「演劇にもはまる」
――高2で小説を書き始めたということでしたが、新人賞への応募も始めたのですか。
金子:そうですね。地方の文学賞など、短篇が応募できるところにはいろいろ送り始めました。ちょっと長めの小説が書けるようになってからは、ダ・ヴィンチ文学賞や文藝賞などにも送りました。ただ、一切予選を通過しなかったんです。自分は小説を書くのは好きだけどプロの作家になる才能はないと思いました。それで、大学に入るちょっと前から公認会計士の資格の学校に通い始めていました。
――最初のうちは純文学系もエンタメ系もいろいろ書かれていたわけですね。
金子:そうですね。ジャンルよりも、とりあえず規定枚数が30枚の賞とかを選んでいました。あまりジャンルにこだわらず送っていたんですけれど、大学1年の時に群像新人文学賞で最終のひとつ前までいったことで、自分は純文学の人間なのかなと勘違いしてドツボにはまります。純文ばかり書くようになって、そこから7,8年の苦労が待っているんです(笑)。
――高校時代から公認会計士になろうと思ったのはどうしてだったんですか。
金子:私が高校2、3年だった2010年とか11年の頃って、ニュースで就職氷河期のことがずっと言われていたんですね。私はメンタルがそんなに強くないという自己認識があって、就活に耐えられる気がしなかったんです。これは大学生になるのが怖いな、どうしようかなと思って、なにか資格を取れば就活しなくてすむと考えたんですよ。
私の父が、公認会計士なんです。自分で事務所を持っているのではなく、大きな会計事務所に勤務していました。資格もいろいろあるなかで、会計士なら勉強を頑張れば在学中に資格が取れると言われて、じゃあ目指そう、と。就職氷河期への恐怖から会計士の勉強を始めました。
――在学中に合格されたのですか。
金子:大学3年の時に。周囲でも在学中に会計士資格を取っていた人は多かったですね。付属上がりの学生って、大学受験をしていないから、大学に入学した段階で勉強の余力があるというか。1年生の時から資格の勉強を始める友達もそれなりにいたので、私もそこに乗っかりました。
――学部はどちらですか。文学部に行こうとは思いませんでしたか。
金子:商学部です。高校から大学に上がる時に、小説が好きだったから文学部か商学部か最後まで迷ったんです。でも、資格の学校の先生に相談したら、「商学部なら会計士の勉強と授業の勉強が被るから、試験勉強も楽だし、余った時間で小説を書けるよ」と言われたんです。
「なんなら文学部の授業は潜れるから」って。それと、資格の学校が日吉にあったんです。慶應は文学部の学生は1年目は日吉ですが、2年からキャンパスが三田になるんですね。商学部だと2年まで日吉なので、資格の学校に通うのも楽だったんです。それで商学部を選んで、文学部の授業に潜りまくりました。3年になって三田に通うようになってからですが、文学や演劇の授業にめっちゃ潜っていました。
――大学生時代も、新人賞への投稿を続けていたのですか。
金子:大学1年生の時に群像新人文学賞に応募したんです。メタ構造がウロボロス状になっていく、太宰治の「猿面冠者」や舞城さんの諸作品を自分なりに換骨奪胎させたような実験小説でした。結果が出たのは2年生の春で、それがはじめて二次を通過したんです。当時は一次、二次、最終という選考過程だったので、最終のひとつ前までいったということで、結構自信になりました。ただ、そこから会計士の試験勉強が忙しくなり、1年くらい書けない時期がありました。
――演劇がお好きだそうですが、きっかけは何かあったのですか。
金子:私は高校生の時に合唱部だったんですが、ひとつ上の先輩に演劇好きの人がいて、自分たちの定期演奏会の音楽劇をその人の脚本でやったりしていたんです。その先輩に、高校生は学割もあって安いからということで、演劇に連れていってもらって、演劇って面白いなと思っていました。それと並行して、舞城王太郎さんや佐藤友哉さんきっかけで現代文学を漁っていた時に、劇作家が書いた小説に多く行き当たったんですよ。2011年から2012年くらいの時期って、岡田利規さん、前田司郎さん、本谷有希子さん、戌井昭人さんといった、劇作家で純文学を書いて注目される方がたくさんいたんです。そうした方たちの小説や戯曲を読んだら面白くて、その方たちの演劇も観るようになりました。
――劇場に通っていたんですか。
金子:東京芸術劇場のシアターイーストとか、神奈川芸術劇場、こまばアゴラ劇場、王子小劇場、下北の各小劇場などに通っていましたね。ロロ、ハイバイ、ままごと、サンプル、範宙遊泳、ナカゴーあたりが特に好きで。
――ご自身で脚本を書こうとか、演劇に携わりたいとは思いませんでしたか。
金子:思っていたんですよ。一応、高校3年生のとき、合唱部の定期演奏会で音楽劇の脚本を担当したこともあって。大学で演劇サークルに入ってもよかったんですけれど、とにかく小説を書きたいというのと会計士の試験に受かりたいというのがあって、文芸サークルに所属しながらダブルスクールするのでキャパがいっぱいになり、演劇サークルに入る余裕はなくて。ただ、小説を書く合間に、上演のあてがないまま戯曲は書いていました。最初は、コントくらいのサイズの戯曲を趣味で書いていたんですけれど、私が大学3年生の時に北海道戯曲賞の第1回の募集があって、そこではじめて1時間以上の尺の戯曲を書いて送りました。一次も通らなかったんですけれど、自分ではすごく面白い脚本だと思ったし、デビュー前の町屋良平さんに「戯曲を書いたので読んでください」とお願いして読んでもらったら「すごく面白い」と言ってもらって、このままボツにするのはもったいない気がして。それで、その戯曲を小説に書き換えたんです。それを文藝賞に送ったら、はじめて最終候補まで残りました。
――どういう話だったのですか。
金子:北海道戯曲賞だから北海道の話がいいかと思いました。北海道の大学の河童研究会を舞台にした群像劇です。河童研究会といっても一応、オカルトを幅広く取り扱うサークルという設定で、男女5人の大学生が出てきて、姉が殺人犯なんだよね、とか仲良くもないのにいきなり打ち明けてくるやつがいたり、誰が本当のことを言っているかずっと分からない、みたいな。もともと戯曲なので、描写を足していって正攻法で小説に書き換えてもつまらないんじゃないかと思い、いっそト書きの書法をまんま活かすことにして、心理描写の一切ない、200枚くらいの中編にして文藝賞に送ったら最終に残りました。結局落ちてしまったんですけれど、小説家としてデビューできる道もあるのかなと、そこから具体的に考え始めた感じです。
最終選考では、保坂和志さんだけがめちゃめちゃ褒めてくださったんです。これは小説なのかコントなのか演劇なのか分からないけれど、既存の小説でないことだけは確かだ、みたいな論調でした。他の選考委員の方は、小説としては弱い、という雰囲気でした。その時に受賞されたのが、山下絋加さんと畠山丑雄さんです。それが2015年、私が大学4年生の夏ですね。
――大学時代の読書で印象に残っているものは。
金子:大学に入学してすぐ文芸サークルに入ったんです。そこの先輩たちに海外文学をまともに読んだことがないと言ったら、いろいろ教えてくれました。
ガルシア=マルケスの『百年の孤独』に衝撃を受けたり、ボルヘスやプイグといったラテンアメリカ文学を読んで面白いなと思ったり、英米の奇想の短篇集を読んだりして。そのなかで一番はまったのが、『マジック・フォー・ビギナーズ』のケリー・リンクですね。語りの魔力があるというか、惹きつけて離さないものがありますよね。
ケリー・リンクはサークルの先輩ではなく大滝瓶太さんから薦められたんです。大滝さんとも、当時から作家志望者のネットのコミュニティで交流があったので。
――ケリー・リンクはこの記事が出る頃には、『白猫、黒犬』という新刊も出ていますよね。
金子:そうなんですよ。新刊が出ると聞いて、超嬉しいなと思ったんですよね。絶対に買わなきゃと思っています。
――劇作家の方が書かれた小説で好きだったものはありますか。
金子:本谷有希子さんが特に大好きです。私の3作目の『死んだ木村を上演』は本谷さんの深い影響のもとに成り立っている小説だと思います。
本谷さんはもともと演劇をやられていて、そこから小説を書き始めた方ですけれど、初期の小説作品には演劇そのものの熱量を感じるというか。舞台で、気持ちがほとばしったままに人と人が言葉を闘わせ合うような、とんでもない熱量のダイアローグを展開させてきた方で、初期の小説にはその感じがものすごく活きているんですよね。あの火花が散るダイアローグを読書体験として摂取できることがすごく面白くて、新鮮で、大好きなんです。『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』とか『生きてるだけで、愛。』とか『あの子の考えることは変』とか『ぬるい毒』とか。
もうどうなってもいいから全部言ってしまおう、相手を傷つけてもいいし自分も傷ついてもいいから、思ったこと全部吐き出そうみたいな、本谷さんの作品にある熱を、私も『死んだ木村を上演』で書いてみたいと思いました。
「デビュー前からの執筆仲間」
――ところで町屋良平さんや大滝瓶太さんとは、twitterを通じて親しくなられたのですか。
金子:twitterもありますが、以前文藝賞を受賞された今村友紀さんが作り上げた「CRUNCHMAGAZINE」という、小説投稿サイトがあったんですね。当時は「カクヨム」とか「小説家になろう」といった、ラノベ寄りの小説投稿サイトが流行っていたんですけれど、「CRUNCHMAGAZINE」は私の知る限り初めて出来た純文学寄りの小説投稿サイトだったんです。それを通じて町屋良平さんや大滝瓶太さん、佐川恭一さんとかと仲良くなりました。町屋さんは2016年にデビューして、ものすごいキャリアを築いていったんですけれど。
――大前粟生さんとも、デビュー前からお知り合いだったとか。
金子:2016年にtwitterで知り合ったんですよ。面白い感想言っているな、みたいな感じでお互いにフォローしあったのがきっかけです。そうしたら、その数か月後に大前さんが「GRANTA JAPAN with 早稲田文学」の公募プロジェクトで、「彼女をバスタブにいれて燃やす」という短篇で最優秀作に選ばれてデビューされるんです。大前さんは当時京都在住だったんですが東京に来る機会があったので、デビューしたての大前さんと、デビュー直前の町屋さんと、私の3人で飲んだことがあります。それ以来、ちょこちょこ連絡を取り合っていました。この前、「文學界」2024年10月号に、この3人の鼎談で呼んでいただいたんです。私はずっと、デビューしたらいつか町屋さんや大前さんと対談したいなという夢を抱いて投稿を続けてきたので、夢が叶ったのが嬉しすぎて、家に帰ってから感極まって、ポロポロ泣いちゃって...。
なんか、自分が最終候補で落ちたりしているなか、twitterとかで知り合った人たちがどんどんデビューしていって、なんとなく「金子くん待ってるよ」状態だったんです。私だけずっとずっと落ち続けて、苦しかったんです。
途中で「もう無理」となった時に大滝さんに相談したら、「一回エンタメに転向してみてくれ」と言われ、それでエンタメに転向してデビューできたんです。
大滝さんも最初は純文学を書いていたんですけれど、あまり予選を通らなかったのでSFとかミステリを書くようになったんですよね。最初の単著が『その謎を解いてはいけない』という、ミステリ作品です。大滝さんがミステリを書き始めた頃に、私が純文学のほうでうまくいかなくて心がポッキリ折れちゃって、LINEしたんです。「私、もう無理なので、応援してくれたのは嬉しかったんですけど、小説から離れると思います」って。そうしたら「自分は今ミステリを書いてるから、一緒に書かないか」って。「最後に一度、エンタメへの転向を試してからやめてよ」みたいなことを言われ、そこからミステリの勉強を始めました。それで結果的に『死んだ山田と教室』でデビューできたので、もう、本当に、大滝さんのおかげですね。
なんなら私、その前にも一回大滝さんに助けられているんです。大学2年生の時に群像新人文学賞の最終選考のひとつ前まで残ったことは先ほどお話ししましたが、それがちょうど会計士の勉強に集中しなくてはいけない時期だったし、ちょっと小説に関してはやりきった感があったんですね。「こんないいところまで通過したから、後は会計士の勉強を続けて、会計士一筋で生きていこうかな」と思っていた頃に、twitterで大滝さんと知り合ったんです。それで群像の最終のひとつ前まで残った原稿を読んでもらったんですよ。そうしたら、「すごく面白かった」と言ってくれて。学生のうちにこんなに笑えて構造的にも面白い小説を書けるのはすごいから、また何か書いてよ、って。それで、「小説はやめるかもしれない」というふわふわした心の状態から、「大滝さんがああ言ってくれたからまた書くか」という気持ちになったんです。だから大滝さんには2回、小説の世界に引き留められています。大滝さんがいなかったら、私は小説を書くのをやめている可能性が高いです。
――会計士の試験が終わって執筆を再開し、戯曲を書き直した作品で文藝賞の最終に残ったのが、大学4年の時になるわけですか。
金子:大学3年生の時、2014年8月に会計士受験が終わり、11月の合格発表まで時間が空いた時に10月末締切だった北海道戯曲賞に応募します。その結果が帰ってきたのが年末か年明けくらいで、それを「夏の暫定」という小説に書き直して、2015年の3月末締切の文藝賞に間に合わせ、結果が出たのが大学4年の夏でした。
その後、大学4年の時に書いた「林冴花は宗教が苦手」という、お父さんがイスラム教徒の女の子がグループアイドルを辞めようとする小説がまた文藝賞の最終に残ったんです。こちらは心理描写もたくさん入れて、最初から小説として書き進めたものです。2年連続で最終に残ったんだから、書き続けていればどこかの賞に引っかかるんじゃないかと思いました。それで、卒業後も働きながら文藝賞やすばる文学賞に応募を続けました。だいたい年に新作を1、2本、改稿したものを1、2本送っていました。
――卒業後は会計士の事務所に就職されたのですか。
金子:はい。「監査法人」と呼ばれる、大手の会計事務所がいくつかあるんですが、そのひとつに入って、主に監査業務に携わっていました。
その後、2020年にすばる文学賞に送った「ファンファーレ」が最終まで残り、選考委員の金原ひとみさんに激賞いただいたんです。木崎みつ子さんの『コンジュジ』が受賞され、デビュー前の朝比奈秋さんも同じく最終で落選した回です。翌年の2021年は「次で絶対受賞したい」と思って結構気合を入れて新作を2本書き、過去の小説1本を改稿して、すばる文学賞と新潮新人賞と文藝賞に送ったんですけれど、全部最終にも残らなかったんです。それで「もう無理だな」となって大滝さんに連絡し、エンタメに転向し、2023年にメフィスト賞をいただく、という流れです。
――働きながら投稿していた頃、読書生活はいかがでしたか。
金子:純文学ばかり読んでいました。文芸誌で、次の芥川賞候補になるのはこれかな、みたいなものを読んだりして。
――そのなかで印象に残った作家や作品は。
金子:滝口悠生さんの『死んでいない者』がめちゃめちゃ好きで。「文學界」に掲載された時に読んで、これが芥川賞を獲らなかったら嘘だろうと思っていたら、本当に受賞されました。
滝口さんの作品は全部好きです。『寝相』とか『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』とか『高架線』とか。
あとは、『ナイス・エイジ』や『ジャップ・ン・ロール・ヒーロー』の鴻池留衣さんの小説も好きで、単行本化はされていないんですけど「文學界」2020年12月号掲載の「わがままロマンサー」には特に打ちのめされました。日和聡子さんも大好きで、『校舎の静脈』がお気に入りですね。木下古栗さんも大好物です。『いい女vsいい女』とか『金を払うから素手で殴らせてくれないか?』とか、最高ですよね。
以前、移人称がけっこう話題になったことがあったじゃないですか。人称が自然に移ろっていくというか、一人称なのに一人称で語り得ないことを語っている小説というか。その頃は、そういう人称のあり方の小説をよく読んでいました。現代文学では山下澄人さん、滝口悠生さん、岡田利規さん、柴崎友香さん、松田青子さんの小説とか。あとは青木淳悟さん。最近、町屋良平さんが「小説の死後――(にも書かれる散文のために)――」というプロジェクトで青木淳悟さんの小説の再解釈をされていますけれど。青木さんの『私のいない高校』という三島賞を受賞した小説は、『死んだ山田と教室』に繋がっていると思っています。
――『私のいない高校』は、とある高校の、留学生を迎え入れた一年間の話ですよね。定まった視点人物がいないままに、教室の様子が淡々と綴られていきますよね。
金子:留学生が来たというドラマはありつつも、ものすごく平板な筆致で高校の一年間を書いていますよね。ああいう感じをエンタメにもできるんじゃないかと思って、『死んだ山田と教室』の第一話なんかは、青木さんのあの、教室そのものに視点があるみたいな書きっぷりに影響を受けています。
エンタメに転向はしたんですけれども、ずっと純文学を読み書きしてきた経験をなかったことにしたくなかったんですよね。エンタメは視点を定めないと読みづらいから駄目だ、というセオリーは重々承知した上で、でもやっぱり、純文学で自分が面白いと思った書きっぷりとか、視点の動かし方というのは、読みやすさを損なわない範囲でエンタメに取り入れていけたらなという意識はあります。
「エンタメに転向してミステリを学ぶ」
――エンタメに転向しようと思い立ってミステリの勉強を始めたとのことですが、どういう勉強だったのですか。
金子:同じ書名になるんですけれど、日本推理作家協会が出している幻冬舎文庫の『ミステリーの書き方』や、アメリカ探偵作家クラブが出している講談社文庫の『ミステリーの書き方』、新潮社の編集者、新井久幸さんの『書きたい人のためのミステリ入門』を読んだりとか。江戸川乱歩の評論集『続・幻影城』の中に、「類別トリック集成」というのがあるんですよね。古今東西のトリックがまとめられているので、それを読んだりしました。
それと、これまで古典のミステリを読めていなかったので、アガサ・クリスティーとかを読むようにもなりました。新本格も読めていなかったので、綾辻行人さん、有栖川有栖さんも読んでみたらすごく面白くて。そういう勉強を1年くらいしてから、自分なりの長篇を初めて書いてメフィスト賞に応募したら、座談会(他の賞でいえば最終候補)に残していただけたので、これはいけるかも、と思いました。
――その時はどんなミステリを書かれたのですか。
金子:「クイーンと殺人とアリス」という、謎解きアイドルのオーディション合宿中に殺人事件が発生する孤島ミステリです。エンタメに転向するとなった時、純文をエンタメナイズドしたような小説を書いて、転向しました、と言うのはちょっと嫌だったんですよね。純文っぽいエンタメとか、エンタメっぽい純文ってあるじゃないですか。読者としてはそういうの大好きですし、そこを目指せばコストをかけずに転向できるかもとは思ったんですけれど、もう純文で落とされ続けて心が折れ切っているから、そういうものではなく、ガチガチのエンタメをやらないと立ち直れない気がしました。それで仕上げたのが450枚くらいの孤島ミステリだったんですが、書き上げた時に思ったのは、こういうものを何本も書くのはしんどいな、ということでした。
いろんなミステリを読んで面白かったし、自分で書きあげた時も達成感はあったんです。でも、もう少し人間寄りのものも書きたいなと思い、それで書いたのが『死んだ山田と教室』でした。結果的にこれでメフィスト賞をいただけたので、自分にはこれぐらいの塩梅がちょうどいいのかなと思いました。
――メフィスト賞に応募したのは、やはり舞城さんや佐藤さんの出身の賞だからですか。
金子:そうですね。エンタメに転向してみないかと言われてどの賞にするかは考えたんです。小説すばる新人賞や「小説 野性時代新人賞」だったら、文章に重きを置いたエンタメが通ったりするのかな、とか。でもやっぱり、舞城さんや佐藤さんに憧れていた高校時代を経ているので、メフィスト賞がとれたら最高だなって。一回メフィスト賞に本気でチャレンジしてみないと、私の高校時代が報われない気がしました。そうしたら拾っていただけたので、こんなに嬉しいことはないです。
――『死んだ山田と教室』は、クラスの人気者だった山田が交通事故で亡くなり、教室が沈痛な空気に包まれていると、山田の声がする。なんと彼は教室のスピーカーに転生していた――という話です。すばる文学賞に応募した「ファンファーレ」も、一人の少女が死んだ後、彼女に関係した人たちの会話で構成される内容だったそうですが、誰かが死んだ後というモチーフに、書きたいものがあるのですか。
金子:そうですね。高校生の頃に親しかった人が二十六歳で亡くなった、ということがあったりして。その人は高校生の頃よく「死にたい」って言っていたんです。でも、二十代になって、病気で亡くなったんですよ。あんなに死にたがっていた人が、結局自殺ではなく病気で亡くなってしまったということに、死にたさと生きたさの、なんともいえない感じを、ずっと引きずっていて。
他にも、自分と同世代でずっと大好きな「赤い公園」というバンドの津野米咲さんや、私が舞城さんを知るキッカケとなった漫画を描いた青山景さんが若くして亡くなったりしたんです。それと、ナカゴーという劇団を主宰していた鎌田順也さんが病気で亡くなってしまわれて。それまでいちばん好きな劇団を訊かれたらナカゴーと答えていたくらいなのに、もう鎌田さん演出の舞台は観られないと思ったら、うわーってなって。人って簡単に亡くなってしまうんだなって、人生の節々で感じてきました。
私も作家としてデビューさせていただけて、ずっと書き続けたいとは思うんですけれど、いつ交通事故や病気で死ぬか分かりませんよね。ちょっと死にたい、みたいな気持ちも分からなくはないし。なので生と死っていうのは、気づいたら考えているものではあったんです。デビュー後に、「死んだ」三部作という形で、自分が今思っている生と死というものを作品として残すことができたのは、とてもありがたいです。
――確かに「死んだ」三部作は、どれもエンタメ的な設定でありながら、だんだん生と死という深いテーマが見えてきますよね。それにしても、『死んだ山田と教室』では、山田が幽霊になって現れるのではなく、スピーカーになるという発想が本当に面白くて。
金子:ありがとうございます。そういう奇想的な部分は英米の短篇などの影響を受けている気がします。ああ、大事な作家の名前を挙げていませんでした。私、藤野可織さんが大好きなんです。『爪と目』がめちゃめちゃ面白かったし、『おはなしして子ちゃん』とか『ファイナルガール』とか『ドレス』といった短篇集も大好きです。藤野さんは英米っぽい奇想を書く方だと思うんです。とんでもないことが起こっているのに、それが自然に日常に溶け込んでいる書き方をされますよね。たぶん、その影響が『死んだ山田と教室』にもあります。
あと、古谷田奈月さんの「無限の玄」(『無限の玄/風下の朱』所収)も、人が何度も蘇る話で、ああいう、突飛な設定を日常に落とし込んだ形で展開する小説には影響を受けていると思います。
――「山田」の男子高校生たちのおバカなお喋りなど、金子さんの作品は会話が面白いんですが、それはやはり戯曲で会話を書いてきたからなんでしょうね。
金子: そうですね。現代口語演劇って、最終的にシリアスなところに着地するにしても、観客をくすっと笑わせる部分があるので、その影響が大きいと思います。
戯曲では、平田オリザさんが日本の現代口語演劇のひとつのシーンを築かれたと思うんです。もともと演劇ってセリフ回しが大げさだったんですよね。野田秀樹さんとかナイロン100℃とか大人計画とかの、小劇場ブーム全盛期の流れを引く演劇って、舞台ならではの、パッションがほとばしるような感じがあると思うんですけれど、平田オリザさんが日常的な静かな演劇を流行らせたんですよね。ひとつの家庭の食卓で交わされるリアルな会話がただただ続くだけなのに、なぜか観客が受け取るものがものすごく多い、というような演劇です。その影響下にあるような劇団が、サンプル、ままごと、ハイバイ、ロロあたりだと思います。ロロは作品によってはファンタジックな設定を織り交ぜたりするんですけれど、教室や廊下など校舎の一風景を切り取った〈いつ高〉シリーズがものすごく好きで。そうした現代口語演劇の文法というものを、私の小説でも参考にさせていただきたいという気持ちがあります。
それに、小説の中の会話はもっと面白くあるべきなんじゃないかとはずっと思っていました。私の性格によるのかもしれないですけれど、友達と喋っている時って小説の会話文よりももっと笑っているよな、と感じてきたので、自分が会話を書く時も、現実みたいに笑えるものを書きたいなというのがあります。
「自作とデビュー後の読書」
――今年の5月に『死んだ山田と教室』、8月に『死んだ石井の大群』、11月に『死んだ木村を上演』と、ものすごい勢いで発表されていますね。
金子:メフィスト賞は近年、デビュー作の単行本の最後のページで次回作の予告を打っているんですよね。それで2作目を早めに仕上げなきゃという意識はあったんですけれど、なんとか3作目まで出せたので嬉しいです。けっこう頑張りました。
「山田」の受賞連絡をいただいたのが2023年の5月で、そこから2024年の5月刊行を目指して改稿するのと並行して、2冊目の予告が打てるように原稿を準備しましょうと言われたんです。それで最初に書いたのは、実は3冊目の「木村」のほうでした。そうしたら、「木村」は変則的なシチュエーションの青春劇というところが「山田」と近すぎるので3作目にしませんか、とご提案いただいて。「石井」のプロットはもう編集部に伝えてあったので、それを2作目にしましょうということになりました。
――『死んだ石井の大群』はデスゲームの話です。石井という名字を持つ人が333人集められ、何者かにデスゲームの開始を告げられる。並行して、その中の一人を捜そうとする探偵の話も進んでいく。確かに人がたくさん死にますが、これも最後まで読むと、ただただ人が死ぬだけの話ではないと分かる。
金子:せっかくエンタメ作家として世に出たからには、エンタメ全開みたいなものを書きたいと思いました。いずれ純文学みたいな作品も出させていただけたら嬉しいですけれど、少なくとも3年くらいはちゃんとエンタメ作家だと自信をもって言い張れるエンタメを書き続けないといけないと思ったんです。それでいろいろ考えた時、デスゲームって絶対に純文じゃないだろう、って(笑)。「イカゲーム」や『バトル・ロワイアル』、『神さまの言うとおり』が好きだったし、一回デスゲームものを書けば、「自分はエンタメ作家です」と名乗れるひとつの要素になると思いました。そこから、会話を多くしたいなと考え、何もない部屋で生き残りをかけた人たちが喋っている場面なんかが浮かびました。
――彼らはドッジボールや階段を使ったいくつかのゲームをさせられますが、そうしたゲームはどのように考えたのですか。
金子:作中でも言及していますが、「イカゲーム」や『神さまの言うとおり』のゲームも、昔の遊びを参考にしているんですよね。そもそもこの話は、斬新なゲームだと設定的におかしくなる。どこかで見たようなデスゲームでないといけないので、そこは、私の読書遍歴から自然と導き出されるものを書きました。「どこかで見たことのあるゲームを切り貼りしている」というご感想をいただくこともありますが、それはあえて意図したことです。
――3作目の『死んだ木村を上演』は、大学の演劇研究会の卒業生4人に脅迫状が届き、彼らはかつて合宿を行った温泉宿に集まります。過去、その宿で合宿中に、研究会のリーダー格だった木村が不審な死を遂げたんですよね。木村の死の真相を探るために、彼らは合宿時の出来事を芝居で再現していく。始めのカギカッコ(「)だけで続く文章があったりしますよね。誰かの声と声がかぶったことが分かる書き方ですね。
金子:木下古栗さんの小説に、閉じカギカッコだけが出てくる小説がたしかあったんです。地の文からスタートして、読んでいくと急に閉じカギカッコが出てきて、あ、これ誰かのセリフだったんだと分かる。あの逆がいけるんじゃないかなと思ったんです。
戯曲でも、セリフ被せの指示はよくあるんですよね。平田オリザさんの戯曲とかもそうなんですけれど、記号を使って、この台詞のはじめを食わせる、といった指示が書き込まれています。私は戯曲が好きでいろんな作品を読んでいるんですけれど、セリフ被せの指示をされている方はよくいます。だから小説でもやっていいじゃないかと思って。地の文で「誰々の言葉を遮った」とか書くであろうところに、戯曲的な手法を持ちこんでみようと思いました。最初のほうにちょっとずつ入れて、こういうルールだと分かってもらって、ラストの演出に気づいてもらおうという感じです。
――ああ、気づきました。
金子:純文の応募時代から、私の文章は演劇っぽい、ト書きっぽいと選評等でも指摘されてきました。良い意味で言ってくださる方もいますが、こんなの小説じゃない、というような、ネガティブなニュアンスのご感想もたまに目にするんです。自分ではそれは意識的にやっていることだったので、じゃあ一回、そうした文体を活かして、何かできないかなと考えながら書きました。
――3作品ともすごく面白くて、よく短期間で仕上げたなと思いました。
金子:ありがとうございます。2作目3作目を面白く読んでいただけるか、めちゃくちゃ不安だったんです。やっぱり13年間デビューできなかった人間なので、「山田」でメフィスト賞をいただけたけれど、その次も皆さんに面白く読んでいただけるクオリティのものがまた書けるのかという不安はすごくありました。でも「戦略として2作目3作目も早めに出しましょう」と言われたので、気合を入れました。どれも今年中に出せてよかったです。
――そのために会計事務所を辞められたとか。
金子:いったん辞めました。資格を持っているので、いつでもまた働けますし。やっぱりスタートダッシュが大事かなと思ったんです。最初のうちに、名前を知っていただくためにいっぱい本を出したくて、思い切って辞めました。ちょっと名前を知っていただけたら、少し速度を緩めてもいいかなと思っているんですけれど。
――最近はあまり読書する時間はないでしょうか。
金子:そうですね。でも、ちょこちょこは読んでいます。知り合いの作家さんの新刊なんかは読んでいるんですけれど、本屋さんにふらっと入ってジャケットを見て面白そうだなと思って買う、という余裕がなくなってしまって。そういう読書をまた取り戻したい気持ちがあります。
――最近面白かった本はありますか。
金子:純文学でいうと、長井短さんの小説。長井さんは俳優としてご活躍されているんですが、小説やエッセイも精力的に書かれていて。『私は元気がありません』『ほどける骨折り球子』という小説集や、『内緒にしといて』というエッセイ集を出されているんですけれど、文章に唯一無二の華があるというか。長井さんも舞城さん大好きらしいのですが、舞城さん文体のエッセンスを吸収したうえでオリジナリティ溢れる長井短さん文体を新たに構築されていて、すごいな、羨ましいな、と。あとは、児玉雨子さんの『##NANE##』。これは芥川賞候補にもなった作品ですが、文章の密度が異様に高くて、作中作の扱い方も絶妙で。芥川賞の選評では比喩がはまっていないんじゃないかという指摘もあったんですけれど、私は比喩がことごとく良いなと感じました。文節単位で定型を外そう、紋切り型を外そうという意識が行き届いていて、なのに可読性も高く、一文一文の練られ方が恐ろしいなと、同世代として驚嘆しました。
エンタメでいうと、メフィスト賞の先輩でもある潮谷験さんの『伯爵と三つの棺』。潮谷さんの第六作にあたる、フランス革命直後のヨーロッパの小国を舞台とした歴史ミステリなのですが、純粋な論理のみで犯人を導き出す過程が鮮やかで、最後の最後までどきどきしながら読み終えました。私は歴史モノに少し苦手意識があったのですが、その時代ならではの背景や小道具の説明が分かりやすく、くすっと笑えるような小ネタやテンポの良い情報開示にするすると手を引かれ、かじりつくように読みふけっていました。舞城さん、佐藤友哉さん、辻村深月さんといった大先輩はもちろんのこと、真下みことさん、五十嵐律人さん、潮谷さん、須藤古都離さんといった近年の先輩方も本当に面白い作品を次々と発表されていて、ものすごい賞をいただけたのだな、と震え上がっています。あと、関かおるさんの『みずもかえでも』。今年、「小説 野性時代新人賞」を受賞された作品です。主人公の繭生という女性が、落語の高座を撮る演芸写真家に憧れて見習いになるんですが、ある時、女性の落語家さんの高座を見て、あまりに情熱がほとばしっていて格好よくて、衝動的に無断で撮ってしまうんですよ。師匠から無断で写真を撮ってはいけないと言われていたのに。それでその仕事から逃げだして、ウェディングフォトの会社に勤めるんです。そうしたら数年後、その女性落語家さんの結婚式の写真を撮ることになって再会し、演芸写真への熱を取り戻していく。
関さんご自身は写真の仕事はしていなくて資料を集めて書いたらしいんですけど、演芸写真の仕事の様子もすごく面白かった。文章のリズムがひたすら心地よくて、いっさい緩みのない、ほとばしる熱みたいなものが全編に感じられるんです。結構たくさんキャラクターが出てくるんですけれど、どの人物もすこぶる魅力的で印象に残る。展開も見事で、ページをめくる手がずっと止まらなかったんですよね。関さんは今年デビューなので同期にあたるんですけれど、すごいな、困ったな、これは負けられないぞ、と思いました。
――戯曲もよく読まれるということで、好きな戯曲、おすすめの戯曲がありましたら教えてください。
金子:平田オリザさんの『東京ノート』がハヤカワ演劇文庫から出ているんですけれど、これははじめて読んだ時、戯曲という表現の面白さに度肝を抜かれました。平田オリザさんって、同時多発会話を書かれる方なんです。平田さん以前の演劇は、基本的に誰かが喋っている時は、他の人は喋っちゃいけなかったと思うんです。同時にセリフを言うと観客が聞き取れないから、ということで順番順番に喋っていたんですけれど、人って現実には同じタイミングで喋ることもあるし、7人くらいいたら、4人の会話と3人の会話に分かれたりするじゃないですか。平田さんはそれをそのまま提示しようという発想で書かれているんです。
『東京ノート』の戯曲は二段組になっているんですよね。上段と下段があって、会話が被っているところがあったりする。演奏記号みたいなもので「はけながら言う」とか「ここをかぶせる」みたいな指示もあって、楽譜のような美しさがあります。小津安二郎の「東京物語」が下地にあって、美術館のロビーで交わされる静かな会話を追うだけなんですけど、ほのかに浮かび上がる人間関係の切なさがどうしようもなく心を揺さぶってくるんです。筋書も形式的な美しさも堪能できるということで、あまり戯曲は読まないという方にぜひお薦めしたいです。
――今は執筆時間や1日のルーティンはどんな感じですか。
金子:「石井」と「木村」を書いた時は、朝9時くらいから書き始めて早くて夕方5時までやって、筆がのっていたら夜まで書いていたんですよね。今もできればそういう感じで書きたいんですけれど、ただ、「木村」と「石井」は、気合を入れて短距離走のペースで書いていたんですよ。あれをやり続けることはできないので、中距離走くらいのペースに落としたいです。書きたいテーマはいっぱいあるので、単純に体力の問題です。
――では、今後のご予定は。
金子:今、4作目をゆっくり書いています。次は「死んだ」シリーズから外れて、恋愛の連作短篇集にする予定です。恋愛というか、元カレ元カノが主題ですね。前々から、元恋人の存在って面白いと思っていたんです。昔の恋をずっと引きずっている人もいれば、もう終わったこととして割り切っている人もいるし、人生から抹消したい黒歴史だと感じている人、悪い別れ方をしてストーカー被害的な恐怖を味わう人もいる。かつてはお互いを一番大切にし合おうと了承を取った相手なのに、それが解消されるといろんな感情のグラデーションが生じるので、そこを書きたくて。「死んだ」三部作とはまた違った方法で、皆さまに「面白かった」と言っていただけるものが書けないかと、いろいろ模索しているところです。