名前を隠して楽しく日記。
ここ最近、人は孤独で居続けると狂うとか狂わないとかいう話が盛り上がる中で、自分は一人で居る方が好きなのだという人達をたくさん見た。
誰の視線も無い空間が好きだし、自分の行動を自分自身の意思だけで決められるということが嬉しい。
余暇を有意義に過ごそうが、怠惰に消費しようが、どこに出かけようが家に籠っていようが、
全てはその時の気分次第。そういう日々を過ごせることに何よりも幸せを感じている。
そんな私の孤独で幸福な生活は、インターネット無しには成り立たない。
SNSにその日あったことを呟いてたまにフォロワーと言葉を交わしたり、
趣味で描いた絵を投稿してありがたいことにいいねを押して貰ったり、
そういった非対面のやり取りで他人との交流欲や承認欲求を満たすことによって私の精神の安定は保たれている。
人恋しくなった時は好きな配信者のゲーム配信を見に行き、人間の肉声を感じ、流れるコメントに同じように配信を見守る仲間の存在を感じたりする。
観た映画のタイトルをパブサして、人の感想を読みながら共感したり首を捻ったりもする。
現代は、一人で居ながら同じ時間を生きる人間の存在を無限に感じることができる。「一人で居るのが好きな仲間」すらたくさん観測できる。
もしもインターネットが無い時代に生まれていたなら、人の視線を避けたい気持ちと人の存在を感じたい気持ちに板挟みになり、
他者と不得意なコミュニケーションを試み、失敗を重ね、疲弊していただろう。
あるいはその末に狂っていたかもしれない。
インターネットが傍にある時代に生まれたことを感謝するばかりだ。
そして、インターネットと共に老いてきた人間というのはまだまだサンプルが少ない。
これまでの「孤独な老後」とこれからの「孤独な老後」は、大きく質の違うものになるのではないかと感じている。
「若い人」に何か言うとすると、この手の年寄りの言い分に一切耳を傾けるなよ、ってことですかね。
こういうことを言いたがるのはだいたい日本人の男だけなんだが(外国で暮らせばすぐ分かる)、
こんなの時間が経てば当たり前じゃないですか?ガキのときに夢中になったものが社会人になったら別に…ってことはぜんぜん珍しくない。
つまり「年齢」のせいじゃない。
▼もともとたいして好きじゃなかった。
要するに最初からそんなに熱中してはいなかったものを、回りに流されてとかなんとか、理由は知らんが好きなフリをしていた・
自分にも好きだと言い聞かせていた。そのメッキが剥がれて地金が現れただけ。
つまり年齢のせいじゃない。
繰りかえすが「年寄りになると大変で…」みたいなことを言いたがるのはだいたい日本人で、
ニューヨーク辺りにいけば70才、80才でも新しいことを始めた、ずっと好きなことを続けてる、という人はごくあたりまえに暮らしている。
みんなきちんと身ぎれいにしてオシャレにしてるし。
脚腰が弱ったり目が弱ったり、身体面がスローになるのは仕方ないけど、それならそれで対処のしようがあるし
みんな工夫してちゃんと過ごしている。
だからいいですか、この手の年寄りの年寄り自慢は若い人(と自分)に呪いをかけようとしてるだけです。
一切耳を傾けなくていいです。好きなことを好きなときまで思いきりやってください。
ルパンもルピンだしな
今流行りのポケポケもそうだけど、他のゲームでもSNSとかで流れてくる「この編成組めば勝てます」みたいなテンプレを見てしまうと一気にやる気がなくなっちゃうんだよね
(1)この髪型にしたのいつだったかな~、一か月前かな、半年前かな~、俺っていつまで警察官やるんだろう、30年くらいかなあ
(2)だったら食べなさ~い
(3)毒が入っているかも知れないでしょ
(4)2項より前に規定がない?
(5)開錠! 16時25分!
渡辺を「わたべ」と読むなら分かる。
「な」は急に湧いてきたように見える。
でもそういえば三宮を「さんのみや」と読むのはなんとなく分かる。「三の宮」だからな。
「わたのべ」だったのが訛って「わたなべ」になったのかもしれない。
つまり全国の「わたなべ」どもよ、お前らはもともと「わたのべ」だったのかもしれんぞ。
そこで仮病ですよ
夫婦仲良くてええやん
なんでよ!w