中国経済の回復にはどのような処方箋が必要か。
実は経済学者の多くの見解は総需要の拡大が必要だという点で一致している。ところがそうした声がどれだけ高まっても、中国政府は均衡財政を堅持し、総需要の拡大に慎重な姿勢をとり続けている。3月5日に開幕した全国人民代表大会(全人代=国会に相当)でも、政府委活動報告を行った李強首相は積極的な財政政策の実施を表明したが、具体的メニューについてはやはり力不足を指摘する声が上がっている。
なぜ、中国政府/中国共産党/習近平は供給サイドの改革ばかりに目が向き、需要サイドに目が向かないのか。この問題に迫った梶谷懐(神戸大学大学院経済学研究科教授)、高口康太(ジャーナリスト、千葉大学客員教授)両氏の共著『ピークアウトする中国 「殺到する経済」と「合理的バブル」の限界』の一部を抜粋、加筆・編集してお届けする。
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供給サイドに偏重する経済対策
基本的な話をおさらいしておこう。経済には需要と供給がある。需要とはある商品やサービスに対する欲求であり、供給とはそうした商品やサービスを作り出すことを意味する。需要と供給は車の両輪であり、どちらが欠けても成り立たない。しかし、近年の中国政府のマクロ経済政策は、供給サイドに偏重してきた。
例を挙げよう。コロナ禍における景気対策はその典型だ。個人の所得補償よりも企業への低金利融資を重視する、供給面のショックが大きい局面では総需要を刺激する政策を控える、さらには財政出動による景気刺激策では効率性を向上させるインフラ投資を重視する。これらはいずれも供給サイドへの対応だ。
失業者への対応にしても、直接的な資金提供よりも、起業活動への資金支援、職業訓練による技能向上、職業学校などにおける学生募集規模の拡大といった、将来的な成長性を重視する支出が優先された。
これはある意味で主流派経済学に忠実な対応と言えるが、現金給付や給与補償を中心とした労働者の救済、需要ショックへの対応を重視した、先進国の経済対策とは対極である。むしろ効率性を重視するあまり、零細事業者や失業者への救済が不十分になっていたことが懸念される。
コロナ禍の緊急対策が一段落した2020年7月、中国共産党中央政治局会議では「国内大循環」をキーワードとした、中長期的な発展戦略が打ち出された。コロナ禍の打撃、米中対立に代表される国際環境の圧力といった厳しい状況下で、今後の経済運営方針を示したわけだが、これもまた供給サイド重視の改革案であった。
そもそも習近平政権は、2014年から供給サイドの改革を重視する方針を打ち出している。この10年間、米中対立やコロナ禍があり、中国を取り巻く環境は大きく変化した。状況に応じて経済政策は変化して当然のようにも思われるが、こと「供給サイド重視」という点に関しては、習政権の姿勢はまったく変わっていない。
これについて、儒教的禁欲主義や指導者習近平個人の資質など、様々な理由付けが可能だろう。しかし、あくまで経済学の観点から説明するなら、筆者(梶谷)は、「供給サイドの改革」が、いわゆる新自由主義的な処方箋に沿ったものであり、それが少なくとも近年までは中国経済の高成長を支えてきた側面があるからだ、と考えている。
中国経済政策を後押しした“竹中平蔵イズム”
この中国共産党の方針を後押しした、キーパーソンとなる経済学者の名前を挙げておこう。読者は意外に思われるかもしれないが、2000年代の小泉改革以来日本の経済政策にも大きな影響を与えてきた、慶應義塾大学名誉教授の竹中平蔵である。
竹中について筆者が以前から注目してきたのは、中国における評価の高さである(梶谷、2020)。小泉政権で閣僚に任命されたころから、その言動は特に中国の「改革派」知識人やメディアから常に高い注目を集めてきた。「百度百科」(中国版ウィキペディア)の「竹中平蔵」の項目では、彼が小泉政権時代に行ってきた様々な経済改革が詳しく紹介され、その手腕が高く評価されている。
中国における竹中の高評価のキーパーソンといえるのが、『財新網』や経済誌『財新周刊』を統括する「財新メディア」グループの創業者である胡舒立であろう。胡が1998年に創刊した独立系の経済誌『財経』は、経済問題を主としながらも地方の汚職事件などにおける大胆な調査報道で「中国の真実」を描き出すメディアとして評価を高めていった。
胡は『財経』誌の編集主幹だった時から竹中、および彼が行おうとする経済改革について注目し、記事としてたびたび取り上げるだけでなく、2度にわたるロングインタビューを行っている。
特に注目すべきは『財経』2006年1月23日号の「日本の改革を解読する」という日本経済の特集記事である。この特集は、竹中以外にも田中直毅、加藤寛といった著名な経済評論家、および何人もの財界人に対してインタビューを実施し、さらに胡らによる詳細な解説が加えられるという、非常にボリュームのある特集であった。インタビューを実施した胡は、日本経済に関する竹中の見解について、以下のようにまとめている(胡、2006)。
「経済学者たちは、日本の経済衰退は周期的なものではなく、構造的なものであると明言している。構造改革が非常に困難であることが、日本経済の回復を遅らせてきたのだ。(中略)日本は産業界・金融界・政府が一体化した、強大な社会的利益集団を形成してきた。また従来からの終身雇用制度が、日本国民の伝統的な体制への依存をもたらしてきた。このため、『小さな政府』を実現し、より一層の市場化を推進することが国家の長期的な経済発展にとって有益であるにもかかわらず、これまでは誰も改革のコストを1分担しようとせず、実行に移せなかったのである」
過去の成功体験の呪縛
注意しなければならないのは、このような胡らによる竹中への高い評価は、あくまで中国国内の状況を念頭に置いたものである、ということだ。すなわち、上記のように胡が発言するとき、日本経済自体に対する興味もさることながら、やはり政府による市場への非効率な介入が横行する中国においても、新自由主義的な「小さな政府」を目指す改革の断行が必要だ、という、中国国内の「改革派」としての主張が見え隠れする。
さらに、2010年に竹中が中国を訪問した際に胡と行った対談で、政府と市場との関係について述べた次のような発言も興味深い(胡、2010)。すなわち、政府支出には「救済型」と「根本治療型」があり、これまでの日本の財政支出は「救済型」であった。その代表的なものが失業者に対する給付金である。しかしこのような「救済型」の支出を続けていく限り、財政収支が悪化するのは避けられない。したがって経済成長自体を加速させて自然に財政収入が増加するようにする「根本治療型」の財政支出を行うべきである。この点で、中国は日本を反面教師にすべきだ、と。
なぜこの発言に注目すべきなのか。
コロナ禍に見舞われた2020年、日本を含めた多くの主要国が、企業や個人への「救済型」の財政支出を積極的に行い、財政赤字を膨らませた。その一方で中国は、武漢市での感染拡大を徹底した都市封鎖で抑え込むと同時に、個人や企業に対する個別の救済を行わず、その代わりに竹中のいう「根本治療型」の政府支出、すなわち供給サイドを伸ばす産業政策を優先させ、均衡財政主義を堅持したと考えられるからだ。
少なくともリーマンショック後の経済政策に関する限り、中国の政策当局は、竹中の唱えるような新自由主義的なマインドをかなりのところで内面化し、実際にそういった供給面重視の政策によって大きな成果を挙げてきた。その成功体験がある種の呪縛となっているのではないか。ここまで述べてきたとおり、コロナ禍以降の中国に不足しているのは総需要刺激策だ。だが、中国政府は供給サイドの改革に執着し、財政支出も供給力を上げる「根本治療型」にしぼっている。過去の成功体験に発想が囚われているのだ。 (敬称略)

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【参考文献】
梶谷懐(2020)「竹中平蔵氏、中国社会でひそかに『大人気』になっていた」『現代ビジネス』2020年9月20日
胡舒立(2006)「改革的成本和不改革的成本」『財経』2006年1月23日
胡舒立(2010)「舒立対話・会診中日経済病?」『中国改革』2010年5月1日
- ◎梶谷懐(かじたに・かい)
神戸大学大学院経済学研究科教授 1970年生まれ。専門は現代中国経済論。神戸大学大学院経済学研究科博士課程修了(経済学)。博士課程在籍中に中国人民大学に留学(財政金融学院)。神戸学院大学経済学部准教授などを経て、現職。著書に『「壁と卵」の現代中国論』(人文書院)、『現代中国の財政金融システム』(名古屋大学出版会、第29回大平正芳記念賞)、『日本と中国、「脱近代」の誘惑』(太田出版)、『日本と中国経済』(ちくま新書)、『中国経済講義』(中公新書)。共著に『ピークアウトする中国 「殺到する経済」と「合理的バブル」の限界 』(文春新書)、『幸福な監視国家・中国』(NHK出版新書)、『所有とは何か ヒト・社会・資本主義の根源』(中公選書)など。
- ◎高口康太(たかぐち・こうた)
1976年、千葉県生まれ。ジャーナリスト、千葉大学客員教授。千葉大学人文社会科学研究科博士課程単位取得退学。中国・天津の南開大学に中国国費留学生として留学中から中国関連ニュースサイト「KINBRICKS NOW」を運営。中国経済と企業、在日中国人経済を専門に取材、執筆活動を続けている。 著書に『ピークアウトする中国 「殺到する経済」と「合理的バブル」の限界 』(文春新書、共著)、『幸福な監視国家・中国』(NHK出版、共著)、『中国S級B級論』(さくら舎、共著)、『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA、共編、大平正芳記念賞特別賞受賞)、『中国「コロナ封じ」の虚実 デジタル監視は14億人を統制できるか』(中公新書ラクレ)、『習近平の中国』(東京大学出版会、共著)など。