2005年11月03日23:42 ざんげの値打ちもない カテゴリ日本 insighter Comment(9)Trackback(1) 10月31日の朝日新聞朝刊で、「社会学界のハッスルあちち」こと宮台真司が過去の自分の言説を撤回していた。 「家族の空洞化を埋め合わせる代替物の模索は、成果を生んでいない。僕は以前、匿名ネットワークやストリートが家族に代わって感情的な安全を提供してくれると思っていたが、それは見込み違いの夢だった」 90年代前半のオウム事件から後半の女子高生ブームにいたるまで、彼の提唱した「まったり」とか「強度」とかっていうキーワードは僕の中で結構な説得力を持っていたんだけど、まったり出来ない自分とのズレも感じていた。 そして00年代の今、時代を取り巻くムードは「まったり」ではなく「カーニヴァル」「炎上」「吊るし上げ」であり、皆が欲しがっているのは「意味」よりも「強度」よりも
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一部で話題の倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜ人を殺してはいけないか」を説明してください。説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という類の回答はご遠慮ください。ですけれども、この質問には根本的な欠陥があることを簡単に解説しますよ。 まずは「なぜ人を殺してはいけないか」について倫理・宗教・法律を用いた説明をしてみましょう。 なぜ殺してはいけないのか 倫理 悲しむ人がいるから 理由:人が嫌がることはやめましょう、という倫理観 反論:誰もが嫌がらない人なら殺してもよいのか? 後悔の念に苛まれるから 理由:禁忌を犯すことが今後の人生にどのように影響するか 反論:禁忌を犯すことが目的である場合、快楽殺人等 人には比べてよい価値などないから 理由:「人を殺す権利」は誰も与えられない 反論:親族を殺された被害者家族に犯人を殺す権利はないのか? 宗教 殺すと祟る
近藤淳也の新ネットコミュニティ論 kondo 人力検索やダイアリー、アンテナなどユニークなサービスでおなじみの「はてな」。そんなはてなを率いる近藤淳也氏が、ネットのコミュニティやサービスのあり方について独自の視点で切り取ります(このブログの更新は2006年2月9日で終了しました)。 近藤淳也の新ネットコミュニティ論が本になりました このブログの連載が翔泳社さんから本になりました。 「へんな会社」のつくり方 作者: 近藤淳也 出版社/メーカー: 翔泳社 発売日: 2006/02/13 メディア: 単行本 二つのブログで書いた内容に加えて、id:matsu... 終わりに 世界中の意識をつなげるインターネット 7月の上旬からこのブログを書き始めて5ヶ月になりました。当初の終了予定だった10月を1ヶ月過ぎてしまいましたが、今回でこのブログはおしまいにしたいと思います。 期間中、はてなでのさまざま
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