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2017年8月6日のブックマーク (2件)

  • 第五福竜丸は被爆の象徴…だけじゃないもう一つの重要な使命 : おち研

    江東区・夢の島にある東京都立 第五福竜丸展示館に行ってきました。 第五福竜丸が目当てで夢の島に行ったわけじゃありません…というか、正直なところ夢の島に第五福竜丸が展示してあることすら知りませんでした。完全に別件のついでのたまたまです。 展示館への道筋は園内の散策路に小さな道案内が出てる程度で、これまで完全に見過ごしておりました。 「へー、こんなところに第五福竜丸の現物が」くらいのノリで立ち寄ったところ、いくつか意外なことを知ったので感想置いときます。 第五福竜丸が夢の島にある理由 第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)とは、1954年3月1日ビキニ環礁にてアメリカの水素爆弾実験に巻き込まれたマグロ漁船です。 第五福竜丸といえば、広島・長崎に次ぐ被爆の歴史遺産という認識を持っていました。しかし、館内の資料によると初めからそういう扱いではなかったようです。 「第五福竜丸」から「はやぶさ丸」へ 19

    第五福竜丸は被爆の象徴…だけじゃないもう一つの重要な使命 : おち研
    tetzl
    tetzl 2017/08/06
    木製100t規模の船で4000kmくらい漁に出てたのすごいよねえ…|はやぶさ丸は文部省が購入して東京水産大で使ってたみたいで、東京海洋大関係者の取り組みもある様子 http://rakusui.or.jp/mailmag/2017/01/06152937
  • 広島原爆:きょう72年 8カ月後の息吹 | 毎日新聞

    被爆から約8カ月後のカラー写真。旧広島瓦斯社(中央)の右奥には旧燃料会館(現・レストハウス)、右端に旧川国民学校も見える=原医研提供 1946年春ごろに広島原爆の爆心地から500メートル圏内を写したカラー写真が、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)で見つかった。写真は米軍病理学研究所(AFIP)から73年以降に返還された資料の一部で、原爆の威力を調べた米戦略爆撃調査団が撮影したとみられる。被爆から約8カ月後でも爆心地付近は焼け野原のままだが、バラックなどが確認できて少しずつ復興する様子がうかがえる。 当時、カラー写真の撮影技術があるのは米軍などに限られ、原医研は「被爆の実相が詳しく分かる貴重な資料」としている。

    広島原爆:きょう72年 8カ月後の息吹 | 毎日新聞
    tetzl
    tetzl 2017/08/06
    まだまだ再発見されていない資料はあるのだろうな|さっき「ニューラルネットワークによる自動色付け」の写真を幾つか見たのでまたそれかと思ってしもた。色付けが流行りだすと原資料がカラーのものにノイズとなるな