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量子力学の"常識"に挑む 見なかった過去も推測

日経サイエンス

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「私が見ていなくても、月はそこにあるはずだ」――。アインシュタインはかつてこう語り、量子力学への不満を示した。

20世紀に登場した量子力学では、物体の「位置」は実際に測定されるまで値がない。つまり見ていない時点の月がどこにあったかは決まらないのだ。この量子力学における長年の"常識"を問い直す動きが出てきた。

振り返れない量子力学

ひとたび物体が「そこにある」という測定結果が得られたら、過去にどこにあったかを推定することもできるのではないか。そんな新たな見方が、近年、物理学者の間で注目を集めている。

量子力学は奇妙な理論だ。

日常的な世界では、同じものを同じように測定したら同じ結果が出る。あなたが体重計に乗って「50キログラム」という結果が出たら、それはあなたという物体が50キログラムだったということだ。80キログラムになったり30キログラムになったりすることはない。

だが量子力学が語るミクロな世界では、同じものを同じように測定しても、毎回違う値が出てくる。

例えば同じ光源から同じ方法で発射した光子は、毎回異なる場所に行き着く。位置や運動量などの値は測定によって飛躍的に生じ、もともと物体に備わっているものではないとされる。

ところが最近、測定結果から遡って過去の値がどうだったかを推定することは可能だ、との新しい考えが徐々に広がってきた。イスラエルのヤキール・アハラノフ・テルアビブ大学教授(現米チャプマン大学教授)らが1988年に提唱した「弱値」の考え方だ。

過去を推測するための「弱値」

弱値は、測定である値が得られた物理量が、測定の前にどのような値を持っていたかについての傾向を数字で示す。実験で見るには光子や電子などにごく弱く働きかけ、そっと静かに測定する。1回の測定では誤差が大きくて何も見えないが、何度も繰り返し、最終結果ごとに分別してそれぞれ平均化すると、それぞれの弱値が得られる。これを「弱測定」といい、ハイゼンベルクの不確定性原理を書き直した「小澤の不等式」の検証など、様々な実験に使われている。

弱測定はしばしば、普通の測定では出てこないとっぴな値をもたらす。細谷暁夫東京工業大学名誉教授は、有名な「光子のダブルスリット実験」について、測定前の光子の経路に関する弱値を見積もった。

 ダブルスリット実験は、並んだ2つのスリットに向けて光子(光を作る粒子)を照射し、その先のスクリーンで捉える実験だ。何度も照射すると光子は周期的に散らばり、スクリーンに縞(しま)模様が浮かび上がる。

縞模様ができるのは、1個の光子が右のスリットと左のスリットを同時に通って互いに干渉するためだ。

だが1個しかない光子がどのように両方のスリットを通っているのだろうか? 弱測定を使うと、それを確かめられる。

光源を若干右にずらして、わずかに左右が非対称になった装置を用意する。スリットに少々細工をして光子が左右どちらのスリットを通ったのかを弱く測定し、そのままスクリーンに照射する。縞模様の中の特定の位置に行き着いた光子を抜き出して、さっきの弱測定の結果を平均し、弱値を計算する。

大部分の光子は、縞模様の最も明るいところに到達する(図中のA)。これらの光子の弱値は,例えば右スリットの通過確率が0.57、左スリットの通過確率が0.43となり、ほぼ半々の確率で通り抜けたことがわかる。一方、縞模様の最も暗いところ(図中のB)に到達したまれな光子の弱値は、右スリット通過確率が4、左スリット通過確率がマイナス3で、ほとんどが右を通ったと言える。

マイナスの確率?

マイナスの確率とは一体何だろうか?

専門家の間でも議論があり「確率とは認め難い」との声もある。だが一見奇妙な数字も「総和が1になる」など確率の法則は満たしており、論理的にはつじつまが合っている。「確率マイナス3」というのは「マイナス3個のリンゴ」みたいなもので、「それ自体は想像しにくくても、論理の見通しがよくなるなら導入して構わないと思う」と細谷名誉教授は話す。

弱値というのは、最終的に「この結果になった」という条件下で、光子の経路などの物理量が過去にどのような傾向を持っていたかを定量的に示す条件付きの確率だ。

細谷名誉教授は「物理量の値は測定によって飛躍的に出現し、その前のことは問うてはならない、という従来の量子力学の主張は不自然だ。測定前の物理量の値とは弱値であると考えることで、そうした不自然さが克服される」と指摘している。

(詳細は25日発売の日経サイエンス1月号に掲載)

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