物理的現象は簡単な数学的原則と、その原則の応用で説明できることを示したのだ。

2018-07-05

プロフェッショナルIPv6の執筆経緯が興味深い

「プロフェッショナルIPv6」が出版されるそうだ。

すごいIPv6本を無料配布!:Geekなぺーじ

この本の執筆経緯が面白い。クラウドファンディングで金を集めている。

すごい技術書を一緒に作ろう。あきみち+ラムダノート『プロフェッショナルIPv6』 | クラウドファンディング - Makuake(マクアケ)

クラウドファンディングでは結果的に400万円ほど集まったそうだ。これはラムダノートと著者の連名のクラウドファンディングなので、著者の総取りというわけでもないだろうが、それにしても400万円は現代の技術書としては異例だ。

技術書とカネの話をしようと思う。私自身、技術書を出版してカネを得た経験がある。

技術書一冊の相場は数千円だ。売上一冊あたりの著者の収入は数百円だ。では著者が数百万円を稼ぐためには何冊売ればいいのだろうか。1万冊だ。問題は技術書で1万冊も売れる本は稀だということだ。1万冊売れる本というのは、技術書と言うよりはド素人に技術の仕組みをやんわりと教える本だ。詳細な解説をすればするほど、技術書は売れなくなっていく。千冊も売れればいいほうだろう。結果として、参考書を執筆して著者が得られるカネというのは数十万円だ。これでは経費を差し引くと給与所得者が確定申告に必要な雑所得の20万円すら下回る程度の利益しか得られない。そもそも技術書を執筆するためのまともなPCは数十万円するので、数年に渡って分割して経費にしなければならず、一台PCを買うだけで毎年本を出版しても数年は雑所得が確定申告が必要なレベルに達しない。

詳細な技術書を書くためには数年の時間がかかる。百万円台の収入では割に合わない。数年の執筆期間を維持するためには一千万円台の収入が必要だが、それには10万冊規模の売上が必要になる。日本で10万冊売れた技術書というのは、プログラマーたるもの読んだことがなければモグリのそしりを免れないような伝説的な本になるだろう。

ちなみに、100万冊売れた技術書は日本の全プログラマーが必携必読の書であり、このブログを読む読者は全員、手の届く範囲にその本を置いているような本になるはずだ。

さらに桁を上げるとどうなるのか。ありえないことだ。1000万冊売れる技術書などというものは存在するはずがない。それでもあえてそのような状況を発生させる条件を考えるとするならば、1000万冊売れた技術書の著者は新興宗教の開祖であり国内に何百万人もの信者を抱え、サイバークライムを救済されシリコンヘブンに行くためには免罪符として自著を購入しなければならない教義を説いているはずだ。

それにしても考えてみれば規模が小さい。現代の商業的な一般の書籍の流通に乗り、一般的な書店に並ぶ技術書の大半は千冊売れる程度なのだ。もはやコミケ以下だ。これでは技術書の執筆者は技術書を執筆するだけでは食べていけない。その結果、いま技術書を書いて生計を立てているような執筆者はいない。かの結城浩ですら、今は何をやっているかというと数学ラノベを書いている。

昔はこうではなかった。現代の感覚ではにわかに信じられないことであるが、昔は技術書を執筆するだけで生計を立てているプロの執筆者がいたと聞いている。一体どうしたらそんなことが可能になるのか。本の値段は何十年も変わっていない。むしろ最近のほうが安くなっている。一冊あたりの著者の印税も最近は安くなっているが、桁違いというほどではない。つまり昔は大抵の技術書が1万冊単位で売れていたということだ。事実、そうであったらしい。

昔は技術書が多く売れていた理由は、技術書が相対的に安かったからだ。今はインターネットの通信費用が限りないほど安価になっている。もはや日本では水と電気とインターネットは無料だと言ってもいい。紙の書籍は相対的に高い。しかし、昔は違った。通信費用は青天井に高かった。インターネットに接続するというのは、ISPの提供する基地局にモデムを介して電話をかけるということだった。そしてISPの基地局は都合よく同一市内の20km以内の場所に存在してくれたりはしない。帯域は本当に狭かった。当時の最後の時代の最高のモデムが56Kbpsだ。そもそも56Kbpsのカタログスペックがフルに出たりなどしない。たったの1MBをダウンロードするために何分もかかる、電話代は数百円かかるだろう。それを考えると、数千円で買える技術書が相対的に安くて売れるのは当然だ。

通信費が高いために、インターネット上にはそれほど情報がなかった事情もある。

現代ではインターネット上に情報が豊富にある上、最新の情報はインターネット上にしかない。本の執筆には時間がかかり、物理的に印刷して書店に並ぶには更に時間がかかる。しかも、今の技術の一次情報はすべて英語だ。すると、著者が英語を読んだ上で日本語で書くというオーバーヘッドもある。紙の本は出版された時点ですでに時代遅れなのだ。

さて、表題の本に戻ろう。今回クラウドファンディングで400万円を集めているわけだが、これはまだ低い。もう一つ桁が上がらなければ執筆に数年かかるような技術書は出せない。ただ、今回クラウドファンディングをしたことで圧倒的な宣伝効果を得たはずで、金銭以外の利益はあったはずだ。

不思議な時代だ。カネを払って宣伝をするのではなく、カネをもらって宣伝をするとは。結局、市場が小さすぎるのが悪い。

技術書の未来はどうなるのだろうか。私は今の傾向が続けば、もはや技術書などというものは滅びると思っている。そうなればプログラマーは皆日本語を捨てて余計なオーバーヘッドが排除されるので、長期的にはいいはずなのだが。

2014-10-12

読書

昨日、妖怪ハウスで住人の誕生日会があった。今回は予想よりは人が少なかったが、それなりに騒がしく疲れた。三連休の残りは、読書でもしながらのんびりと過ごすことにする。

読書といえば、カンタベリー物語を読んだ。カンタベリー物語は、様々な身分の者が連れ立って巡礼に向かう途中、それぞれ帰りの宿の飯のおごりをかけて話を語り合うという設定の説話集だ。作者であるチョーサー自身が登場している。

話は、二人の騎士が共通の女に惚れたため決闘して取り合う話から始まったが、その後に続く話の大半は、好色な話ばかりであった。

さて、今はカンタベリー物語の翻訳本に一緒に載っている、ガルガンチュア物語を読んでいるが、あまりに大げさな表現が多いため、面白いもののやや飽き始めている。

2014-09-22

兎のピイタアの話

ビアトリクス・ポツタア

ある所に四匹の子兎が住んでゐて、名前を、フロプシイ、モプシイ、コツトンテイル、ピイタアと云つた。大きなモミの木の根本の砂穴の中に住んでゐた。

「さあ、お前たち」と、ある朝、母ウサギは云つた。「野原や道端には行つてもいいけれど、マクグレガア翁の畑に行つてはいけないよ。父さんはあそこでひどい目にあつたのだから。マクグレガア嫗に料理されてパイになつてしまつたのさ」

「さあ、一緒にお行き。滅多なことをするでないよ。私も出かけるからね」

そして、母兎は編みかごと日傘とを持つて、森を通つてパン屋へと向かつた。母兎はパンを一斤と、人参パンを5個買つた。

フロプシイ、モプシイ、コツトンテイルは、良い子兎で、道々に黒苺を集めた。

ピイタアは、いたずら好きで、まつすぐマクグレガアの畑に駆けて行き、扉の下をくぐり抜けた。

まずはレタスをいくつか食べ、鞘付きの隠元豆を食べ、さらに大根を食べた。

すると、気分が悪くなつたので、パセリを探すことにした。

だが何と、胡瓜の箱植の角で出会つたは、マクグレガア翁に他ならなかつた。

マクグレガア翁は這ひつくばつてキャベツの苗を植ゑてゐたが、飛び上がつて、鋤鍬を振り回し、「止まれ泥棒」と叫びながら、ピイタアを追ひかけた。

ピイタアは極めて恐怖した。扉の場所を忘れてしまつたため、畑中を逃げまわつた。靴の片方はキャベツ畑になくし、もう片方は馬鈴薯畑になくした。

靴をなくしてからは、四足になつて走つたため、一層速く走れるようになつた。グズベリイの網にぶつかつて、上着の大きなボタンをひつかけさえしなければ、逃げおおせたものと余は思ふ。金ボタンの付きたる青上着にて、まだ新しかつた。

ピイタアは諦めて、ひどく泣いた。泣き声は親しげな雀に聞こえ、飛んできて、叱咤激励するのであつた。

マクグレガア翁は笊を持つてやつてきた。ピイタアの上に被せようとする積もりである。ピイタアはちようど、上着を残して、もがき逃れた。

物置小屋に逃げ込み、じようろの中に飛び込んだ。中に水が入つてゐなければ、隠れるにこの上なく都合のいい物であつたろうに。

マクグレガア翁はピイタアが物置小屋の中にいるものと考へた。植木鉢の下にでも隠れてゐるのかも知れぬ。翁は慎重に鉢をひつくり返して調べ始めた。その時、ピイタアはくさめをした。「ハツクシヨン」。マクグレガア翁はすぐさまピイタアを追ひかけた。

さうして、ピイタアを足で踏み潰さうとしたが、ピイタアは窓から飛び降り、植木鉢を三つひつくり返した。窓はマクグレガア翁には小さすぎたし、翁はピイタアを追ひかけるのに疲れてしまつた。翁は野良仕事に戻つた。

ピイタアは休まうと座つた。息を切らせ、怖さに震えてゐた。そして、どこに行くべきか分からずにいた。じようろの中にいたので、ずぶ濡れであつた。やがて、ピイタアは辺りをうろつきはじめた。ふらふらと、ゆつくりと、辺りを見て廻つた。

壁に扉を見つけたが、鍵がかかつていて、丸々と肥えた子兎がくぐり抜けることはできなかつた。一匹の古鼠が、ドア下の石畳の上を出入りし、森に住む家族のために、豆を運んでゐた。ピイタアは扉への道をたずねたが、この雌鼠は大きな豆を口の中に入れているため、答えなかつた。雌鼠は首を振つた。ピイタアは泣きだした。

さうして、ピイタアは畑を一直線に突つ切ることで道を探さうとしたが、ますます迷つてしまつた。さて、ピイタアは、マクグレガア翁がじようろの水を汲むためのため池に突き当たつた。白猫が金魚を見つめてゐる。この雌猫は座つたままぴつたりと動かなかつたが、尻尾だけは、別物のように動いた。ピイタアは話しかけぬ方が賢明であらうと考へた。猫のことは、いとこの子、ベンジヤミン兎から聞いてゐた。

ピイタアは物置小屋の方に戻つたが、急に、とても近くで、鍬の音が聞いた。ザク、ザク、ザク、ザク。ピイタアは茂みの下に隠れた。しかし、何事もなかつたので、出てきて、手押し車に登つて覗き見た。マクグレガア翁が玉葱畑を耕しているのが、まず目に入つた。翁はピイタアに背を向けてゐて、その後ろに、扉があるではないか。

ピイタアは静かに手押し車から降りると、全速力で、カシスの茂みから一直線に走りだした。マクグレガア翁は曲がり角でピイタアを見つけたが、ピイタアは意に介さず。ピイタアは扉の下をくぐり抜けて、ようやく、畑の外、安全な森の中に出た。

マクグレガア翁は小さな上着と靴を吊るして、鳥を脅かす案山子となした。

ピイタアは大きなモミの木の家に辿り着くまで、止まらず、後ろを振り返ることもなかつた。とても疲れてゐたため、兎穴の柔らかい砂の上に寝転がると、目を閉じた。母親は料理に忙しかつた。母親は服をどうしたのかと不思議がつた。この二週間で、服と靴をなくしたのは二度目なのだ。

余は、その晩のピイタアは気分が優れなかつたと語らねばならぬ。母親はピイタアを寝床に寝かせ、カモミイル茶を沸かして、ピイタアに一服飲ませた。「寝る前に匙一杯よ」

フロプシイ、モプシイ、コツトンテイルは、パンと牛乳と黒苺の夕食をした。終わり。

2014-01-02

星の王子様

たまたま、サンテグジュペリの星の王子様の新訳が転がっていたので、暇つぶしに読んだ。

基本的に、私は一度読んだ小説などは、あまり読み返したりしない。なぜならば、次に続く文章が分かっているので、それほど面白くないのだ。ただし、星の王子様を読んだのは、確かまだ小学生の時で、もはや話の筋をあらかた忘れている。それに別人の翻訳というのも気になる。

さて、読み終えたので、感想を書きたいのだが、どうもこの本に対しては、うまく感想を書きにくい。この本をグダグダと批評するのは、大人のやることではないか。少なくとも、この本を読み終えた後しばらくは、そんなつまらない大人にはなりたくないものだ。

ただ、どうしても一言だけ書いておくと、名作と呼ばれるだけの不思議で味わい深くでどこか物悲しい話だ。ああ、結局、批評してしまった。つまらない大人になったものだ。

実は、このブログを本の虫と名づけたのは、もともと、読書感想を書くつもりでいたのだ。

2013-10-28

日本語のC++参考書の行く末

C++11の参考書をGitHubで公開したことはすでに発表した。

GitHub: EzoeRyou/cpp-book

GitHubからzipでダウンロード

GitHub Pagesでの閲覧:C++11の文法と機能

本の虫: C++11参考書の公開:C++11の文法と機能

私はもう時間切れで、三週間後にはインターネット接続はおろか、コンピューターすら失う身だが、日本語のC++参考書の行く末について案じてみたいと思う

日本では、全国どこでも日本語が通じる。日本にいる限り、日本語以外の言語を使う必要がない。法律の書かれている言語から日常生活の言語から教育で使う言語まで、すべて日本語で行われている。

これは、凄いことでもあるが、悲劇でもある。日本人は英語を学ぶ必要性を実感できないのだ。にもかかわらず、プログラミングは、英語を必要とする。

英語は、文法的にはあまりよろしくない言語である。例外的な文法の多さ、発音と一致しない文字表記、純粋な10進数ではない数体系などなど、およそきれいな言語ではない。しかし、英語は事実上の業界標準となっている。プログラミングの世界では、共通語になっている。文法は汚いが、世の中にはもっと悲惨な文法の言語があることを考えれば、これでもまだマシな方なのだ。

好む、好まぬの問題ではない。もし、複数の言語話者が集まって一つのソフトウェアプロジェクトに参加する場合、共通言語の第一候補は、英語しかないのだ。

プログラミングの参考書や論文は、英語で書かれたものが最も多い。日本人が開発したソフトウェアや、日本語特有の処理をするソフトウェアには、その性質上、日本語の資料が豊富かもしれないが、大多数のプログラミング資料は、英語に片寄っている。

これはC++でも同じことだ。C++の標準規格や論文は、英語で書かれてる。標準委員会の議論は、英語で行われている。

したがって、C++の参考書を書くには、英語から日本語に翻訳しなければならないわけだ。

多くの稚拙なC++の参考書は、C++の標準規格を一度も読んだことがないド素人によって書かれている。このド素人は、C++の標準規格ではなく、手元にあるコンパイラーを信用する。「コンパイラーでコンパイルを通せば、それは合法なコードに違いない。コンパイルがエラーになれば、そのコードは違法なのだ」といった具合だ。これは正しいC++のコードの合法、違法を確かめる方法ではない。

多くの通常のプログラマーにとって、C++コンパイラーは信用すべきものである。しかし、C++の参考書の筆者にとって、コンパイラーとは、単に些細なタイプミスを検出する程度のものであり、常に疑ってかかるべきものなのだ。コンパイルが通ったからといって、規格準拠なコードであるとはいえないし、コンパイルエラーになったからと言って、規格上正しくないコードというわけでもない。これは、コンパイラーというものが、所詮は人間によって書かれたものである以上、不具合があるのは当然だからだ。私はC++11参考書を書くにあたって、実に多くのコンパイラーの規格違反のバグを見つけ、報告してきた。

そこでC++の参考書を書く際の大本の一時ソースとなるのは、C++の標準規格だ。しかし、これとて、盲信してはならない。C++の標準規格は、人間によって英語という自然言語で書かれている。当然間違いはある。C++の参考書の執筆者は、C++標準規格の文面すら疑わなければならないのだ。私はC++11参考書を書くにあたって、いくつもの文面上の誤りを見つけ、報告し、訂正してきた。

しかし、ド素人は違う。ド素人は手元にある特定のコンパイラーの特定のバージョンでコンパイルが通るかどうかだけを信頼する。信頼の連鎖の末端にある、最も信用してはならないものを信用する。

その結果として、ド素人の書いたC++11参考書は、規格では用いない独自の用語を使い、規格通りではない誤った認識のもとに解説している。

私のC++11参考書は、もちろん、C++の標準規格の文面すら疑いつつ書かれた。それも、C++のコア言語を標準規格に従って網羅的に解説した、単なる既存の本の翻訳ではない、最初から日本語で書かれた唯一の本なのだ。

そして私の今の境遇だ。今更言ってもはじまらないが、金がない。

C++11の参考書の紙の本

読者の中には、C++11の参考書の紙の本を売ればいいのではないかと思う者がいるかもしれない。これは、全然金にならないのだ。死んだ木の本は、全くと言っていいほど金にならないのだ。

一冊十万円の本が飛ぶように売れるのならばともかく、紙の本の値段は、所詮は一冊数千円だ。そして、プログラミングの参考書というのは、数万冊も売れれば、相当に売れたという世界なのだ。もし、十万冊売れたのならば、誰もが書名を知るほどの名著、すなわちK&RやSICPやKnuthに匹敵するような伝説的な本なのだ。もし、ミリオン、すなわち百万冊売れたならば、それは本の内容が神がかっていたから売れたというよりも、日本のプログラマーに共通の宗教を疑うべき事態だ。なぜならば、日本のプログラマーの人口というのは、諸説あるが、せいぜい100万人もいかないだろうから。

それに、十万冊売れるプログラミングの参考書というのは、入門書だ。いわゆる猫でも〜的な本だ。ド素人の書いた本だ。私の書いたような、上級者向けの網羅的な本ではない。私の書いたC++11の参考書は、これまでに比べるものがないほどに素晴らしく規格準拠なC++の参考書である。問題は、このような上級者向けの参考書は、需要がとても少ないということだ。本当に必要とする人間は、せいぜい数千人だろう。

もし紙の本のミリオンセラーが目的ならば、私が書くのはプログラミングの参考書ではなく、恋愛小説だ。その方が可能性が高いからだ。

しかも、紙の本の出版には、屈辱的な契約に同意しなければならない。その契約内容はどこの出版社でも同じで、「契約の期間中、筆者は著作権を含むあらゆる知的財産権を独占的、排他的に出版社に代行管理させること」というものだ。たとえ筆者が全文章を書き上げたとしても(誤字脱字程度の修正に著作権は発生しない)、筆者は出版中は著作権を主張できないのだ。そんなバカな話があるか。著作権は、著作者に限定的な期間の間、独占的な権利を与えるものである。なんで著作者が著作権を取り上げられなければならないのだ。

出版社側の言い訳としては、「本の組版、製本、流通、管理などには、相当の手間と費用がかかり、まったく売れないというリスクをこちらが背負うのだから、当然のことだ」ということになる。

そもそも、プログラミングの参考書とは、自由であるべきなのだ。自由にコピペしたり改変したりできないプログラミングの参考書など無価値だ。また、複製して他人に渡せないプログラミングの参考書など無価値だ。不自由なプログラミングの参考書は無価値なのだ。

今や、情報を公開するコストは、極端に下がった。なぜわざわざ不自由な死んだ木の本で公開するのに、自由を諦めなければならないのか。

では、電子書籍はどうか。電子書籍を販売するプラットフォームは様々ある。多くは仕様が非公開のフォーマット、そのフォーマットを解釈する専用の不自由なソフトウェア、邪悪なDRM(デジタル制限管理)で汚染されているので、読者は電子書籍を注意深く選ばなければならない。中には、そのような邪悪な嫌がらせをしていない電子書籍の販売プラットフォームもあるし、また、単にファイルを販売するようなプラットフォームもある。

問題は、この手の電子書籍に、高い金を払う慣習が存在しないということだ。読者はもちろん了解しているように、正しく動作するDRMは存在しない。ファイルは速やかに共有される。

私にとって、共有は問題ではない。情報の共有は素晴らしいことであり、知的財産権などという馬鹿げたものを持ちだして、情報の共有を妨害するのは、人類の進化を妨害するのと同じなのだ。シンギュラリティを提唱したRay Kurzweilは、人間の進化は、もはや遺伝子やタンパク質で行われるのではなく、技術で行われると書いた。人間は空を飛ぶために肉体を変化させる必要はないのだ。技術は、情報を記録し、共有し、伝えることで進化する。情報の共有を妨害するのは、人類の進化を妨害する、人類に対する罪である。

したがって、何らかの方法で有料ダウンロードを設けても意味がないのだ。そもそも情報自体に金を払う慣習が根付いていない。

私がC++の参考書の執筆を続けるのに必要なのは、そういったたぐいの金ではない、月々数十万の収入を数年は見込めるような、つまりは安定した収入だ。さらに、C++標準化委員会の会議に出席できるような費用(会議はほとんどアメリカ合衆国で開かれる)もあればよい。

金は必要である。金がないために、私は3週間後にインターネット接続はおろか、コンピューターすら失うわけだ。金がないために、私はこれ以上C++の参考書の執筆が続けられないわけだ。金は必要である。

そもそも、英語で書かれているC++の標準規格はどうなのか。金はどこから出るのか。C++の標準規格は、C++標準化委員会で議論され、検証され、文面案を書き、投票されて、ドラフトに入り、最終的に規格として制定される。どこから金が出ているのか。C++標準化委員会のメンバーは、個人で参加している者もいるが、大半はスポンサーがいる。スポンサーがC++の規格や、教育や、コンパイラーやライブラリの実装などに長けた人間に金を出して、C++の標準規格の作業に従事させているのだ。そうすることによって、スポンサーは、C++の規格を、スポンサーにとって都合がいいように、影響を与えることができる。

日本では、今、このスポンサーが存在しない。かつては存在したのだ。

C++標準化員会は、私もいまいち仕組みがよく分かっていないのだが、私としては、C++ Working Groupという単位の印象が強い。C++WGは、主要な各国に支部があり、日本にも支部がある。私もそこに、スポンサーなしの個人として籍をおいている。

最初のC++の正式な規格、C++98は、1998年に制定された。当時、日本では、C++の標準規格の日本語訳がほしいと考えるスポンサーがたくさんいた。そのため、スポンサーに雇われたC++WGのメンバー達は、作業を分担してC++の標準規格の全文を翻訳し、同等のJIS規格として制定した。

しかし、いまC++11の規格書の日本語訳は存在しない。一体どうなっているのか。C++標準化委員会は何をしているのか。これは、スポンサーがいないためである。

これは私の誤解と偏見で語るのだが、どうもC++WGの日本支部というのは、その前身が、EC++団体の人間だったらしいのだ。

当時、自社内で独自にC++のコンパイラーを開発できることは、業界市場で技術的優位に立つためにとても重要なことだった。しかし、C++の実装は難しい。そのため、どうも日本企業が寄り集まって、実装しやすいC++の劣化サブセットを作ろうと考えたらしい。EC++は悲惨である。多くの機能が、実装が難しいとか、オーバーヘッドがあるとかいった理由で取り除かれた。

この日本独自の、今のスラングでいえば、ガラパゴス的な劣化C++は、Bjarne Stroustrupの目にも止まった。Stroustrupは、C++になにか独占的な権利を主張することはしないが、ただ分裂しないことが重要だと考えていた。そのため、EC++団体にメールを送り、どうせやるなら、C++の標準化委員会に来てやらないかと声をかけたそうだ。

これにより、EC++が標準化委員会でも議論された。議論の結果、EC++で、オーバーヘッドがあるとされて取り除かれた機能の多くは、ゼロオーバーヘッドで実装できると論破された。その結果は、Performance TRとして公開された。

私にC++コンパイラー実装の知識がないのを棚に上げていうが、EC++はあまりにも悲惨だった。Stroustrup自身が言っているように。

私の知る限り、EC++は死んだ(2004)、もしまだ死んでいないのなら、死ぬべきである。

Stroustrup: FAQ

時代は変わった。一社独自で閉鎖的に開発されたコンパイラーというものは、大抵クソであり、不自由なプラットフォームで強制的に(始終呪いの言葉を投げかけられながら)使わされるのでもなければ、誰も使いたがらないものである。あのAppleですら、コンパイラーを自社で閉鎖的に開発するなどということはしていない。いまだに自社での閉鎖的な開発にこだわっているMicrosoftのC++風のコンパイラーは、あのザマだ。

しかし、これは同時に、日本国内の企業による、C++のスポンサーを減らしてしまった。どうも日本の企業というのは、いまだに閉鎖的な囲い込みと邪悪な制限を好むらしい。

最近、C++WGの日本支部には、新しい顔ぶれが入ってきた。多くは、スポンサーを持たない、個人の参加者である。

日本国内にC++のスポンサーが減ると、当然、C++WGの日本支部の活動も滞る。規格書の翻訳どころか、定期的な会合も開かれない。NBコメントをまとめて送るような活動もない。今、日本のC++WGの若い個人で参加しているメンバーがC++14で追加された新機能に関する会合を開くが、これはC++標準化委員会の中では行われない。単に個人の勉強会という形で行われる。スポンサーのいない世界では、標準化委員会の公式の会合というのは、手続きが煩雑なだけで利点がないのだ。

スポンサーがいないということは、個人の有志が思い思いに、気ままに活動するということだ。とてもではないが、標準規格の日本語訳はおぼつかない。

もちろん、たまに私のような変人がでるかもしれない。しかし、所詮は後ろ盾のない趣味のような活動なのだから、長続きしない。何の保証もない。いずれ誰かがやるかもしれないというものだ。

もし、今後も日本語のC++の参考書や情報がほしいのならば、そういう活動に対して金が出るべきだ。スポンサーが出るべきだ。

私が自分を売り込む宣伝活動をすべきだというかもしれない。しかし、私は、別に何も困らないのだ。C++の最新の規格に追随するには、数ヶ月ごとに発行される論文集を読めばいいだけの話だ。それは、数ヶ月おきにネットカフェかどこかで入手すればいいだけの話だ。ここ数年の論文集は、このブログで逐一解説している。たとえば、これは今月出た最新の論文集だ。

本の虫: 2013-10 post-Chicago mailingの簡易レビュー

私はインターネット接続を失うので、今後はこのような簡易レビューはできないが、論文自体は、せいぜい数十MBに満たないサイズなので、簡単にダウンロードできるし、オフラインでもじっくり読める。それを日本語で解説することができなくなるというだけの話だ。

第一、私は日本人で最も優秀なC++規格の研究者というわけではない。私よりフォーマルな英語の読める人間はいくらでもいるし、コンパイラーも実装できるだろうし、ライブラリも実装できるだろうし(私はメタプログラミングはともかく、データ構造やアルゴリズムには詳しくない)、私よりデータ構造やアルゴリズムや、数学や物理学や自然言語処理やその他もろもろの専門的な技術に詳しい人間は山ほどいる。しかし、その手の人間は、C++の規格を深く学ぶよりも、もっと他にもすることがあるので、その仕事に時間を取られていて、私ほどC++の規格をじっくり学ぶ時間がないだけだ。

もし、C++の日本語の情報を提供することに多大な金が動くようになれば、私より優秀な人間が市場に参入してくるので、私に勝ち目はない。しかし、今は、日本国内ではC++の規格に金がまったく動かないので、私のような非才な人間でも、C++の規格に関しては、優位に立つことができるわけだ。

もちろん、すべてが悪いわけではない。好むと好まざるとに関わらず、プログラミングには英語が必須である。日本のような、日本語だけでプログラミングがある程度学べてしまうような環境は例外的なのだ。日本語の資料がなければ、日本語でプログラミングを学ぶ方法がなければ、日本人プログラマーとて、自然と英語を余儀なくされる。英語が必要になる。その方が、長期的には、いいのかもしれない。

2013-10-08

戯作について思う

この五日間、用事があって留守にしていた。その五日間の暇な時間に、かねてから読もうと思いつつも、つい打ち捨てておいた小学館の日本古典文学全集47 洒落本 滑稽本 人情本を読んだ。だいたい200年ぐらい前の江戸時代の文章だ。このような名前で呼ばれた当時の本は、廓が絡む話が多い。

読んでいて思ったのは、日本語というのは200年前も今も、案外変わっていないという事だ。もちろん、東京の方言で書かれているが、それを差し引けば、今の日本語とほとんど変わらない。

これは、洒落本、滑稽本、人情本が、読本とは違い、漢文がほとんど出てこずに、会話文主体の文章になっているからだと思う。日本語の話し言葉は、方言による単語や発音さえ差し引けば、200年前と今とで、あまり変わっていない。ただ、書き言葉だけが、平安時代に成立した様式がそのまま保たれただけのことだ。

ただし、どうしたわけか、会話文主体の文章なのにも関わらず、どの作品も、依然として露骨に漢文が出てくる。その方法は様々で、例えば物事を何でも漢音で話すクセのある漢学者を登場させたり、読本好きで漢文くずれの話し方をする人間を登場させたり、文盲(漢文が読めない者を指す)に無理やり漢文を読ませたりしている。なぜ、そこまでして露骨に漢文を出さなければならなかったのか。

結局、本物の文章は漢文(実質は古代中国語風の怪しい文章)で書くべきだという慣れがあったのだろう。今でも、我々は一部の発音とは異なる例外的な書き言葉を使っていて、その文法に従わない文章、例えば、「こんにちわ、今日わ街え買い物に出かけました」のような文章に、気持ち悪いほどの違和感を感じるのと同じなのだろう。

現代文らしい文章は、明治になって現れた。言文一致論が叫ばれ、特に二葉亭四迷と夏目漱石が、比較的よくやった方だと思う。私としては、世間一般では、夏目漱石は過剰に評価されていて、二葉亭四迷が仮称に評価されているように思うのだが、なぜ世間は夏目漱石ばかりやたらと持ちあげるのだろうか。作品数の違いからだろうか。

また、当時の時の権力による邪悪な検閲についても、一言述べておかなくてはならない。

こういった種類の本は、その扱う内容が内容なだけに、時の権力たる幕府が、頻繁に検閲している。洒落本、滑稽本、人情本などと細かくわけられているのは、流行による移り変わりもあるが、その都度、大規模な検閲のため、文化が途絶えているからだ。検閲は文化の進化を妨げ、絶滅させてしまうのだ。

検閲の害悪は文化だけにとどまらない。技術にも悪影響を及ぼす。この手の本は、版木印刷され、貸本屋に並べ、貸本屋からレンタルして読むという流通形態をとっていた。印刷された本には、版木の多色刷りによる見事な絵が何枚も印刷されていた。ところが、時の権力たる極悪な幕府は、多色刷りは公共風俗のためよろしからぬとして、多色刷りも検閲した。検閲は技術の進化をも妨げるのだ。

今も、日本には表現の自由がない。表現はわいせつ性という、時代ごとに異なる、明文化されない、とても曖昧な性質を有すれば、検閲される。そのわいせつ性を認められた物を配布するのは違法である。これは憲法に保証された表現の自由を犯している。

他にも、著作権や特許権といったものも、その本来も意図とは裏腹に、表現規制に何役も買っている。

さて、肝心の、この小学館の全集の質はどうかというと、あまりよろしくない。

まず、字体を新字体準拠を変更していること。字体は重要な表現の一部であり、それを勝手に変えるのは芸術作品への冒涜である。

カナも一部漢字に直しているという。言葉をカナでかくか漢字で書くかというのは、じゅーよーなひょーげんの一部である。イングリッシュでアッパーケースだけで書かれている部分を勝手にローワーケースに変えることがオリジナルミーニングをスポイルするように、カナと漢字を底本通りに翻刻しないのは原意を損なう。

さらに悲惨なことに編集者の勝手に句読点を打っていること本来句読点なしに書かれていた文章に句読点をあとから付け加えるのは芸術作品への冒涜であり甚だしく原意を損なう憎むべき行為だ。

さらに、山のように注釈があることも問題だ。たしかに、注釈があるのはありがたいが、注釈は読者の興味を散漫とさせ、本文への集中を妨げる。注釈は表示/非表示を切り替えられるべきであり、この点からも、早く死んだ木の本を絶滅させて、GFDLが定義する「通過」な媒体、フォーマットを普及させるべきである。現時点では、HTML/CSS/JavaScriptが最も適切である。

ただ、この本には、ひとつだけ評価できる点がある。それは、仮名遣いを改めなかったことだ。

私がここで言っているのは、旧仮名遣いを新仮名遣いに改めるという事ではない。それは評価のしようがない邪悪だ。旧仮名遣いを新仮名遣いに改めた編集者は、日本人であるならば皆腹を切って詫びるべきである。他人の作品を汚すならば、自分が死ぬべきだからだ。もちろん、本物の小刀を使って腹を切るべきだ。扇子でごまかしてはならない。また、オリーブオイルをぶっかけられた筆者が空飛ぶスパゲティモンスター様の地獄に叩き落とすべきもの等だ。地獄ではビール火山はすでに死火山となり、ストリッパーは性病にかかっており、麺は伸びきっている。

私が声を張り上げて悪だと主張したいのは、「正しい歴史的仮名遣いに改めた」という主張だ。正しい歴史的仮名遣いなど存在しない。さだいえを引っ張りだしてきても解決しない。そもそも、THE歴史的仮名遣いなどというものはなく、単に、仮名遣いが統一されていなかったというだけなのだ。そのため、話し言葉とその発音を文字に書き出す際、作者ごとに思い思いの方法を使って表現した。たとえば、「いえない」に対して、「いいゑない」と書いたり、「おとっつぁん」の「つぁん」を、「さ゜ん」と書いたりする類だ。これらはいずれも、作者の表現の一部であり、勝手に変えるのは芸術作品への冒涜である。

小学館の全集は、新字体に変えるという許しがたい蛮行のため、普段は読むことがないのだが、こればかりは古本市で捨て値で投げ売られていたので、買ってきたのだ。

本の質はともかく、中身に関しては、なかなか面白い。他の戯作も読んでみようと思う。

とにかく、まともな戯作を読むには、草書体を学ぶか、あるいは古本を漁るしかないだろう。

2013-03-07

中島敦の草稿

中島敦の草稿を読んでいるのだが、だいぶ変わっている。

例えば名人傳だ。完成版は青空文庫にあるが、草稿のテキストは、現在インターネット上には存在しない。

まず、「述而不作と孔夫子は言ふ。私もその顰みに倣はうと思ふ。創意無しとの批難は甘んじて受けよう。た々゛、この話の真実なことだけは信じて頂きたい。」と始まる。

草稿では、紀昌は最初から弓の名手で、百歩を隔てて柳の葉を射切ることができる。その腕前を披露しているところに、飛衛がやってきて嘲笑する。勝負の結果負けた紀昌は弟子入りし、そこから先は修行が始まる。

冒頭の話がだいぶ変わっている。

文字禍も、草稿は文字という題名で、直接博士と関係ない話が多数書いてある。

草稿を読んでみると、中島敦は同じ作品を何度も書きなおして整えていったのだという感じがする。

まあ、世の中には某エスペラント狂の遺稿のように、何度も書きなおした挙句、元の話がすっかり消えてしまい、しかし完全に消えもせずところどころに違和感のある記述が残る矛盾だらけの作品もあるのだが。私にはあの田舎者の文章の良さは理解できない。

2013-01-31

洒落本

この五日間、コンピューターもインターネットも使えない場所で過ごしてきた。そこで、だいぶ前に入手していたものの、なかなか読むきっかけがなかった本を読むことにした。今回読んだのは洒落本だ。洒落本というのは、1700年代に流行った、今で言うライトノベル的な小説だ。内容は遊郭に関するもので、特に通人(遊郭に足繁く通っている者の粋)という概念を取り上げている。幕府によって規制されるまでの短い間に流行った。

洒落本の流通形態は貸本、つまりレンタルであった。そのため、個人で所蔵するということがまれであり、初版本の入手が非常に難しいそうだ。

300年前、日本では多色刷りの版木印刷により大規模な印刷が行われており、貸本屋という流通を介して本がレンタルされ、しかも当時の女郎が読んでいたのだ。これを思うと、当時の日本の識字率の高さはすごい。

読むと、当時の遊郭事情がたくさん載っていて面白い。

また、洒落本には、通人の粋という概念が強く出てくる。通人とは、毎日のように遊郭通いをしていたやくざ風の男の美学である。ただし、多くの洒落本では、通人ぶる男は、たいていうぬぼれが強く、意識的に通人ぶろうとして、やり過ぎで失敗している。洒落本で持てる男は、「むすこ」とよばれるキャラである。むすこキャラとは、若い遊郭なれしていない金持ちのボンボンだ。まあ、むすこキャラは金を持っているし、ちょっと媚をうれば女郎に本気で恋をしていい金づるになるので、遊郭でもてるのは当然といえよう。

また、当時の流行語や、通人言葉が多数出てくる。その上、表記もできるだけ発音に合わせて表記しようとした努力がみられる。

感想としては、300年前の日本語はあまり変わっていないということだ。

2012-12-23

正しい年始状と挨拶の書き方

世間では、年賀状というものを送るそうだが、正しい年始状の書けない情けない者が多い。そこで、今年も残り少なくなってきた今、正しい年始状とその挨拶例をみてみよう。

男の場合、以下のように書くのが正しい。

新年の御慶めでたく申納候。舊年中は何かと御高庇を蒙り御禮は筆にも盡し難く候。何卒當年も相變らず御厚眷を賜はり度偏に奉願候。尚尊家御一統の御慶福を奉祈候。謹言。

これこそ、正しい年始状である。

また、このような年始状をもらった場合、以下のように返事を書く。

早々御賀章を賜はり忝く奉存候。萬里到らぬ隈なき新陽の光を欣び迎へて尊堂御一同の御健康と御昌福を奉祝賀候。客年中は當方こそ種々御好意を忝うし千萬感謝仕候。尚倍舊の御愛顧を奉願候。先は御答禮まで。謹言。

こう書いてこそ、教養のある返事である。

ちなみに、女の場合は、ここまで難しく書く必要はない。もっと簡単に書いてよろしい。

さしのぼる初日影くもりなき年の光を、御一統様御揃ひのどかに御迎へ遊ばされ候こと、かず〳 〵御めでたく御祝ひ申上候。私方にも皆皆つゞが無く年重ね候ま〻憚りながら御心安う思召たまはりたく候。常は手前にかまけ御無沙汰ばかり致し、御子様方御成身の御様子も久しう拜し参らせず、一入御ゆかしう存じまいらせそろ。めでたくかしこ。

「まいらせそろ」は、本来、合略仮名で書くべきなのだが、遺憾ながらUnicodeにも入っていない文字なので、仕方なくかなで書いている。実際に書くときは、合略仮名で書くべきである。

ちなみに、こんな字である

さて、返事には、

門の小松の千代かけてめでたき年の初めの御玉づさ忝う拜しまいらせそろ。御一統様ます〳 〵御機嫌よく御年迎へ遊ばされ、重ね〴 〵めでたく祝ひ上げまいらせそろ。先づは御あいさつのみ。めでたくかしこ。

ちなみに、これはたまたま百万遍の古本祭りで手に入れた文章のお手本集の中に載っていたものだ。

アマゾンで最も役に立たなそうな本、「北東アメリカにおける野ざらしのショッピングカート:観測ガイド」

Redditを眺めていたところ、毎年、俺と友達は最も役に立たないプレゼントを贈り合うんだ。友達いつもうまくやってくれると題して、ネコのカツラに関する本が紹介されていた。

さらに、そのコメントで、次のような本が紹介されていた。

The Stray Shopping Carts of Eastern North America: A Guide to Field Identification

題名は「北東アメリカにおける野ざらしのショッピングカート:観測ガイド」である。どうやら、Amazon.co.jpにもあるので、日本からでも買えるようだ。

説明文は、

野ざらしのショッピングカートは多いが、カートと地域を結びつける研究はほとんど行われて来なかった。これは、今まで我々には打ち棄てられたカートを説明する学問が不足していたためである。それも今日で終わりだ。この「北東アメリカにおける野ざらしのショッピングカート:観測ガイド」では、プロでなくても、カートを発見し、発見場所と状況に応じて分類できるのだ。写真集により、読者は分類を学ぶことができる。ナイアガラ(多くのカートが悲運にも落ち込んでいった)などの多くの一見関係無さそうな場所からでも発見できる。

カスタマーレビューも面白い。

この本は現在手に入る四冊のショッピングカートのリファレンスガイドうちでも、最も優れた本です。以下のトピックについて素晴らしく網羅しています。

・ショッピングカート

私はこの本を強く推奨します。

著者の経歴が載っていませんが、私はこの仕事によって、著者にテニュアが与えられる一助となることを願ってやみません。野鳥観測ガイドのように、驚くほど面白い本です。議会図書館はこの本を「芸術的写真集」の本であると分類していますが、とても興味深い社会人類学的要素を含んでいます。

2012-10-05

邪悪なEPUBを支援してはならない

日本のEPUBの策定団体が、時間の問題で政府の支援を受けられないから支援してくれといっているが、支援してはならない。なぜならば、EPUBは邪悪だからだ。

EPUBの規格は、設計的な欠陥であるDRMを利用を許可している。これは許しがたい蛮行であり、人道上の罪である。

EPUBは本来、必要のないフォーマットである。すでに、HTMLやCSSといったドキュメントや表現方法の記述言語は、直接使うことができるのだから、それを使って書けばいいのだ。現に今読んでいるこの文章は、HTMLやCSSを直接使っているではないか。もちろん、通信経路で圧縮することはできるとしても、それは通信経路の話だ。複数のデータをまとめる必要があるにしても、アーカイバや圧縮方式には多数の有名なフォーマットがあるので、どれかを使えばよい。書籍のような広範な表現方法をもつもののパッケージ方法をひとつに定めることは不可能だ。

大抵のEPUBの内部のHTMLは、細かく分割されており、非常に使い勝手が悪い。

縦書きなどの表現方法のために、HTMLやCSSを改良するのはいいことだが、EPUBのようなDRMの利用を許す邪悪なフォーマットを策定してはならない。

2012-09-18

日本書紀の冒頭を読んだ感想

これまで、古事記しか読んでいなかったのだが、日本書紀も読んでみることにした。

まず、特徴的なのが、その編集方法だ。古事記が、ひえだのあれに覚えさせた言葉を一人の博士が書き写したという体裁をとっているのに対し、日本書紀は多人数による編纂作業が行われたらしい。しかも、参考にした文章の異なる部分は、いちいち併記するという形をとっている。そのため、同じような話が何度も続いて、文章としては非常の冗長なのだが、非常に面白い。

問題は、日本書紀は明らかに中国史や儒教からの影響で、改変されているという事だ。たとえば、いざなみがかぐつちを産んで、マンコを火傷して死んだという古事記の部分は、皆同様に、単に火傷して死んだと書かれている。

また、すさのおがあまてらすおおみかみとうけいをする場面では、古事記では、すさのおの持ち物から女子が生まれたのですさのおに悪心なしとされているのに、日本書紀ではどうしたことか、男子を生むことが悪心のない証明といううけいにかわっている。あまてらすおおみかみの持ち物をすさのおが使うと男子が生まれたというものだ。しかし、その後で、道具の使用者ではなく所有者の子供だという記述があるので、やはり不思議だ。おそらく、男優先の儒教に影響されたに違いない。

また、さかはぎのうまを屋根から放り込んで機織りの女を殺すところでは、古事記では驚いた女が道具をマンコにしたたかにあてて死んだと書かれているのに、日本書紀では、やはりその詳細は省かれている。

天の岩戸に引きこもったあまてらすおおみかみを助ける下りでは、ににぎが裸踊りをしたことが古事記に書かれているのに、日本書紀では、単に踊ったとあるだけだ。

少し読んだだけで、多くの違和感を覚える。あまり信頼できない文章だ。

ただし、異説を併記しているのはすばらしい。たとえば、古事記ではおおげつひめを殺したのはすさのおということになっている。しかも、古事記ではなぜかこの部分が浮いている。古事記での配置は、すさのおが追放された後になっているのだが、どうもよくわからない。

日本書紀の一書によると、おおげつひめをころしたのはつくよみであるという。あまてらすおおみかみの勅を奉じておおげつひめの元に向かったつくよみは、口から食物をだすおおげつひめをみて、けがして奉ると思って斬り殺した。帰り上ってあまてらすおおみかみにこの由を報ずると、あまてらすおおみかみは非常に怒り、以来、あまてらすおおみかみとつくよみの中が悪いのだという。これは、昼と夜の区別がある説明にもなるし、これが本来の形だったのではないだろうか。古事記でのつくよみは、名前ぐらいしか出てこない。

ただ、古事記では鼻や尻からも食物を取り出したと書かれているが、日本書紀では、すべて口から取り出す。ただし、日本書紀では、おおげつひめの死体から生じた食物に、食物の名前と、体の部位の名前とで、古代朝鮮語の音が一致しているという注釈がある。古事記ではその一致はない。これもなかなか興味深いことだ。

2012-09-07

日本語の変化について憂う必要はない

身の振り方を考えるついでに、日本語について考えた - アスペ日記

自然言語は変化するものなのだから、その変化について憂う必要はない。たしかに、日本語は戦後大胆な改革があったが、それでもまだ、憂うには足りない。

実際のところは、戦後の日本語改革でも、特に日本語は簡単になってなどいない。日本語の難易度は、全然変わっていない。

また、昔の日本語との距離が薄れるというのも杞憂である。日本語は世界的に見てもなかなか下位互換性の高い言語であり、千年前の文章が普通に読める。事実、私などはもうまとまった量の現代文などまともに読んでいない。なぜならば、昔書かれて今なお残っている文章のほうが、圧倒的に質がいいことが保証されているからだ。

個々の言葉をみると、流行り廃れはある。それは自然言語として当然のことで、いまさら憂うに当たらない。

たとえば、今から150年ぐらい前に作られた白波五人男など歌舞伎の多くでは、了見という言葉が、勘弁するという意味で使われている。しかし、今誰も、「どうか御了見してくださいませ」などとは言わない。「勘弁してくれ」とか、「許してくれ」などと言う。これをみて、現代日本語が劣っているというのはあたらない。

閉じた環境で独自の言葉が発達するのはよくあることで、初期の2ch.netはネットスラングだらけだった。それが、2ch.netの利用者がしだいに増えていくにつれ、減っていった。これはなにも2ch.netの話ではなく、英語圏でも、インターネット初期はleet speakだらけだった。それが、インターネットの利用者が増えていくにつれ、減っていった。これらのスラングの収集や研究はすべきだが、スラングが死語になったからといって、悲しむにはあたらない。

そういえば、自衛隊は駐屯地や船という閉じた環境で生活しているためか、このような符丁が非常に多い。特に、隊員の中には、駐屯地や船から一歩も出ずに数年を暮らしている者までいるのだ。例を上げると、掌握(しょうあく:荷物を掌握する、人員を掌握する)、喫食(きっしょく:中国は何百年も前から略字として一般的に吃を使っていたので、吃食の方がむしろ正しいのではないかともひそかに思う)、各人(かくじん)、着眼(ちゃくがん:注目点)などといった単語だ。また、このような単語を使うときの助詞や助動詞も、どこか古めかしい。

また、IMEの特性上、漢字表記にランダム性が生じるとか、本来漢字表記すべきではないものも漢字表記されてしまうなどというのも、杞憂に過ぎない。というのは、IMEがなく筆で書いていた昔、漢字表記のばらつきはもっともっと甚だしかったからだ。たとえば、源平盛衰記では、一貫して、「さること」を「猿事」と書いている。当時はあまりにもひどい当て字が多かった。ましてや、一貫した仮名遣いなどは、本当にごく近年の話である。いま出版されている古文の本では、どれも自称「正しい歴史的仮名遣い」に直していると主張している。そんなもの、存在しないというのに。

ところで、「当時」といえば、本来は現在を表す言葉であるのに、あまりにも古文に当時当時と書かれすぎているためか、もはや過去を意味する言葉になっている。過去を意味する「往時」という言葉があるにも関わらずだ。これを日本語の乱れとみるのはあたらない。あまりにも使われすぎたために意味が変わってしまっただけだ。

リンク先に影響されて、特にまとまりのつかない文章を少々書いたが、特に気にする必要のないささいな問題にすぎない。

mozcは、ある点ではMS IMEやATOKより優れていると思うのに、別の点ではどうしてこんな誤変換をという、不思議な誤変換が多い。といっても、今GNU/Linuxで使えるIMEの中で、SKK信者を別にすれば、一番マシなIMEだ。

2012-09-05

絵本西遊記

絵本西遊記を読み終わった。絵本西遊記は後にして、日本書紀を読もうと思っていたのだが、ふと開くと面白く、一気に二日で読んでしまった。

手に入れた絵本西遊記は、有朋堂文庫のものだ。実に、有朋堂文庫はいい仕事をしている。余計な脚注や解説などは一切ない。また、底本をほとんど修正しない。この仕事の素晴らしさは、いまの出版社も見習うべきである。いまの出版社は、やたらと脚注を増やし、もったいぶって前面に解説を押し出し、はては句読点をあまりに多くうち、かなを漢字に直し、漢字の誤字を正し、等々。挙げればきりがないほど余計な仕事をしている。

まあ、有朋堂文庫は、送りがなを正しているので、少し余計な仕事をしているのは同類だが。

まず不思議なのが名前だ。日本では、三蔵の弟子として、孫悟空、猪八戒、沙悟浄という名前が知られている。

孫悟空は、戦術の師匠である須菩提祖師からもらった法名である。また、自ら斉天大聖と名乗っていた。三蔵からもらった字は、孫行者である。絵本西遊記の地の文では、孫行者か、単に行者と書かれている。

猪八戒は、三蔵からもらった字である。法名は猪悟能といい、これは観音菩薩からもらった。ただし、猪八戒は愛すべきバカであり、地の文は八戒と書くが、しばしば、獃子(あほう)と書かれている。

沙悟浄は、観音菩薩からもらった法名である。三蔵からは沙和尚という字をもらう。地の文では、たいてい沙和尚と書かれている。

これを考えると不思議なのが猪八戒だ。日本では、孫悟空、沙悟浄とも、法名で知られているのに対し、彼一人字で知られている。地の文でも、猪とはあまり書かれず、八戒や獃子と書かれることが多い。

もっとも、獃子と書かれるのはまだマシな方で、かわいそうなのは沙悟浄だ。孫悟空は猿で、猪八戒が顔が豚だと書かれているのに対し、沙悟浄は容姿の描写がほとんどない。ただ、色黒だと書かれているだけだ。絵本西遊記の挿絵では、沙悟浄は普通の人間のむさくるしいオッサンの顔面をしている。非常に扱いがひどい。もっとも日本では、水の妖精というところから、河童の姿で描かれることが多いようだが。

沙悟浄は活躍しない。戦うのはほとんど孫悟空と猪八戒で、沙悟浄は三蔵と馬と行李を守る役だ。ただ、孫悟空は水中ではほとんど戦わないのに対し、沙悟浄は水中での戦いが得意なのだが、その役目も、猪八戒も前世が水軍の天蓬元帥なので、水中での戦いが得意であり、目立たない。

一応、前世は捲簾大将をしていたためか、機転を聞かせて弁舌で難を切り抜ける箇所が二箇所ほどある。ただ、ほとんどの機転をきかす必要のある場面は、孫行者が活躍するので、彼の活躍の場はない。

ただ、その制約のなさから、後世の作品では、沙悟浄は自由に性格設定ができる便利な人物だとして重宝されているようだ。特に、中島敦の作品では、沙悟浄を自分に擬して、あらゆるものの根本の意味について迷う妖怪として書かれている。

それにしても不思議なのは三蔵だ。いかにも中国らしい、偉人は何もしないという美徳を体現したような人物であるが、徳の高い和尚には到底思えない。人を殺すぐらいならば死ぬべきだと説くが、いざ命の危機が迫ると、泣いて助けを乞う。こればかりは、勅命を奉じて天竺に真経を取りに行く使命があるからという事情があるから死ぬわけには行かぬという理由があるしよう。しかし、せっかく孫行者が妖怪の罠だと見ぬいて忠告しても、むしろ怒って暇を与え、結果として窮地に陥ることがたびたびある。まあ、真経を取るために九九(81)の苦難に合わなければならないという都合もあるのだが、なんとも俗人臭い人物である。

結局、外国の宗教を受け入れるためには、その国にあった変容が必要で、支那の場合、仙人思想に変化しなければならなかったのだろう。

2012-09-02

日本書紀がいまいち面白くない理由

日本書紀の書き下し文を読んでいるのだが、いまいち面白いとは思わない。なぜかと考えてみると、おそらく、訓読のセンスがないからだろう。一方、今主流の古事記の訓読はセンスがある。本居宣長は相当なセンスの持ち主だったのだと、今さらながら思い知らされる。

そもそも、日本書紀は一部支那人によって書かれたらしいし、最初から訓読を想定して書いていないのではないかという気もする。

2012-06-25

ジョージ・オーウェルの1984の冒頭を訳してみた

どうにも最近、C++の参考書をすすめる意欲がわかない。時間を無駄にするよりはと、今日はふと思い立って、1984の冒頭を訳して見ることにした。

ジョージ・オーウェルの1984は、戦時加算の939日と翻訳権六ヶ月延長を考慮しても、すでに著作権が切れている。

第一章

四月の、まぶしくも寒い日のことであった。時刻はついさきほど、十三時を打ったところだ。ウインストン・スミスは、寒さしのぎに顎を懐に埋めながら、ガラス戸を抜けて勝利豪邸に素早く滑り込んだ。だが、舞い上がる土ぼこりの侵入を防ぐほど素早くはなかった。

通路はゆでたキャベツと古びたボロ布マットの臭いがした。通路の先には、カラーのボスターが貼られている。部屋に貼るには大きすぎるポスターが、壁に貼りつけられている。ポスターには、巨大な顔だけが浮かんでいる。一メートル以上はある、年の頃四十五の、黒々とした口ひげをたくわえた、勇ましい男の顔だ。ウインストンは階段に足をかけた。エレベーターは使い物にならない。調子のいい時でさえ、たまにしか動かないのだ。ましてや憎悪週間の準備のために、日中の電力が制限されている最中なのだ。部屋は七階にある。膝を痛めている三十九歳のウインストンは、休み休みゆっくりと階段を登っていった。各階のエレベーターの向かい側には、ポスターの巨大な顔が壁を見つめている。このポスターには仕掛けがしてあり、周囲の人間の動きに合わせて、目が追いかける仕組みになっているのだ。「偉大なる同志は見張っているぞ」とポスターの下部に印刷されていた。

部屋に入ると、何やら銑鉄の生産に関することを読み上げる声がした。声は、右手側の壁一面の曇った鏡のような丸い金属面から発せられていた。ウインストンがスイッチをひねると、声は少し小さくなったものの、依然として聞こえる程度の音量は保たれていた。この望遠画面(テレスクリーン)と呼ばれている装置は、多少の調整はできるものの、完全に止める方法はないのだ。窓に向かうと、党の制服である青い作業服を来た姿は、背景に溶け込んでしまいそうであった。ふさふさとした髪、自然と笑みをふくむ顔、粗悪な石鹸と切れ味の悪いカミソリによって荒れた肌。冬の寒さが終わったのだ。

閉めきった窓越しからでも、外にみる世界は寒々としていた。通りでは、つむじ風がホコリや紙くずを巻き上げ、日が照らしているとはいえ、空は青寒く澄み渡り、世界には色彩というものが欠けていた。ただし、いたるところに貼られているポスターは別だ。黒口ひげの顔は、あらゆる四つ角を見下ろしていた。ちょうど向かいの家の前に貼られている。「偉大なる同志は見張っているぞ」と文字に言う。黒い目がウインストンの目を深く見つめていた。通りをひとつ下ったところで、別のポスターが、片側だけとめられ、風にひるがえされていた。裏側には、単にエイシャとのみ、書かれていた。遠くでヘリコプターが屋根から屋根へと見張りの目を向け、ハエのように浮かび、また急に向きを変えて急ぎ飛び去っていった。あれは警察の巡回で、人民の窓辺を見張っているのだ。巡回は関係がない。思想警察が重要なのだ。

ウインストンの背後では、望遠画面がまだ、銑鉄と、第九回三カ年計画の計画を大幅に上回る実績についてつぶやいていた。望遠画面は、受信と送信を同時に行う。ウインストンが発した音声はすべて、極めて小さなささやき以外は、検出される。しかも、金属面の見える場所にいれば、向こう側に聞こえもすれば見えもするのだ。もちろん、ある瞬間に監視されているかどうかを知るすべはない。いかなる頻度で、あるいはどのような仕組みで、思想警察が回線を監視しているかは、想像に頼る他はない。彼らが全員を常に見張っている可能性だってある。とはいえ、いつなん時でも、彼らは好きな時に回線をつなぐことができるのだ。我々はこのような状態、つまりおよそ発する音声はすべて傍受され、暗闇でなければあらゆる動きは監視されているという状態に慣れなければないのだ。

ウインストンは始終、望遠画面に背中を向けていた。この方が安全だ。とはいえ、もちろん了解しているように、背中ですら雄弁である。一キロ先には、彼の職場である真実省の偉大に白い建物が、地表に生えていた。「これが」と彼はやや不快感をともないながら思考する。これがロンドンだ。第一空除(エアストリップ・ワン)の大都市だ。大洋国(オセアニア)の三番目に人口の多い場所だ。子供の頃の記憶をたどってみる。果たして、ロンドンは常にこんな感じだっただろうか。いま眼の前に見える朽ち果てた十九世紀からある家々が、倒れぬよう裸の木材で支えられ、窓には破れを塞ぐためにダンボールが貼られ、屋根はトタン板で、塀は破れていただろうか。そして爆撃を受けた場所にチリがまい木々が倒れ、爆撃により一掃された場所には、ニワトリ小屋のようにアバラ小屋が立てられていただろうか。だが、無理だ。覚えているわけがない。かろうじて覚えている子供の頃の思い出といえば、なにかぼんやりとしたイメージだけなのだ。

真実省ー新語ではショーシン[1]ーは、目に映る他のものとはひときわ異なっている。巨大なピラミッド型で眩しいほどに白いコンクリート造りで三百メートルの高さにそびえ立つ。ウインストンが今いる場所からでも、見事な字体による党の三つの標語が、くっきりと読める。

戦争とは平和
自由とは奴隷
無知とは力

注:新語は大洋国の公用語である。その構造と語彙については、巻末資料を参照されたし。

話によれば、真実省には地上から数えて三千もの部屋があり、地下にも同様に部屋があるそうだ。ロンドン内には、後三つ、同じ形と大きさの建物がある。周囲から完全に突出していて、勝利豪邸の屋上から、四つの建物がどれも見えるのだ。これは政府を構成する四つの省の大本営である。真実省は、報道と娯楽と教育と芸術が専門である。平和省、これは戦争が専門だ。友愛省は法律と秩序を徹底させる。豊富省、これは経済や物資を取り扱う。新語ではそれぞれ、ショーシン、ショーヘイ、ショーユー、ショーホーとなる。

友愛省は恐ろしい建物である。まず窓が一切ない。ウインストンは友愛省の中に入ったことはなく、ましてやその五百メートル以内に立ち入ったことすらない。用事がなければ立ち入ることのできない場所なのだ。入るには、鉄条網の迷路を抜けて、鋼鉄のドアをくぐり、機関銃の銃眼を抜けなければならない。建物に続く道すら、黒い制服に身を包み警棒で武装したゴリラ顔の警備員が大勢配置されているのだ。

ウインストンはさっと振り返った。望遠画面に向かうときは、顔面を穏やかな楽観的表情にしておくのが望ましい。部屋を横切り、小さな台所に向かう。この時間に省の勤務を抜けてきたため、食堂での昼食は諦めねばならなかったのだ。台所に食物のない事は承知している。黒ずんだパンの塊があるきりだが、これは明日の朝食にとっておかねばならぬのだ。戸棚から無色透明の液体が入ったビンを手にとった。ラベルには、「勝利ジン」とある。中国の米から作られた蒸留酒のような、病的で油のような臭いが鼻につく。ウインストンはコップに一杯分ほど注ぐと、覚悟を決めて、薬のように飲み干した。

たちまちに顔が赤くなり目が乾く。まるでニトロのような効き目、背後から棒で殴られたような衝撃。次の瞬間、喉元の焼け付きが過ぎて、世界が楽しげに見え始めた。「勝利タバコ」と印刷されたタバコの箱から、一本取り出して高々と掲げた。勢い余って、タバコを取り落としてしまった。もう一度挑戦すると、こんどはうまくいったようだ。居間に戻って、望遠画面の左側にある小さな机に座った。机の引き出しから、ペン軸とインク壷と、分厚い無地の自由帳を取り出した。自由帳は赤黒で大理石模様の表紙が付いている。

どういうわけか、居間にある望遠画面の設置場所は、ちょっと変わっているのだ。普通ならば壁の隅に設置され、部屋全体を見渡せるようになっているはずなのだが、なぜか窓の向かいの長い方の壁に設置されている。その隅には、今ウインストンが座っている、くぼんだ小部屋がある。おそらく、この部屋が作られた時には、書斎にでもするつもりだったのだろう。このくぼんだ小部屋に座って、壁に背を向けることで、ウインストンは望遠画面の目視による監視範囲から外れることができる。もちろん、依然として音は聞こえるわけだが、この今の場所にいる限り、見られることはない。この不思議な部屋の配置は、ある事をするのに最適だ。

しかし、この事というのは、引き出しから取り出した自由帳があるからこそ、したくなったのだ。この自由帳は特別に美しい冊子であった。その滑らかな白い紙は経年劣化によりやや黄ばんでいる。このような品物は、もう四十年は製造されていないはずだ。いや、思うにこの冊子はもっと古いはずだ。この冊子は、スラム街の小さな骨董屋の窓に置いてあるのを見つけたのだ。どのスラム街だったのかは覚えていはない。とにかく、なぜだか無性に欲しくなったのである。党員はそのようなどこにでもある店には行くべきではない。それは「自由市場との取引」と呼ばれている行為だ。しかし、この規則はそれほど厳格に守られているわけでもない。というのも、たいてい何か、靴紐なりカミソリなり、他の手段では手に入らない品物があるのだ。彼は素早く通りに目をやると、店に滑りこみ、二ドル五十セントで冊子を買った。その時点では、特に何か目的があって買ったわけではなかった。かばんに入れて、後ろめたさを感じながら帰路についた。たとえ何も書かれていなくとも、このようなものを所有することは恥ずべきことなのだ。

今、彼が使用としている事とは、日記をつけることであった。これは違法ではない。今や法律は存在しないのだから、違法などというものはもとより存在しない。しかし、もし見つかれば、まず死刑か、少なくとも25年の強制労働所送りだ。ウインストンはペン軸にニブを差し込み、油を取るために舐めた。つけペンは、もはや署名にすら滅多に使われることのない、大昔の筆記用具である。つけペンを手に入れるのにも、こっそりと大変な骨折りをしなければならなかった。やはり、このような美しい真白の紙には、インクペンシルではなく、本物のニブがふさわしいと思う。実のところ、手で書くということには全く不慣れであった。ごく短いメモを除けば、およそ文章はすべて話し書き(スピークライト)で書かれているのだ。もちろん、今これから行う事に、話し書きを使うことはできない。ニブをインクに浸して、一瞬たじろいだ。恐怖がからだを駆け抜ける。紙に記述することは揺るがせぬ行為となって残る。小さくつたない字で、彼は書いた。

千九百八十四年、四月四日

彼は背をもたれた。どうしようもない感情がこみ上げてくる。そもそも、今年が千九百八十四年であるかどうか、定かではない。しかし、このぐらいの年であるはずなのだ。というのも、自分は三十九歳であるはずで、自分が生まれたのは、千九百四十四年か千九百四十五年あたりだからだ。しかしもはや、一年や二年ぐらいの日付の誤差は、どうにもならないのだ。

「そもそも」と彼は疑問に思う「一体誰の為に書いているのだ」と。未来の未だ生まれぬ世代のためか。紙に書かれた不確かな日付に思いを巡らし、そして、新語の言葉である「二重思考」に突き当たった。ここに来てはじめて、事の困難さを意識したのだ。どうやって未来に託すのだ。そもそも不可能ではないか。未来が現在を継承するのであれば、この声は届かないだろうし、違ったものになるとすれば、この現在の状況は無意味だ。

しばらく、ぼんやりと紙を眺める。望遠画面は勇ましい軍隊音楽に変わっていた。今、彼が自己を表現する力を失っているという状況は興味深いことであるが、そもそも何をすべきであったかということすら忘れているのは、さらに不思議な事態である。何週間も、彼はこの瞬間のために準備してきたのだ。彼はこの事を為すにあたり、勇気以外には何物も必要ないと考えていた。書くこと自体は簡単だろう。単に、頭の中に長年浮かんできた独白を書きつづればいいだけだろうと。しかし、こうなってみると、独り言すら浮かんでこない。しかも、足の腫物がかゆくて仕方がない。しかしひっかいてはならぬ。前にひっかいたところ、よりひどくなるだけだったからだ。時間のみが過ぎていく。彼は依然として何も書かれていないページを見つめている。かかとの上がかゆくて仕方がない。音楽がやかましい。ジンですこしほろ酔いだ。

急に、何かにとりつかれたかのように、何か自分でもよくわからぬものを書き始めた。小さくつたない手書きの文字がページを埋めていく。大文字に頓着せず、句読点も気にせず、

千九百八十四年、四月四日。きのうのばん、映画いった。ぜんぶ戦争もの。いっこいいのあって、なんかどっかの地中海だかの人間が爆撃されてるやつ。デブが追いかけるヘリから泳いで逃げてるとこが観客に大ウケ、そいつさいしょなんかイルカみたいに水んなかぷかぷかしてて、でそいつヘリの銃座から丸見え、でそのあとすぐそいつ穴だらけ、周り真っ赤で穴から浸水したみたいに沈んでくの、沈むとこ観客に大ウケ拍手喝采。で、子供満載のボート写ってヘリがその上飛んでた。そこにたぶんユダ公だと思うんだけどオバハンが三歳ぐらいのちっちゃな男の子抱きかかえてた。子供怖がって泣いててそれで隠れてるつもりなのかオバハンにしがみついててオバハンは大丈夫だよって腕回してるんだけどでも明らかにオバハンも震えてるのがまるわかり、オバハン自分の腕が防弾仕様みたく子供守ってた。でヘリが二十キロの爆弾投下ピカッと光ってボート粉々。んで、子供の腕が空高く吹っ飛んでくのを撮ったのが流れてたぶんヘリの先にカメラでもつけてたんだろうけど党員席からは大歓声だけど無産者の席の女がわめいててこんなのこどもの前でみせるべきじゃないこどもとかなんとかかんとか警察きて女連れてってまあたぶん大丈夫だろうけど誰も無産者のことなんか気にしないしだいたい無産者というのはいつもいつも

十分な需要があるならば、C++の参考書を書き終わった後に、1984の翻訳に取り掛かって、GFDLの元に販売するというのも面白いかもしれない。

2012-04-01

自由なドキュメント

自由なソフトウェアの力は素晴らしい。とすれば、自由の威力はドキュメントにも及ぶはずだ。現在、ほとんどの紙書籍は不自由である。Web上にホストされている検索可能なドキュメントの多くは、後述する通り、複製や公衆送信や翻案を暗黙に許しているわけだが、たいてい、明示的な許諾が与えられていない。そのため、Web上のドキュメントは真に自由なのではなく、ある程度は自由のように振る舞うことを黙認されているだけである。この現状は不自由である。

いかに現行法が実情にそぐわないものであったとしても、今を生きる我々は現行法に従わねばならぬ。コピーレフトなライセンスは、著作権法を利用した賢いハックである。著作権法は、著作物の利用の独占を許している。本来、独占は禁止されているが、著作権法や特許法や商標法などは、独占を実現することが目的なので、独占を禁止する法律の適用外である。独占者たる著作者は、著作物の利用許諾を与えるに際し、条件を課す。例えば、金線による利用料の支払いだ。コピーレフトなライセンスは、この条件に、派生物はこの同じライセンスに従うという条件を課した。このため、自由なライセンスの派生物も、自由であることが保証されるのだ。

さて、自由なライセンスを利用した自由なソフトウェアは成功した。今や、自由なソフトウェアの質は、競合する不自由なソフトウェアを完全に凌駕している。我々はここでさらに一歩を進めて、自由なドキュメントについて真剣に考えるべきである。

今、この2012年において、ある事柄について調べたいとすれば、一体どうするだろうか。近所の本屋に行って不自由なドキュメントを探すだろうか。近所の図書館に行って不自由だが無料で閲覧できるドキュメントを探すだろうか。否、我々はインターネットの検索サイトで検索を行う。もはや、検索できない情報や著作物というものは、存在しないも同義なのだ。

ところで、この検索が機能するためには、Webサイト上の著作物は、著作権法で独占を認められたいくつかの権利の無断利用を黙認しなければならぬ。検索サイトは著作物を複製し、検索しやすい形に翻案し、さらに検索した者に対して、概要が見られるように翻案して公衆送信しなければならない。しかるに、Web上の多くの著作物は、明示的な許諾を与えていない。いまや、Web上の検索サービスの有用性を疑うものはいないにも関わらず、許諾がない。故に、これらの著作物は不自由な著作物である。

もちろん、これは現行法があまりにも実情とかけ離れているために起こる問題である。そのため、根本的な解決には、法律を改正しなければならない。日本国では、日々新たに生ずる、新しい状況での著作物の妥当な無断利用を許すべく、正確に言うと、妥当な場合には著作権が制限されて権利が及ばないように、常に変更されている。日本の著作権法は、実に改正が多い。何故ならば、日本ではfair useの概念を認めておらず、すべて明示的な著作権の制限という形で列挙しているからだ。もっとも、fair useとて、有能な弁護士を雇う権利だと揶揄されるように、万能ではない。これは、現行の著作権法が根本的に実情に合っていないために起こる問題である。

とはいえ、先に述べた通り、我々は現行法に従わなければならぬ。しかし、自由なソフトウェアが自然なように、自由なドキュメントもまた自然なのだ。従来の法律では、著作権の無断利用となる検索サービスが一般化したことは、自然なことなのだ。自由は自然で当然だからだ。

ここに、自由なドキュメントのためのライセンスの存在意義がでてくる。すべてのドキュメントは、本来自由であるべきなのだ。我々は自由なドキュメントを明示的に自由であると宣言し、不自由なドキュメントの所有を拒絶するべきである。不自由なドキュメントには、もはや所有する価値がない。不自由なドキュメントは反社会的かつ半倫理的で、人道上の罪である。

これをもってこれを考えるに、今私が執筆しているC++の参考書は、自由なドキュメントとして公開するべきだろう。ただし、私は商業的利益を放擲するわけではない。自由かつ商業的利益も得られる方法を模索する。

自由なドキュメントというと、WikiやGitHubのような仕組みの上でバザール型の執筆をするという案がある。しかし、おそらくこれは、参考書の執筆にはうまく働かないだろう。すでにひと通りのまとまった自由な参考書が存在していて、それを土台としてWikiで編集するならばうまく行くだろうが、無から創り上げるのはうまく行かないだろう。やはり、誰かが、十分なコミュニティが形成されるまでの間、孤独に耐えて最初の土台を作らなければならぬのだ。

ともかく、C++の参考書の完成が先決だ。私の現在の参考書執筆の環境は、自由なソフトウェアと許諾的ソフトウェアライセンスのclangにより、飛躍的に向上した。もっと早く不自由なソフトフェア環境から脱却していなかったのが悔やまれる。

参考:Why Free Software needs Free Documentation - GNU Project - Free Software Foundation (FSF)

2011-10-21

アイドック株式会社、紙書籍と電子書籍の抱き合わせ商法を発表

デジタル著作権管理(DRM)ならキーリング|愛読者カード運営代行サービス「i 読(あいどく)」提供開始!!
i読…愛読者カード運営代行サービス
via : これで自炊は不要? 愛読者カード返送者にのみ電子書籍を配信する「i読」 -INTERNET Watch

レコードをカセットテープに録音する? おいおい、何言ってやんでぇ。そんなのオイラの目の黒いうちゃぁ許しちゃおけねぇよ。レコード針やターンテーブルの生産会社が潰れちまうだろうがよ。代わりにこれ、レコードを買うと録音したカセットテープをプレゼント。あ、ほら、もう録音なんてする必要がねぇってもんだ。これにて一件落着。あっぱれあっぱれ。

DTP? よしてくれよ、写植職人が路頭に迷うぞ。最低限でもだな、今の写植と同じ仕組みでなければな。もちろん操作方法も同じだ。

活版印刷? おいおい、版木職人を飢え死にさせる気か? まあ仕方がないから、版木本を買えば、活字本もおまけしてやろうじゃないかい。

版木? そんなの許しちゃおけねぇ。真の書というものはよく手書く者によって写されるべきなんだよ。このままだと、写本職人が失業するだろうがよ。そこでこれ、写本を買うともれなく版木本をプレゼント。

紙? おいおいバカ言っちゃいけねぇや。日常の文章は木簡や竹簡に書いて、高級な文章は絹に書くのが常識だろうがよ。紙なんていう最近できたもんに字なんか書けるかってんだ。

字? おまえなぁ、生きておる智慧が、字などという死物に書きとどめられるはずがない。絵にならまだしも画けようが。それより口伝の続きじゃ。さて我がご先祖は~、怨敵をことごとく討ち平らげ~、この地に来たりて安住し~。さあ覚えるんじゃ。

2011-10-07

欧陽修の未発見の書簡、発見さる

日本で宋・欧陽修の書簡…中国で「盗んだ」、「韓国でなくて幸い」 2011/10/06(木) 17:38:42 [サーチナ]

九州大大学院比較社会文化研究院の東英寿教授は3日、宋代の政治家で詩人・文筆家として知られる欧陽修の書簡96篇を発見したと発表した。中国でも同ニュースは報じられた。かつては「13世紀に鎌倉幕府が設立した金沢文庫が収蔵していたもの」と紹介されたが、「日本が中国から盗んだものだ」などのコメントが寄せられた。「発見されたのが韓国でなくて幸いだった」との書き込みもある。

天理大学付属天理図書館が所蔵していた1191-96年に編纂(へんさん)された欧陽修全集「欧陽文忠公集」に、これまで知られていなかった欧陽修の書簡96篇が掲載されていた。同「公集」は木版による原刻本。中国国家図書館や日本の宮内庁も所蔵しているが、天理図書館所蔵の原刻本は、編纂作業が終わってから、抜け落ちていた書簡を追加した版であるとみられる。

環球網などの記事は「(日本側が古い時代に)中国で購入し、13世紀に鎌倉幕府が設立した金沢文庫が収蔵していたもの」「日本では国宝に指定」などと紹介したが、コメント欄には「日本が戦争中に中国から盗んだものだ」、「中国の文化財だ」などの書き込みが相次いだ。

「幸いなことに、(発見場所は)韓国でなかった」などと主張する書き込みも多い。「『欧陽修は韓国人だった』とされてしまう可能性が100%」だからという。

どうせ中国にあっても度重なる革命や、記憶に新しい文化大革命で焚書されてるだろうに。それにしても、このニュースは自己言及的である。なにしろ、あの欧陽修である。あの日本刀歌をつくった欧陽修である。

徐福行時書未焚
逸書百篇今尚存
令厳不許伝中国
擧世無人識古文