[宇宙を拓く]<上>気球で成層圏へ 2400万円…日本企業 地球外に商機
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宇宙ビジネスの拡大に伴い、国主導だった宇宙開発は民間主導に移りつつある。人類未踏の産業を
雲「完全にゼロ」の空
吸い込まれそうな暗い空に、ぼんやりと青白く輝く地球。その
気球が飛ぶのは、最高で地上から約25キロ・メートルの成層圏(高度10~50キロ・メートル)だ。飛行機が飛ぶ高度と違って雲は発生せず、宇宙まで視界を遮るものはない。
気球は、北海道江別市の宇宙ベンチャー「
昨年7月の試験飛行で気球のパイロットを務めた同社の三木将貴さん(48)は、「地球の丸さや太陽から押し寄せるエネルギーを体で感じた」と興奮気味に語る。
同社は、岩谷圭介社長(38)が2016年に創業した。「宇宙を、より身近に」という夢の実現に向け、年内にも宇宙遊覧を始める。
米国では22年、国際宇宙ステーション(ISS)への民間宇宙旅行が始まり、米メディアによると、旅費は1人5500万ドル(約86億円)。だが、気球なら大富豪でなくても、特別な訓練なしで宇宙を体験できる。
宇宙開発を志していた岩谷社長は北海道大工学部に在学中、気球で宇宙撮影に成功した海外ニュースを見て、「自分にもできないか」と考えた。卒業後、風船に付けたカメラで高度30キロ・メートルからの宇宙撮影に成功すると、気球の宇宙遊覧に可能性を感じるようになった。
一般的な気球は、バーナーの熱で空気を膨張させて高度1キロ・メートルまで浮上する。同社の場合、ポリエチレン製の気球に空気よりも軽いヘリウムガスを注入し、調整弁を開閉して高度を調整する。
成層圏では特別な安全対策が必要だ。およそ高度18キロ・メートルを超えると水が人の体温で沸騰するほど気圧が低くなり、意識も失う。そのためキャビン内の気圧は一定に保たれ、酸素供給と二酸化炭素排出を自動制御する生命維持装置が備わる。
宇宙遊覧の価格は1人約2400万円(23年時点)だが、将来は数百万円での運行も目指す。岩谷社長は「宇宙に行った人類は、およそ600人。その10倍の数を1年で宇宙遊覧に送り出したい」と熱く語る。
高度400キロで7泊
成層圏を超え、本格的な旅行を目指す企業もある。
東京都中央区の「将来宇宙輸送システム」は、独自開発した宇宙船によるツアー開催に向け、旅行大手・日本旅行と業務提携した。
ツアーは、米宇宙ベンチャーが高度400キロ・メートルに建設を構想する宇宙ホテルを7泊8日で往復する。実現の目標は40年代とまだ先だが、同社は打ち上げ費用を下げるため、米スペースシャトルのように繰り返し使える宇宙船を開発中だ。
畑田康二郎・最高経営責任者(CEO)(45)は「宇宙旅行を日常にすることが目標だ」と語る。
23年秋には、「先行予約」も始めた。といっても、アンケートに答えると宇宙旅行に関する情報を優先的に受け取れるサービスで、実際に予約するわけではない。
それでも、はやる気持ちが抑えられないのか、昨年末時点で3000人以上が登録する盛況ぶりだった。
アンケートには宇宙ビジネスを花開かせるヒントが眠る。希望価格帯を聞くと300万円(48・4%)が最多で、800万円、1500万円が続く。冒険のような新体験を求める声が多く、畑田CEOは「エンターテインメント性をいかに高めるかも重要だ」と話す。
新産業の開拓者たる宇宙ベンチャー。その挑戦の一つひとつが、当たり前に宇宙を旅できる未来を創る。
ISS後継機をホテルに
宇宙旅行の目玉として期待される宇宙ホテルは、どうやって建設するのか。最も実現性が高いのは、2030年に運用を終えるISSの後継機となる民間商業宇宙ステーションの活用だ。
計画を進める宇宙ベンチャーの一つが、米アクシオムスペース。同社はまず、商業ステーションの電源施設をISSと接続する。将来的には分離し、追加でつなげた居住棟を宇宙ホテルとして使う構想を持つ。同社には昨年、宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職した若田光一・宇宙飛行士(61)=写真=が入社。同社は、イタリアの高級ブランド「プラダ」と月面用宇宙服を共同開発したことでも話題となった。
米国では、通販大手アマゾン・ドット・コム創業者のジェフ・ベゾス氏率いる企業や、ホテル大手ヒルトンが提携する企業もステーション建設を目指す。若田さんが宇宙で観光客を歓待する豪華ツアーの実現も、夢物語ではない。
高度何キロから宇宙? 実は曖昧
そもそも宇宙と地球の境界は曖昧で、明確な定義はない。世界90以上の国・地域の航空協会などが加わる国際航空連盟(FAI)は、大気がほぼない高度100キロ・メートルから上を宇宙と定義している。
ハンガリー出身で航空工学の父といわれるセオドア・フォン・カルマン博士が提唱したことから「カーマン・ライン」と呼ばれ、最も定着している。だが、国際法で定められているわけではなく、米航空宇宙局(NASA)や米空軍は高度80キロ・メートル以上を宇宙としている。
また、地球科学の世界では、少しでも空気がある成層圏などを含む大気圏は高度500キロ・メートルを超える。この場合、国際宇宙ステーション(ISS)がある高度400キロ・メートルは学術上、宇宙ではないことになる。
地球の丸さが明らかに…岩谷技研の気球パイロット・三木将貴さん
気球のキャビン内や成層圏の景色は一体どんな感じなのだろうか。元自衛官で岩谷技研の気球パイロットを務める三木将貴さんに高度約20キロ・メートルの光景について聞いてみた。
――成層圏の様子は?
気球の窓からまっすぐ外を見ると、地球の青さと濃い紺色の空のコントラストが非常に鮮やかだった。雲があるのは、高度1万メートル以下の対流圏の中だけ。成層圏まで上がると、雲が全く存在せず、地球だけがぽつんと浮かんでいるような感覚になる。上空の眺めを遮るものもなく、紺色がどんどん濃くなっていく深い空に吸い込まれるようだった。
地球が丸く見えるとよく言うけれど、その丸さが明らかだ。それが円弧を描いていて、水平線上から太陽が「ばあっ」と上ってくるような光景は、今までテレビの映像でしか見たことがなかった。グーッと押し寄せてくる太陽の熱も皮膚で感じて、「私は地球に住んでるんだな」と実感できた。
――気球の強みは?
航空機ではエンジンの音、パラシュートでは風で生地がパサパサとたなびく音が聞こえる。ただ、気球のキャビン内は全く音がしない。本当に静かな時は耳鳴りが聞こえることがあるが、自分の耳鳴りの音なのか、周囲の音なのかよくわからないほどだ。気球は静かな中でふわふわ浮いて安定している。地上からはるかに高い空中にいて、窓を一枚隔てれば、ほとんど真空に近い環境があるけれど、キャビン内では安定している。そんな不思議な感覚になった。
――風の影響は?
普段、私たちがいる対流圏は、縦方向に空気が循環している。もちろん成層圏にも風は吹いているが、高さによって横方向の風が吹いている。
大気の層が変われば風向きが変わり、気球の進行方向が変わる。気球を押す風は感じるが、大きな揺れはない。気球自体は、頼もしく飛行してくれた。
――地上にいる時との明確な違いは?
「ここからが成層圏」と空中に看板が出ているわけではないので、体感できる変化を感じることはなかった。対流圏では、山に登ると気温が低くなるように徐々に外気温が低下するが、成層圏に達すると温度が変わらない状況が続いた後、だんだんと上昇する。外はマイナスの温度の世界であることが計器でわかるが、キャビン内は適度な温度に保たれていて、非常に新鮮な感覚だった。
――気球はどうやって移動する?
風が非常に安定している日を選んで飛行している。高度によって向きが違う風が吹いているので、行きたい方向に吹く風をつかんで移動する。離陸から上昇に転じるところまでは、例えば「高度1キロ・メートルのところでは東風だった」などと記録しながらひたすら上る。
成層圏に到達しても、予測通りの風であれば、予定した地点まではそのまま飛行し、降下する場所まできたら、ガスを抜いて降下を開始する。
パイロットの腕の見せ所が着陸だ。富士山の山頂ほどの高度3キロ・メートルから4キロ・メートルくらいまで降りてきたら、少しずつ方向を調整する。着陸地としているエリアの多くは、広大な十勝平野だ。高度3キロ・メートルぐらいで、平野の中でも降りやすい地域に向かって、その方向に吹く風を選んでつかんでいく。高度1キロ・メートルくらいまで降りれば、空き地や河川敷など狙った安全な場所をめがけて飛行する。
離陸地点から数十~数百キロ・メートル離れたところに着陸するので、着陸地点周辺の風を地上スタッフと協力しながら把握し、数十メートル単位で変わる風向きを考慮して高度調節しながら着陸する。
――自衛隊から岩谷技研に転職した理由は?
自衛隊では、航空機やパラシュートを使う部隊に配属されていた。「一般の装備では到達できない世界を本当に気球で遊覧できるのか」と興味を持ったのがきっかけだ。宇宙ベンチャーが成功すれば、これからを担っていく子どもたちが、ますます宇宙や科学に興味を持ってその道に進んでくれるかもしれない。北海道の若い岩谷社長が一生懸命頑張っている姿を見て、私の技術で使えるものであれば提供できると思い、2023年11月に岩谷技研に転職した。
――宇宙遊覧を体験して心境の変化があったか?
「本当に静かで、全く音がしていない中で雄大な景色を前に自分自身の心と向かい合う。禅のようで、私なんてちっぽけな人間なんだな、ということを目の当たりにした。