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2019-12-24

※この物語フィクションです でTwitter投稿しそうだったやつ

眠れなかった。

必要に迫られやむなく数ヶ月ぶりに生理を呼び起こしたら、その空いた期間分一切の減退なく蓄積圧縮されていたのではないかというくらいのPMS的症状が襲いかかってきた。その威力を何かに例えようとしたが、「国盗り」と恐らく発声したこともないようなワードが浮かんだ。

心身が融けた金属のように熱が籠もり重怠く、会社を早退した。家で眠ろうとしても動悸と涙が止まらない。こんなときこその料理ですら無我の境地は到底遠く。完成物である牛肉ピーマンオイスター炒めの味はいけていたけれど。

挙句帰宅したパートナーにその後一切の家事を任せ、いつもはしない添い寝まで頼んだがそれでも全く心のぞわぞわが治まらない。「森林火災」というワードも浮かぶ心理状況を絶対かに例えたいわけではないのだが。

発狂しそうなほどのネガティブ感情の熾烈さに耐えること数時間焦燥感は次第に薄れ、次の一手をくっきりと閃く。

とあるクラウドサービスに保存されている10年前の写真を見返す」

どうしてなの。理由自分でも分からない。いつもなら精神が劣悪なときには見る気にすらならない。でも見た。

デジタル一眼を購入した10年前からスマホで撮る写真だけになるまでの数年間。余計な感情たちが一様に黙っていくのが自分で分かる。

自分は誰にも愛されていない、愛されたことなどない」という誤認にまた支配されそうになっていた。それに打ち勝つのは凄く大変だったのに。今のパートナーひとりに押し付けるのは憚られるほど膨れ上がった重圧に潰されて苦しくて、早く破裂してと心中で絶叫するほど痛かった。

その写真に残されていた記憶は、実のところその間の恋愛遍歴がメインの記録だった。友人や旅、生活のこともあった。

柄ではなく恥ずかしいのと、引きで見るとその思い出はあまりに醜いのと、一般的にその結論は望ましくなさそうなのとで向き合うことが少なかったが、どうも自分は主に恋愛沙汰によって自尊心を培い成長したらしい。

誰に向けた文でもないが誤解を招かないよう補足すると、自分のことを絶え間なく豊かにし、しなやかな振る舞いを身に付けさせてくれたのは(特に付き合いの長い)友人たちであることは疑いようがない。

growthと言うべきか、pump upと言うべきか、そのあたりの根幹っぽいことを恋愛沙汰が担ってくれたようだった。

写真の中の歴代彼氏は皆屈託のない笑顔こちらに向けていた。全身でおどけていたり、無防備な呆け顔を晒していたりした。風景の一部と化すほど遠くから撮ったものも、肌荒れが分かるほど至近距離で撮ったものもあった。

思い出は全部上書く派の自分にとってもはや他人であるその人たちの表情は、どの写真客観的に見た上で、とても魅力的だった。

この人たちがこんな顔をしているのなら、たぶん当時の自分もこういう顔をしていただろう。

それはつまりそういうことだ。

まさかの即効性。嘘でしょう。別れた男は死ね派だったのに…

でもこれで過去からの歪みを整えられたから、ようやく今に向き合える。

明日も朝、叩き起こされる。それで私が布団に引き入れて、ふたりして遅刻する。

今のいつもを取り戻せる。

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