はてなキーワード: 島村とは
どう考えても島村とかしぶりんのが強い
https://anond.hatelabo.jp/20180312105852
この人の言いたいこと若干わかる。
先にいっておくよ。
自分は島村卯月の担当なんだけど、まさに「君らとはプロデューサーとしての質が違うんだよ(メガネクイッ)」ってするようなやつだった。
具体的に言うと、島村卯月のカードが出る度に、3枚自引きすることを課してたね。
CDも当然のように近場のCDショップを巡って一店舗につき10枚求める。10枚無ければあるだけ。総計242枚(これは同僚とオフをする度「増田さん!島村さんのあるよ!」と言われては買うっていう事を1年ほどしての数)を買った。
独占欲だったんだと思う。島村卯月について、俺が一番なんだと思っていた。
「島村卯月担当と名乗るなら自分ぐらいしろ」って心のなかで思ってたし、アニメが始まって「”自分”が金をかけてきてよかった」と思った。
苦しかったんだよ。
島村卯月を愛する度に、自分はクレカ明細書を見るのと、減っていく貯金残高を見るたびに苦しかった。
自分をモバマスに誘ってくれた友人はそんな俺を見るたびに「お前がすごいのはわかった」「だからほどほどにしておけ」と釘を差した。多分、誘った手前、どんどん課金が派手になっていく俺を思ってだろう。
課金をすれば課金をし、Twitterにいくら使ったか、その結果を載せる度、自分に課金を求める声がおおきくなった。
例えば自分が「前川さん、かわいいやん」っていうと「引きますか!?w」みたいなクソリプもよく飛んできた。
それを誘ってくれた友人に「借金までしちゃったよ~」と軽く言ったらものすごく怒られたんだ。
「お前の精神状態はおかしい」「お前がお金を払った事だけがモバマスを大きくしたんじゃないことはちゃんとわかってるのか」「お前にとって島村卯月とは貢ぐ相手なのか」
2時間ぐらいSkypeで説教された。はじめてだったよ、自分より年下のやつに正論を吐かれてぐぅの音も出ないほど説教されたのは。
友人は「だったら今のTwitterはもうやめろ。新しくアカウント取って、自分が本当に関わる人だけフォローして。」と言われた。
底から自分は、ハンドルネームを変えて、モバマスのアカウントも変えて、元のアカウントは全ての島村さんを時間をかけスタエネに変えて、新しいアカウントに引き継いだ。
友人は根気よく自分に付き合ってくれた。
自分がガチャを引いた気配(例えば、新キャラをゲットしたSSを「単発!」とか「10連!」って言う もちろんそんなものは嘘 たまに本当)を見せると「またやっちゃったね」と必ず言ってくる。
最初は「いやこれは10連だから」というと「経験上、そんなに毎回単発で引けないよ」と言われて俺も閉口する。
とにかく根気よく付き合ってくれた。
気がつくと、島村卯月のいいところ語れるフォロワーも少しづつ増えていき、ライブのときも一緒に盛り上がってる。
その中で気づいた。自分は島村卯月の一番であると思っておきながら、島村卯月のことは見ず、自分がどれだけがんばったかばかりを語っていたんだって。
今思うと、なんであんなに金を使うことに執着してたのかわからないぐらい課金をしなくなった。
今は、友人とその仲間と一緒にMHWで狩りをしたりPUBGを楽しんだりしている。
金をかけなきゃファンじゃない。
それはわかる。痛いぐらいに。
金額でマウント。そりゃ気持ちいいよ。俺もクソリプ飛ばしてくるやつに「で、お前島村さんの進化前も含めて全部持ってんの?」っていって味方してくれる多くの阿呆共にRTで拡散されてクソリプ野郎をブロックさせたのは爽快感しかなかった。
金を使うことが力だった。完全に。
でも、その金を使わせる力も周りからもらってた。
今は綺麗事だと思っていい。
けど、きっと真に一緒に楽しめる人に囲まれた時、綺麗事じゃなく、金じゃないんだなって思う時期が来る。
そういう思考をしている限り、そういう人しか周りに来ない。そしてそういう人から影響をうけて更に極まっていく。
元増田がいまのままでいいっていうのなら、それは誰にも止められないよ。
いい方向に向かうも、悪い方向に向かうも、それは元増田次第。
卯月「……うん? もう2年も前の話ですよ?」
愛海「いえね、島村さんの結婚式? 披露宴? なんかそういうの話なんですけど」
卯月「そうですね、さすがに事務所のみんな全員とはいかなかったですが、愛海ちゃんはラジオ一緒にしてますし。っていうかなんで2年前の話するんです? なんか2回目の結婚式したと誤解されそうで嫌なんですけど」
愛海「あの席」
愛海「あの席の配置なんなんです?」
愛海「覚えてらっしゃらない! 覚えてらっしゃらないと申します?」
卯月「えー」
愛海「はっきり言いました、島村さんははっきりと『私が全部プロデュースするからプロデューサーさんは黙っててください!』と言いました。言質をとっています」
卯月「はあ。じゃあもう覚えてないですけど、私が決めたんですかね?」
愛海「それで、その席の配置、五人がけのテーブルにあたしと誰がいました?」
卯月「覚えてないですよお」
そしてあたし、棟方愛海」
愛海「悪意あるでしょ」
卯月「もう始まりからここまで愛海ちゃんの意図がまったくわからないです。
何が言いたいんです?
それに、今更ですよこの話。
2年も前の話をなんで今……さ……」
卯月「違いますよ! わざとじゃないっていうか、かりにわざとだとしても、悪意なんてないですよ!
そもそも、どこかに誰かを配置しなきゃいけない以上、こういう偶然はあるものです!
だいたい……」
愛海「なんです?」
卯月「その…… いやほんと、本当に本当に悪意はないですからね。こういうことで愛海ちゃんを弄るの大嫌いですから」
あたしの席全員、それぞれの担当プロデューサーと付き合ってる子だったじゃないですか!」
愛海「偶然のわけないでしょ!」
卯月「それに、それがなんで悪意なんです?」
愛海「周りのみんなですよ、周りの。
そのね、この四人って言ってみれば事務所のうちうちのメンバーは知ってたわけですよ。
プロデューサーとお付き合いしてることを」
卯月「まあ、目敏い人はそうかもですね」
愛海「そんな中にあたしを放り込んだんですよ?」
卯月「えー、もうなんか被害妄想入ってません? 誰も何も思ってないし、だいたい気づいてませんよ」
でもね、あの四人と披露宴という場で一緒にいることの辛さ」
卯月「これ、シリアスな話してます? なんかコメディでこの話するの若干ポリコレに違反してるような」
もうね、もうね、四人が四人とも、自分のことのように喜んでいるわけですよ。
そして何よりね、いつかその先に自分もいることを思い描いているわけですよ。
愛海「せめてヘゴれや! いやもうね、あの空間にいたあたしのアイデンティティクラッシュ」
愛海「そのね、色々考えるわけですよ。
先進的な渋谷区(美波さん談)に感謝する方向もあるなあとか、けど特定の相手を見つけると縛られてしまうよなあとか、いやでもそうやっていつまでもフラフラしていたらいつか本当に一人になってしまうぞ、とか」
卯月「考えたらいいじゃないですか。みんなそうやって大人になるんです」
愛海「ううううう……」
卯月「で、二年間悩んで答えでました?」
愛海「でないです……」
卯月「繰り返しますけど、悪意なんてないですし、愛海ちゃんに何か当てつけてやろうなんて思ってません」
愛海「今夜もー」
卯月「いきなりぶっこんできましたね。
どういうところが好きなんですか?」
愛海「野武士のグルメで竹中直人にいろんなところを揉まれてたときの反応が、もうこの、ふっひゅひゅひゅひひひ」
卯月「念のため言うと嘘ですよー」
卯月「その理屈だと、榊原良子さんとか矢島晶子さんも揉まれてることになりません?」
愛海「こらっ! なにいってるの島村さん! 声優さんに卑猥なこと言うなんて!」
愛海「あーあ、あたしも人気俳優になって女優さんを侍らせたいなあ
愛海「六股の代名詞みたいに火野正平さんを使われても困るけども」
卯月「そんな、火野正平さんが中学生をビンタしたらしいですね」
愛海「してないよ、仮にしていたとしたら、レベルファイブの社長もしているよ」
愛海「絶対違う」
愛海「なにその偏見。あと島村さんも横ステップ大好き体育会系じゃないですか」
卯月「そんなーほめないでくださいー」
愛海「はい、というわけで前振りだったよ!
純朴なネトウヨさんも満足させられないイロハのイもできていない金持ち一覧
或いは個人または会社名で慈善活動を行っていないと思われる高額資産所有者一覧
軽く挙げると
滝崎武光氏、澤田秀雄氏、松村厚久氏、安田隆夫氏(CSR否定派)
探せばもっとあると思うぞ
追記
せっかくだから調べた人を気が向いたら追記するよ
間違ったら訂正するから指摘してね
もちろん事業拡大や家族を守ることや自身の生活を優先する事は責めることではないが
野田順弘氏、山海嘉之氏、熊谷正壽氏、森和彦氏、沓名俊裕氏、左右田稔氏
中島弘明氏、井上英隆氏、川上量生氏、田村眞一氏、神田正氏、伊井田栄吉氏
松本繁氏、加藤光昭氏(トシン・グループ)、玉木康裕氏、井上久尚氏、渡辺章博氏、宮崎宗市氏、堀場厚氏、森下一樹氏、漆原茂氏、八幡滋行氏、塚本勲氏(加賀電子)、三田聖二氏
一瀬邦夫氏、谷好通氏、長谷川正義氏(日本マイクロニクス)、関口忠弘氏、木村知躬氏、倉正治氏、吉田立志氏、大嶋章禎氏、山村章氏、石田信文氏、大亀裕氏、山崎敦彦氏、柴野豪男氏、室義一郎氏
原因・背景[編集]
1871年(明治4年)10月、宮古島から首里へ年貢を輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風で遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民(現在の台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落へ拉致された。
先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日、遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府は清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年(明治5年)琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡柏島村(現在の岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。
開戦準備へ[編集]
宮古島民台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在のアメリカ合衆国総領事チャールズ・ルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人を懲罰するべきだ」と日本外務省に提唱した。
初代龍驤は台湾出兵の旗艦であり副島種臣と大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。
孟春(砲艦)は三本マスト・スクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。
外務卿の副島種臣はデロングを仲介しルジャンドルと会談、内務卿大久保利通もルジャンドルの意見に注目し、ルジャンドルは顧問として外務省に雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。
1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島民台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国の統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任を回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府は国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年(明治7年)4月、参議の大隈重信を台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道を台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。
明治六年政変における明治天皇の勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変で下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的に企画したのである。
台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に、参議木戸孝允らの長州系は征韓論を否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日、木戸は参議の辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。
水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]
国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日、三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日、台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日、谷干城と赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日、海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵一大隊砲兵一小隊の出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。
5月6日に台湾南部に上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日、台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷の命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域の風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリアは猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。
明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章、イギリスの駐日大使パークスは当初は日本の軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通が北京に赴いて清国政府と交渉した。大久保は、ルジャンドルとフランス人法学者ボアソナードを顧問として台湾問題を交渉し[7]、主たる交渉相手は総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍の出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国間互換条款互換憑単によると清国は遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国が日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球の日本帰属が国際的に承認されるかたちとなった[1]。
日本と清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年(明治8年)、琉球に対し清との冊封・朝貢関係の廃止と明治年号の使用などを命令した。しかし琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球の朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。
1879年(明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年(明治13年)の北京での交渉において、日本は沖縄本島を日本領とし八重山諸島と宮古島を中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島の領有は望まず、冊封関係維持のため二島を琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。
また、明治政府は兵員輸送に英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便蒸汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱は政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。
日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人・軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。
1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省と海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医(大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省からは外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部の前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。
嘉永(かえい)3年2月18日生まれ。外務書記官となり,ニューヨーク,メキシコ勤務をへて,明治28年ホノルル総領事となる。退官後,大阪の鴻池(こうのいけ)家の財政整理にあたる。鎌倉に能楽堂をたて,みずから演じた。大正7年1月13日死去。69歳。備前(岡山県)出身。
1883年6月、金玉均は自身にとって3回目の日本訪問の途についた。前回の訪日で会見した日本政府の高官は、朝鮮国王の委任状があれば借款に応ずることを示唆しており、朝鮮からの留学生尹致昊の帰国に際しても大蔵大輔の吉田清成はかさねてそのことを金玉均に伝言していた[5][注釈 2]。
しかし、高宗からあたえられた300万円の国債借り入れの委任状を持参して来日した金玉均に対する日本政府の対応は冷たかった[5]。300万円は当時の朝鮮における国家財政1年分に相当しており、日本の予算約5,000万円からしても巨額なものであった[5][7]。メレンドルフの妨害工作もあったが、日本政府としても大蔵卿松方正義が緊縮財政を進めているなか、財政力に乏しく政情も不安定な朝鮮に対し、そのような巨額な投資をおこなうべき理由は乏しかった[5][10]。金玉均は、日本についで、フランスやアメリカ合衆国からの借款工作にも失敗した[5]。
1884年5月、金玉均は失意のうちに朝鮮に帰国した。朝鮮では、以前にもまして大国清の勢力が猛威をふるい、朝鮮国の重臣たちはそれに追随し、開化派の活動はいっそうせばめられていた[5]。清とフランスの緊張関係の高まりから、5月に遼東半島に移駐することとなった呉長慶にかわって野心家の袁世凱が実権を掌握し、朝鮮王宮は彼の挙動に左右された[5]。これに危機感を覚えた金玉均らは国王高宗を動かそうと計画した[7][10]。高宗もまた閔氏の専横に心を痛め、朝鮮の将来に不安をいだいていたのである[7]。
清仏戦争の直接原因となった1884年6月23日のバクレ伏兵事件(英語版)
1884年6月、ベトナム領有を意図するフランスとベトナムでの宗主権を護持しようとする清国との間で清仏戦争が勃発した[10]。清越国境付近のバクレでの両軍衝突が引き金となったが、この戦いで劣勢に立った清国は朝鮮駐留軍の半数に相当する約1,500名を内地に移駐させた[5]。独立党は、これを好機ととらえた[10]。日本もまた、壬午軍乱以降、無為にすごした失地回復の好機とみて清国勢力の後退を歓迎した[5]。井上馨外務卿は帰国中の弁理公使竹添進一郎に訓令し、10月に漢城に帰任させた。竹添は軍乱賠償金残金の寄付を国王に持ち掛ける一方、金玉均ら独立党に近づいた[5][11]。
竹添進一郎
金玉均らは11月4日、朴泳孝邸宅に日本公使館の島村久書記官を招いて密談をおこなった。集まったのは、金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範、島村の5名であった[12]。そこで金玉均は島村にクーデタ計画を打ち明けているが、島村はそれに驚きもせず、むしろ速やかな決行を勧めるほどであったという[12]。かれら独立党は3つのクーデタ計画案を検討し、同年12月に開催が予定されていた「郵征局」の開庁祝賀パーティーに乗じて実行にうつす案が採用された[12][注釈 3]。金玉均は11月7日に日本公使館をおとずれ、竹添公使にクーデタ計画を打ち明け、そのとき竹添から支援の約束を得ている[12]。
金玉均は漢城駐在のイギリスとアメリカ合衆国の外交官にもクーデタ計画を相談した[12]。かれらは、金玉均のえがく理想に共感し、清国よりも日本を頼るべきことについても理解を示したが、しかし、決行については清国の軍事的優位を認めて、これに反対した[12]。金玉均はさらに、それとなく高宗にも計画の内容を伝えて伺いを立てた[12]。高宗もまた、清の軍事力を考えると不成功に終わるのではないかとの懸念を伝えたが、金玉均はこれに食い下がり、フランスと連動して動けば充分に勝機はあると訴えた[12]。高宗は、これを諒とした[12]。
しかし、クーデタに動員できる軍事力といえば、日本公使館警備の日本陸軍仙台鎮台歩兵第4連隊第1大隊第1中隊の150名と、陸軍戸山学校に留学して帰国した10数名の朝鮮人士官学生および新式軍隊の一部にすぎなかった[5]。この人数では、半減したとはいえ、なお1,500名を有する清国兵および袁世凱指揮下の朝鮮政府軍に対抗するのは無謀といってよかった[5]。
今更アニメのシンデレラガールズの考察サイトとか見て回ってたら、はてなでもちょくちょくエントリあがる人の経歴が自分に近くてちょっとびっくりした。
優秀でもなければいい子でもなかったと思うし、医者にかかったりとかもしてないのでそこまでひどいものではないのだけれども。
その後もずっとそのこと引きずったまま進んで、幸か不幸かほんのちょっぴり普通の人よりは絵がかけて、運良くその方面で仕事を貰えたばっかりに細々とそれで過ごして。
それでもちょくちょくその回避性の性格が発動して、大きな新しい種類の仕事もらえた時、ネタが浮かばなかったらどうしよう、迷惑かけたらと思ってしまって断ってしまった事があるし自分でもチャンスをドブに投げているとはわかっているけど、断った後は後悔よりもホッとしてしまう。
なんだかシンデレラガールズ二期の挑戦や冒険というテーマや、終盤の島村さんの話にもいまいち乗り切れなかったのはその辺りもある気がしてきた。
デレマスって、やっぱりお行儀がいいよね。
なんだかんだで育ちがいいというか、お嬢様な感じ。
泣き方にしたって、どこか品がいい。
ぐちゃぐちゃな崩れ方はしてかい感じ。
SHIROBAKO で言えば「私知ってた」の顔の修正前みたいな、綺麗さ。
まだまだ心の奥底のドロドロ下部分までは見えてない。
「心が叫びたがってるんだ。」はさすがの岡田マリー脚本。
心情の吐露が二重三重に仕掛けられていて、巧いなあとうならされた。
あの積み重ねが絡み合って連動するピタゴラ装置になってるのは見事だと思う。
「ガールズ・ステップ」は、高校生のドラマでそこまでやるのか、と思ったけど
実写だとわりとあるような気もする。
アニメでもあるんだろうけど、俺はそこまでのは知らない気がする。
ギスギス、ゴタゴタ。
他の4人の重さに比べると主人公格の一人だけちょっとぬるい感じだったけど、
でもまあ、あんなもんかもしれない。
「私たちのハァハァ」は、仲良し4人組の崩壊の過程がたまらない。
グループ内での美醜の格差だったり、バンドに対する思い入れの温度差だったりというところから亀裂が入って、バラバラになっていく。
わりとガチンコなぶつかり合いに見えた。
ドロドロした汚い部分はあまり表に出さずに綺麗なところだけ掬い上げていたような気がする。
お行儀のいい優等生がすこしばかり内心を吐露しました、みたいなような。
ええと、言いたいことがまとまってなかったけど、
最新話のしぶりんとちゃんみおの説得だけで島村さんが立ち直ってしまえたのだとしたら、
ちゃんちゃらおかしいわ。
こちらも少し煽るような書き方をしてしまって、悪かった。
こういう意味ならわかる気がする。
うーんと、語弊があるような書き方をしたこちらが悪いんだけど、
鬱耐性自慢をしたいわけではなくて、「鬱展開きたー」みたいなノリがイヤというか、
物語なんて起伏があってこそのドラマなのだから、ことさら「鬱展開」を忌避する姿勢でアニメを見ていて楽しいのかなー、という疑問。
(たぶん元増田は違うみたいだけど、他のネット上のあちこちで見かける雰囲気としての話ね。)
自分の場合は島村さんはどうせ持ち直すんだから大丈夫だろうと楽観していたのでダメージ少ないんだと思う。
沈んだ島村さんがどうやって浮き上がるのかなー、誰がきっかけを与えてどうやって復活するのかなー、って期待した方が楽しいじゃない。
あ、元増田に追記されてたのね。
これまた的外れなことを書いてしまったみたいだ。面目ないです。
読み流してください。
島村さんの描写が生々しいと感じたのなら、元増田にも同じような感覚に心当たりがあるか、そういう(周囲を比較してしまって自分に何もないように感じてしまうような)経験があったのかもしれないね。
呼ぶ側 | 呼ばれる側 | 呼び方 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
0:40 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | |
2:42 | P | CPメンバー | みんな | ~、待っています。 |
2:47 | P | 本田未央 | あなた | ~ひとりの |
2:55 | 島村卯月 | プロデューサー | プロデューサーさん | あ、~。 |
3:18 | P | 本田未央 | 本田さん | ~が今は会いたくない |
3:37 | 渋谷凛 | P | あの人 | このまま~に任せておいて |
5:18 | P | CPメンバー | みなさん | ~は各々、出来る事を |
5:29 | 渋谷凛 | P | あンた | ~はどうするつもり? |
5:48 | P | 本田未央 | 本人 | まだ~が本調子では |
5:58 | 渋谷凛 | P | あンた | ~、言ったよね。 |
6:35 | 渋谷凛 | P | あンた | ~は何を考えているの |
7:20 | 城ヶ崎美嘉 | P | あんたたちのプロデューサー | ~はなんて? |
7:25 | 城ヶ崎莉嘉 | P | あの人 | ~、何考えてるか分かんないんだもん |
9:57 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | プ、~。あ、あの |
10:53 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | ~も風邪なんですか |
11:16 | P | 島村卯月 | 島村さん | ~は今後、 |
12:24 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | ~、明日からまたよろしくお願いします |
12:43 | 前川みく | P | プロデューサー | プ、~! ちゃんと聞かせて。 |
13:21 | P | NGs | 彼女たち | 絶対に~は連れて帰ります。 |
13:50 | 前川みく | P | プロデューサーさん | ~を待っています。 |
14:10 | 今西部長 | P | 男 | まっすぐな~がいてね |
14:55 | アナスタシア | P | プロデューサー | ~、ですか? |
16:26 | P | 本田未央 | 本田さん | ~! もう一度、ちゃんと話を |
17:29 | P | NGs | あなたたち | ~の歌を聴いてくれていました |
18:21 | P | 本田未央 | 本田さん | ~、戻りましょう。 |
18:40 | P | NGs | あなたたち | このまま~を失うわけにはいきません |
19:39 | 渋谷凛 | P | プロデューサー | |
20:16 | P | 渋谷凛 | 渋谷さん | |
20:18 | P | 渋谷凛 | あなた | ~の言うとおり |
20:27 | P | NGs | あなたたち | ~と正面から向き合うことから |
20:33 | P | NGs | あなたたち | ~を混乱させて |
21:18 | P | CPメンバー | みなさん | もう一度~に信じてもらえるように |
21:39 | P | 渋谷凛 | あなた | もう一度見つけに行きましょう。~が夢中になれる |
22:17 | P | CPメンバー | みなさん | ~、待っていてくださって |
22:39 | 本田未央 | P | プロデューサー | あのさ、~。 |
6話とは打って変わって、Pとの名前のやりとりが多い7話です。
あらためて、当たり前のことですが、「名前を呼ぶ」というのは何かを聞いて欲しい、ということなんですね。
今西部長が「男」を連打している部分は1つだけあげて他は省略しました。
しぶりんは、Pに対して安心してる信頼しているときは「プロデューサー」呼びで、訝しがってるときは「あンた」とかになるのかもしれません。なんとなく法則っぽいけど、ちょっと違うかな?
さてさて、8話以降はどんな感じに呼び方が変わっていくのでしょうか。
アニメ「アイドルマスターシンデレラガールズ」。結構面白いんで見てます。
この前ニコニコで一挙やってる時「まだみくにゃんはPチャンって呼んでないんだな」というようなコメを見た。
そういやそうだな。ということでP→アイドル、アイドル→Pの呼び方がどうなってるか起こしてみた。
まあ、みくにゃんのP呼びが変わるのは8話以降なんだろうけど。
呼ぶ側 | 呼ばれる側 | 呼び方 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
4:14 | P | 島村卯月 | 島村、卯月さん | ~、ですね |
4:30 | 島村卯月 | P | プロデューサー | シンデレラプロジェクト~ |
4:36 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | プ、~!? |
4:40 | P | 島村卯月 | あなた | ~も |
7:57 | P | 島村卯月 | あなた | ~が、一人目です |
8:09 | P | 島村卯月 | 島村さん | ~にはしばらく |
10:32 | P | 渋谷凛 | 彼女 | ~の話を |
11:18 | 渋谷凛 | P | 勧誘の人 | ~だったんだ |
13:47 | 渋谷凛 | P | あンた | ~、もうこない方がいいよ |
14:19 | 渋谷凛 | P | この人 | 違うんです。~は |
14:40 | 渋谷凛 | P | あンた | ~の前で |
15:04 | P | 渋谷凛 | あなた | 今、~は |
15:17 | 渋谷凛 | P | あンた | それ、~に |
15:25 | P | 渋谷凛 | あなた | ~は今、 |
15:37 | 渋谷凛 | P | あンた | ~には |
15:48 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | |
19:00 | 渋谷凛 | P | あの人 | ~が |
19:23 | 渋谷凛 | P | あの人 | ~さあ・・・ |
19:28 | 渋谷凛 | P | あの人 | 変じゃない? ~ |
19:30 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | ~ですか? |
20:10 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | ~はそれでも |
21:34 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | ~が |
21:37 | 渋谷凛 | P | あいつ | ~が・・・? |
21:45 | 島村卯月 | P | プロデューサーさん | ~は |
22:28 | P | 渋谷凛 | キミ | 少しでも、~が |
23:32 | 渋谷凛 | P | あンた | ふーん。~が |
23:46 | P | 本田未央 | 4番の方 |
時間は目安。前後の語句も拾ってみたが聞き間違い打ち間違いあるかも。
以下、7話までトラバで続ける。
サクッと終わるかと思ったら意外と時間が掛かった。
今日ドンキに行っておもちゃコーナーのぞいてたら、「アイドルマスターシンデレラガールズステージ02」とかいう「ねんどろいどぷち」があって、ゲーセンでフィギュアはもうかなり取ってきたけど、そういえばフィギュアって買ったことないなと思って、安かったんで買ってみた。
ぼくはCV的に島村さんが好きで、どうせなら島村さんがほしかったんだけど、なんか前川みくとかいう知らないキャラが出てきてちょっとテンション下がった。
ウィキペディアを見てみた。
声 - 高森奈津美
年齢:15歳 / 身長:152cm / 体重:45kg / スリーサイズ:B85/W55/H81 / 誕生日:2月22日 / 星座:魚座 / 血液型:B型 / 利き手:右 / 出身地:大阪 / 趣味:猫カフェ巡り
語尾に「にゃ」をつけて話すなど大の猫好きな八重歯が特徴の少女。高校生。特訓後の衣装はネコ耳やネコ尻尾を身に付けている。ただし自宅ではペット禁止でさらに魚とネズミが苦手。特に魚は弁当の焼き魚から寿司まで苦手。逆に肉やスイーツは好きで特にハンバーグが大好物。相手の名前の後ろににゃんを付けて呼んでいる(例・渋谷凛→しぶにゃん)。愛称は「みくにゃん」。島村卯月と渋谷凛、本田未央の3人とは仲が良い。他にも上条春菜や和久井留美と交友関係がある。本人曰く、「大阪出身ではあるが関西弁は喋れない」らしい。オフでは猫語を抑え、メガネをかけている。その姿を見た本田未央が、喋りだすまでみくと気づかないという場面がシンデレラガールズ劇場で描かれている。原宿エリアのライバルアイドル。
まあ高森さんならかわいい感じに仕上がってるんだろうけど。でもにゃあにゃあ言ってたらうざいよなあ。
ああ、アニメにも出てるんだね。http://imas-cinderella.com/character/#miku
確認のために見てみようかな。
島村英紀先生が長周新聞元旦号に「権力に囲い込まれた大学の研究崩壊」というコラムを書かれたとのことで、同じ内容がインターネットにも掲載されている。
http://shima3.fc2web.com/kakoikomarerudaigaku201501.htm
このコラム自体は昨今の国立大学事情を憂う含蓄深いものであるが、ちらほらと事実誤認や思い込みやホラ吹き寸前の誇張が含まれている。不思議なことだが、偉い学者先生に教育や大学のことを語らせると普段の科学的で論理的な思考が吹き飛んでしまうことがあるのだ。もちろん、これは科学的な論文などではなく単なるコラムであるから、一種のアジテーションとして書かれたのかもしれない。
このコラムを元にして社会で有益な議論が起こるには、アジテーションを真に受けるだけでなく、頭を冷やして考えることも必要だろう。ということで、本稿では島村先生コラムに対して揚げ足取りのような指摘を行うものである。ただし、この揚げ足取りは島村先生に敬意を込めて行うものであり、決して人格攻撃ではないことをお断りしておきたい。
まず冒頭。
このコラム全体の論旨からすれば、崩壊しているのは国立大学である。国立大学が勝手に崩壊しているのである。不確かな理由をつけて多数派である私立大学を巻き込み、大学全体の問題として論じるのは不誠実である。
他方、国からの予算を少しでも多く獲得するために文部科学省から天下りの官僚を国立大学に迎えることも一般的になっている。大学の経営にあたる理事に天下り官僚が入っていない国立大学はほとんどない。
国立大学の法人化以前から経営幹部である事務局長ポストが文部(科学)省人事だったことをお忘れなのだろうか。法人化後は理事という扱いになったが、実態は何ら変わっていない。国立大学が因循姑息として変わっていないことを批判することもできようが、変わっていないのにも関わらず変わったような印象を作って批判するのはゴシップ誌の手法である。定義不明な「天下り」はなんと便利な言葉か。
また学内の教官たちによって選ばれた学長候補をさしおいて天下り官僚が学長になったところもある。そのひとつ、山形大学では学長が替わって以来、窃盗など学内者による刑事事件が頻発するようになっただけではなく、それまで医師国家試験の合格者数で上位だった順位が大きく下落してしまった。大学のモラルが落ちてしまっているのである。
「天下り官僚が学長になったことで大学のモラルが落ち、刑事事件や国家試験合格率低下を引き起こした」のだそうである。これは一体何を言っているのか。因果関係に相当な飛躍があることが明らかであることを考慮すれば、その意図するところは「俺ら学者の島を荒らす奴は気に食わぬ。悪いことは全部あいつのせいにしろ」ということである。同じ理屈によって山形大学の学生・教職員による窃盗などの不祥事が相次いで地元紙に「報じられた」ことは想像に難くない。
モラルの指標に国家試験合格率を引き出すのもまず失当だが、この医師国家試験合格率は合格率が約9割と高く、各大学の医学部医学科の定員数の規模に大差がないことから、その順位は大きく変動するものであることに留意しなければならない。なお、事実としては昨年度の医師国家試験の新卒合格率は97.9%で全国80大学中19位と上位に返り咲いているが、これをあえて昨年度末に退任した「天下り学長」の薫陶と言う者はいないだろう。
じつは研究の面から言えば、このように「明日のゼニになる」研究はたやすい。研究資金さえ豊富で多くの研究員を雇えるならば、研究目的がすぐ近くにあって明確なものゆえに、材料や手法を替えながら大量の実験を繰り返すことによって「研究」が進むからだ。つまり研究にとっての革命的な進歩である研究の質的な向上をしなくてもできる研究だからである。
なんと、金を生み出す研究は「たやすい」のだと言う。「そんな順列組み合わせ作業なら大学ではなく工場でやればよい」と言っているようにも受け取れる。工学研究者は怒って立ち上がってもいい。が、しかし、
現在の研究全体のありようは、過去にはあった研究の質的な革命を生み出すことを止めてしまって「明日のゼニになる」研究だけに注力しているのが問題なのである。
ということだ。「明日のゼニになる」研究だけに注力しているのが問題。その通りであり、島村先生も基礎研究が応用研究よりえらいと論じているものではない。工学研究者の皆様はご着席ください。「明日のゼニになる」研究にも「研究の質的な向上」が必要なものであり、読者は注意が必要である。
もうひとつ、この種の外部資金頼みの研究には危険がある。それは防衛省が進める大学や各研究機関との共同研究が、近年急増していることだ。
防衛省や防衛産業にとってみれば研究者の頭脳はのどから手が出るほどほしいものに違いない。だが研究者には戦後ずっと軍事研究や防衛省への協力に抵抗感があった。しかし、その「歯止め」も年々弱くなって、旧制帝大7国立で軍事研究を実質的に禁止しているのは東京大と大阪大だけになってしまっている。
軍事研究が是か非かについては意見がわかれるだろうが、ここは島村先生の立場に則り「非」として考えてみよう。現状、軍事研究を実質的に禁止している大学がどういう状況にあるか。軍事研究推進派である右派団体・産経新聞は、大学のこの方針を徹底的に非難する。では、軍事研究否定派は大学の擁護をするかというと、そうではない。否定派の左派団体・労働組合は「この方針は我々の闘争によって勝ち取ったものであり、大学当局の弱腰を許さない!」と、なぜか大学を非難する側に回るのだ。軍事研究を禁止している大学は、賛否両派から攻撃を受ける状況にある。面倒極まりない。それではいっそのこと「歯止め」を外したくもなるというものである。否定派は、党派的な対立構造を作った上での主義主張という古風なスタイルが目的に対して逆効果となっていないか十分に内省すべきだろう。さて、この段落、島村先生の主張とあまり関係なかった。
大学は、井上ひさしの『ボローニャ紀行』にあるヨーロッパ最古の大学、イタリアのボローニャ大学のように、もともと権力とは独立したものとして生まれて育ち、それゆえ文化的で独自の価値を生み出してきた。しかし、いまの日本では、否応なしに権力に囲い込まれた形でしか暮らせなくなっているのである。
あらゆる権力から独立した存在としてのボローニャ大学。大学関係者が好んで取り上げる事例であるが、これも留意すべき点がある。そこには自治はあったかもしれないが、今日で言うアカデミック・フリーダム(学問の自由)、すなわち、教育や研究の内容に対する自由がなかったことはあまり言及されない事実である。アカデミック・フリーダム、特に研究を行う自由は国家権力の庇護下においてその権力に囲い込まれることによって成立した背景を忘れてはならない。「いまの日本では、否応なしに権力に囲い込まれた形でしか暮らせなくなっているのである」。然り。ただし、それは今に始まったことではないかもしれない。
大学は、権力との不可分な関係とどのように付き合っていくか。あるいは、不都合があるならばどのように新たな関係を構築するか。検討すべきはそこであり、この島村先生コラムはその議論に有益なものであろう。しかし、頭に血をのぼらせるようなアジテーションでは「権力の介入を許すな!」という小学生並みの感想にもなりかねないと思い、誰に届くかわからない増田にいろいろ書いた次第である。
醜悪物件なのでまとめておく。すでに発端となったまとめは削除された。まとめ主によると理由は「お察し下さい」との事だそうだ。一時的に非公開にされていたが、まとめ主によると「徹底抗戦」するということで再公開された。
gtkというコミケ運営側の人が会社をいつ辞めたのか、辞めた原因が何なのかは全く明らかになっていないにも関わらず、「うしじまいい肉が会社側に圧力をかけたために退職に追い込まれた」と勝手な妄想をしてしまうtwitter民。辞めた理由は今回の件とは無関係である可能性の方が高いのではないか。あるいは既に会社は辞めていたという可能性も指摘されている。
というか、gtkもあえてその辺を曖昧にボカすことによってうしじまに批判が集まるように仕向けているような気すらしてくる。別に退職の理由を明らかにしろとは言わないが、これだけ騒動になってしまった以上は今回の件と関係があるのか無いのかぐらいははっきり明言するべきだ。自分に有利なところだけは残しつつ、自分に不利なところはボカすという態度はおかしい。
最低なのはそういうミスリードに誘導したTogetterまとめ主。
このまとめを作る為だけにtwitterアカウントを作成した、島村@uzuki_shimamuraという人間
http://twitter.com/uzuki_shimamura
まとめがかなり注目を浴び、しかもgtkがうしじまに退職に追い込まれたというのが自分の勝手な思い込み・勘違いだったということをネット民によって指摘されるや否やまとめを削除して逃亡。正義漢ぶってうしじまを中傷する内容を自分は安全な匿名の立場からやっておいて、いざミスリードだったと自分が批判され始めたら削除して逃げる。おかしいだろ。
とにかく、gtkがうしじまとの揉め事がきっかけで退職したのでは無いとすれば、この島村@uzuki_shimamuraがやった行為は自らの誤解にもとづく立派な誹謗中傷であるし、何らかの形で罰せられる必要があるのではないか。島村@uzuki_shimamuraさんは逃げないで対応するべきだ。
表面的な情報と感情だけで誰かを中傷する行為はよくない。なんとなくうしじまに悪感情を抱いている人が多いのはわかるんだが、そういう空気を利用して自分の主張を押し通そうとする行為はダメ。