日本初のプログラミング教育を受けた小学生…40年たってどうなった?
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2020年度から小学校でも必修化されたプログラミング教育。それを、40年前に富山県の山奥の小さな分校で始めた人がいます。元小学校教師で、サイエンスライターの戸塚滝登さん(70)です。保存していた当時の記録を基に、教え子たちの当時の様子とその後を追った調査を行い、書籍「子どもたちの未来を創ったプログラミング教育」(技術評論社)として出版もしました。詳しく聞こうと、在住の富山県氷見市を訪ねました。
コンピューターに「教える」
戸塚さんがコンピューターの教育活用を考えたのは、初めて小学校に着任して早々に、教え方に悩んだことから。当初は、計算ドリルをパソコンで作り、それぞれの子どもの理解度にあった問題を示すソフトを、自力で開発したそうです。
でも、初めこそ飛びついた子どもたちもすぐに飽き、2、3か月でパソコンはほこりをかぶるように。そこで発想を逆転させて考えたのが「コンピューターに教える」という方法です。
画面上のカメに、進む方向と、その距離、次の転換点での動き……と教え、狙い通りの経路を歩んでゴールに入れば成功、というものです。基本は今のプログラミング教育と同じで、アメリカで開発された子ども向けのコンピューター言語「LOGO」を使い、ソフトを作り上げました。そして、希望して異動した山奥の分校で教え子たちに使わせてみたのが始まりです。
きれいにデジタル化された当時のビデオを見ると、実行前は目をつぶり、手を合わせて祈っていた女の子が、カメが無事ゴールに入ると喜びを爆発させて跳び上がったり、カメにさせる動きを、男の子が自分の体を動かしながら探ったりする姿が、生き生きと伝わってきます。
他にも、村内を歩いて道路地図を作ったり、雪や木の年輪から音楽を作った例もあります。
見えてくるのは、単にプログラムを作ることではありません。試行錯誤の末に成功した達成感を味わったり、コンピューターの中の世界でも自分の体や現実世界と結び付けて考えたりするなど、人間としての感情や感覚が、しっかりと育まれていることが印象に残りました。
「見ていると当時のことが鮮やかによみがえります」、と戸塚さんが話す裏に強く感じたのは、何でも挑戦してみること、失敗しても大丈夫、という安心できる環境を、戸塚さんが作っていたことでした。
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