一昔前の2chはあのvipですら「ソースのない情報は信用しない」というスタンスだったよ。「嘘を嘘と見抜けないと(掲示板を使うのは)難しい」という言葉が流行る程度には。
「マスゴミはカス」という主張は昔からあったが、「マスゴミはカス、ネットが真実」というわけではなかった。
一部のパソコンオタクのものだったネットが一般へと門戸を広げてから、ネットを過大評価する風潮が強くなった気がする。
むしろはてなに限らずネットのヘビーユーザーはネットを過大評価する人が多いと思うが
そうじゃなきゃずっとネットに張り付くようなことしないでしょ
http://anond.hatelabo.jp/20130809115823
http://d.hatena.ne.jp/potato_gnocchi/20130809/p1
上記のエントリなど、最近学歴の高低や階層に関して語る人が多い。
旬が過ぎないうちに、俺も自分と姉のことを書きたい。
当時は県全体が公立王国と称され、出来のよい者は上位公立高から旧帝大や早慶に進学することができた。
上澄みのそのまた上澄みは中学から近県の一貫校へ進み、難関医学部などを狙っていた。
我が家があったのは高度成長に合わせてベッドタウン化が進み、会社員家庭が多い地域。
お坊ちゃんお嬢ちゃんとはいかないまでも、比較的余裕のある生活をしていた家が多かった。
公立小・中と進学したが、学級崩壊とは無縁だったし、非行やいじめもごく稀だった。
二つ三つ隣の町には不良が多いらしい、なんて話が聞こえてくる程度だった。
そういった土地にあって、うちはちょっとだけ目立つ家だった。父は地元旧帝の大学教員、母は専業主婦だった。
一族には一流企業役員や上級公務員が多く、研究者、医師や弁護士などの専門職も散見される。
子どもながらに自分たちは上の下か、まあ中の上くらいには居るのだろう、との自覚があった。
俺も特に苦労なく、公立トップ高から父の働く旧帝大へ入学した。従兄弟たちもそれぞれに優秀だった。
そんな中、姉一人だけが違っていた。学年の中でも土地柄からは珍しいDQN連中と付き合い、勉強の出来も悪かった。
高校あたりから素行の悪さがさらに目立ち、髪を染め、彼氏を頻繁に取り替えては深夜に帰宅する日が続いた。
隣室からは、姉と父が怒鳴りあう声がしょっちゅう聞こえたものだった。
両親いわく、姉弟で育て方を変えた覚えはないと。
付き合う友人が悪かったのか、本人のもてる性か、姉はとにかくそのように育った。
それでも親の強い勧めもあり、一族の水準からはずっと落ちるレベルだが、
唯一の得意科目を生かした一芸入試で姉は地元の私大に滑り込んだ。
大学の間も姉の奔放な生活は続いた。この時期両親は、なんとかあいつが
就職して大卒の男でも捕まえてくれれば、という話を頻繁にしていた。
そんな3年目、姉の妊娠が発覚した。当時付き合って間もない、左官工の子だ。姉は産みたいと言ったそうだ。
なんのために大学にやったのか、なんてバカな子だ、あのような家と親戚付き合いなどできるものか、
と母がさめざめと泣いていた姿が忘れられない。この頃になると父も叱ることをやめ、
終始むすっとした顔で黙って過ごすことが多く、家の空気は物心ついてから最悪だった。
この出来事以降、俺は全てのデキ婚が許せない。
物事の順番を無視し、家族の気持ちを踏みにじる最低の行為だ。スラムの文化だ。
下層を象徴する行為を我が家で目の当たりにし、俺は恥と怒りを覚えるほかなかった。
話が少々逸れた。結局姉は式も挙げないまま、追い出されるように家を出て行った。
これで子どももろとも下層行きか、気の毒に、愚かな女だ、と思った。それきり姉とは連絡を取らなくなった。
数年後俺は大学院を卒業して、ある大企業の研究部門の職を得た。
ある日久しぶりに帰省してみると、実家には母の姿がなく、父が言うには「姉の家へ手伝いに行ってる」と。
勘当したんじゃなかったのか、と驚いて父に尋ねると、どうやら母が孫の姿を見て思い直したようで、
頻繁に姉のところを訪ねては買い物や料理の仕方から家事全般、保険選びから習い事、小学校区選びの
助言までしているらしい。口を出す代わりに援助もしているよ、あそこは安月給だからね、と父は言った。
姉の子はというと、お利口に育っているとのことだった。
俺も結婚し、実家で姉とお互いの子を見る機会が一度あったが、ごく普通の子だった。
甥っ子を見て、よかったな、お前は助かったのかもしれないよ、と思った。
うちは子(姉)の教育には失敗したが、孫の世代では間に合ったということか。
基本的には高階層・低階層の世界は違っており、固定化しがちだとの論もある。
だが上の階層に生まれたものが、すんなり育って階層を維持するのではない。姉のように下へ落ちようとするものもいる。
そうした場合でも、うちのように階層を戻す力が働きうる、という事例を知って欲しい。
ネットは現実に影響を及ぼさないって主張する事で自分をまっとうな人間だと思い込むメンタリティーってあるよね。
ネットの影響を受けやすい分野もあれば受けにくい分野もあるし、社会にネットが浸透することで影響は拡大していくのは間違いないだろうに
悪魔の証明であえて不利な方を選んででもその事実を認めず、いつまでもネットをくだらないものだと嘲笑して
ネットに価値があると言う人物をみると誇大妄想狂だと罵る感じ。
まぁ、なんとなくそう思うだけだけどね。
過大評価する必要もないけど過小評価してもしょうがないんじゃないかな?
ネットは便利だしいろいろなところに影響を与えているよ。
ドコモショップに行けば自分が作ったプロダクトが入ったものが見られたから、
ただまあ、それがモチベーションにつながるかといえば全く別物だったね。
iPhone一筋だというのもあるけど、仮にプロダクトが好きで好きでたまらなかったとしても
成功報酬型のモチベーション獲得方法(2chとかでユーザ評価を見るような)は
1Qサイクルでプロジェクトを立ち上げ、終わらす忙しさにあって続かなかったろう。
設計もエクセルもJavaもCも大っ嫌いで、プロダクトにも関心はもてねえ、
そんな中で今まで仕事してこられたのはとりあえずリーダーが突きつけたWBSと目標に
沿うこと以外全く考えてこなかったからだな。
二十代のほとんどはつまんねぇ仕事ばかり詰め込んだが間違ってたとは思っていない。
もとからものつくりは好きじゃなかったし、仕事の内容は考えるが仕事をしてる理由は考えない、
そんな社畜で馬車馬のように一本のレールを走ることが結局はモチベ、仕事をする燃料になったよ。
とはいっても仕事はやはり選ぶべきだ。あるいは選べる人間になるべきだったんだ。今までの俺はたまたま幸運だった。
受験生のときは、とにかく何が何でもいい大学に合格して、一生使える高学歴の資格を手に入れて、劣等感からの脱却とともに優越感を抱くことを最大の目標にしていた。
誰もが名を知るあの大学に合格できれば、友人や親戚中から羨望の眼差しで見られて、おまけに可愛い彼女のハートもゲット確実。
しかし夢を見るばかりであまり勉強しなかったので、結局志望の難関大学には合格できず。
この不本意な学歴を生涯背負って生きていくことに絶望した時期もあったけれども、これからの勝負は、自分の学歴を受け入れて、学歴なんかにこだわらずに生きていく術を身につけることだと思っている。
はてなブログの脚注記法中にhttp記法を使うと反映されない。
ほげほげ((参考りんく: [http://google.co.jp:title]))あばば
↑みたいに書くと脚注のリンク記法が展開されずに残る。はてなダイアリーではちゃんとリンクが生成される。
というようなフィードバックをベータ版のころに送ったのだが未だに直っていない。脚注に参考リンクを張りたいので困る。
フィードバック見てみたら同じようにフィードバック送っても反映されてない人がいた。
何件かフィードバックを送っているのですが、全く反映されません。
「やります」の項目にあった。はてなブログ側の回答は「申し訳ありません。確認いたします」とのこと。
フィードバック多すぎて拾いきれてないんだろうなあ…と思いつつも、一体何を基準にフィードバックに対応するしないを決めているのだろう?と気になってしまった。
連投すれば目につくかもしれないけどスパム認定されるのも嫌だし…。
適度にバカな方が生きやすい世の中だしな。
あの子らたいていパンかコメをよく食ってる。それと、fundamentalな部分では、やっぱりsexにしかnot interested inだね。
あと、魚とグローバルに会話なんてできる人は低学歴にはofcorseいないし、エラ呼吸などは言わずもがなと言った感じかな。
英語が得意で偏差値52~55ならそれが叶えられる大学があるんだけど学費が高いんだよね。仕送りと学費合わせて一年間に300万円くらいかかる。
300万円X4年=1200万円 老後を犠牲にしても一人しかやれない。偏差値52~55なら非進学校や田舎と都会の学力格差を埋められる現実的な数字
一番近い年代でも30後半になる。
臭いおっさん、ゲップをするおっさん、ブツブツ独り言をつぶやくおっさん、
クシャミ音が異常にでかいおっさん、突然笑い出すおっさん、うつ気味なおっさん
これからも出来る気はしない。
何で生きているのか、たまに分からなくなるけど、
俺は明日も明後日も1年後も、おっさんに囲まれながら1日をやり過ごすのだろう。
そしていつしか彼らの仲間入りさ。