発行年月: 19720301 掲載 : 放送朝日 発行元 : 朝日放送 芸術の歴史をふりかえってみると、芸術の保護者としての「パトロン」という存在が大きく浮かびあがってくる。 もともと、芸術というものは、それじたい、あんまりおカネにならないものだ。おカネにならないどころか、だいいち、実用的でない。米ならば、炊いて食べることもできるけれど、一枚の絵、一篇の詩は、それを見たり読んだりしても、べつに、どうということのない対象物である。絵や彫刻には、美的価値があって、したがって、それらは精神的な充足感をあたえてくれる、という理屈は成立しようが、そんなのんきなことを人間がかんがえるようになったのは、ついこのあいだのことだ。毎日を、とにかく生活してゆくことでせいいっぱい、という人間が大部分であったような時代には、芸術などというものは、要するに、社会的ムダ、それも大ムダ、という以外のなにものでも
「世の中は厳しい」なんて大嘘 essa節いいっすね〜。 大枠で反対するわけではないけれど、essaさん自身も書いているようにこれからは「兼業芸術家」の割合がより増え、「専業芸術家」は減っていくことになるでしょう。 つまり「いっそう芸術(だけ)では食えなくなる」ことを意味しているわけで、これを「厳しい」とみるか「甘い」とみるかはのび太のおじいちゃんのように微妙なところです。 今日日音楽にしろ映像にしろ、結構なレベルの作品をネット上でタダで楽しめてしまいます。ということは、そこそこの作品ではネットで稼ぐことはできないということ。これもessaさん自身が「誰もが最高級品を使える経済」で書いていることですが、無限配布可能なソフトウェアにおいては「ロングテール」どころか「テールレス」な状態が生じるんですね。 じゃあ多様な高級品を売ればいいかというと、そもそもそこまで高度な作品を求めている人は多くない
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