西国観音霊場、新西国霊場、薬師霊場、近畿不動尊、神仏霊場など関西の巡礼地及び洛陽観音霊場、京都十二薬師、都七福神などの京都市内の霊場を紹介します。
京都府御蔭神社-京都府京都市左京区上高野東山207御髪神社(みかみじんじゃ)-京都府京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町10御栗栖神社(みくるすじんじゃ)-京都府綴喜郡宇治田原町南宮ノ上西76水主神社(みずしじんじゃ)-京都府城陽市水主宮馬場30水薬師寺-京都府京都市下京区
京都府舞鶴引揚祈念館-京都府舞鶴市字平1584(引揚記念公園内)松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)-京都府京都市西京区嵐山宮町3松尾神社御旅所-京都府京都市下京区西七条南中野町81松尾寺(まつのおでら)-京都府舞鶴市松尾532松ヶ崎大黒天-京都府京都市左京区松
京都府法雲寺-京都府京都市北区西賀茂鎮守庵町30-1報恩寺-京都府京都市上京区小川通寺ノ内下る射場町579法界寺-京都府京都市伏見区日野西大道町19法観寺-京都府京都市東山区八坂通下河原東入ル宝鏡寺-京都府京都市上京区寺ノ内通堀川東入ル百々町547豊国神社-京都府京都市東
京都府平安京跡-京都府京都市上京区下丸屋町512平安神宮-京都府京都市左京区岡崎西天王町97遍照院(へんじょういん)-京都府宇治田原町大字奥山田小字岳谷17遍照寺-京都府京都市右京区嵯峨広沢西裏町14滋賀県平家終焉の地-滋賀県野洲市大篠原奈良県平城宮跡歴史公園-その1-奈
京都府福王子神社-京都府京都市右京区宇多野福王子町52福勝寺-京都府京都市上京区出水通千本西入七番町323-1福生寺跡-京都府京都市右京区嵯峨大覚寺門前六道町福成寺-京都市西京区樫原内垣外町24二瀬川渓谷-京都府福知山市大江町佛性寺佛光寺-京都府京都市下京区高倉通仏光寺
京都府稗田野神社(ひえだのじんじゃ)-京都府亀岡市ひえ田野町佐伯垣内亦1東笠取清瀧宮-京都府宇治市東笠取平出町47東三条院址-京都府京都市中京区上松屋町694東本願寺-京都府京都市下京区烏丸通七条上る東本願寺岡崎別院-京都府京都市左京区岡崎天王町26東向観音寺-京都府
京都府白沙村荘(はくさそんそう)-京都府京都市左京区浄土寺石橋町37橋寺放生院-京都府宇治市宇治東内2橋姫神社-京都府宇治市宇治蓮華47番芭蕉庵(金福寺)-京都府京都市左京区一乗寺才形町20走田神社-京都府亀岡市余部町走田1幡枝八幡宮-京都府京都市左京区岩倉幡枝町1118
京都府野宮神社(ののみやじんじゃ)-京都府京都市右京区嵯峨野々宮町1滋賀県信長の館-滋賀県近江八幡市安土町桑実寺800奈良県和歌山県大阪府能見神社-大阪府高槻市野見町6-6野崎観音-大阪府大東市野崎2-7-1兵庫県能福寺-兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39野口神社-兵庫県加
京都府滋賀県奈良県和歌山県根来寺-和歌山県岩出市根来2286大阪府兵庫県その他
京都府ぬりこべ地蔵-京都府京都市伏見区深草大門町滋賀県奈良県渟名城入姫神社(ぬなきいりびめじんじゃ)-奈良県天理市岸田町和歌山県大阪府鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこ ぬでひめじんじゃ)-大阪府柏原市大県4-6-1兵庫県その他
京都府新島襄と八重の墓-京都府京都市左京区鹿ケ谷若王子山町(同志社墓地内)西笠取清瀧宮-京都府宇治市西笠取黒出原錦天満宮-京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537二条城-その1-京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町541二条城-その2二条城-その3西山の大仏(
京都府JR奈良線・長池駅-京都府城陽市長池北裏72長岡京跡-京都府向日市長尾天満宮-京都府京都市伏見区醍醐赤間南裏町21長岡天満宮-京都府長岡京市天神2-15-13永谷宗円の生家-京都府宇治田原町湯屋谷小字空広長谷八幡宮-京都府京都市左京区岩倉長谷町1117長峰八幡宮-京都府京
京都府等持院-京都府京都市北区等持院北町63常盤井跡-京都府京都市北区紫野下築山町常盤神社-京都府久世郡久御山町大字野村小字野村1東寺-その1-京都府京都市南区九条町1東寺-その2東寺-その3導入寺-京都府京都市左京区修学院茶屋ノ前町2東福寺-その1(塔頭・南明院、永明院
京都府哲学の道-京都府京都市左京区寺田屋-京都府京都市伏見区南浜町263電気鉄道事業発祥の地-京都府京都市伏見区下油掛町天性寺-京都府京都市中京区寺町通三条上る天性寺前町522-4第38代・天智天皇陵-京都府京都市山科区御陵上御廟野町天王山-京都府乙訓郡大山崎町天寧寺(
京都府哲学の道-京都府京都市左京区寺田屋-京都府京都市伏見区南浜町263電気鉄道事業発祥の地-京都府京都市伏見区下油掛町天性寺-京都府京都市中京区寺町通三条上る天性寺前町522-4第38代・天智天皇陵-京都府京都市山科区御陵上御廟野町天王山-京都府乙訓郡大山崎町天寧寺(
京都府月読神社-京都府京都市西京区松室山添町15月読神社-京都府京田辺市大住池平31番土御門家(安倍晴明の子孫)屋敷跡-京都府京都市下京区梅小路第83代・土御門天皇陵-京都府長岡京市金ヶ原金原寺土御門内裏跡-京都府京都市上京区烏丸通下長者町上る西側(京都ガーデンパレ
京都府知恩院-その1(三門~阿弥陀堂)-京都府京都市東山区林下町400知恩院-その2(御影堂~方丈)知恩院-その3(勢至堂)知恩院-その4(塔頭)知恩寺-京都府京都市左京区田中門前町103智恩寺(文殊堂)-京都府宮津市文珠466智積院-京都府京都市東山区東瓦町964番地地蔵寺-京
京都府-京都市左京区大雲寺-京都府京都市左京区岩倉上蔵町305大超寺-京都府京都市左京区岩倉花園町640-2大文字山の登山道-京都府京都市左京区大蓮寺-京都府京都市左京区西寺町二条下る正往寺町457竹中稲荷神社-京都府京都市左京区吉田神楽岡町3-64狸谷不動院-京都府京都市左
京都府蔵泉寺-京都府京都市西京区嵐山山ノ下町15崇泰院(そうたいいん)-京都府京都市東山区林下町401相楽神社-京都府木津川市相楽清水1雙林寺(そうりんじ)-京都府京都市東山区下河原鷲尾町527卒台寺(そつたいじ)-京都府長岡京市馬場1-2-14尊勝院-京都府京都市東山区粟田
京都府聖アグネス教会-京都府京都市 上京区堀松町404清閑寺-京都府京都市東山区清閑寺山ノ内町誓願寺-京都府京都市中京区新京極通三条下る桜之町453西岸寺(油懸地蔵)-京都府京都市伏見区下油掛町898西願寺-京都府京都市左京区岩倉花園町483栖賢寺(せいけんじ)-京都府京都
京都府水火天満宮(すいかてんまんぐう)-京都市上京区堀川通上御霊前上ル扇町722瑞光寺-京都府京都市伏見区深草坊町4随心院-京都府京都市山科区小野御霊町35瑞泉寺-京都府京都市中京区石屋町114-1瑞泉山正法寺-京都府相楽郡和束町大字南小字下河原71菅原院天満宮神社-京都府
京都府-京都市左京区慈照寺(銀閣寺)-京都府京都市左京区銀閣寺町2静原神社-京都府京都市左京区静市静原町1351詩仙堂-京都府京都市左京区一乗寺門口町27実光院-京都府京都市左京区大原勝林院町187実相院-京都府京都市左京区岩倉上蔵町下鴨神社-その1(表参道と馬場)-京都府
京都府西圓寺(さいえんじ)-京都府京都市南区久世築山町42西園寺-京都府京都市上京区寺町鞍馬口下る高徳寺町362西行庵-京都府京都市東山区鷲尾町524西光院-京都府京都市西京区嵐山山田町1西光寺(寅薬師)-京都府京都市中京区新京極通蛸薬師上ル中筋町495番地の1西光寺-京都
京都府恋路橋と戀(恋)志谷神社-京都府相楽郡南山城村光悦寺-京都府京都市北区鷹峰光悦町29高山寺-京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町8高樹院-京都府京都市左京区岩倉花園町611-2光照院門跡-京都府京都市上京区新町通上立売上る安楽小路町425興正寺-京都府京都市下京区堀川通七条
京都府蹴上発電所-京都府京都市左京区粟田口鳥居町2華厳寺(鈴虫寺)-京都府京都市西京区松室地家町31華台寺(けたいじ)-京都府久世郡久御山町解脱寺の閼伽井跡-京都府京都市左京区岩倉長谷町月桂冠大倉記念館-京都府京都市伏見区南浜町247源光庵-京都府京都市北区鷹峯北鷹
京都府咋岡神社(くいおかじんじゃ)-京都府京田辺市飯岡東原62番空也堂-京都府京都市中京区蛸薬師通堀川東入亀屋町288空也の滝-京都市右京区清滝月ノ輪町釘抜地蔵-京都府京都市上京区千本通上立売上ル花車町503九頭龍大社-京都府京都市左京区八瀬近衛町681久世廃寺跡-京都府
京都府祇王寺-京都府京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町32祇園閣-京都府京都市東山区祇園町南側594-1枳殻邸(きこくてい)-京都府京都市下京区東玉水町300北大路魯山人生誕地-京都府京都市北区上賀茂北大路町30北真経寺-京都府向日市鶏冠井町御屋敷28北野経王堂願成就寺(大報恩寺
京都府海印寺・寂照院-京都府長岡京市奥海印寺明神前31蚕の社-京都府京都市右京区太秦森ケ東町50海住山寺-京都府木津川市加茂町例幣海住山境外20𥒎観音寺(かけかんのんじ)-京都府京都市左京区八瀬野瀬町笠置寺-京都府相楽郡笠置町大字笠置小字笠置山29第65代・花山天皇陵-
京都府老ノ坂峠-京都府亀岡市篠町王子応挙寺(金剛寺)-京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内43皇塚-京都府京都市山科区大塚西浦町大池神社-京都府久世郡久御山町森宮東1番地大石神社-京都府京都市山科区西野山桜ノ馬場町116大井神社-京都府亀岡市大井町並河一丁目3番25号大酒神社
京都府永観堂-京都府京都市左京区永観堂町48永福寺(蛸薬師)-京都府京都市中京区新京極蛸薬師東側町503駅伝発祥の地-京都府京都市東山区大橋町 三条大橋東詰北側恵心院-京都府宇治市宇治山田67江文神社(えぶみじんじゃ)・琴平新宮社・金毘羅山-京都市左京区大原圓光寺-京
京都府浮島-京都府宇治市宇治川内浮舟宮跡-京都府宇治市菟道丸山36-11請田神社-京都府亀岡市保津町立岩4牛尾観音-京都府京都市山科区音羽南谷町1宇治上神社-京都府宇治市宇治山田59宇治川太閤堤跡-京都府宇治市莵道丸山宇治神社-京都府宇治市宇治山田1菟道雅郎子(うじのわ
京都府池田屋跡-京都府京都市中京区三条通河原町東入池田屋事変殉難烈士之墓(三縁寺)-京都府京都市左京区岩倉花園町606恵解山古墳(いげのやまこふん)-京都府長岡京市勝竜寺・久貝石田神社-京都府八幡市岩田里35番出雲路橋-京都府京都市北区出雲路立テ本町出雲大神宮-京都
京都府会津藩殉職者墓所(金戒光明寺)-京都府京都市左京区黒谷町121相槌神社-京都府八幡市八幡平谷10番青谷梅林-京都府城陽市縣神社(あがたじんじゃ)-京都府宇治市宇治蓮華72赤根天神社-京都府長岡京市今里4-17-49赤れんが博物館-京都府舞鶴市浜2011番地明智光秀の首塚-京
あ い う え おか き く け こさ し す せ そた ち つ て とな に ぬ ね のは ひ ふ へ ほま み む め もや ゆ よら り る れ ろわ
当日はまず谷汲山華厳寺へ参拝しました。奥之院の記事を追加しましたので、こちらをご覧ください。谷汲山華厳寺から南西方向へバイクで約40分の距離に関ケ原古戦場の「徳川家康最初陣跡」があります。当地は「桃配山(ももくばりやま)」と称され、第40代・天武天皇元年(672)
史蹟・道三塚から南へ徒歩30分余りの距離に美江寺があります。山号を「大日山」、院号を「觀昌院」と号する天台宗の寺院で、第44代・元正天皇(在位:715~724)の勅願により開創され、勤操(ごんそう/ごんぞう:754~827)が開基とされました。伊賀国名張郡の伊賀寺に安置され
金華山ロープウェイの山麓駅から北西へ、歩いて約10分の距離に「川原町の古いまちなみ」があります。「湊町・玉井町・元浜町」の街並みは通称「川原町」と呼ばれ、江戸時代には長良川の港町として栄え、格子戸のある古い街並みが残されています。先へ進むと鵜飼遊覧船のチケ
岐阜城模擬天守は3層4階建て、棟高17.7m、 鉄筋コンクリート造りで、3階までは史料展示室、4階は展望台となっています。史料展示室には、岐阜城が存在していた当時のジオラマが展示されています。織田信長(1534~1582)は、小牧山城を築城してから4年後の永禄10年(1567)に斎藤
金華山ロープウェイの山頂駅には展望台があります。展望台からは濃尾平野が見渡せます。城への登山道には冠木門が設けられています。先へ進むと「一ノ門跡」と伝わる場所があり、巨石や石垣が一部残されています。「一ノ門」から続く通路は、江戸時代の絵図や記録に「馬場」
正法寺前の国道256号線を少し北へ進むと岐阜市歴史博物館があります。館内には鵜飼資料や戦国合戦屏風などが展示されています。その先は岐阜公園として整備されています。公園内には板垣退助の像が造立されています。明治15年(1882)4月6日午後6時半頃に自由党党首・板垣退助(
伊奈波神社の北、徒歩10分弱の距離に常在寺があり、その参道からは岐阜城が望めます。常在寺は山号を「鷲林山(しゅうりんざん)」と号する日蓮宗の寺院で、宝徳2年(1450)に美濃守護・土岐氏の家臣であった斎藤妙椿(さいとう みょうちん:1411~1480)が妙覚寺世尊院の僧・
岐阜善光寺の右側に伊奈波神社の大鳥居が建っています。社伝では第12代・景行天皇14年(84)、武内宿禰(たけしうちのすくね:84~?)が稲葉山北西の椿原(現在の岐阜公園内の丸山)に、天皇の同母兄である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)を祀ったのが始まりとさ
令和6年(2024)1月初め、JR岐阜駅に降り立ちました。駅前には黄金に輝く織田信長像が造立されています。また、かって名鉄岐阜市内線の電停があった場所にモ513形が留め置かれています。大正15年(1926)に美濃電気軌道により5両が製造されましたが、昭和5年(1930)に旧名古屋鉄道
與志漏神社の西、バイクで10分弱の距離に木之本地蔵院があります。山号を「長祈山(ちょうきさん)」と号する時宗の寺院で、正式には「長祈山浄信寺」と称し、「木之本地蔵院」は通称です。伝承によれば、第40代・天武天皇(在位:673~686)の御代に大阪・難波の浦に金光を放
石道寺の駐車場の北西方向、バイクで約5分の距離に與志漏神社(よしろじんじゃ)があります。古くから「余領(よしろ)郷(正しくは余呉郷)」の氏神として崇敬された大社だったと伝えられています。祭神の一柱・波多八代宿禰(はたのやしろのすくね:生没年不詳)は、武内宿
石道寺北へ約350mの地に鶏足寺(けいそくじ)の塔頭・金剛院跡があります。鶏足寺は石道寺と同じく山号を「己高山(ここうざん)」と号する真言宗豊山派の寺院です。天平7年(735)に僧・行基(668~749)により標高923mの己高山(こだかみやま)に開創され、白山を開山した泰澄(
丁野山(ようのやま)城跡から北へ、バイクで10分余りの距離に石道寺(しゃくどうじ)の駐車場があり、瀬谷川に架かる橋を渡って石道寺へ向かいます。橋を渡った先に庭園が築かれています。石道寺やその先の鶏足寺(けいそくじ)は、紅葉の名所とされ、令和6年(2024)11月8日(
姉川古戦場址から北西方向へバイクで15分余りの距離に小谷神社(おだにじんじゃ)があります。かって、当地は比叡山領の荘園であったことから、当地方の鎮守として大山咋神(おおやまくいのかみ)が勧請され、「山王社」と称されて小谷城主要部の最奥にありました。浅井三代
長浜城歴史博物館から東へ、バイクで15分の距離に石田三成出生地があります。石田三成(1560~1600)の父・正継(?~1600)は、浅井長政(1545~1573)の家臣で、石田村の地侍でした。この地を北端とした1町4反の場所は小字「治部(じぶ)」と呼ばれ、石田家の屋敷跡と伝えられて
豊公園(ほうこうえん)から県道2号線を横断して東へ進むと「旧長浜港跡」の碑が建っています。現在の長浜港からは約300m内陸にあって、豊公園から長浜港にかけて埋め立てられたと推測できます。碑の先、南側に慶雲館がありますが、令和5年(2023)の年末の訪問時には休館され
井伊神社から北へバイクで20分余りの距離に長浜城歴史博物館があります。この地には天正元年(1573)に羽柴秀吉(1537~1598)が築城を開始した長浜城がありましたが、元和元年(1615)に廃城となり、資材の大半は彦根城の築城に流用されました。昭和58年(1983)に犬山城や伏見城を
彦根城から北東方向へバイクで10分足らずの距離に佐和山城跡への登り口があります。佐和山城は、鎌倉時代(1185~1333)に近江守護職・佐々木荘地頭であった佐々木定綱(1142~1205)の六男・佐保時綱が築いた砦が始まりとされています。定綱の孫・佐々木泰綱(1213~1276)が六角
彦根城は、JR東海道本線「彦根」から北西方向へ徒歩約15分の距離にありますが、当日はバイクで向かい、しかも時間の制約もあって、城への拝観は次回に譲ることにしました。向かったのは二の丸佐和口で、多聞櫓は国の重要文化財に指定されています。佐和口は南の京橋口、西の
一乗谷朝倉氏遺跡の一乗谷の東側には、南端に諏訪館跡庭園があります。諏訪館は、朝倉義景(1533~1573)の側室「小少将(こしょうしょう:?~1573)」の館で、その庭園は遺跡の中でも最大規模とされています。中心の4m13cmの巨石は、「諏訪の立石」と呼ばれ、滝の石組の一部
一乗谷朝倉氏遺跡-その1(一乗谷朝倉氏遺跡博物館~町並復原地区)
永平寺から南西方向へバイクで約15分の距離に一乗谷朝倉氏遺跡博物館があります。入館料は700円で、復原町並との共通券は820円ですが、70歳以上だと360円に割引されます。一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代(1467~1590)に一乗谷城を中心に越前国を支配した戦国大名・朝倉氏の遺跡
通用門を出た右側の小さな池に「一葉観音」が祀られています。曹洞宗の開祖・道元禅師(1200~1253)が貞応2年(1223)に師事した臨済宗の開祖・栄西禅師(1141~1215)の弟子・明全和尚(1184~1225)と共に南宋へ渡った際に海が荒れ、道元禅師が観音経を唱えると一葉観音が現れ、荒
吉峰寺(きっぽうじ)の西方向、バイクで30分余りの距離に永平寺があり、永平寺への参道の一番奥に二輪車の無料駐車場があります。(普通車の駐車不可)山号を「吉祥山」と号する曹洞宗の大本山で、寛元2年(1244)に波多野義重(?~1258)を開基として道元禅師により開山されま
気比の松原から北へ、バイクで約2時間の距離に吉峰寺(きっぽうじ)の駐車場があります。山号を「老梅山」と号する曹洞宗の寺院で、1300年前に白山を開山した泰澄(682~767)によって開かれたと伝わります。また、曹洞宗の開祖・道元禅師(1200~1253)が越前に到着後、禅の修行
金崎宮から下り、南へ進むと敦賀赤レンガ倉庫があり、その横にキハ28が停車しています。国鉄時代の昭和43年(1968)に「キハ28 1019」として製造され、福知山に配属され、昭和51年(1976)に冷暖房用発電装置が搭載されて「キハ28 3019」と改番されました。平成12年(2000)に廃
金前寺の直ぐ先に金崎宮への石段があります。石段を少し登った右側に愛宕神社があります。古くから「愛宕大権現」と称されて火防の神として信仰を集め、社殿の造営の際には敦賀郡を所領した酒井氏や福井藩主・松平氏から寄進がありました。鳥居をくぐり、石段を登った所に本
氣比神宮の東参道を出て、北へ徒歩約10分の距離に「泉(しみず)のおしょうず」と称されている名水が湧き出ています。戦国時代(1467~1590)に農民たちに発見されて以来、生活を支える水場として600年以上涸れることなく湧き続けています。また、延命地蔵尊などが祀られていま
令和5年(2023)の年末に氣比神宮へ参拝するため、7:40に敦賀駅に到着しました。令和6年(2024)3月16日に金沢~敦賀間が開通しますが、現在、大阪方面へは敦賀駅の先で線路が途切れています。敦賀駅から北へ徒歩約15分の距離に氣比神宮があります。社伝では、上古に主祭神の伊奢
長寿寺の南に金勝寺がありますが、栗東市の南方の金勝山(こんぜやま)の山中にあって西へ迂回し、乗用車なら離合が困難と思われる細い道を、バイクで20分余り登った所に金勝寺(こんしょうじ)があります。山号を「金勝山」と号する天台宗の寺院で、寺伝では天平5年(733)に
常楽寺から東へバイクで数分の距離に長寿寺があります。長寿寺は山号を「阿星山(あしょうざん)」と号する天台宗の寺院です。天台宗の湖南三山の一箇寺に数えられ、同じ地区にある常楽寺の「西寺(に)」に対して、「東寺(ひがしでら)」と呼ばれ、湖南三山の中では最も古
吉姫神社から南へ、バイクで約5分の距離に常楽寺がありますが、当日は閉門されていました。紅葉巡りの11月16日~12月1日以外、土・日・祝日のみ開門され、平日は予約が必要です。画像は平成30年(2018)11月参拝時のものを使用します。常楽寺は山号を「阿星山(あせいざん)」
西應寺の南に吉御子神社(よしみこじんじゃ)がありますが、野洲川を渡るため、東の県道22号線へ迂回して所要時間はバイクで10分弱となりました。鳥居の手前には「内侍所御泊輦遺跡」の碑が建っていますが、第122代・明治天皇(在位:1867~1912)が明治元年(1868)9月の東京行
西應寺の駐車場にバイクを置いたまま、南西方向の山中へ数分歩いた先に和田神社があります。かってこの地には円満山大槃若院少菩提寺がありました。第45代・聖武天皇(在位:724~749)の勅願所として、天平年間(729~749)に東大寺を開山した良弁大僧正(ろうべん/りょうべんだ
斎神社の西、バイクで約5分の距離に西應寺があります。山号を「功徳円満山(くどくえんまんざん)」と号する浄土真宗大谷派の寺院です。天平15年(743)に紫香楽宮へ移った第45代・聖武天皇(在位:724~749)の勅願所として、天平年間(729~749)に東大寺を開山した良弁大僧正(
正福寺から西へ、バイクで5分弱の距離に斎神社があります。天平年間(729~749)頃の創建と伝わり、斎王一行が伊勢へ向かう途中、当地に泊まったと伝えられています。平安時代(794~1185)に開設された「阿須波道(あすはみち)」は、野洲川に沿っていて、現在の斎神社の南には
善水寺から西へ、バイクで10分弱の距離に正福寺の寺号標が建っています。山号を「大乗山」と号する浄土宗の寺院です。参道を登った先に、昭和38年(1963)に修復された山門があります。天平14年(742)の秋から紫香楽宮の造営を開始し、天平15年(743)に紫香楽宮へ移った第45代・
妙感寺から北へバイクで約15分の距離、標高405.5mの岩根山の中腹、標高約200mの地に善水寺の駐車場があります。山号を「岩根山」と号する天台宗の寺院で、天台宗の湖南三山の一箇寺に数えられ、西国薬師四十九霊場の第47番札所でもあります。岩根山は古くは「十二坊」と呼ば
園養寺の西方向、バイクで10分弱の距離に妙感寺があります。山号を「雲照山」と号する臨済宗妙心寺派の寺院で、近江西国三十三ヶ所観音霊場・第33番札所です。参道を進むと庭園が築かれています。方丈妙感寺は南北朝時代の延元年間(1336~1340)に大本山妙心寺第二世・微妙大
飯道寺から北へバイクで5分余りの距離に園養寺(おんようじ)があります。山号を「花蔵山(けぞうざん)」と号する天台宗の寺院で近江西国三十三ヶ所観音霊場・第32番札所です。参道を進んだ先の石段を登った上に山門があります。園養寺は延暦年間(782~806)に最澄(766or767
広徳寺から下って、国道307号線を北へバイクで10分足らずの距離に飯道寺(はんどうじ)があります。山号を「金奇山(こんきさん=飯道山の別名)」と号する天台宗の寺院で、飯道神社(いひみちじんじゃ)の神宮寺で、明治の神仏分離令により廃寺となった飯道寺の寺号と法燈を
紫香楽宮跡から東へバイクで5分余りの西側に飯道神社への堀越林道がありますが、施錠され、許可車以外の通行は禁止されています。東側は広徳寺への参道となり、それを登った先に広徳寺があります。山号を「庚申山(こうしんさん)」と号する天台宗の寺院で、延暦2年(783)に最
紫香楽宮跡の内裏野地区(だいりのちく)は信楽高原鉄道の「紫香楽宮跡(しがらきぐうし)」駅から西へ徒歩約10分の距離ですが、当日はバイクで向かいました。内裏野地区は「紫香楽宮跡」として国の史跡に指定され、かっては宮殿跡とされていましたが、現在では寺院跡とされ
大池寺から南へバイクで5分余りの距離に水口神社がありますが、その手前に曳山蔵があります。水口曳山祭は毎年4月20日に行われる水口神社の例大祭で、享保20年(1735)から始まり、県の無形民俗文化財に指定されています。現在では町内に16基の曳山が現存しています。現在では
大岡寺から北西方向へバイクで10分弱の距離に大池寺(だいちじ)の駐車場があり、駐車場から北へ進むと八幡神社が鎮座しています。拝殿天平年間(729~749)に行基(668~749)が青蓮寺(現在の大池寺)を創建した際、境内に宇佐八幡宮を勧請して祀ったのが始まりとされています
千光寺の駐車場から北へ進んで野洲川を渡り、県道549号線から国道307号線へ入って、「元町」の信号を超えた先を左折した先に水口宿本陣跡があります。水口本陣は古い家柄で苗字帯刀を許された鵜飼伝左ヱ門が営んでいました。一般の旅籠屋には許されない門・玄関・書院などが
大鳥神社から北西方向へバイクで約10分の水口町嵯峨に千光寺の駐車場があります。駐車場の端から南側へ登った所に八坂神社の鳥居が建っています。第16代・仁徳天皇69年(381)にこの地へ勧請されたと伝わり、物部氏(もののべし)の祖神である川枯神(かはかれのかみ)と川枯姫
油日神社から北西方向へバイクで10分弱の県道24号線に面して大鳥神社の社号標が建っています。元慶6年(882)に伊賀国阿拜郡河合郷の標高738mの篠山嶽にあった佐々神社から大原中へ勧請され、その後現在地へ遷座されました。その際、神宮寺が創建されて一体化し、延暦寺の別坊
櫟野寺(らくやじ)から南へバイクで5分弱の距離に油日神社があります。往古、標高693mの油日岳の山頂に油の火のような光とともに油日大神が降臨し、油日岳が御神体とされていましたが、いつの頃か当地に社殿が造営されました。聖徳太子(574~622)が社殿を造営し、油日大明神
鈴鹿峠から田村神社の方へ戻り、神社の手前で県道129号線へと右折して進んだ先に大原ダムのダム湖があります。県道を挟んだ所には、ダムで堰き止められた小さな池があり、取り残された木が立ち枯れています。その先にダムがあり、現在では太陽光パネルで発電にも利用されてい
万人講灯籠常夜燈から国道1号線に合流し、その先バイクで5分足らずの左側に十楽寺があります。山号を「清浄山(せいじょうざん)」、院号を「二尊院」と号する浄土宗の寺院で、文明18年(1486)に寂照法師(じゃくしょうほうし)により創建され、元は天台宗の寺院でした。山門を
滋賀県甲賀市土山町の国道1号線を鈴鹿峠の方へ向かって進み、「前野」の信号の先を左折、その先を右折した先に垂水斎王頓宮跡があります。道路に面しては北側で、南側に鳥居が建ち、その前は茶畑です。斎王制度は飛鳥時代(592~710)に制度が確立し、天皇の即位に伴って、未婚
御上神社から国道8号線を南西方向へ進むと国道1号線と合流し、その先を右折して北へ進んだ先を左折すると蓮台寺跡があります。延暦8年(789)に最澄(766or767~822)により創建されたと伝わり、昭和60年(1985)頃まで天台宗の寺院として存在していたそうです。隆盛時は七堂伽藍を
道の駅・竜王かがみの里から国道8号線を南西方向へバイクで約10分進んだ右側に御上神社があります。神仏霊場の第144番札所で、「近江富士」とも呼ばれる標高432mの三上山の麓に鎮座しています。かって、三上山には山を七巻半もする大むかでが住着き、それを俵藤太(藤原秀郷
長光寺から国道8号線を南西方向へ約15分進んだ先の左側に道の駅・竜王かがみの里があります。道の駅の駐車場の直ぐ西の通りを南へ進み、突き当りを西へ進むと動物侵入除けのフェンスが張られ、門が閉ざされていますが施錠はされておらず、自由に出入りができます。門を入ると
御澤神社から北の長光寺山を越えた所に長光寺があります。長光寺山の東側の麓をバイクで5分余り進んだ先に「八幡十二神社」の鳥居が建ち、鳥居をくぐった先に長光寺の駐車場があります。駐車場の先に長光寺の山門があります。山号を「補陀洛山」、院号を「誕生院」と号する高
瓦屋禅寺から南へバイクで約30分の距離に石塔寺(いしどうじ)があります。寺号標から石段を登った左側に拝観受付(400円)、右側に山門、正面の石段上に石塔があります。山門は旧大森陣屋から移築された陣屋門です。石塔寺は山号を「阿育王山(あしょかおうざん)」と号する天
太郎坊宮(阿賀神社)の記事を更新しました。太郎坊宮の山上駐車場からバイクで5分弱登った所に瓦屋禅寺の寺号標が建っています。山号を「石崎山(しゃっきざん)」と号する臨済宗妙心寺派の寺院で、聖徳太子霊跡・第30番、近江西国三十三ヶ所観音霊場・18番などの札所です。
安土城跡から下り、東へ進んだ先を右折し、JRの高架をくぐった先に安土文芸の郷公園があります。公園の駐車場から東へ進んだ先に信長の館があります。自販機で入館券を購入し(610円)、入館した正面の中央に織田信長(1534~1582)、右に豊臣秀吉(1537~1598)、左に徳川家康(154
安土城跡の入山受付(700円)を入ると「大手道」と呼ばれる石段が続き、直ぐ右側に前田利家邸跡と伝わる虎口があります。近世城郭を思わせる防御性の高い虎口の形態が取り入れられています。屋敷地は急な傾斜地を造成して造られ、数段の郭(くるわ)に分かれた複雑な構成となり
石馬寺から観音正寺への駐車場まではバイクで南へ5分余りの距離ですが、駐車場から本堂までは徒歩で約10分を要します。観音正寺の詳細はこちらをご覧ください。観音正寺から下り、安土城跡へ向かう「きぬがさ街道」のトンネル手前に六角定頼像が造立されています。六角定頼(1
伊崎寺から南東方向、バイクで20分弱の距離に石馬寺(いしばじ)の大門址があります。昭和9年(1934)9月の室戸台風で倒壊し、礎石が残されています。石馬寺は、山号を「御都繖山(ぎょとさんざん)」と号する臨済宗妙心寺派の寺院で第33代・推古天皇2年(594)に聖徳太子(574~6
長命寺から湖岸沿いを北へ進んだ先に伊崎寺の無料駐車場があります。伊崎寺は山号を長命寺と同じ「姨倚耶山(いきやさん)」と号する天台宗の寺院で、延暦寺の支院の一つであり、無動寺・葛川明王院(かつらがわみょうおういん)と並び、天台修験の三大聖地とされています。
令和6年(2024)8月9日午後7時57分頃、神奈川県西部の深さ10kmを震源とするM5.3の地震が発生し、神奈川県の厚木市で震度5弱が観測されました。昨日の日向灘地震で、気象庁は南海トラフ地震の想定震源域で大規模地震が発生する可能性がふだんと比べて高まっているとして「南海ト
虫生神社から北東方向へバイクで20分余りの距離に長命寺港があります。現在は長命寺山の東側は大中之湖干拓地が広がっていますが、干拓以前の長命寺は島の中にあったそうです。かつての巡礼者は、三十番札所の竹生島・宝厳寺から船で長命寺に参詣したそうです。また、安土の
令和6年(2024)8月8日午後4時43分頃、日向灘の深さ30kmを震源とするM7.1の地震が発生し、宮崎県の日南市で震度6弱、宮崎県の宮崎市・串間市・都城市及び鹿児島県の大崎町で震度5強を観測した他、宮崎県と鹿児島県の町村で震度5弱、愛媛県や福岡県、佐賀県、熊本県、大分県など
錦織寺の東、バイクで2~3分の距離に虫生神社(むしゅうじんじゃ)があります。創建やその後の変遷に関する詳細は不明ですが、大陸から渡来した錦を織る「錦織部(にしごりべ)」の人々が当地に居住し、虫生社を勧請したと伝えられています。神門には「正一位虫生大明神」の
「ブログリーダー」を活用して、FULAFURAJUNREIさんをフォローしませんか?