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エドワード・S・モースは、アメリカの動物学者です。標本採集に来日し、請われて東京大学のお雇い教授を2年務め、大学の社会的・国際的姿勢の確立に尽力しました。モースは、日本に初めて、ダーウィンの進化論を体系的に紹介しました。
彼は、進化論の観点から腕足動物を研究対象に選び、1877年、腕足動物の種類が多く生息する日本に渡りました。
モースは、左右の手で別々の文章や絵を描くことができる両手両利きでした。両手で絵を描けるため、普通の人より早くスケッチを終えることができました。講演会でも、両手にチョークを持って黒板にスケッチを描き、それだけで聴衆の拍手喝采を浴びるほどでした。
彼は、脳を献体するという遺言を残しており、それは両手両利きに脳が与える影響を研究してほしいという希望でした。
大森貝塚に関する石碑は、品川区側の遺跡一帯に整備された大森貝塚遺跡庭園内と、大田区側の大森駅近くのNTTデータ大森山王ビル横の小道を線路側にはいったところとの2ヵ所にあります。前者は横書きで右から「大森貝塚」、 後者は縦書きで「大森貝墟」と書かれており、貝塚碑は1929年11月に、 貝墟碑は1930年に相次いで建てられました。
モースが論文に発掘場所の詳細を書かなかったこと、貝塚発見の報告文書に所在地が大森村と記述されたことから、当初の発掘地点について長い間、品川区説と大田区説の2つが存在しました。
しかし、その後1984年までの複数の調査により、東京府が大井村字鹿島谷(現在の品川区大井6丁目)の土地所有者に、調査の補償金50円を支払った文書が発見されたこと、貝塚碑周辺の再発掘で貝層が確認された一方、貝墟碑周辺では見つからなかったことから、現在ではモースが調査したのは品川区側であったことがわかっています。