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主人公補正

登録日:2014/10/08 Wed 01:41:08
更新日:2024/12/05 Thu 03:50:44
所要時間:約 16 分で読めます




※この記事では項目・コメント欄共に、個別作品名及び個別キャラクター名を出すことを禁止しています。
もし違反した場合には当事者のIP規制やコメント欄の削除の措置を行いますが、最悪の場合本項目の閲覧規制になりますのでご了承ください。

主人公補正とは、文字通り当該キャラクターが主人公であることにより発生する補正のことをいう。


●目次

【概要】

元より曖昧な概念であり、そのため議論百出でもあるが、
ここでは乱暴に「主人公が主人公であるがゆえに受けることのできる恩恵、もしくは優遇措置の数々」だと定義しておこう。

ここで問題となるのは、それらの補正が作者の作劇の都合上主人公にとって有利なものとして働きやすいということである。
これは作者が主人公を軸として物語を展開させるために起こる。

そのため、主人公が物語から脱落してしまう危険はあらかじめ排除され、逆に主人公にとって有利な事象が発生する確率も高くなる
こうした現象を総称して「主人公補正」と呼ぶ。

それらのほとんどは所謂お約束であり、それ単体では多くの場合気に留められることもないが、
それが過剰(ココ重要)だったりそれに伴う描写などが微妙だったりなると、『ご都合主義』につながるため批判の対象となりやすい。

どこまでが本人の実力で、どこからが主人公補正なのか、を明確に線引きすることはほぼ不可能と言っていい、が主役/メインヒロイン降格が起きた場合、これが可視化されることが起こりうる。
「第1部で主人公として活躍したキャラが、第2部で主人公交代してからはかませ犬になってしまった…第1部での活躍は全部、主人公補正のおかげだったんだ!」といった話も無いものではない。

なお、敢えて露骨なほどに補正効果を多用することで極端なご都合主義に走り、突き抜けて様式美として確立するケースもある。
大衆向け時代劇において主人公を完全無欠の超人として造形したり、お忍びで行動しつつ都合良くポンポンと悪事を発見出来る運の良さを持っていたりするのが例である。まあそもそも悪事を見つけなければ話が始まらないというのもあるけれど。
あとはいざ悪事に出会ったら確立した筋書きに則って退治する、などがその例。よっぽどのことが無い限り主人公が悪役をお決まりの手段で倒して終わる。
ただしこの場合、「お約束」として暖かい目で見守るファンと、「ワンパターン」として忌避するアンチとの両極端に分かれてしまうという弊害もある。

他にもヒューマンドラマで戦闘を手短にするため主人公を最初から最強設定にする、脇役の個性が強すぎる作品で敢えて主人公をマトモなキャラクターにするなど、バランス調整の関係で主人公に極端に強い補正を掛けるケースがある。
このような場合は主人公補正自体が極端に強くても「仕方ない」と見られがちだが、バランス調整の目的を忘れて主人公だけが一方的に目立つ手段として作用すると一気に物語がつまらなくなる。匙加減は大事。

コメディ系の作品では脇役を大量の奇人変人で固めて、主人公または狂言回しを努める副主人公を敢えて常識人や完全無欠に近い存在とすることで、物語の舵取りができるようにするということがある。
脇役がどれだけ変なことをしても、主人公が軌道修正することで物語を上手く進行させるという役割を持つ。

また演出の手段として、主人公の存在そのものや主人公補正を作品内の大きな「謎」として描写するというケースも見られる。
この手法は受け手を萎えさせることなく露骨な補正効果を多用することができるばかりか、最強の演出とされる「受け手の想像力」を大いにかき立てることとなる。
だが、この手法は作品の中心を空白のままにしておくことでもある。よって、最終的に受け手の納得する形で空白を埋められなければ、非難を浴びるばかりか最悪作品世界そのものを破綻させる結果につながりかねないリスキーな演出でもある。

なお、本項では取り扱わないが、ヒロイン補正・レギュラー補正というものも存在する。
例として「人が次々に死んでゆく作品だが、主人公の周りにいるレギュラーキャラだけはいつも生き残る」といった感じ。主人公補正ほど強くは働かないので たまに本当に死んでしまうこともあるが、その場合もその死は印象的に描かれ、物語の見せ場やターニングポイントになる。少なくとも「気づいたらいつのまにか死んでました」みたいなことにはならない。

【具体例】

*Warning!! ここで列挙する要素はいずれも作者の独断でセレクトしたものであり、ソースなんぞを求められても答えようがない。また、あくまで一例ということに留意されたし。

大ざっぱに言って、主人公自身の能力に関するもの(ヒーロー補正)と、周囲の環境や状況に影響を及ぼすもの(主役補正)とに分けられる。


1.主人公のみの特異な能力や才能を有する

主人公となるべき人物をその物語の主役として据えようとするなら、なんらかの特異な能力を持っていなければ困難である。
むしろその特異な能力を持つがゆえに主人公になっている、ともいえる。

大半は特殊能力の細かな説明にかなりの紙幅が費やされるのだが、
それを上手くまとめられない面倒臭がりの作者はこの部分を天才の一言で片付ける場合もある。その場合、描写には余程神経を尖らせる必要がある。

…が、それだと読者が主人公に感情移入しづらくなるので、(特にスポーツ物などでは)基本は凡人だけど特異な才能を持つ、という設定が追加される場合もある。
しかし、瞬発力や跳躍力、スタミナや過負荷(オーバーワーク)に対する耐性など、
寧ろそれらを持つ者を天才と呼ぶのが普通ではないか、という例が大半であり、ほとんど意味を為していない。
身体能力というのはなんらかのきっかけで突然開花するものではないし、ましてやそれだけで勝てるほどトップアスリートの世界は甘くない。
まるで成長していない…の項目にもある通り、基礎能力はあって当然、無ければそもそも通用しないのだ。
この点を肝に銘じておく必要がある。

異能ものやゲームもので天才を避けながら特異な能力を持たせるパターンとして、
「世間的にはハズレだと思われていた能力やジョブが、主人公だけ真価を発揮させられる方法を見つける」というものがある。
しかしそれにしても「過去にその能力を持った人間が何人何十人何百人といるのに、主人公までその真価を発揮させることができなかった」という、下記6番のような状況になってしまうことがある。
「主人公が真価を発揮させた納得できる理由」が必要である。

その一方で、特異な能力を持ちながらも使いこなせていない主人公などがいると、カタログスペックしか売りがないキャラとして揶揄され、
性格が人格破綻者と言われてもフォローの余地がない造形でも、能力を発揮することで再評価・見直されるならまだしも、
最悪「それまでの非難されて然るべき迷惑行為・悪行がなかった事にされ、周囲から大絶賛される」という本来倫理的にあってはならない展開に縺れ込むケースも少なくはなく、両方とも批判対象になるためなかなか難しい。

一部の作品では主人公が歴戦の勇士で最初から最強クラスというパターンも存在する。
この場合、序盤の雑魚に苦戦するのは主人公の仲間の役回りで、主人公はそんな仲間の長兄役になる事が多く、中~終盤あたりでそんな彼でさえ苦戦を強いられる強大な敵や指折りの強者との戦いで熱戦を繰り広げる。
最強設定は話を冗長化させない演出としても用いられる。主人公が本気を出せば並程度の悪党はあっさり返り討ちに遭い、不必要な戦闘描写を最小限に抑えられる。
ヒューマンドラマの場合は、逆に戦闘描写を必要最低限の範囲で入れるための設定としても用いられる。
ただしこの最初から最強設定も主人公がそこまでの力を得られた理由や、主人公の性格などの背景設定は他作品と同様に難しいところがある。


2.交友関係(異性や友人)が広い

一言で言うなら、"リア充"。単純に「女にモテモテ」な場合を指すことも多いが、ここでの意味はさらに広い。
例えば、ヒロイン(ほぼ女性キャラ)がほとんど登場しないような作品であっても、周囲にいる同性の友人(仲間)には好意的に捉えられている場合がほとんどである。

これは主人公を中心としつつ、多彩な登場人物を織り交ぜて描く必要があるためで、必然的に主人公の交友範囲を広げる必要がある。
これを成り立たせるためにも、主人公は十分魅力的な人物として描く必要がでてくる。
特に、物語が主人公の身の回りで完結する日常系(学園物など)では、主人公の資格として必要とされるのは事実上この点だけなので、最重要。

…ではあるのだが、最も匙加減が難しいのは実はこの部分だったりする。

なぜなら、人と人との繋がりというのは現実社会でも偶然に左右される部分が大きいが、そこを説明なく描写すると批判の対象になるからである。
加えて、「特徴的な人物こそ周囲の反感を買う」という単純な事実を忘れているケースも散見される。

特に恋愛物などはこの点がキモなので、万人に好かれやすいキャラクターしか主人公に選べないが、そうすると物語が単調になる。
しかし、特異な設定を入れようとして、「それでもモテる」となるとそれこそ主人公補正として叩かれるというジレンマがある。

一応、メインヒロイン1人+親友ポジ1人ぐらいなら、よほどのぼっちでもない限り現実的に成立しうるので、スルーされるのが普通。
が、流石に登場人物orヒロイン全員から好意を寄せられるとなるとバッシングの対象となりうる(参考)。

特にこれに加えて上記の「主人公の性格が人格破綻者と言われてもフォローの余地がない造形である」が加わると、もはや「生理的に受け付けない」「そんな主人公に好意を寄せるヒロインすら嫌いになる」という大惨事となる。
こうなると作品自体や作者への批判まで発生してしまう最悪の展開となることが多い。


なお、主人公が「イケメンである」こともこれに含める向きもあるが、これはあくまで作画の都合上そうなっている場合がほとんど。
ブサメンよりもイケメンの方が、整っている分作画の難易度が低くなるためである。無論この「作画」には3DCGのモデリングも含まれる。
作品によっては、どう見ても美男美女なのに「ありふれた顔」「普通」「貧相な顔」などと形容されることすらあるのだ。

主人公をブサイクにしたい場合、実写作品ならブサイクな俳優を起用すればいいだけだが、
マンガ・アニメ等の絵で表現する作品の場合は「描くのが難しい顔」を頻繁に描かなければならなくなるためハードルが上がり、3DCG作品ならコンピュータの処理能力が余計に必要となる。
ストーリーの都合を優先させるご都合主義とは若干意味合いが異なる。
実際問題として「イケメンなだけでモテる」主人公はかなり珍しく、さらに言うならヒロイン全員が美人でも誰も叩かないのが普通。


3.親類(親や祖先)に英雄的人物がいる

厳密には主人公本人に関するものではないが、主人公の出自にも影響してくるためここに含める。

この例は主に二種類に分けられる。

一つ目は、「両親etcが優秀だったので主人公も優秀」なパターン。つまり、「親子鷹」*1
一番上の主人公の特異な能力の説明として用いられる場合も多い。
この場合単純に直系親族だけでなく、「主人公の属する一族全体」の特徴として描かれる例もある。

ただし、「才能より努力」が基本となるフィクションの世界では、こういうエリート設定は一般人の共感を得るのは難しくなる場合が多い。むしろライバル向きの設定である。
「スラム街出身の主人公vs王侯貴族のライバル」「二級市民出身の主人公vsやんごとなき身分のライバル」等、主人公とライバルに大きな階級差、身分差を設けている作品も多数存在する。

もう一つは、主人公のバックグラウンドであるとか、あるいは主人公が長い事関わっている話を掘り下げるうちに両親や先祖の話が出てきて、その人物が実は英雄だった、というもの。
基本的に両親や祖先は誰にでも存在し、「主人公の親族」という美味しいポジションを無駄遣いするのは余りにも勿体ないため、こうなりがち。
使い方は血統による「強さ」の理由づけであったり、先祖の宿願を果たすために主人公が…だったり、さまざま。

その分、後付け設定は基本的に嫌がられるため、扱いは慎重に。
それまで平凡だけど地道な努力を売りにしていた主人公が実は特別な血統だった…なんて流れになると「それまでも結局血筋パワーでどうにかなってたってオチでしょ?」と一気に落胆され、上記のエリートへの反感が頭をもたげやすくなるからである。
某少年誌が「才能血統勝利」と揶揄されるようになってしまったのを見れば、あまり好まれないのは理解できると思う。
それまでの地道な努力・平凡さを蔑ろにせず尚且つその血筋ならではを活かす緻密な設定構築が求められる。


4.組織内で優秀な上司・同僚・部下に恵まれる

上記「交友関係の広さ」とも関係するが、厳密には異なる。

ストーリーを展開してゆくためには主人公だけでなくその他の登場人物(ヒロインや仲間)も重要なので、周囲の人間が優秀だという点のみで批判されることは、普通ない。

だが、特定の組織の内部において
主人公が自分の理想などで勝手な行動をしているのに、それがアッサリ周囲に受け容れられたり、上司が優秀だから尻拭いしてくれるだとかの展開は、槍玉に挙げられることがある。

少年物なら指導者や所属する学級・学園もこれと同様な傾向があるだろう。
例えば、特に選んだわけでもないのになぜか優秀な指導者に恵まれる、
特に選んだわけでもないのになぜかクラスメイトやチームメイトに恵まれる、といったもの。
「弱小校に進んだ」と書かれているのに、それどこが弱小校なの?というような指導者やチームメイトがわんさかいる等。たいてい「不祥事」や「怪我」、「挫折」などが理由としてつけられているが、あまりに多すぎてそれごと指摘されることも多い。
…主人公補正というより、主人補正かもしれないが。

もっとも、サブキャラ含めた登場人物も魅力的でなければストーリーは進まないので、設定上ある程度はやむを得ない部分がある。
最初に書いたとおり、あくまで職場などの組織の論理が横行しやすい環境で主人公がフリーダム過ぎると叩かれる、と考えてくれると良いだろう。

むろん「マズい事をしたらちゃんと叱ってくれ、結果を出したら評価してくれる、有事の責任分担はきちんと行う上司や同僚」のように、誰もが頷ける意味での「優秀な上司・仲間」に恵まれるケースももちろんある。


5.死亡フラグ回避&成長フラグ量産

極端なのは、戦闘or試合中突然にパワーアップしたり、絶体絶命の危機には誰かが必ず助けに来てくれるというアレである。

死亡フラグ回避は理解しやすいだろう。
主人公が死ねばそこで物語は完結してしまうので、主人公はなかなか死ぬわけにはいかないのだ。
そのため、雑魚キャラを主人公に据えた作品であっても、主人公は生還しなければならない。

だが、だからと言って「毎回危機に陥っては誰かに助けてもらう」という展開では流石に叩かれる。
そもそも(なんらかの理由があって撤退が不可能な状況に立たされているのならともかくとして)敗北や撤退という事態を準備も想定もしていないというのは、作戦立案の段階で問題があり過ぎる
あんまり酷いと「いきあたりばったりで何度もチームを全滅の危機に晒す無能」なんていう違う方向での批判が起こりかねない。
「帰るまでが遠足です!」「帰ろう。帰れば、また来られるからな」

ただし、死後の世界及び復活手段が用意されているならば話は別である。
主人公が現世では積めない経験を死後の世界で積み、成長して復活するという展開も可能となるためである。

逆の成長フラグについては、基本的には物語全体を主人公の成長物語として描くケースが大半なので、そうした成長につながるフラグが多くなるのはやむを得ないし、描写も多くなるのは当然。
また、戦闘中や試合中にパワーアップする展開のほうが、それまでの描写も相まって胸を熱くしやすいという点も採用される理由である。

…が、やはり理由もない突然のパワーアップは避けるべき。
基本的には、事に赴く前に可能な限りの手を講じるべきだし、練習や特訓の成果を現場で見せるほうが成長=努力を印象付けやすい。
それまで連戦連勝の主人公が強敵と戦い敗れ、リベンジマッチのために装備の改造や新技修得を行うパターンもパワーアップの必然性がよく分かる。
流石に「普段から修行・トレーニングばっかりしてる」レベルになると違う意味で心配されるが。この場合、大抵は何らかの形でフォローが入る。「時折バイトする・していたことが示される」「賞金制大会などでファイトマネーを得る」などがよく使われるだろうか。
何より、主人公サイドの急激な強化は相手サイドにとっては理不尽以外の何物でもない。理不尽展開を乱発すると、それまでの経過=努力も無駄な感じになってしまう。
禁止ではないが、濫用は控え、あくまで伝家の宝刀に留めるのが無難。


6.敵が弱体化・無能化する

主人公補正を否定すると陥りやすい主人公補正その1弱体化補正の項目も参照されたし。
主人公補正がないと事に赴く前に最大限の手は講じても、どうしても敵の地力に圧倒されている状態になる。

そして「死亡フラグ回避能力」すらないため、負けたくせに命は助かって後遺症もなく修行しなおしてリベンジマッチに挑む…などという何もかもが都合のいい展開はありえない。
敗者は死、それが主人公補正を持たざる者の、そして現実のルールだ。

ならば、主人公側に勝たせるためには、もう敵の側に弱体化補正をかけるぐらいしか方法がなくなってしまう。
そして、この弱体化というのはある意味では他よりよっぽど嫌われる補正でもある
創作において「敵」というものは強大であらねばならないし、だからこそ打倒した時のカタルシスも大きくなるのである。
それが「急に弱体化した」、しかも理由が「相手が主人公だったから(そうとしか見えない)」と言うのでは、批判が集中するのも頷ける。それでは「勝った」ではなく「勝たせてもらった」という風に見えてしまうのも止む無しであろう。

特に酷い場合は、「主人公が有能・強そうに見せられないから、相対的に敵を無能・弱そうにしている(ようにしか見えない)」という場合すらある。
こうなると主人公や敵云々の話ではなくなり、作品自体をまともに見てもらえなくなってしまう

…だが、やっぱりこの部分も"匙加減次第"なのである。
本来ラスボス・もしくは十分な実力者ならば第一話で覚醒前の主人公を瞬殺できるだろうし、ましてや弱い敵から順番にぶつけるといった戦力の逐次投入なぞ言語道断である
そんなことをするのは"舐めプ"…平たく言うなら「敵がアホだった」としか言いようがない。
どんなに柔らかく表現しても「敵が主人公の脅威を理解できていなかった」になる。

だが、それではどう頑張ってもストーリーが展開できない。敵役に悪の美学(「そんなことをするのはプライドに障る」)や、サディズム(「頑張りを重ねた敵を一気に絶望に叩き落としてのたうち回る姿が見たい」)、戦闘狂(「強くなったほうが戦いを楽しめる」)といった要素が付与されがちなのは、そういった側面にも由来するのである。
或いは、主人公の力を何らかの形で利用するべくあえて戦略的価値が低い手下を逐次投入して成長させる...など、意図的に接待プレイを行っている場合もある。

ちなみに、上記の「敵がアホだった」というのを逆手に取って「本当に敵が無能である」「配下は有能なのにトップが癇癪を起こす子供並の知能しか持ってないため難しい作戦が展開できない(逐次投入しかできない)」ということにしている作品もある。


7.ありえないことが起こる

主人公補正を否定すると発生する主人公補正その2。もうどうしようもなくなるとこうなる。

強敵の撃破やそれ以外の通常の展開の中であっても、常人の範疇内で状況を動かすのはかなり困難であり、強引な展開になるリスクは高まってゆく。

銃弾を何発も浴びても当たらなかったり、当たっても急所を外れたら大丈夫だったり(激痛や出血多量で行動不能にならない*2)、
敵の銃を暴発させたり(無論暴発しても主人公側に被害はない)、発生するはずのない状況で粉塵爆発を起こして敵を倒したり(こちらもやっぱり主人公側は巻き込まれない)、
カーチェイスでも車が事故らなかったり、ビルの5階から飛び降りても偶然無事だったり、
不殺と言いながら物理攻撃で敵を気絶させたり(失神するほどの威力で殴れば重症や死亡の可能性も高い。少なくとも骨は砕けるだろう)…などなど。

鋼の肉体を持つ超人が銃弾を食らっても死ななかったり、超能力者が超常の力で敵を殺さずに無力化できるのは「普通」だが、
言うまでもなく生身の凡人が同じことをすれば「奇跡」である。
現実でも「相手を殺したり重傷を負わせずに逮捕する手段」を開発するのに四苦八苦しているのに…
そして、1回や2回なら見逃されそうなことでも濫用されたら不条理になるのは、他の主人公補正と同様である


8.そして、最後には勝利する

ここまでのところの纏めともいえる。

主人公は基本的に負けない。負けっぱなしではストーリーが進行しなくなるからである。
特に、死亡フラグにも説明はあるが、「負け≒死」なバトル漫画ではこれはある意味当然のこと。
さらにそこから発展して、敗北により甚大な後遺症を残すことも、四肢欠損などの被害を蒙ることもない(身障者差別に配慮して、とも取れるが…)。
それどころか敗北は次なる勝利のための成長フラグでしかない、というケースが大半である。

以上はある意味で論理的帰結でしかないが、そこに至るまでの展開を、上記の要素も加味しつつ、いかに説得力溢れる描写ができるか、が焦点である。

なお、この「主人公=勝利」の図式に対するアンチテーゼとして、
Endingを主人公の負け(→バッドエンド)やラスボスとの相討ち(→自己犠牲)で終わらせるケースもあるのだが…、
「一流の悲劇より三流の喜劇」という感性の人が多いため、やはり一般受けはしない。

総じて言うなら、「主人公だから勝利した」のではなく、「勝利したから主人公なのだ」と言わしめなければならない。
つまりはそういうことである。というか歴史を見ても、敗北者が主人公になれることはむしろ例外である

逆にスポーツものなんかは大きな大会の途中で敗北するorいきなり終了するケースも少なくない。
そこで優勝されると成長フラグが実質なくなる、それまでに同じような展開が続いてしまうからだろう。


9.主人公の周りでばかりやたらと事件やトラブルが起きる

探偵の主人公の行く先々でのみやたら殺人事件が起きる、ヒーローがいる町に妙に怪人が襲撃してくる、などである。
物語を起こすには事件が起きるのが最適であって、当然ともいえる。というか探偵ものではそうでないと話を作れない。
短編の場合は「やたらと」ではなく事件自体はピンポイントな偶然であることも多い。

前述の補正も主人公の周りに事件を起こすため、そしてそれに説得力を持たせるため、それを面白くするため、といえる。
  • 特異な才能を持つがゆえに、事件を予知したり、事件を唯一解決する能力があったり、悪の組織に狙われるなどして、事件の方から関わってくる
  • 交友関係が広く、優秀な上司や部下がいるために、事件の感知範囲が広かったり、事件が起きたときに人脈で主人公が頼られる
  • 親の血筋も「解決する能力」「交友関係の広さ」の説得力になる
  • そして事件に対してピンチから覚醒したり、最後に勝利するのは、物語として王道である

当然何らかの理由がないとツッコミを受けることが多い。悪の組織がある街に住んでいるだとか。
逆に本編で一切説明されていないそれを、スピンオフで突っ込みどころとして採用しているなんてことも。

極論を言えば、以上のものが全くない「ただの凡人主人公が殺人鬼や幽霊に狙われて最後は殺される」みたいなホラー系の話でも、
「事件が起きて巻き込まれる」という1点さえあれば主人公になることは可能であり、それこそが一番露骨な主人公補正なのである(もちろん日常系漫画など主人公の周囲に事件がいっさいない作品もある)。


【結論】

ここまで挙げた例は全て「批判」ではなく、ほとんどのものは物語を展開させるために必要な「要素」である。
先にも触れたが、問題はこれらの要素にいかに説得力を持たせるか。それこそが制作者サイドの腕の見せ所である。
そして、これらの要素が過剰だと問題が多くなりがちなのは、そこに説得力を持たせるのが非常に困難になるからである。

…と、言うは易しであるが、現実には「どこまで大丈夫でどこからが過剰か」は個人差が大きく(というより受け手の主観に依存する)、作者が見極めるのはほぼ不可能である。
「主人公補正」という言葉自体が「ただ叩きたいだけの人の使う口実」と否定的に捉えられているのもこれが大きな理由である*3

そもそも論として、先述の通り主人公補正自体が「物語を展開させるために必要な要素」を多く含むため、それを安直に避けた作品が面白くなるかは…お察しの通りである。
ヘタに気にしては、むしろ主人公補正・ご都合主義を避けるために「主人公が活躍しない」「最終的に勝たない」などの「逆ご都合主義」に陥るリスクが高い。

また、主人公補正は最初に述べた通り「ヒーロー補正」と「主役補正」とに分かれるが、これらは実は密接不可分であり、コインの裏表のような関係にある。
そして主人公補正に関する議論が噛み合わなくなるのは、人によってこのどちらを重視するか=過剰と感じるかが全く異なるからでもある。

つまり、偶然や幸運に頼らずに勝利を積み重ねてゆくには、主人公に設定過多・オーバースペック気味の能力を搭載してやる必要がある。逆に"普通の一般人"が活躍するためには、偶然や幸運に頼る展開がどうしても多くなってしまう。
優秀な仲間さえいればこれらはすべて解決するが、「なぜそれだけ優秀な仲間が味方になったのか」を描くのが最も困難な道であることは、先述の通りである。

そして、主人公補正は過剰になるほど問題が大きくなるため、作者には両者のシビアなバランス取りが要求されることになる。

なお、これらの要素はストーリーを展開させる上での必要事項なだけではなく、読者or視聴者を感情移入させてカタルシスを味わわせるための材料である場合も多い。
それゆえ、素直に感情移入できる人間は気にならない場合でも、そうでない人間にはそれらの要素が鼻についてしまうのである。多くのキャラクターの「主人公補正うんぬん」の議論は大体はそこに由来していると言っていい。

もちろん感情移入できるかは、説得力の問題である。
また、露骨なチートキャラであってもそれが感情移入を許さないタイプのキャラである場合には批判の対象とはならない場合もある。
ただし、そうした場合には読者視点での語り部・狂言回し的なキャラクターを別に用意してやる必要があり、その人物が成長して…で、結局もとの木阿弥になるケースもある。

なお、ここから派生して、これらの主人公補正の過剰なキャラクターを自己投影キャラクターとして批判する場合もある(所謂そのまんまで「自己投影」、或いは「メアリー・スー(創作)」)。
ただし、強キャラ=自己投影キャラではないし、ましてや自己投影キャラ=悪でもない。
この点を厳に戒めるべし。

というか「凡人だと思って応援してたのに血筋が目覚めるのは許せない」「必死に努力し続けて苦しまず、飄々と勝利するキャラは許せない」
「かわいい女の子にモテまくるのは妬ましいので許せない」などという批判の気持ちが湧き上がるのは、
それこそ読者の自分が物語に過剰に自己投影してるせいではないか気にした方がいいだろう。

最後に、とある批評家の言葉を借りて項目の纏めとしたい。

「人は、ヒーローを愛するものだが、それが欠点を持つヒーローなら、問題なくこちらのほうを愛するものである」


現実

以上はフィクション作品における主人公補正についての記述であるが、現実の歴史を見るとリアルにこの補正がかかってるんじゃないかと思ってしまうような人物が結構な数いたりする。
まさに事実は小説よりも奇なり、である。

無学で、無能で、無礼者。その癖戦下手で生涯に71回も敗北した。
だが、神に愛されているかの如く、有能な家臣が仲間となり、ことごとく危機を脱する。その結果天下を取る。


追記・修正は主人公補正に偏見のない人がお願いします。

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最終更新:2024年12月05日 03:50

*1 「蛙の子は蛙」は親子ともに凡人である場合なので、この場合は不適当

*2 現実では「体のどこかに当たればほぼ行動不能」「胴体のどこかに当たれば、放置すれば出血多量でほぼ死亡」である

*3 主人公そのものが物語と密接に関連しているため、この批判はある意味筋違いではある。が、やはり「ご都合主義」や「設定ガバ」等と同様「明確な点を挙げることなく批判できてしまう言葉」であるため、その作品を好きな人からは勿論、好き嫌いではなく純粋な批評として問題点を挙げる立場の人間(ネット上でありがちな「気取り」ではない職業評論家、批評家など)からも煙たがれることもある、というのは覚えておくべきだろう