フェリーチェ・ベアト撮影 サー・ジョーン・ラザフォード・オールコック(Sir John Rutherford Alcock KCB、1809年5月 - 1897年11月2日)は、イギリスの医師、外交官。清国駐在領事、初代駐日総領事、同公使を務めた。開国前後の幕末日本見聞記『大君の都』の日本語訳は、長年重版している。 1809年、ロンドン西郊のイーリングで医師トーマス・オールコックの息子として生まれた。母親が早く亡くなったため、イングランド北部の親戚の家に預けられ、15歳の時に父の元に戻り、医学の勉強を始めた。最初ウェストミンスター病院とウェストミンスター眼科病院で1年間教育を受けた後、1828年までパリに留学し、解剖学、化学、自然史を修め、またフランス語だけでなく、イタリア語も身につけた。勉学の傍ら、彫刻家のアトリエに通い、彫刻の手ほどきを受けている。ロンドンに戻った後、上の2病院で研修医