前回「【都市に反撃する自然~動物編~】山林からはみ出すクマ、今や都市は野生動物にとっての天国に!?」で、野生動物が着実に都市へと生息地を広げている現状について、見ていった。今回は、その生息の母体となる森林についても目を向けてみたい。
昭和40年代から50年代にかけて、日本人は高度経済成長の恩恵に浴しながらも、その反作用である公害や自然破壊にも敏感であった。公害すなわち大気汚染や水質汚染、農薬散布など直接人体に影響するものについては、見た目には相当程度改善がなされてきたようだ。自然破壊については、原生的な天然林などの保全は進んだが、森林の土地の改変(形質変更)については、無制限に拡大している気がする。
さすがに大規模な宅地造成などは需要の減少で影を潜めつつあるが、高速道路網などは、大規模な両切土(掘割状)によって大面積の林地が形質変更され、森林生態系を分断する。かつては天然林を伐採して人工林に林種を変更することが自然破壊の最たるものとされたが、林地が改変されればもう森林には戻らないのだから、罪深い行為と言えるだろう。
太陽光発電のソーラーパネルの設置も同様である。森林を皆伐し、山の斜面を大面積のパネル群が覆い尽す。そこは植物も動物もいない不毛の世界となり、唯一人間のためにエネルギーをつくりだす。
自然・再生エネルギーとか称して、あたかも地球にやさしいかの印象を与え、免罪符となっているが、根こそぎ森林生態系を消滅させ、人間のみの利便性を図るものである。やがて森林の根系の消失は斜面の崩壊・土砂流出を招き、人間は大きなしっぺ返しを食うだろう。
反撃の狼煙を上げる都市の小さな自然
このような大規模な森林破壊が、なぜかつての自然保護運動のような社会問題とならないのだろうか。それは山村社会の解体と都市の肥大化が生み出した、自然からの人間社会の遊離と分断に他ならない。
ところが、一方的に森林が、自然が敗北したと思っていたが、そうでもない。都市化に埋もれて生き残った小さな自然が、あるいは人間が拵えたわずかな緑が、あちこちで反撃の狼煙をあげている。もちろん彼らには意図的なものはない。
昨年、東京都日野市の公園でイチョウの枝が折れて、その下を通りがかった人にあたり、その人は運悪く亡くなった。筆者のように森林を職場としていたものは、いずれこのような事故が増えるだろうとは思っていたが、森林の中でも滅多に起きる事故ではないだけに本当にお気の毒であった。
写真は、国立科学博物館付属施設の自然教育園で、東京都港区白金台という都市のど真ん中に孤島のように残された自然林である。以前は武蔵野の面影を残す雑木林だったのだろうが、伐採をしないで自然の推移に任せていたため、常緑広葉樹が成長し、得体の知れない暗い森になっている。
こうなると枝折れや倒木がいつ発生してもおかしくない。園内の自然観察路を歩く人は多いから、それらの危険を除くための管理の苦労がしのばれる。