現代の社会においてSNS(ソーシャル・ネットワーキング)は、「正しさ」を競い合う巨大な闘技場と化してきた。ある社会問題について「意見」を述べると、即座に賛否両論が飛び交い、それぞれの陣営が「正しさ」を独占しようと激しい論争を繰り広げる。しかしそれらは最初から、まるで予約チケットのように席が決まっているのだ。環境政策をめぐる議論では、「規制強化」か「経済活動の自由」かの二者択一を迫られ、その中間的な立場や別の観点からの提案は、まるで存在しないかのように無視される。教育改革に関する議論でも同様の構図が見られる。「詰め込み教育」対「ゆとり教育」、「STEAM教育推進」対「人文教育重視」といった具合に、複雑な教育の問題がアプリオリに単純な二項対立に還元されている。 厄介なのは、このような状況下では、慎重な判断を示そうとする発言者に対して「立場を明確にしない卑怯者」「問題から逃げている」といったレッ