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societyに関するy_yanbeのブックマーク (7)

  • 「なんの役に立つんですか?」の暴力性 - 最果タヒ.blog

    テレビで魚に右利き左利きがあることを発見した教授が出ていて、その話がすごすぎた。餌をとるのに右にばかり曲がる魚とか、魚にも利きというのがあるらしく、しかもそうした魚を干物にすると、右利きは右に曲がって干からび、左利きは左に曲がって干からびる、つまり骨格から利きが決まっているらしい。その比較を見せてもらったときは鳥肌がたったわけで、偉大すぎるだろ、とびびっていたのだけれど、アナウンサーさんは変な研究、と言いたげに苦笑していて、しまいには「なんの役に立つんですか?」という自然科学でもっとも野暮な質問をしてしまっていた。 うーん。「なんの役に立つんですか?」という言葉は、実はいろんなことに投げかけられている。「マンガなんて読んで、なんの役に立つの?」「宇宙なんて研究して、なんの役に立つの?」「絵画なんて観て、なんの役に立つの?」大衆にとってもっとも価値があるのは「利便性」だ。「利便性>娯楽性>芸

    「なんの役に立つんですか?」の暴力性 - 最果タヒ.blog
    y_yanbe
    y_yanbe 2010/04/15
    今では大抵のデジタルデータの伝送に使われている、誤り訂正符号の基になってる符号理論の研究も、昔はエントリ冒頭のような扱いだったらしい
  • 集団的知性(Collective Intelligence)と、群衆の知恵(Wisdom of Crowds)の違い « ITプラットフォーム ブログ

    第1回ウェブ学会シンポジウムの動画が公開されています。「集合知」の話題が、技術を超えてビジネス、政治まで幅広く議論されていています。長時間にもかかわらず、とても面白く視聴できました。 (主催者および関係者に感謝) 視聴後、講演者の方々にも興味を持ち、twitter上で、その後の議論も追っていたのですが、どうやら単に「集合知」といってもさまざまな考え方があり、代表的なものには「集団的知性(Collective Intelligence)」と「群衆の知恵(Wisdom of Crowds)」の二つのモデルがあるようです。 ということで、私もさっそく上記ページを読んでみたところ、とても明快に「集団的知性」と「群衆の知恵」の違いが説明されていました。 Surowiecki and Levy start from very different premises which would lead to

  • 全体最適 vs. オレ様最適 - Chikirinの日記

    「全体最適」という概念があります。 個々の構成員にとってではなく「組織や社会全体にとって最も価値が高くなる方法」を選ぶ考え方です。 最近よく聞くようになった「トリアージ」 大災害や大事故が起こり、治療を要する人が大量に発生して医療キャパシティがたりない時、専門の医師が治療の優先順位を考える手法のことです。 優先して治療を受けるべしとされるのは「より重症の人」ではなく、「治療する意味のある人」なので、その時点で「手を尽くしても既に治療の甲斐がない」と判断されると優先順位が低くなります。 こうすることにより、救える命の数が「全体として最大化」できるわけですね。 もうひとつの例は、倒産しそうになった企業を国が税金で支援すべきかどうかという議論です。 銀行や日航空には国の支援が入りましたが、普通の民間企業が倒産しそうになっても税金での支援などありえません。 ここでも「特定の企業に関しては、税金で

    全体最適 vs. オレ様最適 - Chikirinの日記
    y_yanbe
    y_yanbe 2009/04/16
    全体最適の「全体」をどこに設定するかが一番難しい
  • iwao-otsuka.com - このウェブサイトは販売用です! - 小箱 心理 思考 テスト 性格 男性 社会 ウェット リソースおよび情報

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  • 「内向き」で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    先日、苅谷剛彦さんと対談したときに、日のように「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が1億以上」というような市場をもつ国は世界にほとんど存在しない、ということを指摘していただいて、「ほんとにそうだよな」と思ったことがある。 「国内に同国語の十分なリテラシーをもつ読者が一億以上」いるということは、言い換えると、「日語を解する読者だけを想定して著作や出版をやっていても、飯がえる」ということである。 日人が「内向き」なのは、要するに「内向きでも飯がえる」からである。 「外向き」じゃないと飯がえないというのは国内市場が小さすぎるか、制度設計が「外向き」になっているか、どちらかである。 どうしてそんなことを考えたかというと、テレビ政治討論番組で「フィンランドに学ぶ」という特集をしているのを横目で見ていたからである。 フィンランドはノキアという携帯電話のシェア世界一のブランドを有して

  • 「勉強ができる」という蔑称 - 理系兼業主婦日記

    このへんの話題について。はてな匿名ダイアリー:勉強が出来る=頭がいい?404 Blog Not Found:勉強が出来る=何がいい? 小学生のころ、学校のテストで苦労したことはなかった。「勉強ができる」子供だったと思う。 保育園児のころからを読むのが好きだった。絵も、図鑑や「かがくのとも」も好きだった。を開くと、自分の知らない世界や、なぜかなつかしく感じられる世界に、体ごと入り込めるのが好きだった。幼児教育の類はまったく受けていなかったけど、何かのごほうびにねだるものは、たいていだった。 小学校に入学して、真新しい教科書をどっさりもらったときは、ほんとうに嬉しかった。《これだけの新しい世界が、私を待っているんだ!》嬉しくて嬉しくて、教科書を次々めくって読んでいたら、新入生の世話をしに来た6年生が、「おまえ、ほんとうに読めるのか?」と言った。くやしいので音読してやったところ、「じゃあ

    y_yanbe
    y_yanbe 2008/12/25
    タイトルからしてきっと山田詠美を挙げてる人が居ると思ったらやっぱり居た
  • 席を譲るということ

    一時期、高齢者には席を譲ろう運動的な何かが盛んに取り沙汰されたことがある。 僕の場合も、その時期、高齢者に席を譲ったことがあったのだが、最近ではほとんどしなくなってしまった。 もちろん、それは褒められた行為じゃないことは分かってるし、今でも高齢者が目の前にいると譲らないといけないとは思う。でも結局「どうぞ」の一言が言い出せないでそのまま座り続けてしまうことが多い。罪悪感みたいなもので、顔を下に向けてひたすらを読んでるように見せながらね。 席を譲らなくなったのには ・譲ろうとしても、断られることが何度もあった ということが多分大きく関係している。善意から出た行為を拒絶されるのは少し辛い。最近、電車に乗っても、席を譲る人をあまり見かけないのもこのせいなのかとは思う。 僕の場合も、妊婦の方などが目の前に居ると、気兼ねなく譲ることが出来る。そういう人が断ることはほとんどないからだ。 だが高齢者の

    席を譲るということ
    y_yanbe
    y_yanbe 2008/11/28
    こういう葛藤をしないために空席が0になりそうになったら立つようにしている
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