富士山は山梨、静岡両県の間に位置するが、山頂部から東側斜面(山梨県富士吉田市と静岡県小山町および山梨県鳴沢村と静岡県富士宮市)にかけては境界(県境)が定まっていない。境界がない状況は古くから続いているとみられ、明治時代には国が境界調査を実施したが、両県の主張が対立。結論が棚上げされてきた経緯がある。 山梨県市町村課がまとめた資料によると、江戸時代の地誌「甲斐国志」には「8合目より頂上に至りては、両国の境なし」と書かれ、当時から境界のない場所だったことが読み取れる。 1897年、当時の宮内省御料局が境界調査を実施したが、山梨、静岡両県が異議を唱えた。1905年には静岡県側が「8合目境界」を主張。一方、山梨県側は福地村(現富士吉田市)と鳴沢村が07年に山頂に境界を設けるよう求めたという。 ただ、静岡県側が主張したとされる「8合目境界」が、どんな内容なのかははっきりしない。同県自治行政課の担当者