若い頃は、自分が世界に受け入れられていないような気がしていた。 でも今振り返ってみると「自分が世界に受け入れられていなかった」のではなく、「自分が世界を受け入れていなかった」のではないかと思う。 意外にまわりのヤツらは自分を(不本意な形ながらも)受け入れていて、それを自分が「そんなのは違う、それはあるべき自分の姿じゃないしそんな世界は受け入れられない」と拒否してただけだったのかも知れない。 もちろん不本意な需要のされ方に対しては何らかの対策を講じなければいけないが、自分は世界を受け入れない、自分に貼り付けられた評価を無視したり突っぱねることでなんとかしようとしていた。 それが、自分から拒否していたのに、いつからか「世界は自分を受け入れてくれない」と解釈するようになったんじゃないだろうか。 あの頃の自分がとるべき態度は、そんな態度じゃなく、プロレスのような「受けて勝つ」、あるいは「受けて変え