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自分の見えている世界に対して 人はバランスを取ろうとする。 自分しか見えてない人は、自分だけが利するように行動するし、 周りもある程度気にしている人は、その中で出て行ったり身を退いたりする。 村が世界の人は村内での立ち位置を、 日本が世界の人はその中での自分の存在意義を、 なんとなく考えて生きてる。 オカシく見える人、変な人はたまに とても大きな世界を世界と感じて生きてる。 彼らの合目的、彼らの合理的は、 小さな世界の住人にはいつも不可解だ。 彼らが善き方向に変えていこうと、バランスを取ろうとしている世界が大きすぎて、 小さな私達には見えない。 彼らが自己実現よりも、その世界のバランスを優先すること、 そのためにその世界の単なる一要素となれとも、単なる道具となれとも全然かまわないこと、 そしてその世界に於いて自分が不必要と判断したなら、 それがたとえその人のアイデンティティと同義でも、退い
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
いつでも、相手が自分の”メタ”を行ってるかどうか気にしている人がいたら それはメタの方向が逆を向いていると思う。 そういう人は、相手の裏をかこうとして、相手の心を読もうとして、相手の心理をえぐろうとして、躍起になる。 バカにされないことで頭がいっぱいになる。 相手の先にいること、相手の上位に立つこと。それが”メタ”だと思ってる。 頭の中は、相手相手相手相手相手。 防御に防御を重ね、装飾に装飾を重ね、相手を切り崩していくことに集中しているうちに、それ自体が目的になってしまっているうちに、 その人の自分の方コアはいつしか、全く隠れてしまう。 純粋な心だったり、真摯な思いだったり、ただの小さな願いだったり。 それが、言葉にまみれて、論理にまみれて、どうでもよくなって、疎外されて、 最後には不毛になって、消耗して、何も残らない。 で、そっちの方向にあなたの大好きなメタはない、と思う。 むしろメタは
うちの父親は中卒の元板前なので人生ほぼ暗黙知ベース。私から見ると父さんなんでそんなに言葉知らないの、父親から見るとお前なんでそんなに智恵ないの。 Twitter / chanm 父親に言わせるとなんでそんなに言葉で何でも伝えなきゃいけないのかわかんないみたいですね。 なにそのまどろっこしい方法、って感じみたい。 私は言語頼みなところがあるので(にしては使えてませんが)、職人の世界はちと恐い。 (修行時代は先輩とかから包丁飛んできたとか言うし。ひえーかわいが(ry) 大学まで出してもらったので父親よりは学歴が高いですが所詮智恵がないので父親からは常にバカ認定です。 何でレシピ見なきゃ料理できないの?なんで本読まなきゃそんなこともわかんないの?etc.. たまに漢字の読み方教えてあげてるのに! そんなせいかうちの親子、言葉遣いが直感的で荒くて、 たとえば「死ね」は愛情表現で「バカ」と同じくらい
本音が、『(自分は)何々して欲しい!』なのに『(みんなは)何々するべき!』って言い方しちゃう時ってあるよね。 『(自分が)何々しないで欲しい!』って訴えたいときに『(一般論として)何々するのはおかしい!』って言う人いるよね。 大学の先生が言ってた。弱者が自分の分け前を欲しいとき、俺にもくれじゃなくて、こう言うんだって。 『みんなで平等にしようよ。』 ・・・男女の会話か何かのアドバイスに書いてあったけど、 旦那さんがいっつも仕事で遅かったりとか彼氏が浮気したりとかで 奥さんや彼女が悲しい思いや寂しい思いをしたときに、 男性が受け入れやすいのは、 『あなたはもっと家庭を大事にするべき』や『浮気なんてありえない』じゃなくて、 『私は、〜〜で、寂しい』 という言い方をする事なんだって。 べき論で話を振られると、 それがほんとに”べき”なのかの方に焦点が行ってしまう。 それを論破することに思いが行っ
ということは往々にしてあると思う。 ある場において報われないということは、その後も挑戦が続くということだ、その人は。 早々に報われてしまった人に比べて、 数年後にどちらが魅力的かは分かったものじゃないというか。 なんか毎年宝塚受ける女の子達の特集やってたりするの見るけど、その度に思う。 落ちた子たちの前には、受かった子たちの何倍もの選択肢がまだ広がっている。 いろんな不幸とか、非モテとか、そういう話はあるけど、 とりあえず卑屈になりさえしなければその人ごとに素敵な舞台があると思う。 というか卑屈じゃない人は、みんなそれぞれに自分に最適な舞台をいつのまにか引き寄せてる。 卑屈でありさえしなければ誰もが魅力的。私には。
上田紀行さんとは、 今までどこかで出会っていても 良さそうなのに、 実は初めてであった。 長野駅でお会いした時、 「おおきな人だなあ」 と思った。 それから、「強い人だなあ」 と思った。 そのおおきさや強さが、 ご自身の苦しい体験を 乗り越えられたことから 来ていることが、お話 していうちに伝わってきた。 上田さんの著書『生きる意味』では、 現代人が「自分のかけがえのなさ」 を感じられなくなってきていることが 痛みをもって論じられている。 全てが代替可能となり、 人間がシステムを支える部品と なってしまう。 そんな現代の趨勢を怒りを もって描く上田さんの姿勢に 共感する。 「怒り」は、上田さんとダライ・ラマとの 対談を収めた『目覚めよ仏教!ーダライ・ラマ との対話』でも重要なモティーフになっている。 「愛」に支えられて、現状に対する 違和感を抱き、あるべき姿に向かって 力を尽くすならば、怒
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