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エルコンドルパサー(競走馬)

登録日:2010/07/16(金) 01:22:32
更新日:2024/11/17 Sun 01:19:08
所要時間:約 6 分で読めます




98年 ジャパンカップ

エルコンドルパサー

激戦のライバルたち

僕たちは、ひとりでは強くなれない


──2011年 JRAジャパンカップCMより

エルコンドルパサー(El Condor Pasa)とは、日本の元競走馬、種牡馬。


父:Kingmambo
母:Saddlers Gal
母の父:Sadler's Wells
馬主:渡邊隆
調教師:二ノ宮敬宇(美浦)
国内:7戦6勝
海外:4戦2勝

誕生

1995年3月17日にアメリカにて生まれる。
母は生産者兼馬主である渡邊氏が吟味を重ねて購入したサドラーズギャル。
父は父ミスタープロスペクター母ミエスクという超良血馬キングマンボ。当時は競走馬を引退したばかりだったので、種牡馬としての実績は無かったが、後にキングカメハメハやアルカセットなど、多くのG1馬を輩出した。
渡邊氏は血統を考えた末に名馬の近親交配を考え、ノーザンダンサーの3×4(ここまでは競馬界であり得る範疇)に、ネイティヴダンサー、フォルリ、と言った名馬に加え牝系を意識しソング系の全姉妹インブリードまで加えた、ダビスタだったら「危険な配合です」と警告が出るようなかなり濃いインブリードである。
サラブレッドの世界では近親交配自体は珍しくないが、ここまで濃いインブリードを実行する例は珍しく、渡邊氏はその後もインブリードを意識した馬を所有しているがその中でも代表的な濃いインブリードの活躍馬が本馬である。


活躍

※年齢は当時の表記(当歳を1歳とする)

3歳

1997年11月8日東京競馬場ダート1600mの新馬戦にてデビュー。
スタートを出遅れるが最後の直線にて一気に加速し、7馬身差で圧勝した。

デビューが遅めだったため、初年はこの1戦のみ。
この頃はかなり繊細で臆病な性格で、前を歩く馬が止まったり尻尾を揺らしたりするだけで激しく反応する様子を見せたという。


4歳

続く二戦目、98年1月の500万条件戦ダート1800mも悠々勝利。
芝を経験させるために共同通信杯4歳S(当時)に登録されるが、降雪により芝からダート1600mに変更、しかしこれも軽々と勝ち、重賞初勝利を飾る。
次のニュージーランドトロフィー4歳S(当時)でようやく初の芝挑戦となるも、問題なく勝利。


芝への適性も認められ、ダービーに外国産馬の出走制限があった当時、「マル外ダービー」と呼ばれていたNHKマイルカップに出走することとなる。

レース当日を圧倒的な一番人気で迎え、そしてあっさりとGI初制覇を果たした。
二ノ宮厩舎にとっても初めてのGI制覇であった。


そして次走、毎日王冠
後に競馬ファンの間で語り草となるレースであり、本馬が国内で唯一勝つことのできなかったレースである。

このレースから、後述の理由により、鞍上はそれまでの主戦だった的場均騎手から、蛯名正義騎手に乗り替わった。このコンビは、結局最後のレースまで続くことになる。

相手は同世代の怪物にして同じ的場騎手が主戦を務めるグラスワンダーである。そう、エルコンドルパサーの乗り替わりは、的場騎手がグラスワンダーを選んだことによって起こったのである。

そしてもう一頭、この年に入ってから負けなしの強力なライバルがいた。一世代上の快速馬サイレンススズカである。
ここまでGⅢを1勝、GⅡを2勝。そして前走の宝塚記念を制し、晴れてGⅠホースとなったばかりだった。

GⅡとは思えない豪華なメンバーであり、その内容も最早GⅠ級と言って差し支えないものとなる。

そして、レースはスタート。
いつも通りに先頭を驚異的なスピードで大逃げするサイレンススズカ、第3コーナーからグラスワンダーが迫るが故障明けが祟ったのか直線で失速、変わってエルコンドルパサーが一気に加速し、2番手につける。
しかし、ここにきて先頭のサイレンススズカがまたも加速。
結果、エルコンドルパサーは上がり3Fを最速でまとめるが、2馬身半及ばず2着。初の敗戦となった。

それでも、3着に入ったサンライズフラッグには5馬身もの差をつけており、ポテンシャルの高さは十分に見せることができた。

残念ながら勝利は逃したものの、古馬相手にも十分戦える事を確認した陣営は、馬主の渡邊氏の意向もあり次走をジャパンカップと定める。

11月29日、東京競馬場。
国際招待競走であるジャパンカップだが、海外馬以上に、最強の牝馬エアグルーヴ、ダービー馬スペシャルウィークなど豪華なメンバーが揃った日本馬に注目が集まる。

当日は2400mの距離が未経験であること、短距離には強いがスタミナに不安がある血統、強豪メンバーが揃ったことから3番人気でレースを迎えた*1

その本番、好スタートから道中を2~3番手に位置どり、直線で抜け出す。追い込んでくるエアグルーヴとスペシャルウィークを振り切り、結局、2馬身半で勝利。これは当時までのジャパンカップにおける最大の着差であり、上記のマイナス要素は杞憂であった事を示した。

毎日王冠でグラスワンダー、ジャパンカップでスペシャルウィークと、現在では当時世代3強と呼ばれる自身以外の2頭に先着したことで世代最強と評価され、最優秀4歳(現・3歳)牡馬に選出される*2


5歳

そして1999年。前年の毎日王冠で敗れたサイレンススズカが、天皇賞(秋)でのアクシデントにより天国へ旅立ったことと、当時日本のマイルGⅠのタイトルを総なめにしていたタイキシャトルが引退したことにより、陣営は新たな戦いの場にフランスを選択する。現在でもめったに無い、長期滞在を行ったのである。

5月、フランスでの初戦イスパーン賞。
一番人気に推されたものの、最後の直線でクロコルージュに差されて二着。

6月、二戦目は前年の凱旋門賞馬サガミックスや欧州年度代表馬ドリームウェルなどの強豪が揃ったサンクルー大賞。
61kgという重い斤量を背負ったが、2馬身半差で余裕を見せて海外競走、海外GⅠ初勝利。

2ヶ月の休養を挟んで臨んだのは凱旋門賞と同じ競馬場、同じ距離のフォワ賞。
サガミックスが回避したことで日本ではまず見られない3頭立てのレースとなった。
スタートから押し出されるようにエルコンドルパサーが抜け出し、スローペースな展開がはまり逃げ切り勝ち。最大の目標である凱旋門賞に向けて、確かな手応えを得る。



そしてフランス遠征最後のレースにして引退レースとなった凱旋門賞。
斤量の関係で、どうしても3歳馬が有利になるためエルコンドルパサーは2番人気。そして1番人気は欧州最強の3歳馬モンジュー。
馬場はかつてないほど水分を含んだ悪い状態。そんなコンディションのなか、下馬評ではモンジューとエルコンドルパサーの一騎打ちとの見方が強かった。


レースはモンジュー陣営のペースメーカーであるジンギスカンが出遅れ、エルコンドルパサーが単騎で逃げる形となった。
人気が集まり、他陣営からも警戒されていたため、自分たちでペースを作り出せる展開が功を奏し、最後の直線でも先頭をキープ。
日本競馬の悲願凱旋門賞制覇が叶うかと思われたが、モンジューが猛烈な末脚で追い、並び、差しきり半馬身差の2着に終わった。

人気通りの結果であったが、重い斤量を背負いながらも好走したエルコンドルパサーも称賛され、現地では「二頭のチャンピオンが存在した」と報じられた。

世界最高峰のレースとはいえ、凱旋門賞は高いリスクを避けがちな日本のホースマンたちにとってあまりにリターンが少ないため、このような長期の計画的な遠征はエルコンドルパサー以外に例は無い。
日本の競馬ファンの夢と期待を背負い、果敢に挑戦したエルコンドルパサーと渡邊氏らの尽力は、今も多くの人々に語り継がれ、現在における日本馬の凱旋門賞挑戦に繋がっている。


レース後、帰国したエルコンドルパサーは引退。引退式はその年のジャパンカップデーに執り行われた。
ちなみに、この時のジャパンカップにはモンジューやスペシャルウィークも出走している。



この年のJRA賞年度代表馬の選考は荒れに荒れた。
  • 春秋天皇賞を制し、ジャパンカップで凱旋門賞馬モンジューを破ったスペシャルウィーク(GⅠ3勝)
  • 春秋グランプリで勝利し、スペシャルウィークを2度打ち負かしたグラスワンダー(GⅠ2勝)
  • JRA主催競走0勝。海外2勝(うちGⅠ1勝)凱旋門賞2着(日本馬最上位着順記録)のエルコンドルパサー
紆余曲折の末、エルコンドルパサーが最優秀5歳以上牡馬及び年度代表馬に選出された。


種牡馬として

現役中にも見せた芝・ダート両方への適性、短距離~中距離以上を走れる距離の適性、様々な馬場状態や天候に対応できるなど
そのオールマイティーな能力と、世界に通用しかつ飽和しつつあったサンデーサイレンス系ともアウトブリードとなる血統に期待がかかり、繁殖牝馬も多く集まり、活躍馬もそれなりに出した。
代表産駒としてはダート黄金世代の一角ヴァーミリアンや、ジャパンカップダートを制したアロンダイト、10歳で芝の重賞制覇をやってのけた最強の老兵トウカイトリック、菊花賞馬ソングオブウインドなど。
また、アロンダイトの全姉であるクリソプレーズは、競走馬としては振るわなかったものの、繁殖牝馬となってからは、クリソライト、マリアライト、クリソベリルという3頭のGⅠホースを輩出した。

しかし、エルコンドルパサーは種牡馬三年目の2002年7月16日、腸捻転により死亡。
遺されたのはわずか三世代の産駒だけだったが、代表産駒たちは後継種牡馬を遺しており系統は途絶えていない。

ちなみに同馬の活躍によってキングマンボ産駒は「サンデー系と配合出来る良い血統」として人気となり、同父の変則二冠馬キングカメハメハが大種牡馬となるきっかけになった。

創作作品での登場

ウマ娘としてはメキシカンなルチャドールキャラ。実は馬名のコンドルはメキシコにはいないのだが。
アニメではウマ娘に外国産も何もないとばかりにダービー他に参戦したり同じ馬主のオフサイドトラップの立場になったり、現実より無茶苦茶な強さに昇華されている。
趣味はフラメンコギター*3とプロレスであり、スペが度々プロレス技の実験体にされているほか、勝利モーションではレインメーカーポーズ*4を披露してくれる。
マトバ(的場)騎手の騎乗馬選択問題(グラスワンダーかエルコンドルパサーか)が表面化しつつあった頃に登場。
ダートへの拘りやグラスワンダーとの路線違いによる差別化等から芝への挑戦を嫌がり、雨乞いの儀式までして共同通信杯をダートに変更するもそれでも騎乗馬問題等は残り、
ニュージーランドトロフィー前にはグラスワンダーの故障を知り反省し成長するも、秋前には不安が再発し、リアルでは98年秋ついにマトバ騎手を取られることに…。
ただ『馬なり』本編では連載休止で98年後半部分はカットされたものの、『21世紀に伝えたい私設現代名馬館』(廣済堂文庫)収録の4コマでは毎日王冠でグラスより上位になったのと以降の活躍を「(マトバ騎手への)恩返し」としている。
連載休止や海外遠征の影響で最終的に出番自体は少な目でグラス以外の同期との絡みも殆どないが、なぜか没後天上から産駒達を物理的に天使の輪で引っ張り無理やり勝たせるという技を取得している。
エル・コンドル・パサ」というエルコンドルパサーをモチーフとしたと思われる馬が登場している。



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最終更新:2024年11月17日 01:19

*1 ちなみに、1番人気はスペシャルウィーク。2番人気はエアグルーヴだった

*2 なお、当時の3強はクラシック2冠馬のセイウンスカイ、ダービー馬スペシャルウィーク、キングヘイローの3頭とされていた

*3 フラメンコはスペインの文化なのでエルのキャラクターはメキシコ・南米というより、ラテンアメリカを含むスペイン語圏をモチーフにしている模様。

*4 オカダ・カズチカ選手が由来。プロレス界隈での知名度、世代のスターのひとりであること、ルチャ系統団体への参戦経験があることからか