日本が平和国家であり続ける理由 リー・クアンユー
シンガポール元首相
(2013年2月13日 Forbes.com)
国家の人口が増えている時、世の中は得てして楽観論に包まれ、さらなる発展への欲望が後から沸いてくる。第2次世界大戦が勃発した当時のドイツと日本が、まさにそうだった。
1931年当時、日本の人口は6450万人だった。合計特殊出生率は1930年代後半に4.1人に達していた。日本は、満州(現在の中国東北部)に照準を定める。満州は底知れない規模の天然資源の宝庫であり、同時に日本とロシアの緩衝地帯にもなりうる。そこで1931年9月、侵攻した。
中国の人口は4億9210万人で国土は370万平方マイルだった。しかし、国土が一つにまとまっていたわけではなく、これが中国の弱点となった。日本はこの後しばらく、中国との間で小競り合いを繰り返したが、1937年の半ば、ついに衝突が本格的な戦争へ発展した。1938年10月末までに中国国民党による政府は重慶南部に後退し、1941年までに日本は中国沿岸部のすべての都市と隣接する広大な地方部、さらに仏領インドシナの北部および南部を手中に収めた。
1941年7月、米国政府は日本に対して、インドシナから撤退しなければ日本に対して石油の禁輸措置を科すという内容の最後通牒を突きつけた。1941年当時の米国は人口が1億3000万人を超え、日本より格段に強力な産業基盤を有していた。にもかかわらず、1941年12月7日、日本は大きな賭けに出た。宣戦布告なしに350人以上の兵士と爆撃機、雷撃機が6つの空母から2波に分けて発進し、真珠湾の米国海軍の艦船を攻撃した。(米国にとって幸いだったのは、米国の空母は外洋に出ていて、奇襲を免れたことだ)。日本は同時に、オランダ領東インドの石油を手中に収めるために、東南アジア全域に侵攻した。
当然、米国は海軍を立て直し、1942年6月のミッドウェー海戦において、日本の6空母と援護にあたった艦船の大半を沈めた。しかし、日本人は勇猛で、降伏するくらいなら死ぬまで戦おうとした。日本の陸軍は世界で最も残忍で冷酷になっていった。硫黄島の戦いはあまりにも激しく、米国は後に、もしも日本本土を攻略しようとすれば、100万人の兵を失うだろうと推計。代わりに、米国は広島と長崎に原爆を投下。アジアで帝国を築く日本の野望を葬った。
似たような状況はドイツでも起きていた。1939年当時、ドイツの合計特殊出生率は2.6人。とにかく、ドイツは何にもまして国民に「lebensraum」(ドイツ語で十分な住空間)を与えたいと考えていた。ヒトラーは第2次大戦中、東欧に攻め込み、ウクライナとロシアのスラブ系住民を全滅させ、そこにドイツ人を住まわせようとした。しかし、ヒトラーもヒトラーの側近たちも、ロシア人の忍耐力や勇気、さらには戦場となるロシアの極寒の冬をみくびっていた。この結果、ドイツはロシア軍の反撃によって多数の犠牲者を出すことになった。
現在、日本とドイツはともに出生率が低下している。2012年のドイツの合計特殊出生率は1.4人。日本も1.4人に低下している。日本の人口は2060年までに、現在の1億2800万人から8700万人に減少すると推計されている。ドイツも日本も、もはやもう一度戦争を仕掛ける必要もなければ、欲求もない。
現代世界が比較的に平和で安定している理由の一つは、すべての先進国の合計特殊出生率が2.1人を下回っていることにある(シンガポールは1.2人だ)。成長が著しい国のいくつかも、同様に合計特殊出生率が低い。例えば、中国の合計特殊出生率は2012年に1.6人となる見通しだ。こうした国々はもはやlebensraumを探し求める必要もない。
しかし、発展途上国の合計特殊出生率は概して高い。なかでも高いのがインドで、2012年は2.6人とみられる。これは人口がなお過密になり、インフラや学校、医療、社会福祉の不足が深刻になることを意味している。アフリカの合計特殊出生率はさらに高く、多くの国で4人から7人の間となっており、人口置換水準の2.1人をはるかに上回っている。
世界はこれまでに、人口増大の帰結に苦しんできたのだ。この先、人口問題の地平には何が見えるだろうか。そして我々は、この問題と向き合う準備ができているだろうか。
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