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大そうじへの備え
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<こちらの記事はAmazonのPRを含みます> こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 最近知った主に東日本にみられる『天白信仰』、その分布は長野県、静岡県を中心とし三重県の南部・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっています。 日本の東半分に入る静岡県だったら、きっと「天白社・天白神社」はたくさんあるんじゃないか?ということで、先日からグーグル先生の手を借りながら少しずつ参拝させてもらっています。 謎が多い「天白信仰」は、縄文時代の星神信仰をベースに様々な神仏が習合していったのではないか?ともいわれていますし、浜松周辺の「天白神社」は古代海や川があったであろう沼った場所や浜名湖周辺に多く、海や川を鎮める神様ではないかと感じています。 実際にこの遠江地方の「天白神社」や「天白社」をお参りしてわかったことは、現在も信仰されている方が多く、定期的にバザー的な行
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は一説では浜松市内で最も古い神社といわれる『蒲神明宮』をお参りしたとき(2022年8月14日)の記事です。 こちらの蒲神明宮、地元では「全ての願いを叶える神様」として知られているのですが、元々は千年以上も前に「蒲大神(かばのおおかみ)」を奉していたところに「神明宮」を勧請したそうです。そのため古来社殿はなかったといいます。 また『鎌倉殿の13人』をご覧になられていた方なら御存じかと思いますが、兄の源頼朝に対して忠義の人だったのに、ほんの小さなボタンの掛け違いから頼朝から将軍の座への野心を疑われてしまい、ついには伊豆の修善寺に流され殺されてしまう不幸な源範頼。 この範頼は地域に伝わる言い伝えによると、蒲御厨(かばのみくりや)で成人するまで過ごしたといわれ、幼少期はこちらの『蒲神明宮』に預けられています。 蒲神明宮『拝
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 千年以上の歴史がある式内社の一社、舞阪の氏神様『岐佐神社』を先月お参りさせていただきました。 御祭神はあの『古事記』の”因幡の白うさぎ”の次の段に、大国主命をよみがえらせた神様として登場する2柱の貝神です。貝の神様をお祀りしていることから水産・漁業の守り神として古来、漁民の信仰を集めてきたそうです。 さらに大国主命を復活させたことから病気平癒、身体健全、開運厄除、商売繁盛にもご利益があるとされています。また、境内に祭られている『赤猪石』の神話に因んで火傷や病気に関してもご利益があるとされ看護の神・蘇りの神ともいわれます。 『赤猪石』とは、古事記の中で大国主命の兄弟たちが山の上から麓に転がし落とした真っ赤に焼いた石、つまりは猪だと思い込んで大国主が全身で受けたとめたことで亡くなったとされる石です。拝殿左脇に置かれた注連縄
<こちらの記事はAmazon・楽天の本のPRを含みます> こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 天白信仰という言葉をお聞きになったことはありますでしょうか?最近私はこの天白信仰の分布がほぼ本州の東半分にみられる民間信仰だと初めて知りました。 しかもその分布は長野県・静岡県を中心として、三重県の南勢・志摩地方を南限、岩手県を北限として広がっているといいます。現在中部地方を中心に全国には122社の天白社があるといわれています。 ウイキペディアによると、”天白信仰の対象・内容が星神・水神・安産祈願など多岐にわたることから様々な研究・解釈が行なわれたが、1980年ころから伊勢土着の麻積氏の祖神天白羽神(あめのしらはのかみ、長白羽神の別名)に起源を求める説が紹介されることが多くなった。”とあります。 しかも天白信仰は一昔前はいろいろあるような「謎の神」の一つとして名
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りした古の神々を祀る遠江の神社は浜松市中央区白鳥町に鎮座する『六所神社』です。昨日グーグルの検索で見つかった「六所神社」は、市内になんと52社ありました。 2023年(令和5年)全国の神社数は約8万といわれ、静岡県には約3千社、浜松では天竜だけでも112社、市全体で487社とされています。( 令和5年版文化庁編 ) 2015年の「市区町村の面積ランキング」では、岐阜県高山市の2177.61㎢に次いで2位に輝く1558.06㎢の静岡県浜松市は、縦に長く海あり山あり湖ありで南北を端から端まで車で約3時間、歩いて1日以上(約25時間)かかる広さです。 今年の元旦に行政区が再編され7区から中央区、浜名区、天竜区の3区に変わりましたが、面積の広さは相変わらず2位をキープしています。 ただし、人口は2020年のデータによる
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 だいぶ遅れていると感じていた今年の紅葉。それでもそろそろいかが?と、紅葉を楽しみに四ツ池公園へ出かけた「勤労感謝の日」、なんとも神秘的な神社に出会ってしまったのでした。 偶然見つけてしまったのは、公園南側の住宅地にひっそりと鎮座する『奥の院八大龍王 秋葉神社』です。ウォーキングコースの一部だったこともあるこの地域、なぜ今まで気づかなかったのか?住宅地ゆえ足早に通り過ぎていたせいなのか? 全国各地で『新嘗祭』が行われるこの日に出会ったことには、何か理由があるのでは?と八大龍王様に感謝しつつ、いつものように日頃の感謝と世界平和をお願いし、隣の『秋葉神社』では火事が起きませんように!とかなり乾燥するこの季節ならではの現実的なお願い事もしてしまいました。 やはり、帰宅してからもずっと気になって仕方がない八大龍王様、ちょこっと調
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は浜松市民から通称「赤電」と呼ばれ親しまれている遠鉄電車の「さぎの宮駅」から歩いて7分でお参りできる『鷺之宮八坂神社』です。 『鷺之宮八坂神社』の創建は不明ですが、1611年(慶長16年)再建の棟札が残るとのことですから古社であることに間違いないでしょう。御祭神は須佐之男命(スサノオノミコト)と雨忍穂耳命(アメノオシホミミ)、境内の本殿左側には境内社『稲荷神社』があります。 興味深いのは維新以前は「鷺宮牛頭天王社」と称していたそうで、実際に境内社の『稲荷神社』前の石塔には「牛頭天王」の文字が刻まれています。 「さぎの宮?なんか聞いたことあるんだけど・・・」とおっしゃるあなた、それ正解です。というのも「さぎの宮駅」といえば、2022年に映画化されるほど話題になった駅なんです。 掲示板『2ちゃんねる』である方が「新浜松
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りした神社は、かつて池があり、この池の周りに松が生い茂っていたことから命名されたという浜松市中央区松小池町に鎮座する『松之浦神社』です。 聞いたことがありそうな、なさそうな名前だな思って『松之浦神社』と検索してみると、松小池町に鎮座するこちらの神社しか表示されませんでした。もしかしたら全国でも珍しい名前の神社かもしれません。 御祭神が正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)と、とてもなが〜いネーミングなのも興味深いですが、何よりも珍しいのが大きな石鳥居に飾られた「注連縄」です。かつて見たことのない形態で説明も難しいので、まずは載せてる写真を見てびっくりしてください。 神社の目の前には小さな公園のような『子供の広場』があり、ブランコ、滑り台、鉄棒などもあるようです。出かけたのが日
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の遠江の神社は、浜松市浜名区内野に鎮座する『内野神明宮』です。先日記事にした『六所神社』と同じく「延喜式神名帳」にある遠江国・長上郡『朝日波多加神社』と推定される神社です。 創建は不明ですが、御神木前の由緒書きによると、「江戸時代初期の1625年(寛永2年)正月15日の創建」とありますので、927年(延長5年)にまとめられた「延喜式神名帳」と呼ばれるものに記載されるのは、少し疑問ですが・・・。 不思議なことに、もう一つの参道入口の由緒書きには「朝日波多賀神社は宇治乃(内野)にあり神明社と称し天照大神を祀り長上都式内五座の一社なり」との記載もありますので、もちろんこちらの内野神明宮が「延喜式神名帳」に記載されている『朝日波多加神社』と推定されてもおかしくはない感じです。 いつの日か明らかになるのか?それとも不明のまま
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の古の神社は浜松医科大学病院東に位置する『六所神社』です。三方原台地の東麓に鎮座し社殿は東を向いており、江戸時代は六所明神と称していたとのことでかなりの歴史の深さを感じる神社です。 鳥居の扁額は『朝日宮』、鬼瓦には『朝』の文字が刻まれている 創建年代は不明ですが、1610年には現在の場所にあったと思われ、鎮座する場所はかつて朝日山と呼ばれ、今も鳥居や拝殿の瓦に「朝日宮(ぐう)」の文字が残り、「延喜式神明帳」(平安時代中期の927年(延長5年)成立の法制書)にある「朝日波多加(はたか)神社」と比定される根拠になっており、浜松市浜名区内野の『内野神明宮』と共に有力な候補地です。 地元では、新聞記事により「秋分の日」には東向きに立つ鳥居の真ん中を太陽が昇ってくることで知られるようになり、再び脚光を浴びているようです。また
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は、浜松のお隣の愛知県豊橋市石巻町にある石灰岩からなる標高358mの石巻山の中腹に鎮座する『石巻神社 』山上社(上宮)編です。前回は里宮社(下宮)でしたから。 『石巻神社 』山上社(上宮)が鎮座する石巻山には自然歩道が整備されているため、ハイキングやトレーニングで訪れる家族連れや元気なご年配の方などでにぎわっています。石巻山山頂からの景色は素晴らしく、お天気が良ければ富士山を見ることもできるそうです。 残念ながら石巻山山頂を目指したアラカン2人でしたが、途中の「石巻の蛇穴」でギブしてしまったため山頂の景色は見れなかったです。それでも、お天気が良かったおかげで山上社から眺めた豊橋市の景色もすばらしかったです。 鳥居をくぐり、苔むした階段を一段一段登り、木の根が絡む参道を進めた先に鎮座する『山上社』の佇まいは、あまりに
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お詣りしてきた古の神社は、今が柿の全盛期の愛知県豊橋市石巻町にある『石巻神社(いしまきじんじゃ)』です。 鬼祭りで知られる『石巻神社』は、社伝によれば第6代孝安天皇の頃とも、第33代推古天皇の時代に聖徳太子によって建立されたとも伝わりますが詳細は不明です。 ただ、文献として石巻神社が記載されている最古のものは、平安時代に日本で編纂された「日本文徳天皇実録で、851年(仁寿元年)に「三河國石纏神社」に「従五位下」の位を授けたとあるそうですので、その年には既にあったという古社です。 古くから東三河の大社として、人々の崇敬を集める豊橋市内唯一の式内社で、旧社格は郷社で三河国四宮とされます。 『石巻神社』は標高358mの石巻山の北麓の神郷地区に里宮社(下宮)が、中腹に山上社(上宮)があり、最近人気のハイキングで自然歩道を歩
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の遠江にある古の神社は浜松市浜名区貴布祢に鎮座する『貴布禰(きぶね)神社』です。ここ貴布祢という土地は、江戸時代後期から綿作地となって遠州織物産業の基礎を築いた土地だそうです。 『貴布禰神社』は、遠州鉄道浜北駅の北方向にある大きな浜松市浜北文化センター(現在臨時休業中)のすぐ西側に鎮座しています。 貴布祢という地名はもともとは「木船」から由来しており、この地は天竜川の支流が何本も流れる中州のような地形だったといいます。しかも、こちらの御祭神は本来は水や雨を司る神である「高龗大神」に由来する神なのですが、神社の名前に「船」ではなく「布」の字を使われているのは、ここが遠州織物の基礎を築いた土地という証を残そうとしたから生まれた地名とのことです。 また、こちらの『貴布禰神社』にもいつもこのブログに登場する、平安時代の征夷
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの地は、舘山寺から庄内半島を約2kmほど南下した場所(浜松市中央区庄内町)にある月見の名所としても知られる曹洞宗の名刹『藤谷山宿蘆寺(とうこくざんしゅくろじ)』です。 『宿蘆寺』は、室町時代の文正元年(1466年)にこの地にあった佐田城の城主、堀江下野守久実(ひさざね)の開基で、浜松普済寺より命天慶受(めいてんけんじゅ)和尚を迎え開かれたとされています。 実際にお参りしてみて感じたのは、かつては38カ寺にものぼる末寺を擁していたお寺の貫禄みたいなものです。江戸時代の1776年(安永5年)に建てられた堂々たる本堂や、趣のある山門、苔むした表参道から強くそれを感じました。 この宿蘆寺に残る家康に係わる伝承では、 家康が戦いに負け敵から逃れて浜名湖のほとりまで来るとあたりはすでに真っ暗になっていた。 一安
<こちらの記事はAmazonのPRを含みます> こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回ご参拝したのは浜松市浜名区根堅の『龍宮山岩水寺』境内にある『田村将軍神社』です。縁結び・勝運の神様といわれる征夷大将軍将軍「坂上田村麻呂公」をお祀りしています。 こちらのブログには何度も登場している平安時代に蝦夷討伐で活躍した武将「坂上田村麻呂公」。 遠江にもいくつかの伝説が残されていますが、中でも坂上田村麻呂が玉袖姫という美しい女性と結ばれたという伝説から、『田村将軍神社』は昔から”縁結びの神様”と言われている一方、蝦夷討伐で勝利を収めた武将ということで”勝運に御利益がある”とされています。 境内を掃除する、ゴミを持ち帰ることにより、将軍様が感謝し、お地蔵様(玉袖姫)が良縁を恵んでくださると言われているようですし、神聖な場所ということを忘れずあまりカジュアルな服装に
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りしてきた神社は浜松市浜名区細江町に鎮座する『蜂前(はちさき)神社』です。 蜂前神社は、およそ1700年前に建てられた神社。三方原から祝田(ほうだ)の坂を下ったところに鎮座する古社です。 この場所は『三方原の戦い』で武田軍が徳川軍を待ち伏せしたといわれる場所です。家康もこの蜂前神社に必勝祈願に訪れたといいます。 数年前放送された大河ドラマ『おんな城主直虎』人気で、放送当時はたくさんのファンが訪れたと聞きます。というのも、『蜂前神社』が井伊直虎の花押のある唯一の古文書「井伊直虎関口氏経連署状」を所蔵しているからでしょう。 現在は浜松市博物館に保管されている古文書ですが、『蜂前神社』拝殿の中には直虎の花押が記された徳政令の受け入れを記した書「井伊直虎関口氏経連署状」のコピーが額に入れられ展示されています。 ちょっと
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は浜名区於呂に鎮座する、ゆったりと広い静寂な空間を味わうことができる『於呂神社』をお参りしてきました。 『於呂神社』の創建は明らかではありませんが、平安時代から鎮座していたと伝わる古社です。長谷神社、若倭神社、尾野高根神社とともに麁玉郡4座の中の一社と「遠州風土記」にも記載がされているそうです。 境内の南方には、刀剣ほかが出土した径23.8m、高さ3.9mの大型円墳の『於呂神社古墳』があります。 平安時代から鎮座していたと伝わる古社『於呂神社』と於呂神社遺跡 於呂神社 《アクセス》 於呂神社とは? 御祭神 天津日高日子穂穂手見命とは? お参りしていきましょう 手水舎と御神木 拝殿と社務所 狛犬 於呂神社末社『境内八幡神社』 鳥居と参道 於呂神社古墳 御馬が池跡 最後に 於呂神社 鎮座地:静岡県浜松市浜名区於呂352
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 ”電車が鳥居の上を走る!”という驚きの写真が、Xやインスタグラムにアップされているのを見るたび、一度でかけてみたいと感じていた天竜浜名湖線の西鹿島駅の北に鎮座する『椎ヶ脇神社(しいがわきじんじゃ)』先日(4月16日だけど)やっとでかけることができました。 境内へ向かう石段を登れば、運が良ければうわさの鳥居の上を電車が通過する風景をこの目に収めることができると思うとワクワクでした。 もう一つ興味津々なのがあの「清水寺」を建立した坂上田村麻呂、平安時代の征夷大将軍として蝦夷討伐に功績を残したことは有名ですが、東征の途中あちこちの土地で寺社の縁起などの伝承を残しているらしく、東北はもちろん関東や近江、中国に駿河、そしてここ遠江にも残されています。 浜松市内に鎮座する『有玉神社』『白華寺』『高貴神社』などと同様に、こちらの『椎
🕖2024/09/20 🔄2024/10/10 こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は私が年に3度以上はお参りしているとても身近な神社、静岡県浜松市中央区上島に鎮座する『高貴(たかぎ)神社』を改めて調べていきたいと思います。 こちらの『高貴神社』は公民館が併設されているため、選挙の投票所にもなっていて親しみやすいです。 また子どもたちが遊べるようにちょっとした遊具もある児童公園になっていて、いつ出かけてもにぎやかです。聞くところでは公民館でカルチャーセンター的な行事も多く開かれているようです。 境内には大きな銀杏の木が2本かな?あり、冬の到来が遅い遠江での紅葉の時期12月になると、きれいな黄色に変わるイチョウに癒されて年末の忙しさもまぎれます。 浜松といえば浜松まつりが有名ですが、敷地内には凧の置き場があるそうですが見たこことないですし、かつ
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 平安以前から伊勢神宮の御厨として発達した浜松市の都田(みやこだ)は、浜松中心部から車で約40分、都田川沿いには田園、北側にはミカン畑が広がる自然豊かな地域です。 そんな都田に鎮座する『須倍神社』は、「蒲神明」(浜松市大蒲町)、「鎌田神明」(磐田市鎌田)とともに、遠江三神明の一社に数えられており、創建は887年と古く、伊勢神宮の御厨である都田に神宮を勧請したものと伝わる歴史の重みを感じる神社です。御厨とは、地域の特産品を納める代わりに税を免除される神社の直轄地、あるいは荘園ということのようです 伊勢神宮同様に須倍神社も当初は内宮と外宮に別れていたそうですが、別々の場所に鎮座していた内宮と外宮の両社が現在地に移ったとのこと。神明づくりの社殿は神々しく、珍しいことに拝殿には内宮と外宮の賽銭箱が2つ並んでいます。 天照大御神は
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は前回の『砥鹿神社本宮』に続き、神代より大神様が鎮まる霊山標高789mの『本宮山』、各所には古代祭祀遺跡が点在することから砥鹿神社の創祀と考えられる『砥鹿神社奥宮』について深堀りしていきたいと思います。 三河国内の筆頭神社一之宮として知られるパワースポットで、縁結びの神様としても有名です。東三河の平野にそびえたつ本宮山山頂の奥宮へ、今も昔も砥鹿の大神の御神徳を慕って登拝する人々が年中絶えることなく、片道2時間以上をかけてのハイキング登山も人気で、週末には100人以上が訪れると聞きます。 本宮山山中には磐座、山麓には古墳群の分布も知られることから、古代から山自体を御神体として信仰する山岳信仰の対象であったと考えられているので、古の磐座信仰にあこがれを持つ人々には絶好のハイキング登山になることでしょう。 ただ、私のよう
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの神社は、愛知県豊川市に鎮座する三河一之宮の『砥鹿神社里宮』です。 戦国時代の永禄年間、砥鹿神社付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されたところに、家康が寡勢で救援に駆けつけ多勢の今川軍を蹴散らし、こちらの『砥鹿神社』に宿陣したとも伝わります。また1602年(慶長7年)には、家康より朱印領として百石の寄進を受けたといいます。 背の高い欅や楠の木々が茂る鎮守の杜は、日頃何かと煩わしい暮らしの中で忘れてしまいそうな呼吸をしっかりした正しいものに変えてくれそうな神社です。 また、特記しておきたいのが、石座神社(いわくらじんじゃ/愛知県新城市大宮字狐塚14)にも境内社として鎮座していた『アラハバキ神社』、こちらにも鎮座しています。やはり縄文時代から連綿と信仰され続けたアラハバキ神が
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回ご参拝した神社は、袋井市最大の神社・静岡神社庁指定は最上等級という、なんとも長い名前で名誉ある『赤尾渋垂郡辺(あかべしぶたれこうりべ)神社』です。 袋井といえば、日本の伝統的な夏の風物詩の「風鈴」をモチーフに「遠州三山 風鈴まつり」で盛り上がっている「法多山・可睡齋・油山寺」を思い浮かべる方も多いでしょう。かくいう私も初詣や紅葉狩りで訪れるのは決まって「法多山」か「可睡斎」で、失礼ながらこちらの『赤尾渋垂郡辺神社』は全く存じあげませんでした。 先日家康ゆかりの『許禰神社』を訪ねた際の下調べ中に、いきなりネット上に現れた神社で、とても長い神社名が気にかかりました。こちらの神社ですが、合祀・境内社合わせてですが、なんと19柱もの神様をお祀りしているのです。 これは、最近のマイブーム「古事記」や「日本書紀」の勉強になりそ
🕖2024/08/21 🔄2024/12/20 こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの神社は、静岡県袋井市木原の『許禰神社』です。昔、大雨に悩まさていた村を救うため、熊野神社の神の使いが現れ、「神社を作りなさい」と促され『木原権現』(現在の許禰神社)が誕生したという伝承が残される神社で、御祭神は伊弉諾命です。 許禰神社には「徳川家康御座石」も残されたおり、家康公がこの宮に参詣したことが証明されていますし、関ヶ原の戦いの勝利を祈願し、心願成就して70石の所領を与えたとの記録も残っているそうです。 また、境内には『木原畷古戦場』の石碑が残るように、あの家康公の唯一の負け戦として知られる『三方ヶ原の戦い』の戦いの前、甲斐から信濃へと領地を広げた武田信玄が遠江や三河など徳川領への侵攻を開始し、徳川方の城を次々と落とし本陣を張った場所が木原
<こちらの記事はPRを含みます> こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りしたのは、静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷(いいのや)にある杉の大木に囲まれた『渭伊神社(いいじんじゃ)』です。 こちらの『渭伊神社』は、創建は不詳とされる式内社ですが、引佐郡六座のうちの一社で、古代から井伊谷の産土神として崇敬が厚い神社で、神宮寺川と井伊谷川によって形成された小さな盆地(井伊谷/縄文時代からの歴史を持つ土地)の北西部に位置しています。 神社の奥には古墳時代から鎌倉時代までの巨岩祭祀遺構の『天白磐座遺跡』が広がります。森の中には大きな岩や小さな岩が点在し、古代の神秘的な雰囲気をたっぷりと味わうことができます。また、大河ドラマの撮影でも使われたことがあります。 磐座と聞いて思い浮かぶのは、縄文時代中期の龍の女神信仰、つまりは古代出雲族・蝦夷の巨石に宿る龍神「アラハ
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は徳川家康にゆかりもあり、古代の磐座が起源とされる愛知県新城市にある『石座(いわくら)神社』です。天の中心に存在するという『天之御中主尊』、穀物神として『天稚彦命』を祀っています。 織田信長と徳川家康の連合軍が、戦国時代最強といわれた武田軍、信玄の息子である武田勝頼を倒した『長篠・設楽原の戦い』。この歴史を変えたともいえる決戦を前に織田信長・徳川家康が、こちらの『石座神社』に戦勝祈願したと伝わるそうです。 さらに、『天稚彦命(あめのわかひこのみこと)』を祀る神社はあまり多くないようで興味深いですし、摂社2社、さらに10社もの末社があり、中でも神社の門におかれた客人神(まろうどかみ)として祀られるケースの多い『荒波婆岐(あらはばき)社』には縄文時代のノスタルジーを感じます。 徳川家康にゆかりの『石座神社』を訪ね、古代
こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりのお寺は、浜松市天竜区山東にある『金光明山光明寺(こうみょうじ)』です。 奈良時代に行基が密教修験の地として開創したと伝わる名刹で、北遠三霊山のひとつ。標高540mある光明山にある曹洞宗の寺院です。ご本尊の三満虚空蔵菩薩は行基作と伝えられます。 大黒堂には木造では国内最大級の高さ約2.3mの金ぴかの大黒天像があり、開運福寿、商売繁盛などの御利益があるといわれています。 また、1575年(天正3年)武田勢の襲来を知った光明寺の住職が家康に知らせ、追討できたという伝承も残されています。 思いのほか、広い境内では春から夏は青もみじが楽しめますし、春と秋(11月下旬)に花を咲かせる四季桜が約20本あり、紅葉のシーズンは桜とモミジの共演が楽しめ、四季を通じて美しい景色を楽しめるのが魅力です。 ただ、ここ数年の夏
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 箱根山中からの湧き水が流れる滝と川を見られるパワースポットで、県外からもたくさんの方が訪れると聞く『瀧川神社』です。特に興味深いのは、こちらの御祭神が瀬織津姫(せおりつひめ)であるということです。 瀬織津姫といえば、全国で多くの神社で祀られ、スピチュアルな世界では大人気の神さまで、弁財天・市杵島姫命が重ねられることがよくあります。 また、瀧川神社の滝は、近くにある『白糸の滝』ほどの高さや幅のある滝ではありませんが、風情溢れる滝で心が癒されますし、狭い道沿いの野菜が育てられている畑の奥にあるとは思えないほどの歴史とロマンを感じます。 三島市原ノ谷に鎮座する『瀧川神社』瀬織津姫へのあこがれと感謝を込めての巡礼 瀧川神社 《アクセス》 由緒 瀧川神社の『周辺の言い伝えマップ』 鳥居 拝殿 手水鉢 最後に 瀧川神社 場所:静岡
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 お金を貸してくれる上に、担保として持病を持ち去ってくれる神様を御存じでしょうか?そんな都合の良い神社が実は浜松市天竜区二俣にあります。その名を『金貸水神社』といいます。 椎ケ脇神社のご案内によると『金貸水神社』のキャッチコピーは、『お金を借りて病全快、鹿島を見守る水神様』だそうです。 つまり、”借用証文に病名を書いて奉納すると、借金ではなく抵当の病気が返済されるという、ほかに類を見ない珍しい言い伝えがある”(椎が脇神社氏子総代会)のがこちらの『金貸水神社』なんです。 では、さっそく、深堀りしながらお参りしていきましょう。 浜松市天竜区二俣の『金貸水神社』での借金と病気の取引 金貸水神社 《アクセス》 金貸水神社 歴史 権三郎の言い伝え 最後に 金貸水神社 場所:浜松市天竜区二俣町鹿島 《アクセス》 電車:バス:遠鉄電車
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