サクサク読めて、アプリ限定の機能も多数!
トップへ戻る
大そうじへの備え
www.sannigo.work
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りしてきた神社は浜松市浜名区細江町に鎮座する『蜂前(はちさき)神社』です。 蜂前神社は、およそ1700年前に建てられた神社。三方原から祝田(ほうだ)の坂を下ったところに鎮座する古社です。 この場所は『三方原の戦い』で武田軍が徳川軍を待ち伏せしたといわれる場所です。家康もこの蜂前神社に必勝祈願に訪れたといいます。 数年前放送された大河ドラマ『おんな城主直虎』人気で、放送当時はたくさんのファンが訪れたと聞きます。というのも、『蜂前神社』が井伊直虎の花押のある唯一の古文書「井伊直虎関口氏経連署状」を所蔵しているからでしょう。 現在は浜松市博物館に保管されている古文書ですが、『蜂前神社』拝殿の中には直虎の花押が記された徳政令の受け入れを記した書「井伊直虎関口氏経連署状」のコピーが額に入れられ展示されています。 ちょっと
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は浜名区於呂に鎮座する、ゆったりと広い静寂な空間を味わうことができる『於呂神社』をお参りしてきました。 『於呂神社』の創建は明らかではありませんが、平安時代から鎮座していたと伝わる古社です。長谷神社、若倭神社、尾野高根神社とともに麁玉郡4座の中の一社と「遠州風土記」にも記載がされているそうです。 境内の南方には、刀剣ほかが出土した径23.8m、高さ3.9mの大型円墳の『於呂神社古墳』があります。 平安時代から鎮座していたと伝わる古社『於呂神社』と於呂神社遺跡 於呂神社 《アクセス》 於呂神社とは? 御祭神 天津日高日子穂穂手見命とは? お参りしていきましょう 手水舎と御神木 拝殿と社務所 狛犬 於呂神社末社『境内八幡神社』 鳥居と参道 於呂神社古墳 御馬が池跡 最後に 於呂神社 鎮座地:静岡県浜松市浜名区於呂352
🕖2024/09/20 🔄2024/10/10 こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は私が年に3度以上はお参りしているとても身近な神社、静岡県浜松市中央区上島に鎮座する『高貴(たかぎ)神社』を改めて調べていきたいと思います。 こちらの『高貴神社』は公民館が併設されているため、選挙の投票所にもなっていて親しみやすいです。 また子どもたちが遊べるようにちょっとした遊具もある児童公園になっていて、いつ出かけてもにぎやかです。聞くところでは公民館でカルチャーセンター的な行事も多く開かれているようです。 境内には大きな銀杏の木が2本かな?あり、冬の到来が遅い遠江での紅葉の時期12月になると、きれいな黄色に変わるイチョウに癒されて年末の忙しさもまぎれます。 浜松といえば浜松まつりが有名ですが、敷地内には凧の置き場があるそうですが見たこことないですし、かつ
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は前回の『砥鹿神社本宮』に続き、神代より大神様が鎮まる霊山標高789mの『本宮山』、各所には古代祭祀遺跡が点在することから砥鹿神社の創祀と考えられる『砥鹿神社奥宮』について深堀りしていきたいと思います。 三河国内の筆頭神社一之宮として知られるパワースポットで、縁結びの神様としても有名です。東三河の平野にそびえたつ本宮山山頂の奥宮へ、今も昔も砥鹿の大神の御神徳を慕って登拝する人々が年中絶えることなく、片道2時間以上をかけてのハイキング登山も人気で、週末には100人以上が訪れると聞きます。 本宮山山中には磐座、山麓には古墳群の分布も知られることから、古代から山自体を御神体として信仰する山岳信仰の対象であったと考えられているので、古の磐座信仰にあこがれを持つ人々には絶好のハイキング登山になることでしょう。 ただ、私のよう
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの神社は、愛知県豊川市に鎮座する三河一之宮の『砥鹿神社里宮』です。 戦国時代の永禄年間、砥鹿神社付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されたところに、家康が寡勢で救援に駆けつけ多勢の今川軍を蹴散らし、こちらの『砥鹿神社』に宿陣したとも伝わります。また1602年(慶長7年)には、家康より朱印領として百石の寄進を受けたといいます。 背の高い欅や楠の木々が茂る鎮守の杜は、日頃何かと煩わしい暮らしの中で忘れてしまいそうな呼吸をしっかりした正しいものに変えてくれそうな神社です。 また、特記しておきたいのが、石座神社(いわくらじんじゃ/愛知県新城市大宮字狐塚14)にも境内社として鎮座していた『アラハバキ神社』、こちらにも鎮座しています。やはり縄文時代から連綿と信仰され続けたアラハバキ神が
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回ご参拝した神社は、袋井市最大の神社・静岡神社庁指定は最上等級という、なんとも長い名前で名誉ある『赤尾渋垂郡辺(あかべしぶたれこうりべ)神社』です。 袋井といえば、日本の伝統的な夏の風物詩の「風鈴」をモチーフに「遠州三山 風鈴まつり」で盛り上がっている「法多山・可睡齋・油山寺」を思い浮かべる方も多いでしょう。かくいう私も初詣や紅葉狩りで訪れるのは決まって「法多山」か「可睡斎」で、失礼ながらこちらの『赤尾渋垂郡辺神社』は全く存じあげませんでした。 先日家康ゆかりの『許禰神社』を訪ねた際の下調べ中に、いきなりネット上に現れた神社で、とても長い神社名が気にかかりました。こちらの神社ですが、合祀・境内社合わせてですが、なんと19柱もの神様をお祀りしているのです。 これは、最近のマイブーム「古事記」や「日本書紀」の勉強になりそ
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は徳川家康にゆかりもあり、古代の磐座が起源とされる愛知県新城市にある『石座(いわくら)神社』です。天の中心に存在するという『天之御中主尊』、穀物神として『天稚彦命』を祀っています。 織田信長と徳川家康の連合軍が、戦国時代最強といわれた武田軍、信玄の息子である武田勝頼を倒した『長篠・設楽原の戦い』。この歴史を変えたともいえる決戦を前に織田信長・徳川家康が、こちらの『石座神社』に戦勝祈願したと伝わるそうです。 さらに、『天稚彦命(あめのわかひこのみこと)』を祀る神社はあまり多くないようで興味深いですし、摂社2社、さらに10社もの末社があり、中でも神社の門におかれた客人神(まろうどかみ)として祀られるケースの多い『荒波婆岐(あらはばき)社』には縄文時代のノスタルジーを感じます。 徳川家康にゆかりの『石座神社』を訪ね、古代
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の遠江の神社・仏閣は地元の人々から「お薬師様」や「赤池さん」として親しまれている地域では数少ない黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院『白華寺(はっかじ)』です。 浜松市中央区にある『白華寺』は伝承での創建は794年(延暦13年)と古く、ご本尊は薬師如来です。参道脇の『放生池』には金運招福弁財天が祀られており、また境内入り口に『俊光将軍誕生の旧蹟』と書かれた碑が建っています。 以前アップした『有玉神社』の記事に、坂上田村麻呂と赤蛇神との間にできた俊光公を祀っている有玉神社内の『俊光将軍社』が登場します。この俊光公が産湯を使ったと伝えられている『赤池』が境内にあり、山号の由来となり『赤池山白華寺』となったとのことです。 本堂の奥にある階段を登ったところには『江馬加賀守平時成之墓・江馬殿松』があります。境内の案内板にも”江馬加
<こちらの記事はPRを含みます> こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 2024年のゴールデンウイークは、浜松ならではの『浜松まつり』もお酒解禁の通常スタイルに戻っての開催だったことと、お天気にも恵まれてたくさんの人手でにぎわったようです。とはいえ、GWも過ぎてとっくに6月も終わろうとしていますが・・・。 私のGWは通常の週末と同じように神社・仏閣をいくつかお参りしていました。今回は安産祈願で知られる浜松の名所『岩水寺(がんすいじ)』を紹介していきたいと思います。 岩水寺は、静岡県浜松市浜北区にある高野山真言宗別格本山の寺院で、山号は龍宮山です。地元では「家をまもるは岩水寺」と呼ばれ、古くから親しまれています。 一打100円で鐘をつくことができる鐘楼や、駐車場付近の小さな大仏などはお子様でも興味を持ってくれそうです。というのも、こちらの『岩水寺』、そもそも
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回訪ねた徳川ゆかりの神社は静岡県焼津市の『焼津神社』、焼津駅から歩いて13分と市街地にある神社ですが、広大で近代的な境内が印象的、なんと自動でお水が出る大きな手水鉢が2カ所もあります。ほとんど車で出かけるので駐車場が広いのはありがたいです。 焼津神社は、『駿河国風土記』によれば西暦409年の創建といわれ、1600年以上の歴史を持つ神社で、古来「入江大明神」と称されます。 焼津は古くから多くの古墳が発掘された歴史的重要拠点でもあり、現在はマグロやカツオなどの国内屈指の漁港としても有名、近くの「焼津魚センター」は私が出かけた平日でも観光バスが3台も入り、大いににぎわっていました。 さすがに漁業の町の神社ですから、元旦の『大漁祈願祭』には1月1日早朝から3日間拝殿前には数十本の大漁の大幟(おおのぼり)が立てられるそうです。
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の古の神様を祀る神社は、静岡県磐田市中泉御殿に鎮座する『遠江國 府八幡宮』です。 八幡宮は勝利をもたらす神として全国に4万社以上あるそうですが、「首都の八幡さま」という意味の『府八幡宮』の名は全国に例がないといわれます。 このお宮がある『御殿』という町は、徳川家康がこの地に御殿を建てたことで知られます。そのことが町名の由来ですが、遠い奈良時代には国の庁舎が置かれた由緒ある土地柄です。 先日静岡県知事が「浜松より磐田の方が民度が高い・・・」などとおっしゃり注目を浴びた通り、やはり歴史的にみると古の頃は遠江の中心は磐田だったのですから満更間違っているわけではないのです。ただ、言い方がねーってことかしら? この御殿周辺に人が住み始めたのも遅くとも紀元前5世紀から3世紀にかけての弥生時代といわれ、すでに米を作って暮らす人々
<こちらの記事はAmazonのPRを含みます> こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先日さわやかウォーキングの地中で訪ねた遠江の神社は、磐田市見付にある見付天神『矢奈比賣(やなひめ)神社』です。 矢奈比賣神社は、平安時代の文献「延喜式」にも記載されている古社であり、見付天神とも呼ばれ、地元の人からは「見付のお天神様」と親しまれています。 東海随一の学問の神様として崇敬され、県内外からもたくさんの参拝客が訪れます。特にサッカーやラグビーファンの間では全国的に愛されている磐田市のイメージキャラクターのかわいらしい「しっぺい」。 この「しっぺい」のモデルである霊犬しっぺい太郎の伝承が残る神社として有名で、鳥居の横ににしっぺい太郎像があります。 ちょうど今週末くらいには咲き始めるのでは?と期待される約200本の桜が楽しめる「つつじ公園」は、この見付天神の北側の森
<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の遠江の神社は、市内を見下ろす高台に鎮座する賀茂真淵をお祀りする『縣居(あがたい)神社』です。高台にあり景色も良いので、さわやかウォーキングの際にはお参りの前にたくさんある石碑の説明板を読みながら一服することもあります。 というのも、鳥居にたどり着くまで急な坂道でかなりしんどいので、鳥居をくぐってから一休みしないと前に進めない感じだからです。境内は決して広くありませんが、裏にある「賀茂真淵記念館」も見学すると知らず知らずに結構な時間が経ってしまいます。 縣居神社境内から見る浜松市内 『縣居神社』でお祀りする賀茂真淵は、、遠江国敷智(ふち)郡浜松庄伊庭(いば)村(現在の浜松市中央区東伊場)に岡部政信の三男として生まれます。 岡部家は賀茂神社の末社の神職を代々務める旧家でした。たったの10歳の時に杉浦
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は静岡県浜松市浜名区のみかんがおいしい三ケ日の尾根にあり、縄文時代の人骨が発見された『只木遺跡』にほど近い場所にある『神明宮』をお参りしてきました。 この『神明宮』、実は調べているときからかなり興味津々だったのです。というのも、調べているときのこちらの名称はただの「神明宮」だったから。普通「〇〇神明宮」とか〇〇がつきませんか?ただの『神明宮』なんて!きっと何かしらの歴史が隠されているんじゃないの?って思ってしまったからなのです。 ところが、家でゆっくりとグーグルマップで調べると、しっかりと『只木神明宮(式内社 彌和山神社)』と出てくるじゃありませんか?まあ、けっきょくたどりついてお参りできたので”良し”としましょう。 こちらの『神明宮』実際に出かけてみて感じたのは、本当に静謐といいますか、すごく静かで安らかな空間で
<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先日地震・災難消除のありがたい神様として信仰の深い『細江神社』でお参りしたあとに見つけたのが、細江神社のお隣にある『姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館』です。 銅鐸(どうたく)や、歴史の道「姫街道」(本坂道/ほんざかみち)の関所がおかれた旧細江町付近の歴史や現在を紹介している資料館です。 以前は有料だったかも?ですが、現在は無料だというのに床はぴかぴかですし、細江神社の由来でもある藺草(いぐさ)のことや当時の暮らしなど、さらに銅鐸のことも詳しく知ることができます。本当に無料なのが申し訳ないくらい充実した展示物が並んでいます。 大河ドラマ『どうする家康』の影響で戦国時代のみにはまっていた私ですが、最近はタモリさんの影響でしょうか、コンビニよりも多いという遺跡や古代史に興味津々なのです。 浜名湖周辺で、約26個
<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 おいしい”三ヶ日みかん”で知られる静岡県浜松市浜名区三ヶ日は、浜名湖北岸にある地区ですぐお隣は愛知県という県境の自然豊かな町です。 この三ヶ日は、実はみかんだけでなく、縄文時代初期から三ヶ日人が居住し、江戸時代には本坂通(姫街道)の宿場町『三ヶ日宿』があり東海道の脇道として女性が多く往来していたと聞きます。 今回訪れた『濱名惣社神明宮(はまなそうしゃしんめいぐう)』辺りは平安から鎌倉時代にかけて伊勢神宮の神領であった事から、この辺りには「浜名七神明」など、非常に興味深い伊勢神宮ゆかりの神社がたくさんあり、三ヶ日全体が深い歴史を感じさせてくれます。 創建からは1000年以上、伝説をたどると2000年近くの歴史を持つと思われる『濱名惣社神明宮』は昔からの伝承によると、伊勢神宮が現在の三重県伊勢市へ遷る前に
<PRを含みます>こんにちはsannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先日お参りさせていただいた静岡県浜松市浜名区三ケ日町にある、機織りの神様「天棚機姫命(アメノタナバタヒメノミコト)」をお祭りする『初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)』での感動したおみくじのお話です。 二礼二拍手一礼で「世界が平和になりますように!」と、普通にお参りした後に見つけた”布を丸めたおみくじ”のことです。「これってどこにおみくじがあるんだろう?」という素朴な疑問を持って、2024年初めてのおみくじを選ばせていただきました。 くるくると巻かれた布を開くと、そこにはあまりにも感動的なおみくじが挟まれていたのです。和紙なのかな?ちょっと厚めの紙にはなんと丁寧な手書きで「吉」という文字と、”人生に楽しみが増す 干し柿 白 南東”と書かれていたのです。 60年以上生きてきて初めての体験でした。昭和世代「効率!
<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りさせていただいた遠江の神社は浜松市中央区にある県内で唯一『志那都比古神(しなつひこのかみ)』と『志那都比売神(しなつひめのかみ)』を祀る神社『息(おき)神社』です。 奈良時代からと1500年以上の歴史のある古社で、3月初牛日近くの日曜に行われる「田遊祭(たうたさい)」は有名で開催時には毎度地元の新聞記事になります。 また、すぐ東側にある『中村家住宅』で徳川家康の次男結城秀康が産まれたことから産土神となり、徳川家との縁があるようです。 こちらに伺ってまず目を引いたのが、アイキャッチ画像をみていただければわかる「不思議なモニュメント」のような『手水舎』です。 最近歴史に興味津々で検索しまくりの全国の神社の写真でも「三柱鳥居」などのような異形の鳥居はよく見かけますが、”手水舎といえば龍”というイメ
<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 先回の記事で訪ねた地震の厄除けとしても知られる『細江神社』、古くは牛頭王社と呼ばれ、今も地元の人々に『気賀のお天王さま』と呼ばれ親しまれていた細江神社の境内にあるのが、今回ご紹介する『藺草神社』です。 宝暦4年の大震災で海水に浸かり作物が採れなくなって困ってしまった気賀の復興につとめた気賀六代近藤縫殿助用随(ぬいどののすけもちゆき)をたたえて造られたのが、この『藺草神社』です。近藤氏は井伊家にも被官し、家康の遠江侵攻を助けた「井伊三人衆」の一人です。 この近藤用随は、豊後(ぶんご/現在の大分県)特産の琉球藺(りゅうきゅうい)の移植に成功、後にこの琉球藺を使った畳表の製織は浜名湖岸で暮らす冬の農家の副業として、さらに遠江地方であんだ畳表(たたみおもて)は『遠州表』として知られるようになり、この地域をを潤
<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回訪ねた遠江の神社は、静岡県浜松市浜名区細江町気賀にある500年以上の歴史があるという古社『細江神社』です。 この『細江神社』は古くは『牛頭天王社』と呼ばれ、今も地元の人々から「気賀の天王さま」と呼ばれ親しまれ”地震の厄除けの神様”として人気があると聞きます。 『細江神社』の由緒は非常に珍しく、浜名湖と海がつながった「明応の大地震」にあります。というのも、現在「新居関所」がある浜名郡新居町にあった『角避比古神社(つのさくひこ)』から流れ着いた御神体を祀ったのがこの『細江神社』の始まりなんです。 『細江神社』の参道から境内は樹齢数百年以上もありそうな大木が立ち並び、うっそうとした鎮守の森が続いていてとても心が落ち着く感じです。中でも「夫婦楠」は存在感があります。 また、遠江のいたるところには数多くの様
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回は、幕末最後の浜松城主・井上河内守正直の下屋敷の門が静岡県浜松市浜名区の貴布祢(きぶね)にあると聞き、ぷらぷらと貴布祢周辺を歩いて自然を満喫してきました。 まずは、室町時代に真言宗の寺院として創建され、後に臨済宗方向寺派へと改宗した御本尊は釈迦如来という寺院『白雲山長泉寺』、こちらの山門が幕末最後の浜松城主の下屋敷の山門だそうです。 そして、最近いにしえの神々に興味津々なため、ぜひお参りしてみたいと思っていた『須佐之男(スサノオ)神社』、もちろん御祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)です。 では、まず『白雲山長泉寺』、続いて『須佐之男神社』をリポートしていきましょう。 臨済宗方向寺派『白雲山長泉寺』 白雲山長泉寺 《アクセス》 山門 山門の由来 十王堂 十王の由来 須佐之男神社 《アクセス》 須佐之男命って? 秋葉
<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回訪ねた地元のお寺は、遠江新貝(静岡県磐田市新貝)にある曹洞宗の『三白山連城寺』です。 裏山にこんもりとした稲荷山古墳と、秋葉山古墳をいただく『連城寺』は、平安末期の武将平清盛の長男で遠江守だった平重盛が、1179年(治承3年)天台宗の寺院として建立しました。 その後、江戸時代に、中泉代官大草太郎左衛門政信が荒れた寺を曹洞宗の寺として再興したと寺伝に伝わります。 連城寺周辺の丘陵部には大小の古墳が点在し、中でも南側にあった経塚古墳(明治初期に消滅)からは、あの卑弥呼や邪馬台国論などで騒がれている『三角縁四神四獣鏡(さんかくぶちししんしじゅうきょう)』が、明治19年に出土しています。 中高年の大河ドラマ好きな皆さまならよくご存知の平清盛は、専制をもって強引に平家の政権を樹立したため、多くの人から恨みを
<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回ご紹介する遠江の神社は、磐田の中泉にある『鹿宛神社(ろくおん)』とお隣の『連福寺』です。磐田市の中心部である中泉は、約1250年前の奈良時代には聖武天皇の勅願でなんと高さ66mの「七重の塔」まである『国分寺』が建てられた遠江の中心でした。 縄文・弥生さらに古墳時代には600基以上の古墳がつくられていたとし、2万年も前から人が住み始めたといわれます。さらに、奈良時代にはここ中泉に国府が置かれ、戦国時代には徳川家康が御殿がつくり趣味の「鷹狩り」を楽しみ、江戸時代にも陣屋がつくられた場所です。 そんな中泉の住宅街の佇む『鹿苑神社』は遠江国の二之宮とも言われる神社で、ここ二之宮の地名のいわれともなった式内社です。鹿宛神社の北側は『連福寺』と隣接する旧郷社で、創祀1600年といわれる古社です。 遠江国二之宮
こんにちは sannigoです。いつもありがとうございます。 いろいろと胸が痛む出来事が重なる幕開けとなってしまった2024年です。被害に遭われた皆様に心よりのお見舞いと一日も早い復旧をお祈りします。 新聞広告で知った災除道開(さいよけみちひらき)の神として広く崇敬を集める『曽許乃御立神社』が、調べてみると地震を起こす大ナマズを要石の下に押さえつけ地震を起こさせない”地震封じ”の神としても慕われていると知り、今年の初詣はこちらの『曽許乃御立神社』に決めたのでした。 静岡県浜松市西区呉松町に鎮座する『曽許乃御立神社(ソコノミタチジンジャ)』は、地元では「お鹿島さま」の名で親しまれる”災除道開”の神社です。1200年以上の昔、奈良時代の767年(神護景雲元年)より武甕槌命(タケミカヅチノミコト)をお祀りする由緒正しき式内社です。 御祭神の武甕槌命は、神話『国譲り』の成就に貢献し日本の建国に尽力
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回ご紹介する地元の神社・仏閣は、静岡県磐田市城之崎にあり千年の歴史を持つ古刹『風祭山福王寺』です。 『福王寺』は真言宗高野山の末寺として734〜748(天平6〜20年)聖武天皇の勅命により行基菩薩がこの地を訪れ薬師如来の霊験ありとし、御本尊として祀ったのが始まりと伝えられています。 遠州三十三観音霊場めぐりの18番札所だからでしょうか?紅葉の時期だったからでしょうか?訪れた12月初旬はかなりの人で賑わっていました。 なんと!平安時代の984年(永観2年)開創当時に、福王寺での陰陽師安倍晴明の御祈祷によりとてつもなくなかなか治まらなかった暴風雨が鎮められ、以来山号も「風祭山」と称するようになったそうです。その時の御祈祷の旧跡が境内の西の小高い処に今も苔むして残り、毎年3月8日に風祭りの行事がおこなわれていると聞きます。
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの地は静岡県磐田市鎌田の『鎌田神明宮』です。鎌田神明宮が武田信玄に焼き討ちにあった際には、徳川家康によって手厚い寄附を受け復興したといいます。 また、武士からの崇敬も厚く、横須賀城主や旗本松平氏からの寄進札や絵馬が残っているそうです。 最近気づいたのですが、たしかに徳川家康が29歳から45歳まで過ごしただけあって浜松にもゆかりの場所はたくさんあります。 ですが、お隣の磐田はなんといっても石器時代、縄文時代から人々が生活していた場所です。家康が活躍する時期にはすでに援助が必要な寺社も多かったと思われますので、今後は浜松に限らず”遠江”の家康ゆかりの地もどんどん訪ね歩こうと思っています。 こちらの『鎌田神明宮』は、御厨(みくりや)地区の総鎮守(総社)で、農業関係の神として信仰を集め、社殿には多くの鎌が奉
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の家康公ゆかりの地は、静岡県磐田市鎌田にある真言宗智山派の『鎌田山金剛院醫王寺(かまださんこんごういんいおうじ)』です。ご本尊は薬師如来で遠江薬師霊場第四十六番札所にもなります。 家康公ゆかりなのはどうして?と思われるでしょう。それは、元亀3年(1572年)のあの有名な『三方原の戦い』でのこと。武田信玄勢の兵火にかかり、こちら醫王寺の伽藍はことごとく焼失したのですが、そこで、のちの天正12年(1584年)、徳川家康は兵火による焼失をいたく惜しまれ、自ら浄財を出して再興を援助されたのでした。 現在の醫王寺(医王寺)は、約8000坪もの平地に”いにしえ”を感じさせてくれる客殿や庫裡が続き、参道には石畳が敷き詰められ「東海の苔寺」といわれるだけあって、スギ苔が発しているであろうマイナスイオンをたっぷりと味わうことができま
<PRを含みます>こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回お参りに訪れたのは青もみじが美しい『初山宝林寺(しょさんほうりんじ)』です。 特に家康ゆかりのお寺ではないようですが、徳川家康により姫街道の取り締まり強化のために設けられた『気賀関所』や『気賀宿』、さらに家康による遠州侵攻で1000人もの人が亡くなった「堀川城の戦い」の舞台となった『堀川城跡』が残る浜松市北区細江町のお寺です。 大河ドラマ『おんな城主直虎』では、領主となった直虎公に今川氏真から「徳政令発布」の命が下ります。それを直虎公は、知略を駆使して2年以上にわたって食い止めました。その支えになったのは豪商・瀬戸方久。そのゆかりの地にある古刹が、こちらの『初山宝林寺』です。 最近は地元のメディアなどで金運アップのお寺さんとしても有名と聞きます。というのも、初山宝林寺には、叩くと澄んだ音が鳴る『金
こんにちは sannigo(さんご)です。いつもありがとうございます。 今回の徳川家康ゆかりの地は、静岡県浜松市北区三ヶ日町摩訶耶の『摩訶耶寺』です。 なぜなら、摩訶耶寺の『高麗門』は、徳川家康が浜名湖畔に船入できる水城として築城した同じ三ヶ日町の『野地城(のじじょう)』が廃城になった時に、当地の領主であった近藤用高の手配により、山門として移築されたといわれているからです。 こちらの摩訶耶寺の周辺もさすがの三ヶ日ということで、今の季節(11月下旬)はみかんが鈴なりです。あたり一面オレンジ一色に染まっています。あまりの重たさに地面に着地してしまっているみかんもあって、かわいそうで食べてあげたくなります。 摩訶耶寺は奈良時代開基で1300年の歴史を持つ古刹です。平安時代の様式をもつ日本の中世を代表する静岡県最古の摩訶耶寺庭園。さらに国の重要文化財に指定され子育て観音として信仰を集める『木造千手
次のページ
このページを最初にブックマークしてみませんか?
『sannigoのアラ還日記』の新着エントリーを見る
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く