[go: up one dir, main page]
More Web Proxy on the site http://driver.im/

謹賀新年─2025年の初めに思うこと

皆様 【増補1.11版】
明けましておめでとうございます

子安観音像 石巻市鹿又 江戸時代 3Dソリッド画像作成 田中則和
子安観音(石巻市鹿又)3DSO画像 田中則和2024

 1月1日の能登半島地震から始まった2924年
能登半島地震 (2024年) - Wikipedia
(増補:1.6)
世界各地では、ガザ地区をはじめ、こどもたちが大変な目に遭っています。2025年こそ、イスラエルウクライナ、世界各地の戦争の即時停戦、侵略軍撤退が実現されることを祈ります。
www.unicef.or.jp
 日本では、日ごろの発言から国民の相当数の期待を受けて、石破さんが首相になったのですが、「変節」とみられる変貌は残念でした。権力にしがみつくための振る舞いでしょうか。恐ろしいことです。せめて、防災庁を早く設け、地方創生の実を結ばせることでリベンジしてほしいものです。
お正月のTVで、読書好きとされる石破さんの愛読書として寺島実郎氏の『21世紀未来圏 日本再生の構造 全体知と時代認識』が紹介されておりました。私は寺島氏のの主張は理解していないが、Copilot(個人用AIアシスタント)によると「寺島実郎氏は、日本の政治学者であり、特に政治思想や政治制度に関する研究で知られています。彼の思想は、主に以下のようなポイントに集約されます:
・民主主義の重要性:寺島氏は、民主主義が政治の基盤であり、社会の公正性を保つために不可欠であると強調しています。
・政治参加の促進:彼は、市民が政治に積極的に参加することが重要であり、政治参加の機会を増やすための制度や方法を提案しています。
・政治教育の重要性:寺島氏は、政治教育が市民の政治意識を高め、より良い政治参加者を育成するために必要であると考えています。
・政治改革の必要性:彼は、現行の政治制度には改善の余地があり、より透明性のある政治や効率的な政府運営を目指すべきだと主張しています。
寺島実郎氏の思想は、現代の政治問題に対する深い洞察と具体的な解決策を提供しており、多くの学者や政治家に影響を与えています。」とのことです。
現在の石破さんのイメージとずいぶん異なるが、もし、そうであれば(全面一致とは言えないまでも)、「石破さんらしさ」を取り戻してほしい気もします。
『週間現代 1.11-18号』によると、国民の声を聴きながら「楽しい日本」を目指す趣旨とのこと。ぜひ、やっていただきたい。
mainichi.jp
dmagazine.docomo.ne.jp
ja.wikipedia.org

(1.10追記↓)
news.yahoo.co.jp

diamond.jp
2024年は重大ニュースの連続と感じました。
news.yahoo.co.jp
 個人的にもっとも喜ばしかったことは、日本原水爆被害者団体協議会日本被団協)にノーベル平和賞が授与されたことです。田中熙巳代表委員
言「日本政府が私たちの声に十分に耳を傾けているかと言えばそうではなく、日米同盟の中で核兵器禁止条約にすら署名も批准もしないという態度を持ち続けている。核戦争被害国と言っている日本が先頭に立たないといけないので、帰国後、政府に対してまず核兵器禁止条約を固めて、最終的には速やかに核兵器をなくすまで指導性を発揮するよう要請したい」に日本政府は耳を傾けるべきです。
www.nikkei.com

 東京、埼玉、神奈川、千葉、栃木などで「闇バイト」による強盗事件が相次ぎ、バールなどを持ってドアや窓を破壊して侵入、あるいは、配達員や訪問販売を装って侵入するケースなどが横行した。恐ろしいのはお年寄りを殺すような残虐性を持つようになったことだ。トップが捕まらない限りさらに周辺に波及する可能性がある。日本人は日ごろの警戒心による対策や武術感を取り戻すべきと思う。
youtu.be
 また、 北九州市小倉南区ファストフード店で昨年12月、中3男女が男に殺傷された痛ましい事件など、刃物による殺傷が多くなった。日本人のほとんどはいつもスマホを見ていて、無防備すぎると思う。
youtu.be


 12月29日、韓国の務安(ムアン)空港で、大手のチェジュ航空の旅客機が着陸に失敗し、乗員乗客181人のうち179人が死亡した凄惨な事件は、複数の原因の連鎖かもしれないが、少なくとも胴体着陸自体は映像では成功したかに見えるのに、コンクリートの壁・土手が存在したため機体が破壊され、凄惨な事故になったと思える。
世界中の空港を直ちに点検し、旅客機のオーバーランなど、万一に備えて十分な距離をとって機体により破壊しうる程度の施設に早急に改築すべきであろう。
www3.nhk.or.jp

 現在、庶民が最も苦しんでいるのは物価の高騰。政府の補助金縮小に伴うガソリン、石油の値上がりは生活に大打撃を与えている。自民党を含め各政党が「103万円の壁」の引き上げ論議に集中して、目の前の問題解決の有効策を最優先にしていないのは、真におかしいことである。
www3.nhk.or.jp
www3.nhk.or.jp


『昭和問答』松岡正剛田中優子 2024 10 岩波書店

◎2024年に最も感銘を受けた本
松岡正剛氏と田中優子氏による『昭和問答』(岩波新書)
(以下、Amazonの紹介記事から)
1 戦争が準備されていた
 「民権運動と国民が戦争を煽った」など
2 二つの戦争
 「日本軍に欠けていたもの」「フィードバックなき戦争」など
3 占領日本が失ったもの
 「原爆の資料館に足りないもの」「占領政策の転換と反共の砦」「三島由紀夫が抱えそこねた昭和」など

4 生い立ちのなかの昭和
 「テレビも給食もアメリカさん」「七〇年安保の行方と万博」「不確定性の科学に学ぶ」「日本文化は閃光の」など
5 本を通して昭和を読む(※表示した本は私の任意)
「昭和を知るための本」「雑誌も本も読んでいた」

「同時代の体験を読む」

「日本のナショナリティを読むための本」

「日本の科学者たちの思索と情緒」

「言葉の場所としての共同体」

石牟礼道子の言葉」

「昭和は「祈り」と「憧れ」を失った」

「言葉の場所としての共同30梁石日が描いたもの」「昭和は「祈り」と「憧れ」を失った」
6 昭和に欠かせない見解
 「昭和の闇を読み解く」「日本の古層を再生した折口」「コミューンをめざしたウーマンリブ」など 「島田雅彦の自由について」「全知全能の神と天皇」「「虚に居て実をおこなふべし」」など 「「いないいない・ばあ」でいく」 「「世界たち」のために対話をする」など あとがき1 ともにとびらをあけてきた(田中優子)田中優子 - Wikipedia

 あとがき2 ゴジラが上陸するまで(松岡正剛)
1000ya.isis.ne.jp
松岡正剛 - Wikipedia

松岡正剛さん80歳 巨大な才能が逝った。「この国のよさは、「強さ」や「一貫性」ではなく 「一途で多様」なことにある。万葉集から司馬遼太郎まで、メディアや表現を横断する〈日本的編集〉の方法を辿り、日本社会と文化の様相を浮かび上がらせる。」(Amazon)湯川秀樹南部陽一郎らとも科学の最先端をめぐって議論を交わし、人文知と科学の知を架橋してきた松岡氏が、その「言葉」で、科学の諸ジャンルに通じた津田氏に丁々発止の質問を投げかける。切っ先鋭くもユーモア交え、「科学と生命と言語の秘密」に迫りゆく(ときに謎が深まりゆく)スリリングな対話が開幕。」(Amazon)
www3.nhk.or.jp
青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2024年11月号 特集=松岡正剛
ユリイカ2024年11月号 特集=松岡正剛――1944-2024


戦後80年
 2025年は戦後80年。『昭和問答』でも、語られたことだが、「新しい戦前」の気配をじわじわと感じている。このことをもっと議論しても良いのではないか。国会でも。「台湾有事」「北朝鮮ウクライナ侵略戦争派兵」、さらに中国・ロシア・北朝鮮に対抗するトランプ次期大統領の強引な戦略こそが、その軍事体制にしっかり組み込まれた日本を戦争に巻き込む可能性を大きく増しつつあると感じる。
news.ntv.co.jp
news.yahoo.co.jp

保坂氏の最新刊はこれから読みたい本なのだが、Amazonの紹介にこうある。
「なぜ日本は太平洋戦争を始め、敗戦に至ったのか。なぜ「玉砕」「特攻」といった無謀な作戦で多くの人命を失ってしまったのか?――
著者が昭和史の研究に携わるようになったのは、こうした謎を解明したいとの強い動機からであった。今まで5000人近くの昭和史関係者にインタビューを重ねてきたのは、それはこの根源的な問いに対する答えを探す旅でもあった。そして、敗戦に至る道筋を調べれば調べるほど、昭和だけでなく、明治維新以降の歴史をもう一度つぶさに検証しなおす作業に迫られることになった。その結果、著者は「地下水脈」という歴史観にたどり着く。
 近代日本の始まりである明治の初期に遡ろう。徳川幕府が倒れて明治新政府が誕生したものの、新政府内の指導者には、日本が進むべき「国家ビジョン」が明確にあったわけではない。明治22年大日本帝国憲法ができるまでのほぼ20年間は、「日本という国をこれからどのように作り変えていくか?」をめぐって、さまざまな勢力の〝主導権争い〟がおこなわれた時期だった。著者はこの間に、次の5つの国家像が模索されたと考えている。
1欧米列強にならう帝国主義国家
2道義や倫理を尊ぶ帝国主義的道徳国家
3自由民権を軸にした民権国家
4アメリカにならう連邦制国家
5攘夷を貫く小日本国家
実際の歴史では、日本は1を歩み、すべてが軍事に収斂していくことになる。その結末が、昭和の悲惨な敗戦であった。
では、残る2~5の国家像は、そのまま消えてしまったのか? そうではない。4つのそれぞれの思想やビジョンは、いったん日本社会の地下に潜りながら、いまも脈々と流れ続けている。そして歴史の重要なターニングポイントを迎えるたびに、噴出してくるのである。
「地下水脈」という歴史観でとらえれば、現在の日本の窮状――経済の迷走も、終身雇用サラリーマン社会が変わらないのも、政治がダメなのも、エリート教育がダメなのも、150年以上繰り返されてきたことがわかってくる。本書は、「地下水脈」をあらためて見つめることで、日本の近現代史を再検証する。」

仙台市・郡山遺跡見学会 2024.12.7

筆者が関心を持つ、「歴史文化遺産」の分野では、仙台市・郡山遺跡の発掘調査が行われ、見学会が実施されました。
資料によると「石組溝跡の底面、側壁の様相は、現在の奈良県地方で藤原京平城京よりも古い、当時の天皇が居住し、政治を行った「飛鳥京跡」(飛鳥宮Ⅲ期遺構660~694年ころ)の中心部である内郭や、その周囲で発見
されている石組溝跡と極めて類似しています。
方四町Ⅱ期官衙の政庁域において石組池、石敷き広場、石組溝など、飛鳥地方の宮殿内の様相と同じ 遺構が検出され、地方の支配のあり方の一端が明らかとなりました。」
www3.nhk.or.jp

多賀城南門復元」完成に続く、「多賀城政庁復元」構想は、宮城県における年頭のビックニュースですが、それよりも古い役所跡である郡山遺跡の整備は連携するように推進してほしいところです。


www.city.sendai.jp
+綱渡鳥さん
note.com

石巻市鹿又の永仁の大型板碑 2024

本ブログで取り上げた石巻市鹿又の永仁の大型板碑など4基集中部は、文化財に相当しながら登録・指定されないまま、移転されるようです。この問題に文化財と同等として、ご尽力された関係者の皆様に敬意を表します。板碑、特に鎌倉時代の大型板碑を核とする板碑群は、武士団の供養所・墓所の性格を持ち、蔵骨器や火葬骨の埋納、それに関わる施設を持つことが多いので、発掘調査に基づく解明と「現地保存」が本来の道筋と考えております。
tentijin8.hatenablog.com


考古学関係では、日本考古学古墳時代研究のホープである松木武彦さんがお亡くなりになったことがショックであった。実際にお話もして、明るく人柄の良い方であり、仕事ざかりの時にとても残念である。初めて読んだ『列島創世記』(小学館)を描いた力量に感服いたしておりました。ご冥福を祈る。
news.yahoo.co.jp

「豊かな水資源に恵まれた日本列島。水と不可分の関係をもち発展してきた社会と文化の様相を、権力・異界・記憶をキーワードに追究する。水田や古墳、治水から古代国家の成立をとらえ、神社や雨乞い、墓、沖縄の御嶽など列島各地の水に関わる信仰と儀礼を分析。水をめぐる営みの多彩な姿を描き出す。理解が深まるビジュアルなコラムも付載する。」(2024.8月刊・Amazon)
www.rekihaku.ac.jp


終わりに
忘れられた石造物を「歴史文化遺産」として調査・保護・活用を

石巻市鹿又の子安観音(明和五年・1768) 3D画像 田中則和 2024

◎論文:横田竜巳氏「宮城県の子安観音塔について」『宮城考古学 第26号』宮城県考古学会 2024
 宮城県の子安観音石像についての初の考古学論文であり、近世石仏研究の蓄積と進展を告げる画期的な論文です。
おすすめ 『北総の子安さま 里の慈母像を追って』

『北総の子安さま』蕨 由美 2024

「はじめに 里の慈母像「子安さま」を追って
里道をたどってムラの中へと歩いていくと、路傍や産土の神社やお寺の境内で、子を抱いた母の姿の石仏によく出会います。
ムラの女性たちの集まりである女人講や子安講が建てた子安塔で、「子安大明神」や「子安観音」というこのお方の名が記されていることもあります。
神か仏かの区別が定かではありませんが、これらの石塔や石祠を地元では「子安さま」と呼んでいるようです。
女神様あるいは観音様が、豊かな胸をあらわにして無邪気な赤子に乳を与え、優しく微笑む姿は、惜しみない慈愛のかたちをもって、村の女性たちの祈りと願いを一心に受け止めてきたことでしょう。
お地蔵さまや庚申塔青面金剛さまの石仏と違って、仏像としてのきまり事はなく、石工さんの独創的な技を競い合うような自由なスタイルも魅力です。
紀年銘を見ると、江戸中期から現代までさまざまで、中には今も連綿と建て続けられている地区もあります。」(「はじめに」より)
主な目次
はじめに 里の慈母像「子安さま」を追って
「北総の子安さま」写真集
写真集の子安像塔一覧表
解説 北総の子安像塔成立の謎を解く
www.book61.co.jp
sawarabituusin.cocolog-nifty.com

中世の地域史を刻む板碑は歴史文化遺産─石巻市鹿又の板碑群と堤防工事(提言)

石巻市鹿又 堤防下の四板碑 2024.8.1

 河北新報への投稿(「持論特論」)が本日掲載された。説明が必要なところを補正し、再構築したのが本ブログ記事です。よろしくお願いいたします。
石に刻まれた地域の歴史
 多賀城碑(奈良時代)が国宝に昇格することになったという今年三月のニュースは、多賀城創建千三百年を迎える多賀城市の活性化に寄与する朗報であった。「石」はその耐久性と不思議なエネルギーを感じさせるところから、鎌倉時代から室町時代には「石塔婆(いしとうば)」(現代名「板碑」(いたび))が全国各地に多数造立された。仏の塔を立て、亡くなった人や自らの極楽往生と現世安穏を願った。
宮城県の板碑数は埼玉県(二万八千基)、東京都(一万一千基)に次ぐ約八千基である。これは近年の松島・雄島周辺海底調査(瑞巌寺東北学院大学七海研究室)や筆者の南三陸町域現況調査などにより大きく増加したものである。主に武士・土豪層により造立された板碑は、その海岸の分布から船の停泊地に関わることがうかがわれ、廻船は松島から南三陸町の細浦に達し、田束山の信仰にも関わることをも推測させるなど、板碑は地域の歴史を物語る遺産として重要である。また、石の造形は江戸時代には「石仏」など庶民を含めて隆盛をみた。

捨てられる歴史遺産
 しかし、近年、これらの「石造物」は急速に姿を消しつつある。その理由を一言でいえば、「石造物」は現代人の生活にとって直接的には不要なものが多く、墓石と同じようなものと思っている人が多い。処分の権限は土地所有者・管理者にあるということである。
筆者の見解は「石造物」は地域の歴史や文化を語る国民共通の「歴史文化遺産」であり、「文化財」と考えている。実際は行政において文化財として登録されなければ法の保護、規制はない。ほとんどの石造物の現状は「未登録文化財」というべき存在である。関東を歩くと説明付きの史跡や指定文化財である板碑に出会うことがしばしばあるが、宮城県の異常な少なさはどうしたことだろうか。
登録された文化財文化財保護担当部局が文化財保護法に基づき保護・活用することとなる。そして地域の人々との協力関係、普及活動(標柱、説明板、各種イベント)が肝要となる。

石巻市鹿又地区の板碑群は原位置保存が可能ではないか
 文化財と工事などの調整は困難を伴う。一例を紹介したい。旧河南町に含まれる石巻市鹿又地区は合併(二〇〇五年)前の1986年に『わがまち河南の文化財』を刊行し、五十三基の板碑のうち、代表例を図付で収録した。板碑の解説を担当した佐藤雄一氏は2015年に全点を掲載した『河南町の板碑』を刊行した。この時点では鹿又地区の板碑数は四十七基となっている。
 今年の五月、江戸時代の川村孫兵衛の堤防工事で知られる石巻市鹿又において旧河南町鹿又地区の板碑の中でも代表的な永仁元年(一二九三年 鎌倉時代)銘板碑(推定高三メートル)などが北上川の大規模な堤防工事(「旧北上川右岸鹿又地区堤防整備事業」(国土交通省 東北地方整備局 北上川下流河川事務所)により危機的状況であるとの知らせがあり、現地に行ってみるとまさしく堤防工事が迫っていた。鹿又地区の代表的な巨碑など正応・永仁・嘉元銘板碑の集中地点は以前の堤防嵩上げ工事で数メートル北上川側に移設されているが、光明寺に次ぐ板碑集中地点であり、遺跡登録と現地保存を要望するものである。
防災のために堤防の嵩上げが必要であれば嵩上げした上で、以前の嵩上げ工事の際に移動した当初の位置(現道側)にできるだけ近い位置に移設してはどうだろうか。板碑の下部遺構があった場合はこれにより保護されることになる。石材はかなり傷んでいるので数百メートルの移動は危険でもある。

鹿又北東部の板碑群(谷口宏充氏提供赤色立体地図(アジア航測作成)+田中則和データ)

   ※クリックで拡大

移設のために 嵩上げの元の近くに (谷口宏充氏赤色立体地図・アジア航測作成)

 現地には文化財であることを示す標柱や説明板がないので調べてみると、この板碑のみならず鹿又地区の五十三基の板碑は文化財として登録されていないことが判明した。つまり合併時の継承がされていなかったわけであり「未登録文化財」というべき存在であった。また、大規模工事の前には分布調査をして工事時の出土をできるだけ防ぐと聞いているが今回はなされなかったようだ。同様のケースは同じく石巻市に合併した雄勝町においてもみられた(田中則和「石巻市雄勝町・呉壺板碑群(新規発見地)と伝「九列坊」跡」『石巻市博物館調査研究紀要』第一号 二〇二三)。
 筆者などがこの大型板碑の周辺を調べると住民が祀るなどした鎌倉時代から南北朝時代にわたる多数の板碑が堤防にほぼ沿って次々と発見された(行政には報告済)。これらは相模国(神奈川県)御家人の山内首藤氏が拝領し開発を進めた地の信仰を語るものであり、重要な物質史料といえる。すでに菊地大樹氏(東京大学)は山内首藤氏による河川交通の要衝であり湿地排水による耕地開発事例として鹿又地区に注目されていた(中世東国文化伝播論再考」『寺社と社会の接点』二〇二一)。筆者もまた、志津川湾に至る海上交通と連結した北上川舟運の証でもある板碑の分布に注目している。この事態を受けて石巻市博物館、東京大学史料編纂所(菊地大樹氏)による拓本調査が行われつつある。一定の成果がまとめられた折は、ぜひ市民向けの展示や講演会を実施してほしいものである。
 堤防工事と板碑群の保護はどのように調整されるのか。石巻市からは公的な説明はなされていないため、筆者は七月一日に石巻市へメールにて問い合わせをしたが回答は未だない。

提言─計画的な文化財登録と活用
 宮城県文化財保護行政への提言を試みたい。対策が最も急がれる板碑については①埋蔵文化財と同様、大規模工事前などの分布調査→②文化財として登録(A土地に立っているものは「遺跡」とし、B土地から離れているものは「有形文化財」とする。登録は重要性や保護の危機が迫っているものを優先し計画的に行う。
なお、未登録文化財への取り組みは島根県津和野町や群馬県館林市において実施されている。
https://www.town.tsuwano.lg.jp/www/contents/1365480453388/files/1-230.pdf

東日本大震災からのハードの復興に全力を尽くしてきた沿岸市町村の実情は10年以上通った筆者は理解している。ハードの復興がほぼ成りつつある現在、被災地の人口は大きく減り、首長たちが目指した交流人口の増加はあまり認められないのが現状である。これからは、ソフトの復興といえる、「歴史や風土を実感できる町づくり」に石造歴史文化遺産の活用も寄与してほしいと願う(2024・8・8 田中則和)。
 ※埼玉県・東京都の板碑基数(概数)は野口達郎氏による。

2023年の様子


Copilot
240911追記
石巻市鹿又地区にある正応・永仁・嘉元銘板碑についてお話ししましょう。
この鹿又地区には、鎌倉時代の歴史を語る4基の供養塔があります。これらの板碑は自然堤防上に立っており、地域の歴史を伝える貴重な文化遺産となっています1。
具体的には、以下の3つの板碑があります:
中央碑(高さ2.7メートル):
年代: 永仁元年(1293年)
銘文: 不動明王梵字を刻み、亡くなった人々の霊が極楽に往生することを祈願しています。
銘文の下中央に「永仁元年」と刻まれています。
左碑(高さ1.4メートル):
年代: 嘉元四年(1306年)
銘文: 不動明王梵字を刻み、亡き父の霊が極楽に往生することを願っています。
右碑(高さ1.0メートル):
年代: 永仁二年(1294年)
銘文: 金剛界大日如来梵字を刻んでいます。中央碑の翌年に造立されたものです。
これらの板碑は、地域の歴史や信仰を伝えるものであり、現地保存が重要です。しかし、大規模な堤防工事により危機的な状況にあるため、遺跡登録と現地保存を要望しているとのことです。
鹿又地区の歴史を刻むこの貴重な遺産を守るため、ご助力をお願いいたします。また、石巻市文化財行政が今後積極的に保護・活用されることを期待しています。」

◎鹿又の板碑群と保護の問題については下記ブログ参照。
tentijin8.hatenablog.com

追記・現状241104


追記・241108

石巻市鹿又大巻前・建武元年(1344)の板碑

鹿又大巻前・建武元年銘板碑(3D画像テクスチャ 田中則和)

>

石巻市鹿又大巻前・建武元年(1344)銘の板碑(3Dソリッド画像反転 田中則和作成)
<
 草むらにひっそりと立つ板碑を地元の方に教えていただいた。頭部に釈迦如来?を象徴する梵字アク、その下に阿弥陀如来を賛美する仏教詩(偈)が「一切諸菩薩/八万諸正教/皆是阿弥陀」と刻まれている(/は改行記号)。初句は剥がれ、「十方三世仏」とあったと推定され、読みの例として「十方三世の仏(みほとけ)、一切諸(もろもろ)の菩薩、八万の諸の聖教は皆是阿弥陀なり」とされる(加藤政久氏は『石仏偈頌辞典』)。同氏は鎌倉・南北朝時代の例を挙げ、浄土宗や時宗で重要視された偈としている。
 板碑の下部には「建武元年」、さらに右左に分けて、母の三十三年忌の追善が造塔の目的であることを刻んでいる。粘板岩製の中世の重要モノ史料である板碑(石製供養塔)である。
板碑は堤防の盛り土で西側斜面にあるが、盛り土前は北上川の川縁に立ち、中世の溝で区画された屋敷地の北端に立っていた可能性もある。現在も住民に大事にされている線刻五輪塔板碑はここから約114m付近の溝区画(赤色立体地図で判別)の内側に位置する。
 迫る大規模堤防工事の影響が心配される。本来の場所から離れるということは地域の歴史を失うことである。

周辺の主な板碑(谷口宏充氏提供・アジア航測作成2011赤色立体地図をベース+田中データ)

  ※↑字が小さいのでクリックして見てください。※谷口先生より掲載許可済

www.thr.mlit.go.jp

www.google.co.jp

tentijin8.hatenablog.com
(2024.6.13再構成)

石巻市鹿又の永仁の巨碑など正応・永仁・嘉元銘板碑の遺跡登録と現地保存を要望します─堤防工事の危機

石巻市鹿又の堤防の永仁などの板碑(4基) 2024.5.26
板碑は仏塔 鹿又の堤防の永仁元年板碑(3D画像テクスチャ metashape 田中則和作成)

板碑は石の仏塔である。

石巻市鹿又堤防の三板碑 (3D画像・metashape 田中則和)

 以前お知らせした石巻市鹿又の堤防の板碑についてです。5月26日現地に行ってみると、前面が刈り払われていました。堤防の大規模な嵩上げ工事が今にも及びそうな状況です。
工事が迫る石巻市鹿又堤防の永仁の巨碑など4基の板碑の文化財登録と現地保存及びややむ負えないできうる限り近地への移転の場合の発掘調査を要望いたします。
 未登録の鎌倉時代の4基の板碑(石巻市鹿又)が堤防の嵩上げ及び拡幅工事(国土交通省 東北地方整備局 北上川下流河川事務所)により危機的状況です。板碑研究家の原位置説もあり(現段階では昭和期の堤防嵩上げ工事により数メートル北上川側に移設されたことが判明しています。恐らく以前の堤防斜面に立っていたものをずり下げたことが住民の証言と1961年と1975年の航空写真の比較により判明しました。2024年6月17日追記)、地域の歴史を語る貴重な歴史文化遺産の現地保存を願っています。ご助力をお願いいたします。


 1986年発行の『わがまち河南の文化財』(河南町教育委員会)に永仁元年の板碑は図付で掲載されていることから、保護の手が及んでいないのは石巻市との合併(2005年 平成17年)後、文化財としての扱いが行政に継承されていないと考えられます。

石巻市鹿又の永仁元年の板碑 3D画像ソリッド(metashape 田中則和)

概要(参考:COPILOT)
 石巻市鹿又の堤防には、鎌倉時代の歴史を語る4基の供養塔があります。これらの板碑は自然堤防上に立っています。以下にそれぞれの板碑の概要をご紹介します。
1.中央碑(高さ2.7メートル)
​年代: 永仁元年(1293年)。不動明王梵字(カンマーン)を刻み、亡くなった人々の霊が極楽に往生することを祈願しています。
銘文「右志者為過去幽儀/往生極楽證大菩提也」の下中央に「永仁元年」。銘文はさらに土中に続くことから3mに及ぶこの地域で最も地上高の高い大型碑(同規模の大型板碑は鹿又町浦の光明寺境内にある。)。
佐藤雄一氏はこの碑の項目では「原位置を保っていると思われる」とする(『河南町の板碑』)。

佐藤雄一河南町の板碑』(2015)84p

2.左碑(高さ1.4メートル)
年代: 嘉元四年(1306年)。
中央碑と同じく不動明王(カンマーン)の梵字を刻み(左側剥落)、亡き父の霊が極楽に往生することを願っています。
銘文「右造立志趣者為慈父幽霊/往生極楽也 嘉元二二年二月十日 敬白」

石巻市鹿又堤防の板碑左碑(3D画像 metashape 田中則和)

3右碑(高さ1.0メートル)
年代: 永仁二年(1294年)。 
金剛界大日如来(バン)の梵字を刻んでいます。中央碑の翌年に造立されたものです。
「右▬/大歳/永仁二  ■二月日/申午 /(證菩提)」
いずれの板碑も盛り土により本来の地上高(銘文下)に嵩上げされている。
銘文から左右の板碑は春の彼岸に立てられたようです。

石巻市鹿又堤防の板碑右碑(3D画像 metashape 田中則和)

 そしてこの板碑の供物台も板碑(断碑)でした。洗ってみると見事に「正應(1293)六年四月五日」と達筆で刻んでありました。左碑の供物台も文字痕跡?のある粘板岩のブロックです。一帯には板碑がさらに眠っている可能性があります。もしかすると、ここは、自然堤防の端から北上川を眺める場所にあった武士層の供養所、墓所跡であったのかもしれません。

鹿又堤防の三板碑中の右碑の供物台は正応六年(1293年)の断碑 3D画像 田中則和

 佐藤雄一氏は後段において自然堤防上の板碑の例から原位置の板碑の可能性もありと考えています(『河南町の板碑』2015)。

「注目すべき河南町の板碑」佐藤雄一河南町の板碑』2015
鹿又堤防の4基の板碑周囲は盛り土がされている 2023.4.2

 これらの板碑の周囲には紀年銘の途中まで盛り土がなされ、大石が1個露出していますので祀った時になされたか近世以降に整備がされたことを反映している可能性も考えられます。川村孫兵衛による築堤工事がなされた地域なので基部はその際かもしれません。佐藤雄一氏は本板碑は「川除け土手」の範囲内に位置すると前掲書で述べています。
その場合は中近世の地域の歴史をも語るものと言えます。板碑が原位置の場合は板碑の基礎構造や骨蔵器があるばあいが多く(松島雄島などの例)、近世に「川除け大土手」に関連して整備された場合は大規模な構造物の存在が想定され、その解明には発掘調査が必要となります。
また、これらの大型板碑などは土地の人々に古くから知られており(聞き取りでは昭和初年から。某家により祭祀が行われていた)、「周知の文化財」に該当する。そのため移転の場合は「周知の埋蔵文化財」として事前の発掘調査(試掘・確認調査を含む)は必須となります。

石巻市鹿又の堤防の永仁などの板碑(4基)
鹿又堤防の板碑 三次元記録metashape 田中則和

本板碑は不思議なことに、行政により文化財(埋蔵文化財包蔵地=遺跡もしくは有形文化財)として登録されていないため、危機的な状況にあります。現地保存がベストです。どうしても困難な場合は地域民に知られた「周知の埋蔵文化財」として適切な発掘調査の上で、できるだけ近くに移転が必要と考えます。
 巨碑はじめ三基の石材の基部、特に2.7mの巨碑は深く土中に入っています(地上高の三分の一近いか)。地上部は傾いていて、もろく割れやすいので発掘から移転まで文化財の保護のみならず人身の保全に万全のサポートの必要が考えられます。
 鹿又北東部の北上川沿岸では、自然堤防上に100m前後の間隔で板碑が分布することが分かってきました。北上川を望むやや小高い位置に屋敷地ごとに石製供養塔を立てた中世人の信仰が伺われます。今回の堤防工事では掘削が伴い、板碑の不時出土が懸念されます。
これらの板碑は北上川流域の歴史、特に記録の少ない鎌倉・南北朝時代の山内首藤氏の所領のありさまを伝える貴重な歴史文化遺産として、大切に保護、活用されるべきものです。埋蔵文化財もしくは有形文化財に登録の上、標柱、説明板による周知が有効です。石巻市文化財行政は特に全国的に著名な板碑については極端に低水準です。今までの復興優先は当然として、これからの積極的な文化財保護・活用行政が望まれます。石巻市博物館が誕生したことは、その点でも大きな意義があると考えております。

周辺自然堤防上の板碑分布(谷口宏充氏提供・アジア航測赤色立体地図+田中則和データ240630

↑ 図をクリックすると拡大してご覧になれます。
※1板碑の分布図は複数の研究者による調査、情報の共有による。逐次、文化財関係機関には報告をしている。鹿又地区12基の新規所在確認(7.11)。
2.現存板碑の多くは耕作地などで出土した板碑を氏神、または神仏として宅地に祀った結果であり、所有者の許可を受けてご覧ください。
 

旧北上川右岸鹿又地区堤防整備事業』(国土交通省 東北地方整備局 北上川下流河川事務所)
 堤防工事に反対するものではなく、事前に教委・博物館との協議の中で両方活かす方法を検討してほしい。
 一般的に、盛り土を含めて大規模工事が計画された場合には、事前に教委など文化財担当機関による分布・試掘調査などで文化財の有無、内容がチェックされ方策が検討される。その方が工事側でも計画的にスムーズに実施できるので、確か文化庁でも推奨している。この地区ではそのような施策が見られないのは残念である。
https://www.thr.mlit.go.jp/Bumon/J74201/homepage/_upload/doc/04_publication/wakuya/wakuya006_230227.pdf

堤防工事の内容 涌谷出張所たより6号より

(上記HPより)
www.thr.mlit.go.jp
◎豆人さんの関係ツイッター


tentijin8.hatenablog.com
stone-c.net

◆多数の読者の皆様から賛同の声をいただき厚く感謝いたします。ツイッターでも779のエンゲージメントをいただきました。
末木文美士先生(日本思想史)からは「ぜひとも早期の指定が必要」とのご意見をいただきました。
また、下記著者の佐藤弘夫先生(日本思想史)は現地を見て「オーラを感じる」「この立派な板碑を後世に残すべし」と激励をいただきました。
(更新2024.7.1)


◎おすすめ本

激変する日本人の死生観 興山舎

激変する日本人の死生観: 人は死んだらどこへ行けばいいのか;第2巻
 深刻な話題を軽妙かつ味わい深い語り口で、現地から語る「人が死んだらどこに行けばいいのか」シリーズ第二巻。随所でおすすめスポットを紹介するなどお出かけにも参考になる気配りがいい。一般の方にも広くお勧めしたい。
激変する日本人の死生観 佐藤弘夫(著/文) - 興山舎 | 版元ドットコム
「紹介(上記HPより)
私たちはいま「死後」のリアリティを共有できない時代を生きている。
日本思想史研究の第一人者が全国各地の霊場を踏査し、日本人の「他界観」の変化に各地の霊場がどのように対応してきたかが分かる、圧倒的ドキュメント。
佐藤教授独特の語り口で、日本列島に現前する霊場を一緒に旅し、生と死のありようを辿っている気持ちになります。

目次
第1部 死者はこの世に帰ってこられるか 
 遠野のデンデラ野/黄泉の洞窟/六道珍皇寺江ノ島・龍ノ口/慈恩寺
第2部 浄土への信仰はなぜ必要だったか 
 八葉寺/ 當麻寺/熊野/骨寺/岩屋寺/文永寺
第3部 紫式部はなぜ地獄に堕ちたか
 川原毛地獄/愛宕山紫式部の墓/別府の地獄めぐり
第4部 失われた極楽浄土
 弥谷寺/ムカサリ絵馬/回向院/黒石寺/立山芦峅寺

著者プロフィール
佐藤弘夫 (サトウヒロオ) (著/文)
1953(昭和28)年、宮城県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士前期課程修了。博士(文学)。盛岡大学助教授・東北大学教授などを経て、現在、東北大学名誉教授。専門は日本思想史。著書『人は死んだらどこへ行けばいいのか(第1巻)』(興山舎)、『アマテラスの変貌』(法藏館)、『霊場の思想』(吉川弘文館)、『死者のゆくえ』(岩田書院)、『ヒトガミ信仰の系譜』(岩田書院)、『死者の花嫁』(幻戯書房)、『日本人と神』(講談社)他。」
stone-c.net

「平安朝から鎌倉時代にかけて制作された阿弥陀来迎図・六道図・十界図などの浄土教美術の優品。これらの作品を、『往生要集』の思想や迎講・仏名会等の宗教行事と関連させ来迎芸術の真実に迫った名著。解説=山折哲雄・須藤弘敏」(AmazonHPより)
来迎芸術【法蔵館文庫】 - 法藏館 おすすめ仏教書専門出版と書店(東本願寺前)-仏教の風410年

末木 文美士 (著, 編集), 頼住 光子 (著)他による最新の仏教史の研究成果を分かりやすく語るお勧めの文庫本。
【目次】(Amazonより)
はじめに 「日本仏教」という問題
第一章 仏教の展開と日本 序説
第二章 仏教伝来と聖徳太子 日本仏教の思想1
第三章 最澄空海 日本仏教の思想2
第四章 法然親鸞と浄土信仰 日本仏教の思想3
第五章 道元と禅思想 日本仏教の思想4
第六章 日蓮と法華信仰 日本仏教の思想5
第七章 廃仏毀釈からの出発 近代の仏教1
第八章 近代仏教の形成 近代の仏教2
第九章 グローバル化する仏教 近代の仏教3
第十章 社会活動する仏教 近代の仏教4
第十一章 日本仏教と戒律 日本仏教の深層1
第十二章 葬式仏教 日本仏教の深層2
第十三章 神仏の関係 日本仏教の深層3
第十四章 見えざる世界 日本仏教の深層4
第十五章 日本仏教の可能性 まとめ
学術文庫版あとがき


◎注目ニュース
note.com

東松島市震災復興伝承館─野蒜駅跡

東松島市震災復興伝承館 2024.3.11

東日本大震災の発生から13年、今日は東松島市 東日本大震災復興祈念公園にて合掌。

東松島市震災復興伝承館 2024.3.11
東松島市震災復興伝承館 2024.3.11


東松島市 東日本大震災復興祈念公園 旧野蒜駅震災遺構 2024.3.11
東松島市 東日本大震災復興祈念公園 2024.3.11
東松島市東日本大震災祈念公園 2024.3.11


のびるバウム
のびる村直売所

おみやげは「のびるバウム」でした。
nobico.base.shop

東松島市震災復興伝承館 2024.3.11

www.asahi.com

東松島市震災復興伝承館 2024.3.11
野蒜駅震災遺構と震災復興資料館
野蒜駅震災遺構 券売機
東松島市震災復興伝承館 2024.3.11

東松島市 東日本大震災復興祈念公園|宮城県|施設のご案内|震災伝承施設
www.city.higashimatsushima.miyagi.jp
東松島市を襲った大津波の証言HP↓
東松島市を襲った大津波の証言
東日本大震災:被災地を訪ねる★①東松島市・野蒜地区【前編:仙石東北ラインを通って】NOTE HP↓
note.com
同後編↓
note.com

www.asahi.com
石巻エリア - みやぎ復興のたび|Miyagi: The Road to Recovery / 宫城复兴之旅 / 宮城復興之旅



山崎貴監督の「ゴジラ-1.0」アカデミー賞 視覚効果賞を受賞 おめでとうございます!
[追記]
わたしも映画を見て すごい!!映画 と思いました。ゴジラの大迫力と主張を素朴に込めたドラマ、
そしてひっそりと黒い雨が降り、奇跡的に生還した〇子の肌の黒いしみが恐ろしい。
www3.nhk.or.jp

宮崎駿監督の「君たちはどう生きるか」長編アニメーション賞受賞もおめでとうございます。
庶民目線の次回作に期待いたします。
www3.nhk.or.jp

謹賀新年 2024─能登地震の幕開け

謹賀新年 2024 松島雄島・頼賢の板碑の龍 (田中則和作成)

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
能登半島地震で亡くなられた方々を悼み、被害にあわれた皆様に心からお見舞い申し上げます。
www3.nhk.or.jp
(随時更新)
mainichi.jp

備えを!
www3.nhk.or.jp

追記
www3.nhk.or.jp
www.jrc.or.jp
mainichi.jp
mainichi.jp
gendai.media

三陸もよろしくお願いいたします。
www.sansan-minamisanriku.com


追記(240106)
日本航空機と海保機の衝突2024.1.217:50p.m
海保機の勘違いが強調されてきたが、
管制官が誤侵入表示の注意喚起機能を見逃がさなければ防げた可能性がでてきた。
ヒューマンエラー防止に滑走路誤侵入防止の注意喚起機能の警報化など抜本的強化必要。

やはり。
news.yahoo.co.jp

www.nikkei.com
www.nikkei.com

戦争の惨禍と自民党の裏金作りと物価高どブッダの2023年─東北の片隅から

戦争の惨禍と自民党の裏金作り捜査と物価高が2024年になだれ込む。(随時更新)

宮城県石巻市雄勝町・天雄寺 2023.12

ウクライナの戦禍が終わりが見えない中、ハマスの攻撃に反撃したイスラエル軍が住民の大量殺人を続けても止めることができていない悲惨な恐るべき2023年であった。収まる気配はなく、無念にも無辜の民の霊に祈りをささげることしかできない。
www3.nhk.or.jp

ガザ人道危機支援

ガザ人道危機 緊急募金|日本ユニセフ協会
ささやかながら募金させていただきました。

www.jiji.com
自民党による政治資金パーティー収入の裏金化の東京地検特捜部の捜査は現在進行形で疑惑は深まり深刻化しつつある。
追記2024.1,7~
東京地検特捜部は7日、安倍派に所属する池田佳隆 衆議院議員政策秘書と共謀し、政治資金収支報告書にうその記載をしていたとして、池田議員と政策秘書の2人を政治資金規正法違反の疑いで逮捕しました。池田議員側は安倍派の議員の中でも高額の4800万円余りのキックバックを受けていたということで、一連の問題は、安倍派の国会議員が逮捕される事態になりました。」(下記報道より)
www3.nhk.or.jp

www.nhk.or.jp
news.yahoo.co.jp
news.yahoo.co.jp
news.yahoo.co.jp


「国民の声を聞く」を掲げてスタートした岸田政権は、全くそれに反する政策をとり続け人望をすっかり失った。物価高は弱き国民を嬲り続けている。年金暮らしの私はますます100円ショップに行くことが多くなった。
www.jiji.com
jisin.jp


1.19 安倍派も二階派も解散へ
www3.nhk.or.jp
www.yomiuri.co.jp

石巻市長面・龍谷院 東日本大震災慰霊碑 2023.12

個人的には東日本大震災被災地の歴史文化遺産を今年も訪ね歩いたが、人の住めなくなった悲哀を実感する人々が年々少なくなっていくのは残念。

石巻市雄勝町・天雄寺 2023年12月

哀悼
今年も偉大な人々がお亡くなりになった。
mainichi.jp
個人的にはミスター想像力というべき大江健三郎氏や見事な生きざまの坂本龍一氏。
青土社 ||ユリイカ:ユリイカ2023年7月臨時増刊号 総特集=大江健三郎

坂本龍一 - Wikipedia
mikiki.tokyo.jp



清水俊史氏の『ブッダという男』

小生のフィールドに関係するものとして、清水俊史氏の『ブッダという男』(ちくま新書)がすごい。画期的な内容を簡潔に書いている本なのだが、本文より「あとがき」が起こしている大反響は仏教学の権威の人々の生々しい怒りと憎しみの行為を暴き、日本のアカデミズムの体質を浮き上がらせている。背景となる清水氏の専門書は既刊だが、本書の結論を証拠付ける詳細かつ分かりやすい書籍がほしいところ。「あとがき」の経緯から清水氏への賛意が極めて大きいが、今後、結論に至る論証と討論が継続されることを願う。

note.com
note.com

佐藤哲朗氏はスマナサーラ長老の本などで普及したテーラワーダ仏教からすると清水氏の理解は常識的と言っております。
私は生まれ変わりますか? - 日本テーラワーダ仏教協会

「輪廻」と「無我」は矛盾するのか? #仏教 - Togetter


馬場紀寿という男~「さる先生」事件を読みとく - Togetter

↓〈評論〉「ブッダゴーサの歴史的位置づけをめぐる馬場紀寿氏と清水俊史氏の論争1」(序言)(佐々木閑)   
file:///C:/Users/norikazu/Downloads/004_100_24.pdf

追記240121似た感想でした。
wsfpq577.hatenablog.com
0125
book.asahi.com



あとは亀田俊和氏訳『太平記』(上下)が良かったけど部分現代語訳なので全訳をだしてほしい。

博物館関係では「石巻の板碑」展(石巻市博物館)

石巻の板碑」展 石巻市博物館

stone-c.net
makiart.jp


見たい映画は「ゴジラ-1」宮崎駿の「君たちはどう生きるか」は、期待外れ。製作期間が長すぎたせいか、庶民目線から離れてしまった印象。
モノクロ版も出た!

godzilla-movie2023.toho.co.jp
gendai.media
news.yahoo.co.jp
www.tokyo-np.co.jp

〆は明るく。スポーツ界ではこの二人のすごさに驚いた。学ぶべし。
https://news.yahoo.co.jp/articles/de5331496ab8dfeef96ecd490c56b0b50b5204efnews.yahoo.co.jp
the-ans.jp
ちなみに武道界はマスコミに取り上げられることは少ないが、東北の合気道家でYouTubeの格闘界で活躍した白川竜次氏(合気会)は特筆される。著書『美しい合気道』も売れており、来年は新作映画も予定しているようだ。

webhiden.jp


想い出─コロナ禍明けの雄勝法印神楽

雄勝町大須 雄勝法印神楽 2023.5.4
大須 雄勝法印神楽 2023.5.4

明年に幸あれ。
www.jrc.or.jp

国境なき医師団

パレスチナ | 活動ニュース | 国境なき医師団


速報 おめでとうございます!
kahoku.news