中国の「996」と呼ばれる働き方が身体と心の健康に影響を及ぼしたという。
Jack Forsdike
- イギリス人のジャック・フォースダイクさんは2年間、中国の広州市にある大手ゲーム開発会社で働いていた。
- 今年に入ってゲーム・デザイナーとなったフォースダイクさんは「996」と呼ばれる中国の働き方(午前9時から午後9時まで週6日出勤)を体験し、すぐにその恐ろしさに気付いた。
- Business Insiderの取材に対し、フォースダイクさんは「996」がいかに自分の生活を支配していたかを語り、996は自分に課せられた最低限の期待に過ぎなかったと話した。
※この記事はイギリスのマンチェスター出身で、2022年から2024年まで中国最大のゲーム開発会社で働いていたジャック・フォースダイクさん(28)への取材をもとに聞き書き、編集したものです。
自分が中国の悪名高い「996」の適用を受けると初めて知った時、実はワクワクしていた。
当時、わたしは広州で2年近く、英語と中国語の通訳として地元の大手テクノロジー企業で働いていた。
ただ、自分はゲームデザインがやりたかったので、この1月に会社から開発の仕事をオファーされた時は夢が叶ったと思った。
人事部からは、勤務時間が大幅に増えるとストレートに言われた。
通訳として、わたしは朝7時からのオフィスワークには慣れていた。ただ、開発の仕事は週6日、毎日午前10時から午後10時まで働くことが求められた。
契約書には書かれていなかったけれど、それが"普通"だと認識されていた。
わたしはこの時、「996」が適用されたことで自分が認められたような気がした。「996」は自分が大きな意味を持つ、価値あるチームに所属していることを意味し、自分の生産性が物事を左右するのだと考えていた。
自分の考えがいかに甘かったか、わたしはすぐに思い知らされることになる。
フォースダイクさんは大学へ行き、6年ほど中国語を学んでから広州に移住して働くようになった。
Jack Forsdike
プライベートは「ゼロ」
わたしの「996」生活はすぐには始まらなかった。結婚したばかりだったので、日によって早めに退勤したいこと、土曜日も毎週は働きたくないことを上司に伝えた。
上司も同意した。わたしが自分の仕事をこなせるならば、と。
やがて仕事は山積みになっていった。隔週で土曜日か日曜日には出勤しないといけなくなった。日によって、オフィスを出るのは真夜中になった。
2、3カ月で、わたしの働き方は完全に「996」になった。自分の起きている時間は、職場をあとにするか、職場にいるか、職場に向かうかのいずれかだった。
週末に働いていても、誰かに肩を叩かれることはなかった。日曜日でさえ、オフィスに3分の1くらい人がいるのが"普通"だと分かった。
最悪だったのは4月だ。締め切りに間に合わせなければならないというプレッシャーに、わたしたちのチームはさらされていたからだ。欧米のゲーム開発者は、大きなリリースを前に無給で残業することを「クランチ(crunch)」という言葉で表現する。
わたしの場合、通常の「996」がすでに「クランチ」のようだったので、これは「クランチ」をさらに激しくしたようなものだった。1日12時間から14時間労働のシフトを3週間続けた時期もあった。20日間くらい、休むことなく働き続けた。
残業をした後、「顔の形がジャガイモみたいだ」とSNSに投稿したことも。
Jack Forsdike
わたしは大抵、朝は10時前に出社し、社員食堂で朝食をとる(会社の全額補助)。そして、12時半まで働いたら昼食だ。
昼休みは90分もらえるので、同僚たちとコーヒーを飲んだりして、1時間くらい息抜きをすることもできた。わたしが「996」を乗り切れたのは、これがあったおかげだと思う。
職場に戻ったら、途中で簡単な夕食を挟みつつ、夜通し働く。上司は夜の9時に定期的に会議を入れていたし、残業という扱いではなかった。
真夜中過ぎに帰宅し、シャワーを浴びたらベッドに直行する。毎日がこの繰り返しだった。
仕事以外のプライベートは存在しなかった。妻と顔を合わせる時間もほとんどなかった。趣味のひとつだったテニスもやめてしまったし、身体を鍛える時間もなかった。食事は全て、会社の食堂だった。
「996」で働き始めてから、結婚したばかりの妻とほとんど時間を過ごしていないことに気付いたという。
Jack Forsdike
わたしは自分の身体に影響が出始めていることに気付いた。筋肉は落ち、体重は増えていった。しんどくなってきていたけれど、わたしはただただプレッシャーが軽くなることを祈っていた。
これがずっと続くのか…?
最悪だったのは、わたしたちを職場に閉じ込めておく決定権を持つシニアマネジャーと顔を合わせることがなかったことだ。彼らは上からの締め切りを伝えるだけで、チームリーダーに交渉する余地はなかった。
ただ、わたしのやる気を本当にくじいたのは、この状態がこれからもずっと続くだろうということだった。
イギリスでも恐ろしいほどの長時間労働をしている人は少なくないが、トンネルの先には通常、異動や昇進といった"光"がある。
一方で「996」は最低限の話だ。わたしの上司から同僚、他のチームで働く友人まで、誰もがこの働き方が終わりのない、過酷なものであることを知っていた。でも、全員が諦めているように見えた。
「996」は業界のスタンダードなので、同僚たちは転職したらもっと仕事がきつくなるのではないかと恐れていた。
5月になって、わたしはようやく休みが取れた。労働節は中国の大型連休の1つで、わたしは仕事内容が変わる条件として長めの休暇を取れるよう交渉していた。
職場に戻ると、自分を含めチームの大半がレイオフされたことを知った。プロジェクトは基本的に終わっていたけれど、会社はわたしたちのゲームを開発の初期段階にロールバックすることを決定した。
がっかりした。この会社のために、とんでもなく長い時間働いてきたからだ。ただ、同時に安堵感も押し寄せてきた。
わたしは「996」のせいで自分が仕事以外であまりに多くのものを失ってきたと気付き、解雇されたことでリセットボタンが押された。
氷の彫刻で有名なハルビンでフォースダイクさんは中国人の妻と時間を過ごした。
Jack Forsdike
シニアマネジャーは「996」のような考え方は時代遅れだと知る必要がある。これではチームの生産性は上がらない。士気を低下させ、疲弊したチームはより多くのミスを犯すからだ。
28日間の解雇予告期間が過ぎ、6月に退社したわたしはハルビンの街で、仕事を離れて妻と過ごしている。
わたしの夢は今でも中国でゲームを作ることだ。ただ、自分がもう一度「996」で働きたくなるような会社があるかどうかは分からない。失うものがあまりに多すぎる。