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更新日:2024/12/01 Sun 14:11:13
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■ヤマトタケルノミコト
『日本書紀』では『日本武尊』。
『古事記』では『倭建尊』。
古代に実在したとされる皇族であり、英雄的人物。
ヤマトタケルとは“日本で最も強い男”の意。
ただし“タケル”は蛮族の通称なので、尊名としては相応しくないとする説もあり、この場合は“タケ”とするべき、との意見もある。
草薙剣/草那芸剣を手にした伝説的人物であり、
日本神話の英雄と云えば、
スサノオノミコトか彼か、と云う位の活躍と知名度を誇る。
幼名をオウス(小碓命、小碓尊)。
異名をヤマトオグナ(日本童男、倭男具那命)。
“オグナ”は未婚の男性の意であり、ここから後にヤマトタケルと呼ばれるようになったとされる。
その武勲と活躍、悲劇的でヒロイックな運命から『
日本神話』でも、一種の半神的英雄として捉えられている。
また、実在したとされつつも記紀での記述のズレや、余りの活躍の大きさから、元となった複数の人物や、
何らかの神話を下に生み出された架空の人物ではないかとも言われている。
ともかくも実在したにしても、その生涯については大きく脚色された部分がある人物と云えるようである。
【系譜】
第12代景行天皇の子で、第14代仲哀天皇の父親とされる。
系譜については記述により違いがあり、異論もある。
母は皇后の播磨稲日大郎姫。
『古事記』では、彼女は若建吉備津日子(稚武彦命)=吉備臣の祖の娘とされている。
『日本書紀』と『先代旧時本紀』では第二王子とし、双子の兄に大碓命(オオウス)が居る。
『
古事記』では第三王子とし、オオウスとは双子ではない。
また、弟に神櫛皇子が居るとされている。
よく知られた“神話”に於いては『
古事記』に語られる、兄のオオウスとの因縁が知られているが『日本書紀』には見られない(後述)。
『
古事記』のは物語を強調し過ぎている面があり、公式には因縁の部分については“ふぃくしょん”と捉えられている。
妃には、
- 両道入姫皇女/布多遅能伊理毘売命=仲哀天皇の母。
- 吉備穴戸武媛/大吉備建比売。
……といった女性達の名前が挙げられている。
よく知られているのはヤマトタケル神話のヒロインたるオトタチバナとミヤズヒメだが、それ以外の妃と設けた仲哀天皇の他、
有力な氏族の祖となった人物の父親として位置付けられている。
【神話】
ヤマトタケル神話は、節目により名前を変えつつ展開され、妃となる人物も違うのが特徴だとされる。
尚、以下の記述は凡て『
古事記』に準拠する。
一、西征。熊曾退治。
第12代景行天皇には多くの皇太子が居たが、その中に若くして既に勇猛なオウスが居た。
ある時、臆病者であったり、父である天皇の寵妃となる女を奪うなど、 常々、問題のある態度を取っていた兄のオオウスが皆との食事の場に同席していない。
これに対し、景行天皇はオウスをオオウスの下へとやり「ねぎらうように」と命じた。
しかし、オウスは程なくして戻ってきたのに肝心のオオウスがやって来ない。
不審を抱いた天皇がオウスに問うと、オウスは「ねぎらう」を「懲らしめろ」と解釈。
厠に居たオオウスを引き出し、“掴み潰して、手足を引き抜き、筵にくるんで投げ捨てた”と答える。
……究 極 神 拳!!!
これに驚いた天皇は、これ以降オウスを怖れるようになり、まだ16歳位の少年であったオウスに、大和に従おうとしない九州の豪族である、熊曾の討伐を命じるのだった。
力があるとは云え、父を尊敬する少年オウスには謀反の意思など無いのだが、この遠征には殆ど部下も付けられない等、死んでこいと言われたようなもの……。
傷心のオウスは途中で叔母の倭比亮命/倭姫命の居る伊勢へと向かう。
オウスの寂しい胸の内と置かれた境遇を慮ったヤマトヒメは、この状況を打破する知恵として、オウスに女物の衣装を授ける。
そして、反乱分子のリーダーである熊曾建(クマソタケル)/川上梟帥(カワカミタケル)兄弟の新築祝いに女装して、髪の毛を下ろしたオウスが潜入。
まだ少年であるオウスの変身は相当に綺麗だったようで、側まで近づくことに成功。
そのまま、宴会の隙を付いて熊曾兄を討ち取った。
勝てばよかろうなのだァァァァッ!!
そしてオウスは逃げる熊曾弟を押し倒し、尻の穴から剣で串刺しにした。熊曾弟は「尻の剣を動かさないでくれ」と懇願しつつ名前を聞き、「大和には我らに勝る男が居るのか。これからは倭建(ヤマトタケル)と名乗るがいい」と言い残した後で、オウスに瓜を真っ二つに切り裂かれるように尻から斬られて討ち取られた。
……究 極 神 拳!!!
これ以降、オウスはヤマトタケルを名乗るようになり、一人前の男として振る舞うようになった。
熊曾を討伐したヤマトタケルは、その帰路に山の神、川の神、穴戸の神を平定し、更に出雲に立ち寄った。
同地を治める出雲建(イズモタケル)と面会したヤマトタケルは、最初は友好的な様子で近付き親交を結ぶ。
そして樫で作った偽の太刀を持ち、イズモタケルと一緒に川に水浴びに出かけ、先に川から上がるとイズモタケルの剣を掴み「剣を交換して太刀合わせをしてみよう」と持ち掛けた。
イズモタケルはこの遊びを受け入れるも、偽の剣なので抜くこともできず、まごついているうちにヤマトタケルに切り殺されてしまった。
勝てばよかろうなのだァァァァッ!!
この時にヤマトタケルは歌を残している。
「やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 つづらさは巻き さ身無しにあはれ」
訳“出雲建の大刀は、つづらがたくさん巻いてあって派手だが刃が無くては意味がない、可哀想に”
……まさに外道!!!
……こうして、見事に天皇の勅命を果たしたオウスは意気揚々と大和へと戻った。
英雄となったタケルの帰還を大和の民も喜んでいたのだが……。
二、東征、蝦夷退治。
大きな成果を上げるとともに、無事に戻ってきたタケルを労うでもなく、続いて景行天皇は「東方の十二の国を回り、荒ぶる神と従わない者共を平定せよ」と命じられた。
天皇「ではまたあおう!ゆうしゃタケルよ!(今度はもう帰ってくんなよ…)」
父である天皇の非情なお達しに、再び伊勢を訪れたタケルはヤマトヒメに報われぬ我が身を嘆き、哀しみを吐露する。
タケルの身を案じた、伊勢の斎宮たるヤマトヒメは、神代の時代にスサノオノミコトからアマテラスオオミカミに渡されていた神剣草薙剣と緊急の時に開けるようにと、謎の小袋えきせんとりっく少年ぼぅいを託す。
こうして、ヤマトヒメを通じて大神アマテラスの加護(草薙剣)を得たタケルは先ずは尾張国造=国造(みやつこ)=当地を治める豪族の家へ。
そこで、ミヤズヒメと出会い、結婚の約束をするも先へ進む。
相模国に進むと、相模の国造に「荒ぶる神が居る」と騙され、野中に入った所で火攻めを受ける。
この危機を草薙剣を振るって周囲の草を刈り取り、更に謎の小袋の中に入っていた火打ち石で自らも火を起こして炎を打ち消し脱出。
自らを罠に嵌めた国造と、その一味を皆殺しにする。
リリカル・トカレフ・キル・ゼム・オール♪
……以降、この地は焼津(静岡県焼津市)と呼ばれるようになったと云う。
続いてタケル一行は走水海(浦賀水道)へと入るが、暴風に煽られ進むことが出来なくなった。
これは、海峡を司る神の妨害によるものだとして、同行していた后の
オトタチバナが菅畳、皮畳、絹畳を8枚ずつ海面に敷くと
そこへ身を投じ、夫の替わりに自らの身を人身御供として差し出して、神の怒りを鎮めた。
こうして、タケルは対岸の上総(
千葉県)へと着くことが出来、
7日後に姫の櫛が流れ着いたのを拾って墓を築き、そこに櫛を納めた(茂原市の橘神社の社殿裏の御陵がそう伝えられる)。
この後、タケルは東征の帰路に足柄峠に入った折にオトタチバナのことを思いだし「吾(あ)が妻よ」と呟きを漏らした。
“東(あずま)”の読みは、これに由来するとされている。
尊い犠牲を払いつつも東方十二国の東端にまで達したタケルは、尾張国へと戻りミヤズヒメと結婚。
その後、ヒメの所に草薙剣を置いていった状態で伊吹山の神の討伐に行く。
「この山の神ごときは素手で捻り潰してくれるわ!」と言って山に登ったタケルは白い猪に遭遇。
「山の神の使いだな。気に入った。殺すのは帰りにしてやる」と侮るが、
白い猪は伊吹山の神の化身その物であり、祟りによる大粒の雹が襲い掛かり、タケルは失神。
這う這うの体で、意識を朦朧とさせたまま下山する。
タケルは居醒めの清水(山麓の関ケ原町また米原市とも伝わる)で、やや正気を取り戻すも祟りによる影響は深かった。
こうして、重体となりつつも大和を目指し、当芸野(たぎの)、現在の三重の各地を経て能煩野(三重県亀山市)にて果てた。
この時のタケルは30歳位だったと云われる。
「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」
「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」
タケルは、この4首の国偲び歌を詠って亡くなるのである。
この後、タケルの死を偲んで后や御子が訪れ、陵墓を築いて歌を詠った。
すると、タケルの魂は八尋白智鳥=白鳥となって飛び立ち、后達は更に3種の歌を詠って姿を追った。
この歌は天皇を贈る『大御葬歌』になったと云われる。
白鳥は河内国の志幾に降り立ち、そこに白鳥御陵(しらとりのみささぎ)が築かれたが、白鳥はやがて天に飛び去ったと云う。
また、草薙剣を預けられたミヤズヒメは、後に剣を納める地を探しあて奉納し、それが熱田神宮の始まりとなった。
【日本書紀では】
前述のように、英雄譚
と云うか鬼畜ヒーロー物と云うかでありつつも、悲劇的な背景を持つのがヤマトタケル神話だが、
『
古事記』を元にした前述の神話に対し、『日本書紀』の記録の方では記述に違いが見られる。
以下に特に違いが見られる人物達を紹介。
そもそもが、父に怖れられるような粗暴な人物とは描かれていない。
ただし、土地の神への不敬により祟りにあったりするのは同じ。
タケルに殺される展開が無い。
ただし、父である天皇から不興を買ったのはそのまま。
元々は東方遠征をタケルに推されたのはオオウスだったが怯えて逃げたために更に不興を買い、大和から美濃国へと送られたと云う。
『日本書紀』では、武闘派天皇として、自らが熊曾退治に乗り出している。
タケルの西征はそのフォローのようなものだったとも。
因みに、息子が生まれる時には当時の習俗に倣って重い臼を背負って家の回りを歩いていたが、双子だったので一人が生まれても臼を下ろせず、
思わず
「こんちくしょう!」と叫んだという話が伝わる。
タケルのことも怖れていないので、その死に際しては昼夜に渡り咽び泣き、百官に手厚く葬るように命じたと云う。
『日本書紀』では、タケルの転じた白鳥の降り立ったのを能褒野→大和琴弾原(奈良県御所市)→河内古市(大阪府羽曳野市)としており、その3箇所に陵墓を作ったとされる。
その後天皇は、武部(健部・建部)を日本武尊の御名代とした。
『
古事記』と異なり、大和にも飛来する点が注目される。
『日本書紀』では、タケルと景行天皇の間に齟齬が無いので西征の場面では登場せず。
タケルは遠征の際にも多くの部下を付けられており、将軍の地位にも任ぜられている。
【モデルは?】
以上のように、ヤマトタケル神話には“ふぃくしょん”の部分も多いとされるが、
これらの神話は、4世紀~6世紀にかけて、大和王朝の勢力圏を拡げていった将軍や使者の話が纏められて出来たのではないか?と考えられている。
【系図】
実際、ヤマトタケルの妻子の系図を見ると曾孫の迦具漏比賣(カグロヒメ)がヤマトタケルの父である景行天皇の妃になっているという明らかに不自然な箇所が見られる。
ヤマトタケルの母の播磨稲日大郎姫にしても第7代天皇である孝霊天皇の孫とされており、12代目である景行天皇より四世代も上の人物という事になっている。
そのため一部の神話は景行天皇の年若い王子ではなく、それ以前の時代に活躍した王族の話を取り込んだのではないかとする説もある。
【文献記録】
また、8世紀の『常陸国風土記』には倭建天皇と、后の大橘比亮命の名が記されているため、
この天皇がヤマトタケルとオトタチバナの直接のモデルとなったのではないか?との説がある。
何故に天皇として扱われながらも記紀から抹消されたのかは不明だが、記紀では天孫系の、特に統治者となる者には殺人の記録が残らないようにされている為に、
記紀中のヤマトタケルも即位出来なかったことにされたのではないか? との考察がある。
実在したとすると、相当に武勲を立てた天皇だったのかもしれない。
実際、5世紀後半に中国の南朝へ遣使した倭王・武は上表分に「我が祖禰は自ら鎧兜を身に纏い、東西の諸国を平定した」と記している。
この"祖禰"が具体的に誰を指しているのかについてははっきりとは分からないものの、既に5世紀時点の大王家や豪族たちの間に祖先が軍事力でもって列島を制圧していったという伝承や認識が広く共有されていた事がうかがえる。
【墓】
三つの墓の内、最後に築かれたと言われる白鳥御陵については宮内庁によって河内大塚山古墳に治定されているが、学術調査では5世紀半ば以降の築造であると判明している。
そのため一部には北に2キロほど離れた津堂城山古墳の方がヤマトタケルの墓に相応しいと考える研究者もいる。
こちらは築造年代が4世紀後半と考えられており、景行天皇の陵墓とされる渋谷向山古墳の推定築造年代に近い他、水鳥を象った埴輪といういかにも白鳥伝説との関連を匂わせる品も出土している。
また、この古墳は河内地域で最初に築かれた200m級の大型古墳である他、古墳本体を囲う水堀を二重に巡らせた最初期の古墳でもある。この二重周壕を含めれば墓の規模は全長400mで、当時の国内最大級となる。
これら諸々を踏まえて、墓の主は当時の大和政権内でも屈指の権力を有していた王族クラスの人物だった事がうかがえる。ヤマトタケルのモデル候補としては申し分のない立ち位置である。
【アニヲタ的には】
神剣を手にして強大な敵に知恵と力、勇気と機転をもって立ち向かい、日本をところせましと駆けまわって大活躍。
そして日本をひとつにせんという志なかばで悲しい最期を遂げたヤマトタケル。
その要素をそのまま示す「日本武」という名を持つこの英雄は、神である
スサノオや
オオクニヌシよりもさらに人々に身近な存在であり、日本における活劇の王道的な主人公として広く採用されてきた。
直接的にタイトルとなっている『
ヤマトタケル』の他、絵本やお話の題材になる等、
日本神話の英雄として親しまれている。
特撮史的にも重要な、映画『
日本誕生』の主人公もヤマトタケルであった。
それから
手塚治虫氏の大作「
火の鳥」でもヤマト編において主人公の王子オグナとして登場。
こちらでは当時の世相を反映してモラトリアムとイデオロギーのはざまで苦悩する一人の少年として描かれており、
クマソタケルを殺すシーンでは
結婚式ではなく大葬の直後となっている(なお、本作はクマソタケルの超男勝りな妹がヒロインである)。
他にも古代・現代・近未来・SFなど、
ファンタジー作品においてどのような時代や背景を舞台としても、堂々と主人公をつとめている。
珍しいところではにわのまこと氏のプロレス漫画「THE MOMOTAROH 」で、
敵役として登場している。
主人公のモモタロウをはじめ
金太郎や弁慶といった日本のおとぎ話をモチーフにしたレスラーが登場するこの作品で、
主人公の存在の根幹にも関わる最強最後の敵としてあらわれたのが「ヤマトタケル」である。
桃太郎や
金太郎といった日本の英雄たちの頂点に立つキャラクターとしてふさわしいのは、やはりヤマトタケルだったのだろう。
追記修正は遠征してお願い致します。
- そろそろFGOに実装されてもよさそうな英雄。敢えて言うならジャパニーズヘラクレス? -- 名無しさん (2017-11-27 06:28:36)
- ある漫画ではオトタチバナが幼女になってたからタケルさんロリコンみたくなってた。でも死に際にオトの笑顔を思い出す所は泣けた… -- 名無しさん (2017-11-27 07:19:36)
- 火の鳥(ヤマト編)のヤマトタケルもいいよね。 -- 名無しさん (2017-11-27 09:14:00)
- 子供の頃に漫画で読んで「え、なんで可哀そうなヒーローみたいに描かれてるの?凶暴で、卑怯で、罰当たりでどう見ても悪人じゃん」と思って怖かった -- 名無しさん (2017-11-27 12:24:23)
- ↑君のような勘のいいガキは嫌いだよ。 -- 名無しさん (2017-11-27 12:29:20)
- ↑2ヤマトタケルに限らず神話系なんてだいたいそんなもんだからなぁ -- 名無しさん (2017-11-27 17:29:53)
- スサノオもヤマトタケルも見方によるとDQNの殺し屋だよね -- 名無しさん (2017-11-27 20:28:48)
- ↑7女装の逸話あるしFGOに実装されたらまた女体化されそうだな。 -- 名無しさん (2017-11-27 21:47:59)
- どっかのページにも書いたような気がするけど、ヤマトタケルは皇族だからFGOとか女体化とかはそう言う意味で難しそう。ヤベー奴らに目付けられそうだし…。 -- 名無しさん (2017-11-27 22:52:13)
- ↑天皇家はパロディとか禁止なんだっけ? -- 名無しさん (2017-11-27 23:09:44)
- ???「タケル殿ォォォォォォォォ!!!!!」の名前の由来という説もあり -- 名無しさん (2017-11-27 23:17:07)
- キャラ化なんかは今更だしヤマトタケルなら大丈夫だと思うよ。 -- 名無しさん (2017-11-28 00:02:45)
- 真珠がゲフンゲフン! 某一般エロ漫画のラスボスはヤマトタケルだし、大丈夫じゃないかな?FGOなら、セイバー、バーサーカー、アサシンぐらいが妥当かと。 -- 名無しさん (2017-11-28 17:13:16)
- ヤマトタケルの子は後に神功皇后の夫で応神天皇(八幡神)の父である仲哀天皇がいるが、凄く地味・・・。 -- 名無しさん (2017-11-28 17:18:11)
- ↑その辺の親族はサーヴァントどころかメガテンで悪魔として出てこれる位の面子なのにねえ。残ってるエピソードも神託に逆らって熊曾に敗れたとか不名誉なのだし。 -- 名無しさん (2017-11-29 20:01:25)
- ↑3セイバー枠で宝具は草薙剣じゃないか。当然セイバー顔 -- 名無しさん (2017-11-29 21:19:51)
- 学研の漫画ではオオウスが殺そうとしてきたので払いのけたら勝手に池に落ちて溺れ死んだことになっていた。あとなぜかオトタチバナがタロット使いになっていたりした。 -- 名無しさん (2017-12-01 10:12:02)
- 「王子なのに父王から敵対勢力の壊滅を命じられて1人で城から放り出される」ってローレシアの王子だコレ -- 名無しさん (2017-12-01 13:57:14)
- ↑破壊神を破壊した男…! -- 名無しさん (2017-12-04 19:46:37)
- ↑物語の英雄が意外と汚い手を使っているのと、充分な時間と資金でレベルアップと装備を整えて相手を越える戦力で敵キャラクターを屠るのに如何程の差があろうや。 -- 名無しさん (2017-12-04 20:24:48)
- 超戦艦日本武尊で漢字を覚えた -- 名無しさん (2018-04-23 20:07:45)
- デジモンアドベンチャーの石田ヤマトと高石タケル兄弟の名前を合わせるとこの名前になる。(苗字が違うのは親が離婚しているから)どういう意味を込めてこの二人にこう言う名前を付けたのか。 -- 名無しさん (2018-04-23 20:31:31)
- 女装子に尻の穴を刺される 「男狩り」のモデルはヤマトタケルだった? -- 名無しさん (2018-04-26 01:18:59)
- 東宝ヤマトタケルを見た自分:「実の息子にこの仕打ちとか酷え親父だな..」この記事読んだ自分:「そりゃ幾ら息子でも怖くなるわな...」 -- 名無しさん (2018-08-26 07:17:59)
- Fateに出て欲しい -- 名無しさん (2018-09-04 13:31:28)
- 各地の風土記などにも名を残しており、『常陸国風土記』には「倭武天皇」として和やかな巡幸が、『陸奥国風土記』には超人的な武力の逸話が記載されている -- 名無しさん (2018-12-21 09:00:04)
- 女装も出来る程の美青年のはずなのに映画では三船敏郎みたいなゴツイ人しか演じないのが不思議。日本洋画の先駆者・高橋由一の「倭健命」もまた髭面でゴツイ。青木繁版だと辛うじて美青年かな?(ただし描かれた二人のうちどちらが倭健なのか分からん…明治洋画に詳しい人教えて下さい!) -- 昼太郎 (2019-03-29 15:51:02)
- 実際現代の目から見れば卑怯な騙し討ちだが、古事記にせよ日本書紀にせよ所詮は文書だから「正々堂々と一騎打ちで見事討ち取った」と書き換えることは幾らでもできた筈。そうしなかったということは、当時は騙し討ちは別に恥ずべきことではなかったのではないか。現在の価値観で過去を裁いてはいけない(戒め) -- 名無しさん (2019-05-10 12:20:38)
- 違反コメントを削除しました -- 名無しさん (2020-03-13 11:02:54)
- 名無しさん -- Fate/Strange Fakeで宝具の例として登場してましたね。一応、座にはいるのかな? (2020-04-05 14:58:43)
- スサノオ、神武天皇なども騙し討ちはしてるし、古代では立派な戦術と考えられていたのかな -- 名無しさん (2020-05-23 15:56:30)
- 武士道なんて欠片もない時代だしな -- 名無しさん (2020-08-06 16:08:11)
- 古代や神話でのこの手のエピソードの類は、軍による戦術や戦略を一人の英雄の逸話に落とし込んだらそうなったってのも多いと思うよ。少数が奇襲で大軍を打ち破ったみたいな話が、単身乗り込んで騙し討ちで大将首を取ったって変化したとか。 -- 名無しさん (2020-08-23 14:07:44)
- 騙し打ちは知恵がある英雄だってことを表現していて日本神話に限らずギリシャのヘラクレスや北欧のシグルドも使う戦術だな。 -- 名無しさん (2020-10-24 00:53:24)
- ↑9 今だと特撮出身(ヒーローイメージが既にある)で女装の似合う俳優はけっこういるので女装の似合うヤマトタケルもあり得るのでは。 -- 名無しさん (2021-03-22 04:21:04)
- ゴツい男か女のような美青年か、というのがそもそも誤りかもしれん。例えば、昔は太ってる方が美しいとされていた、王子なので太っていてもおかしくない、実はマッチョやガリガリよりぽっちゃりの方が女装が自然、剛腕の持ち主→体格がいい→力士。つまりヤマトタケルは色白もち肌の動けるデブという新イメージを立ち上げたい -- 名無しさん (2021-03-23 07:41:06)
- ちなみに一説には熊襲にしっかり掘られたなんて言われてる -- 名無しさん (2023-03-13 20:31:46)
- 現代の価値観でも猛獣怪獣退治は一対大勢とか罠とか薬で弱体化とか正々堂々じゃない手段は当たり前にとるからな。 -- 名無しさん (2023-03-18 14:15:34)
- 遂にサーヴァント化を果たした模様。 -- 名無しさん (2023-10-30 12:25:16)
- ヤマトタケルってそういう意味だったのか…しかし素手で捻り潰す!の後に失神はちょっと面白いな -- 名無しさん (2024-01-21 18:01:40)
- ↑脳筋が搦め手に弱いのあるある……みたいな感じだったのかな。 -- 名無しさん (2024-11-08 09:20:24)
- ヤマトタケルの神話は知ってたけど歴史にわかなのでやんごとなき血筋なのは知らなかった。 -- 名無しさん (2024-11-17 17:05:48)
最終更新:2024年12月01日 14:11