ゲームアワードの役割についてずっと考えていた。 The Game Awardsを筆頭に、世界のゲームアワードの限界が露呈し、失望されつつある。TGAの主な審判者はゲームメディアなのだが、今年はそのゲームメディアの最大手が次々に買収・解雇・閉鎖された。その代わり、急速にゲームの評価をにない始めたのがYouTubeなどのSNS、そしてSteamのような大衆のゲームレビューだ。 現実的に考えて、筆者自身でさえ、少数のメディアによる評定よりも大衆による風評を参考にすることはよくある。しかし、一方でゲームアワードにのみできる批評的な達成もまた、あるはずなのだ。それはより俯瞰的かつ体系的に、ビデオゲームに向き合うということ。知的なアングルをもって、作品の価値を理由とともに判断すること(N・キャロル)。あるいは、いや何より大切なことは、ビデオゲームの秘めたる美に対して誰よりも情熱を燃やすことではないか。