はてなキーワード: 河道とは
火事が起きて途中中止になったけど花火は最期まで上がっていたといういたばし花火大会だが、実は戸田市との共同開催になっていて、荒川を挟んで板橋側だけが中止になったのだ。荒川を挟んで両岸で打ち上げまくるのね。
でも板橋区の方では「いたばし花火大会」としてしかアナウンスされないし、戸田市側の方は「戸田橋花火大会」としてしか案内されないから、東京都民or板橋区民の中には戸田市の方でも打ち上げてるのを知らない人が結構いるし、反対側の埼玉県民、戸田市民の方も然りで、「中止になったのに最後まで打ちあがってたのは何故???」というなぞなぞみたいな事になってしまった。
そして両岸で共同開催という珍しい形になったのは、荒川の改修工事が元になっている。
赤羽の岩淵に岩淵水門という隅田川入口を締め切る水門があるんだが、そこから下流の荒川は大正から昭和初めに掛けて開削した放水路だ。それまでは荒川の全水量が今の墨田川に流入していて水量が増えると東京の下町の方が洪水になってその都度大損害を出していた。
そこで荒川放水路を掘るという大工事に至ったのだ。普段は岩淵水門を開けておいて水は隅田川の方に流れているが、水量が増えたら水門を閉めて全部放水路の方に流れるようにする。
同時に岩淵水門の上流も大改修する必要があった。荒川がうねる様に大蛇行していて、当時の堤防というのは河道から500m~1kmも離れた所にあり水が溢れたら堤防までの土地(堤外地)は水没、という扱いになっていた。
これを止めて直線的に流れるようにして堤防に対する攻撃力を下げる。そしてちゃんとした高い堤防で完全に水を封じ込むようにする。
ついでに合流する河川も改修する。新河岸川は彩湖の付近で合流していたが、荒川の堤防だけ高くしても洪水時は新河岸川の方に逆流するからそこから洪水になって無意味だ。
そこで新河岸川の堤防を荒川準拠に高くする代わりに、新河岸川の合流地点を延長して荒川と平行して流し、赤羽まで持って行く。そして岩淵水門の下流で隅田川に合流させるのだ。確かに荒川の水量の影響を受けなくなるがすごい工事である。
で、その河道はどうするかというと、蛇行している荒川の頂点に接線を引いて、北側接線を荒川、南側接線を新河岸川にした。
すると接線の間にはサインカーブで分断された土地というのが出来る。
そしてそれまでは荒川が埼玉県と東京府の境だった。荒川の位置を変更して北側接線にしたから、東京府側に下に凸型の埼玉県飛び地がいくつか出来たって事になる。
このサインカーブ飛び地問題、今の埼玉県川口市&東京都北区、埼玉県戸田市&東京都板橋区が影響を受けるが、川口市&北区側は早々に解決した。
今の埼京線浮間舟渡駅~北赤羽駅の浮間地区は元は埼玉県横曾根村の浮間だった。だが荒川改修直後に横曽村と川口町の合併(川口市へ)が控えており、その時に東京府に割譲すると取決めがされてその通りになった。
一方、戸田村の船渡地区は東京府との協議が難航していた。浮間の方は横曽村がほぼ丸ごと東京側に行くのに大して、戸田村の集落は埼玉側にあり、その船渡地区だけが東京側に行く。
時折線が入り組んだ複雑な県境があるが、それが出来る理由というのは同じ地主の土地が県境で分かれないようにする為というのが多い。この場合は地主の土地を引き裂く県境引き直しだから難しい訳だ。更にその土地が工場に売られたりして更にややこしくなった。
そうするうちに戦争が始まってしまう。東京府と東京市は無くなって東京都と板橋区が出来て話し合いの主体もリセット。もう解決不能である。
戦後になって流石に復興する前にあれ何とかすべきだという事になり、1950年、難航の末に戸田町と板橋区の間で県境を荒川にする事で合意。今の地図を見ても蛇行の名残は見える。
https://goo.gl/maps/uEMgZazGCHPmMV2Q6
新河岸川の角みたいなのと浮間公園の池が蛇行の跡で、戸田葬儀場があるU字型の土地が戸田町から板橋区に割譲された船渡地区だ。
そこでこりゃ目出度いって事で、戸田橋花火大会を開催することになり、板橋区もそれに協賛という形で加わる形となった。後に協賛じゃなくて戸田市側の戸田橋花火大会、板橋区側のいたばし花火大会同時開催という形に変化。
そしてこのいたばし花火大会の開催&打ち上げ地点というのはこの戸田市からぶん捕った土地の河川敷なのである。これは飛び地問題解決を祝って始めた花火なのでここじゃなきゃいけないわけだ。
荒川の河川敷は今の経緯から見ても判る通り、元は農地だった。戦後すぐまでもそのままで農民は河川敷の農地を所有し堤防を越えて農業をしに来ていた。
だが堤外地で増水時には水没する土地でもあり自治体は土地を購入して運動公園への転用、ゴルフ場や教習所など水没前提の事業者への売却を促してきた。つまりは「平地」として活用されてきた。
だがそのうち荒川旧河道は誰の土地でもないから放置されて荒れ地のままになっていた。それも昭和後期あたりから公園や払下げなどが進んできた。
だが現河道と旧河道の合流部は敢えてそのまま残される事になった。水面が切れ込んでいるので水生生物が流されにくい。そしてその周辺は敢えてそのまま荒れ地のままにしてバードサンクチュアリにする。
という事で、他の部分は運動場などで使うので綺麗に芝刈りされているのに「一か所だけ荒れ地のままにしているところでナイアガラをする」という条件が揃ってしまったのだ。
旧河道付近は荒れ地のままにして、戸田市からぶんどったこの土地でやるのが元々の花火のテーゼだから仕方がないのだが条件が悪いな。
増田の推測だと他の悪条件も重なったと思われる。
まずは2019年の台風19号。これによって荒川は増水し、昭和初期の堤防の高さを超える位置まで水位が上がった。
水が引いた後は河川敷の教習所もゴルフ場も泥まみれである。これらは2~5cm以上にも達し、人力で除去されたのだが、荒れ地の泥はそのままだったはずだ。
そして洪水の泥はナイル川デルタに文明を発生させるほどに肥沃であって、泥がそのままの荒れ地は猛烈に雑草が繁茂したはずだ。
更に2020~2022は東京五輪とコロナの為に開催中止。肥沃な泥で荒れ地の雑草たちは伸び伸びと繁茂しまくり、その中には葛も含まれていた。こいつが来たらもう手に負えない。
そんな悪条件で更に当日は風が強かった。堤防下に管理用道路があり、その脇の数mは普段から草刈りされていて、そこでナイアガラするのだが、そこを遥かに超えた所まで火が飛んでしまった。そしてそこには台風19号で肥料を大増量されて3年以上も繁茂しまくっては枯れと繰り返した雑草、特に葛が居たのである。悪条件が重なりすぎなのだ。
戸田市側の堤防の向こうには戸田のボート場があるが、これは東京五輪用に作られたものだ。
だがこの五輪は2020大会でもなけりゃ戦後の1964年大会でもない、幻となった戦前の1940年大会用に作ったものである。日中戦争激化でキャンセルされた幻の五輪に向けてこれだけ大きなボート場を作ったのだ。でも当時は埼京線は無いし交通はどうするつもりだったのか?都電が戸田橋の南詰まで走ってたがこれは戦後開通だし。
今は西側1/3をギャンブル競艇、東側の残りの水面を大学や実業団の漕艇部が使うという形になっていて、それらの艇庫がズラリと並ぶ。
飛び地問題を早々に解決した川口市の方は荒川での花火大会は無かった(最近出来た)。
だが戸田&板橋の花火大会が羨ましくなった川口市はたたら祭りという祭りを開催。その〆に花火を打ち上げている。
これは川口オートレース場で行われるが、狭いところで打ち上げるので尺玉などは無くて、数も3500発位と、スペックだけ見たらしょぼく見える。
だがオートレース場は観客席と防音壁で囲まれており(数年前までマフラー無しの直管だった)、そこで打ち上げるので音が反響してもの凄い迫力である。また打ち上げ場所が近いので灰や花火の殻がバラバラと沢山降ってきてかなりワイルドなんである。
これは高級スポーツカーよりレーシングカートの方が楽しいとかジャンボジェットよりもセスナやブリテン・ノーマン アイランダーの方が体感的というのに似ている。
先のgooglemapsの航空写真では船渡地区のU字の丸い底の方に工場群が写っているのが見える。
これは新日鉄の工場で、新河岸川は舟運が出来るので戦後すぐに出来たものだが(貨車、トラックに乗らない長物が運搬できる)、実は今は解体されて無くなっている。
都内最大の超巨大物流センターになる予定で、ドローン配達の基地にもなるそうだ。
ただ、ここは実はスーパー堤防予定地である。また、対岸側の川口市の方にはやはりスーパー堤防予定地にタワマンが数棟建っている。
いいの?と思うがスーパー堤防の整備年数は400年、タワマンや工場の耐用年数は60年で、修繕しても120年くらいだから建てちゃっていいそうなのだが、スーパー堤防の壮大さというよりも大言壮語さに驚いてしまう。
花火会場の直ぐ近くを東北新幹線と埼京線が鉄橋で渡っており、埼京線は打ち上げ中は徐行して渡る。新幹線は普通に走っているので乗客へのサービスと思われる。
韓国の雑踏事故とコロナのせいで有料席だけとして無料の人は出ていけとしている大会が増えていて今いたばし&戸田橋もそうだが、これだと市街地の道に人が溢れ、トイレやゴミ箱の設置が無いからその始末を住民がする事になって運営が無責任だ、見えなくしただけだという感じで結構ヘイトを買っている。このやり方はまずいんじゃないのか?
長浜市の高時川が氾濫した航空写真の件で「あれは遊水地だから洪水じゃない」と言ってる人が多いのだが、あれも洪水です。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kentaoki/status/1555648450955735040
洪水っていうのは普通水が流れない場所に水が流れてる事をいうので、河川敷の河原が水没しているのも洪水なのだ。
だから元記事の「河川敷も水没」っていう記述に文句言うのもおかしいのである。
そもそも河川=堤防の向こう側=人間の営み無しの地というのは今は常識になっているが、この常識は精々50~100年程度の歴史しかない。
人類文明は有史以来水と戦ってきたが、それは必ずしも堤防で川を閉じ込めるという意味ではなかった。氾濫が頻発する箇所は氾濫するに任せておき、水が少ない季節に洪水で肥沃になった土で農業をするという方法もあった。
田んぼというのはこの最たるもので、田んぼに適した土地というのは要するに河川の氾濫原だ。水も引きやすいし度たびの洪水でぐちゃぐちゃで栄養豊かな土のある平地。
そもそも低地での河川というのは思いっきり出鱈目に蛇行したり枝分かれしたり三日月湖が残って沼になったりと無茶苦茶な流れ方をするもんである。
例えばこれは熊谷の昔の河川状況を地質から推定した地図だが、見よ!この荒川の出鱈目ぶりを!
そもそも真っすぐな箇所なんて皆無だったのだ。真っすぐな箇所は全て明治以降に工事したもんだ。
そのままじゃしょうがないからこのうちのある程度真っすぐな河道を選んで繋げたのが今の荒川だ。しかも江戸初期まで元荒川を流れて幸手とかをぐちゃぐちゃにしていて開拓の邪魔なので切り替えられたのだな。
それでも蛇行しまくりで氾濫起こしてばかりの川から田んぼや集落をを防御しなきゃならない。
そこで河道から1km近く離れた箇所に低い堤防を築き、その堤防の中の田んぼや家の人は洪水の際は泣いてくれやとしたのである。これを「堤外地」と云う。堤防の中が堤外なんだな。
こうすると水の流れが弱まるし遊水地効果で水位の上昇も抑えられるから堤防に対する攻撃性が低くなる。
で、この広い堤外地があってそこが浸水すると当然泣く人も多く出るというのが当たり前の状態だったのを近代的治水で無くして来た、というのが今の状態なのだ。
だから堤外地が浸水するのを「洪水じゃない」と考えるのは現代的治水が頭にあるからなのだ。
一方で霞提というのは近世からある訳で、こっちは「堤防で全てが守られるのが当たり前」じゃない時代のものなので、そのせいで水没した土地を見て「これは洪水じゃない」と言っちゃうわけだ。
非現代のものを見て現代の価値観を援用するので、被害が出て泣く人もいる状況を「洪水じゃないし問題ない」と処理しちゃうのだ。
以上の理由から河川敷が水没するのも洪水であるのはお分かり頂けるかと思う。堤外地があるのが当然だったし今も残るので「洪水」は堤防の向こうこっちを隔てないのでありますよ。
地役権の事を書いてる人もいるが、これは河川工事で誰かの田んぼを遊水地にする時に設定するものだ。
例えば先の荒川でいうと、熊谷~彩湖までの河川敷というのはとても広い。特に鴻巣の辺りは河川敷が2km以上あるのだな。広すぎ!
これはこの広い河川敷を洪水時の遊水地にする為で、大正に工事がされた。
すると当然この中の家の人は田んぼが洪水時に水没しちゃうし、家を建ててもパーになるから建てられない。
こういう時に地役権設定がされるのだ。
地役権は元々、あんたの土地を使わせてほしいから金出すよ、でも工作物とか建てないでくれよって時に、登記簿に設定する民事契約の事だ。水路引かせてとか通路引かせてっていうのが多い。
河川の場合は「この土地は洪水で水没するって使い方させてくれ」っていう国と地主の契約だな。
一方、霞提は近世の仕組みだから、わざわざ地役権設定する動機っていうのがないので、補償を受けらるようにはなっていない可能性が高い。(農協の共済で救済されるが)
という訳で、堤外地と遊水地、地役権といった概念の時代背景がごっちゃになって、古いものを見るのに現代的基準を拡大しているのが誤解の原因と思われる。
昔は河川から離れた個所に堤防を作ったと書いたけど、その跡は住宅地の中の一段高い土地として残ってる事が多い。
宅地化すると土地を均す事が難しくなるのでちょっと高い土地っていうのが残り易いのだな。~~曽根なんて名前の地名があるところはあやしいぞ。
こういう土地はゲリラ豪雨の時にも浸水しにくくてお得なんだけど、その近傍は水がせき止められるので水位が上がりやすく注意が必要だ。
堤外地であっても浸水しにくい箇所と水位が上がりやすい箇所がある。
例えば荒川は彩湖下流の笹目橋付近が狭いのでその下流は水位が上がり難い。また熊谷~彩湖の中流域の堤外地に家やサーキット、教習所がある所もあまり浸水しない。40年くらい水没しなかった箇所が殆どだ。
それで当初は水没して困るものは置かなかったのだが、段々とエアコンとか高価な家電や設備とかを置くようになってしまい…
そこへ台風19号ですよ。当然電気モノは全滅で結構な損害を出したと聞きます。
広い河川敷に普通の堤防と直角の堤防を築いて、洪水時に河川敷の方の流れが連続しないようにする。遊水地機能をアップさせて下流の水位が上がるのを遅らせるようになってるわけだ。
例えば荒川を渡る川越線は鉄橋を渡る前に土手を走るが、実はこの土手、新たに作ったものじゃなくて横提の上を走っているのである。
江戸川区の殆どが荒川破堤時には浸水地域になると区が警告して話題になったことがあったが、荒川は上記の構造により豪雨発生時から水位が最大となるのに1日以上余裕がある。
荒川は堤防のかさ上げ工事を行っているが、ネックになるのが鉄道の鉄橋で、鉄橋の部分だけ堤防が低い状態になっている。
つまり水位が上がると一番危険なのが鉄橋であり、越水、破堤する場合は必ず鉄橋付近から起こる。
以上の為に、水位が上がると鉄道が不通となるので、サイレンがなってからでは電車で逃げる事が出来ないのである。
必ず前日に決断せねばならない。
多摩川の二子玉川駅の真下から南に掛けて、堤防が住宅地の外側にある箇所があった。
元々ここは料亭や芸者屋敷などがある地域で、大正に近代的な堤防工事をする事になったら「堤防で川が見えなくなる、商売あがったりだ」と反対されたのである。
そこでここを堤外地として堤防を築造して、交通の為に堤防に切れ目を入れた。洪水時になりそうなときは2枚の板を入れてその間に土嚢を投入する(角落しという)。
角落しが間に合わない場合はニコタマ全域洪水である。堤外地の料亭群は全部水没して流されてしまうが契約なので仕方がない。
ところがこの料亭群は戦争で早々に潰れて宅地として売りに出されてしまい、危ない住宅地が出来てしまった。
この為に10数年前から新たな連続堤を作っている。つまりこれまでずっとニコタマは水害的に危険な地域だったのだ。
霞提の代表格は信玄提なんだが、甲府盆地は河川の近代化が進んで殆ど連続堤に改修されてしまっている。土地利用が制限されるので発展の障害になっちゃうので仕方がないな。
・追記
とても勉強になるまとめをみつけたのでお知らせしたい。
どういうわけかうまくリンクを貼れないが、ここ→ www.green.gifu-u.ac.jp/~bhdlab/?p=1391
以下、増田の駄文。大変不勉強で、特定の方々をディスったりして申し訳なかった。こんなものをみる無駄な時間を節約してほしい。
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実は、恥ずかしながら、治水のことなど今まではっきり考えたことはなかった。
休日で暇だったのが幸いして文献を読みまくることができた。
一部、ツイッターなどでは事実上、運転を開始した八ッ場ダムが2日間で満水にしたことで
何が税金の無駄だ…台風19号 「八ッ場ダム」賞賛の声が相次いでいる – ジャストニュース
ガンダムになぞらえるなど、まるでヒーローのような扱いだ。へー、ダムってすごいんだな、と思った。
それに対して、冷静な反論も多く見られた。いわれてみれば、
利根川水系の治水対策は、八ッ場ダムだけが頼みの綱だったわけではないし、むしろ未完成の現在では既存の利根川流域の治水計画の範囲外のはずだ。
台風接近中、いろいろ文献を読んでみた。日本の治水というのは、思ったより興味深いものだった。
数々のツイッターが注意しているように、今回の台風19号の八ッ場ダムの治水効果は技術的な検証を待ってから、というのはその通りだと思う。満水したからといって大騒ぎするのは早計。
とかね。
百歩譲って、流域全体に均一に雨が降るという前提なら成り立つんかね??定量的って、、、、全く。
そのなかでも、ちょっと気になったのは、以前より長い間、八ッ場ダムの反対運動をしてきていると思しき人たちのツイッターやブログの書きぶり。
あしたの会とかそんなやつ。以下、「彼ら」。
ひとことでいうと、彼ら、存在しない夢の総合治水像ですべての物事を語っている印象だ。しかも上記のツイッターと同レベルで科学を装っているから始末にわるい。
具体的にもっとも違和感を覚えたのは、堤防管理では越水耐性を強化すべきとしている点。
堤防で水際の越水対策をきちんとやっていればダムなど必要ないというわけだ。
一方、国交省は、堤防の耐越水技術は確立されていないとして、導入にすら消極的だ。
それに対して、彼らは、いやそれはダム偏重の治水だケシカラン!安価で確実なものができるはずだ!ダム派の陰謀だ!と主張。
おおむね、こんな感じ。
応答する論理がぶっ飛んでしまって、彼らは自分だけ左翼っぽい政治闘争のレールに勝手に乗っかってしゃべっていて、
話がかみ合わなくなっている印象だ。
ダム反対派ってこういう感じなのか、、と実感した。今後はそっ閉じかな、と。
少し時間をさかのぼって、昨日の未明のことを話す。読売新聞が、「利根川決壊の恐れ」とのニュースを報道した。
国土交通省関東地方整備局によると、埼玉県久喜市栗橋の利根川で氾濫危険水位を超え、13日午前3時以降、同県加須市の利根川と渡良瀬川の合流点で越水し、堤防が決壊する恐れもあるという。このため、両市は防災行政無線などで近隣住民の避難を呼びかけている。
すでに、昨日の時点で、いろいろ文献をあさってて、関東平野の治水にちょっとは詳しくなった気になっていたころだった。
決壊すれば、近隣住民の避難どころの話ではなく、下流域の春日部市から江戸川区に至るまで広範囲に水没し、カスリーン台風の二の舞になる恐れがある、ということがとっさに分かった。
水位情報を確認すると、確かに、栗橋の観測地点において、氾濫危険水位を超えてじわじわ水位上昇中だった。堤頂から2mくらい下まで水位が来ており、台風の強風によるうねりを考慮すると、越水が気が気でない状況。
そこで同地点の洪水対策をググってみたら、彼らのウェブサイトがヒットした。
NHKが報道した利根川の決壊を想定した浸水のシミュレーション | 八ッ場(やんば)あしたの会
彼らは、2017年当時、NHKが報道した利根川の決壊を想定した浸水のシミュレーションを批判し、次のように主張する。
今回のシミュレーションは、利根川の栗橋付近(埼玉県久喜市)の決壊で溢れた洪水が、中川(農業用水の排水河川)を通して東京都内まで短時間で到達するとしたものです。利根川の氾濫洪水が流下するバイパスに中川がなることはあり得ることだとは思いますが、そもそも、利根川の栗橋付近の堤防が決壊する危険性がどの程度あるかが問題です。
栗橋付近から上流の利根川中流部右岸および江戸川上流部右岸では、土地を買収して堤防の裾を大きく拡げる首都圏氾濫区域堤防強化対策事業が国交省関東地方整備局によって進められています。
へー、そうなんだ!やるじゃん、国交省!と安心したのが、彼らの主張を見た最初だった。
ところが、このページの締めくくりに書いてあった文章に違和感を覚えた。次のように彼らは締めている。
この事業は浸透に対する堤防の安全性を確保することを目的とし、国交省は超過洪水対策ではないとしていますが、これだけの堤防強化が行われれば、決壊する危険性がほとんどなくなることは明らかです。その点で、今回のシミュレーションは前提が現実と遊離した仮想計算といえます。
NHKの報道は、利根川の栗橋付近で行われてきた首都圏氾濫区域堤防強化対策事業や堤防の現況などには触れませんでした。洪水への備えは必要ですが、利根川決壊の恐怖を必要以上に強調する報道は、果たして防災の役に立つのでしょうか。
まず第一に引っ掛かったのは、国交省が同地点で実施した堤防強化事業を"超過洪水対策”ではない、としている点。
超過洪水対策?なんのことを指しているのかわからなかったので、検索してみたら、例の耐越水堤防をめぐるダム反対派と国交省のやり取りがヒットしたというわけだ。
次に疑問を持ったのは、
と結論づけていることだ。国交省が超過洪水対策じゃないっていってるじゃん??根拠がわからない。
しかも、この記事を読んだのは、国交省がまさに台風19号により栗橋付近での決壊の恐れを警告したニュースをみているときだ。
つまり、彼らは国交省の堤防強化事業について、越水対策の下駄を勝手に履かせて、その効果を信じているが、国交省は昨日時点で、すでに堤防強化された箇所において、なおも越水の危険を警告した、という構図。
現実と遊離しているのは一体どちらなのか??
さらに、たった今気が付いたのだけど、
http://www.ktr.mlit.go.jp/tonejo/tonejo00552.html
によれば、栗橋付近の工事、まだ終わってないか、ほぼ終わったばかりじゃねーか!
2017年に終わってるとか嘘じゃねーか、騙されたぜ。
もうひとつ違和感が残った彼らの主張に、カスリーン台風の評価がある。
カスリーン台風襲来時、たまたま運よく吾妻川流域の降雨が少なかったというのが俺の理解だ。
それに対して彼らは、国交省はカスリーン台風同程度の台風が来たら被害が大きくなるというが、それは妄想だ、カスリーン台風時でも吾妻川流域は持ちこたえたんだよ、と主張。おおまかにいうと。
これもさっきのツイッターと似て、彼らのお花畑では、流域全体に常に均一に雨が降ってんだろう。
それにしても、彼らは、なぜ、それほどまでに堤防事業を全力で信頼しているのか。その答えは、彼らの思い描く理想の総合治水像にあった。詳細は彼らのサイト。
大まかにいうと、ダムに過度に依存せず河川改修やソフト対策を中心とした総合治水モデル。へー、脱ダムの主張ってこんな感じなんだと感心。
確かに、流域によっては、河川改修の方が費用は少ないという試算を出せる場合もあるだろう。雨水対策や遊水地効果を狙って水を河道から逃がす発想も大切だ。
従来の治水の思想は、「貯めて、流す」という言葉で表現されるように、「水を河道に封じ込めて人間が流量をコントロールする」というもの。
近年は、彼らになびいたわけではないだろうけれど、ダムを大きな治水の柱としつつも、特に首都圏では雨水対策はかなり充実してきているように思える。
しかし、問題は、近年の気象現象の変化によって増大する大規模水害。この発想でどこまでいけるのか?
一体、どこまでのハザードを国や広域自治体(県)が想定すべきかどうかにも関わってくる。
財政的な現実性を踏まえれば、100年確率で検討するよりも、50年、30年確率で検討したほうが安価だ。
人命を守ることを優先し、床上浸水は阻むが、場合によっては、床下浸水は我慢してもらうといった発想だ。
例えば、2010年に当時の橋下大阪府知事が決定した槙尾川ダム建設中止はそうした費用対効果の分析に基づいている。
流域を個別にみていけば、最適解はそれぞれ異なるだろう。
比較的規模の小さな流域では、高いコストでダムを作って「貯める」中心の治水を行うよりも、むしろ頻度の高い少々の洪水には我慢してもらう、という発想はありうるかもしれない。
なんでもかんでも山河をコンクリートで固める時代は確かに終わったと思う。
だからこそ土砂災害防止法が2001年制定され、避難などのソフト対策へのシフトも謳われた(土砂災害はちょっと別ジャンルだが)。
しかし、政治的意思決定は、自治体の財政的なインセンティブに左右されてしまう可能性もあるかもしれない、というのが当時の橋下府政に関する文献をみた印象だった。
そうすると、広域自治体によっては、経済的に安価なよりコンパクトな治水事業が知らず知らずに選択されかねない。
住民の目からすれば「ちょっと床下浸水くらい我慢してね、あとは自助だよ、自助、逃げろ走れ、だよ」と広域自治体から言われ、
基礎自治体からは、市町村合併して公務員縮小してるところなんで、避難体制整備まで人回せません。。みたいな、ね。
正直、日本の中山間地域含む地方は、そんな風に途上国化してもやむを得ない状況だと思っている。
しかし、首都圏を洪水から守るという発想は正直、次元が違うというのが、ここ二日間、暇に任せて学んだ印象だ。
総合治水の在り方は、守るべき価値の大きさとのバランスだと思う。栗橋付近決壊で、東京ダウンタウン住民数百万人に、一斉に逃げろ、みたいな構図は、正直ありえない、あってはならない。
国のシナリオでは100兆円34兆円(*訂正)をこえる被害想定も算出されている。
百歩譲って、首都圏を守るための治水事業においても、脱ダムして、河川改修を中心とした対策にシフトすべきだ、としても
彼らのように、現実にありもしない堤防の越水対策などを謳って独自の想定シナリオを提案し、脱ダムの必要性を訴えるのは、行政サイドからは話がズレているとしか思われず、空回りするだけだろうと思われた。
河川改修の重要性、これに異論があるわけではない。例えば新潟三条を流れる五十嵐川とか、拡幅工事がなかったら終わってたわけだし。だけどダムを否定する論理にはならない。
しかし、議論するなら説得力は相当に必要だ。相手にされなかったときに、やっぱりダム利権が絡んでいるからだ!と政治闘争路線に走るのも彼らのお決まりのコースなのが残念なところ。
ドラえもんの道具を謳いたいなら、それは科学論文で証明してもらわないと。
科学技術的な論文で勝負してもらいたい話を政治の話にすり替えるのは卑怯だし、見苦しい。
そんなことを思いながら、貴重な休日が終盤に差し掛かりつつある。。
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追記その1訂正
首都圏大規模水害の被害想定は34兆円が正解。土木学会が取りまとめた高潮被害と混同してました。。
追記その2
長くなりすぎるので割愛したけど、調べている途中で見つけた新潟県及び三条市の過去15年年にわたる五十嵐川の治水の取り組み、見附市の刈谷田川の田んぼダム、ソフト・ハードの絶妙な組み合わせ。素晴らしいものがあると思った。
市町村合併云々のくだりは倉敷市真備町の事例を参考にした。雨水対策は、中堅都市では岡崎市の住民参加型の取り組みも興味深く拝見した。
本来このような話を本文で書くべきだったのかもしれないがあしからず。
追記その3
「彼ら」含めた原告団が最高裁まで争って敗訴決定したのは2015年こと。住民の疑問点は一顧だにされなかったと憤慨されている記事もある。しかし、そのあとにも引き続き、いろいろと従前の主張を繰り返しご発言なさってるという状況は留意しておいてもいいことだと思ってる。治水の話かと思いきや、左翼レッテル張りの記事に見える(個人の感想です - fn7のコメント / はてなブックマークに対するコメントとして。→ええ、そうだよ、思いっきりディスってるよ。
負けたなら黙れっていってるわけじゃないが、高裁判決に対してろくに反論もしてない時点で、キャッチボールになってないんだよ。そういうものを無視して同じ主張を繰り返すくらいなら、主戦場を変えたら?って思う。
上記の今昔マップを見比べてみてほしい。札幌市清田区の里塚1条地区の現在と、1916年(大正5年)の地形図の比較である。
札幌市中心部から三里の距離にあることから名づけられた地名であり、大正時代の里塚地区は見渡す限りの原野や森林地帯が広がっているだけだった。
昭和50年代に入ると里塚地区は住宅街として造成されることになり、地区内を流れていた石狩川水系厚別川の支流である三里川は埋められて暗渠化された。
そして今回の地震で里塚地区の一部エリアで液状化被害が起こったわけであるが、その場所は見事に三里川やその支流を埋め立てたラインに沿っている。
谷筋に土砂を埋め立てて月日が経ったとしても、その土砂は周囲に元からある土壌の硬さには決してならず、比較的大きな地震が起こると容易に液状化する。
「縄文海進」という言葉がある。縄文時代末期の約6000年前、今の間氷期が始まる直前に地球上の氷河融解によって海面の高さが上がることによって、海面の高さが約100メートル高くなったことである。
この海水面の上昇によって、地球上の多くの低地が水没して人が住めなくなってしまったのだ。
日本列島において、この縄文海進の影響が深刻だったのが西日本である。
今の西日本の地図を眺めてみると、虫食いだらけの地形になっている。
伊勢湾や大阪湾、若狭湾など、近畿地方の大部分は海で浸食されている。
淀川や太田川の河道が異様に短いのも、元々陸地であった大阪湾や瀬戸内海を流れていた川が海に飲み込まれてしまったからだ。
現在の大阪湾や瀬戸内海の海底には、淀川や太田川の河道が残っているらしい。
今回の西日本豪雨にでも、被害に遭った地域は、瀬戸内海に面した下流部ではあっても、実質的には河川の「中流部」の場所なのだ。
標高40メートル前後の平坦地がどこまでも続く大阪北部のベッドタウン。万が一淀川や神崎川が氾濫したとしても、千里丘陵に被害は及ばない。急傾斜地も少ないので、土砂災害の危険も少ない。ただ、6月の大阪北部地震の震源地に程近いことには留意。
大阪・天王寺から南部の一帯(ただし大和川沿いは除く)。JR阪和線から東側一帯の広大なエリアは基本的に地盤が強い。生駒山の稜線群からも離れているので、土砂災害の危険性も低い。
3.京都市北区
京都御所と船岡山に挟まれた一帯。周囲を山に囲まれている京都盆地の中では、標高が比較的高く、山の麓や鴨川・桂川の河道から少し離れているあの辺りが一番安定している場所。
伊丹空港から西側一帯は、地盤の固い場所がどこまでも広がっている。神戸のように山が市街地に迫っていないので、土砂災害の危険性も低くなる。
5.徳島平野
徳島平野内を流れる吉野川は古くから氾濫を繰り返していて、逆に治水がしっかりしている。今回の豪雨でも高知や愛媛が甚大な被害を受けていても、徳島は特に被害は無かった。
広大な讃岐平野の中央に位置する地盤の強固な丘陵地帯。この辺りは水不足はひどいが、近年の豪雨の増加によって、あまり欠点にならなくなりつつある。