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美術と寺院に関するshig-iのブックマーク (4)

  • 大仏殿で発見の刀、1250年不明の正倉院宝物 : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    奈良市の東大寺で、明治時代に大仏殿内から見つかった金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)2が、約1250年にわたって行方がわからなかった正倉院宝物の大刀「陽寶劔(ようのほうけん)」「陰寶劔(いんのほうけん)」だったことがわかり、同寺と元興寺文化財研究所が25日、発表した。 同研究所のエックス線調査で、大刀2から「陽劔(ようのけん)」「陰劔(いんのけん)」と象眼された銘が見つかった。 「陽寶劔」「陰寶劔」は聖武天皇の遺愛品で、正倉院宝物の目録「国家珍宝帳」に記載されている。光明皇后が大仏に献納し、正倉院にいったん納められたが、外へ持ち出したことを示す「除物(じょもつ)」となり、その後存在が確認されていなかった。大刀は1907〜08年の大仏殿の修理に伴い、大仏の足元の蓮華(れんげ)座の周囲から出土していた。

  • asahi.com(朝日新聞社):消えた正倉院宝物、1250年ぶりに確認 X線調査で - 文化

    奈良・東大寺の大仏の足元から明治期に出土し、「東大寺金堂鎮壇具(こんどうちんだんぐ)」として国宝に指定された金銀荘大刀(きんぎんそうたち)2振りが、約1250年にわたって行方がわからなくなっていた正倉院宝物の大刀「陽寶劔(ようほうけん)」「陰寶劔(いんほうけん)」だったことが、元興寺(がんごうじ)文化財研究所(奈良市)のX線調査でわかり、研究所と東大寺が25日、発表した。  「陽寶劔」「陰寶劔」は東大寺を創建した聖武(しょうむ)天皇(701〜756)の遺愛品で、の光明(こうみょう)皇后(701〜760)が大仏に献納した後に持ち出され、その後、存在が確認されていなかった。  金銀荘太刀は1908年、大仏の足元から掘り出された。保存修理に伴うX線調査で、刀身の根元近くに「陽劔(ようけん)」「陰劔(いんけん)」の象眼(ぞうがん)が施されていたことがわかり、陽寶劔、陰寶劔と特定された。

    shig-i
    shig-i 2010/10/25
    除物が見つかる
  • 国宝:当麻曼荼羅厨子の落書き、初の公開へ 奈良 - 毎日jp(毎日新聞)

    当麻曼荼羅厨子の内部に描かれていた落書き=奈良県葛城市の市歴史博物館で2010年8月12日午後1時58分、高島博之撮影 奈良県葛城市の当麻寺が所蔵する国宝・当麻曼荼羅厨子(まんだらずし)(8世紀末~9世紀初め)の板に描かれた落書きが13~16日、同市忍海の市歴史博物館で初めて一般公開される。落書きは男性2人の横顔で、製作時(平安初期)に職人が描いたとみられる。1958年に見つかったが、寺の収蔵庫に保管されており、平城遷都1300年関連事業に合わせて公開することにした。 厨子(高さ・幅約5メートル、奥行き約1.3メートル)は尊・当麻曼荼羅を納め、曼荼羅の厨子では国内最大で最古。 県教委が57~60年に厨子の解体修理をした際、6ある柱の下に厨子を安定させる6枚の板があてられ、そのうち1枚の板(縦約40.9センチ、横10.6センチ、厚さ1.8センチ)に墨の落書きを確認した。 描かれた男性は烏

  • 東京新聞:重文壁画の断片発見 横浜の称名寺 金沢文庫で公開中:神奈川(TOKYO Web)

    称名寺(横浜市金沢区)に伝わる鎌倉時代の壁画(重要文化財)の断片が発見され、同寺所蔵品などを管理する県立金沢文庫(同区)で十六日から公開された。六月七日まで。 壁画は同寺金堂弥勒菩薩(みろくぼさつ)立像の背後にある木製の板で、表側に弥勒菩薩来迎図、裏側に弥勒浄土図がそれぞれ彩色で描かれていた。表裏両面とも左右が切り詰められている。

    shig-i
    shig-i 2009/04/17
    「壁画は同寺金堂弥勒菩薩(みろくぼさつ)立像の背後にある木製の板で、表側に弥勒菩薩来迎図、裏側に弥勒浄土図がそれぞれ彩色で描かれていた。」
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