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■新聞記事見出し
■新聞記事本文
◇津波避難、どう移動 仙台市、徒歩前提に施設 住民「車利用、道路拡充を」 /宮城県
(2012年12月31日 朝日新聞 朝刊 宮城全県・1地方 021 )
仙台市が津波から避難するためのビルやタワーを、市内10カ所に建てる。徒歩での避難を基本にした計画で、12月下旬から住民説明会を始めた。しかし、7日の津波警報の際には多くの人々が車で逃げ、道路が渋滞した実態があり、住民からは道路の拡充を求める声が相次いでいる。
「住民の多くは高齢者なので、車を使わなければ逃げられない。津波避難施設と同時に避難道路もつくってほしい」
宮城野区蒲生鍋沼の集会所で25日に開かれた住民説明会。集まった約50人からは、道路への要望が強く出た。同地区は東日本大震災の津波で浸水したが、災害危険区域から外れ、集団移転の対象にならなかった。いまも多くの住民が自宅を修理して暮らしている。この日は、避難施設での食糧備蓄や防寒対策を求める意見もあった。
仙台市は避難施設について、有識者や町内会長らによる検討委で協議し、約半年間かけて11月末に素案をまとめた。宮城野区と若林区の市有地5カ所ずつに、2階建て以上の施設を設ける内容だ。
素案づくりでは、津波到達予想時間を地震発生から45分後と想定し、最大2万2千人の動きをパソコン上でシミュレーションした。その際に、車での避難率を震災時の73%から20%に抑え、徒歩や自転車で30分以内に逃げ込めるように、施設の配置を考えた。
しかし、12月7日夕の津波警報では、沿岸部から脱出を図る車があふれ、夕方の帰宅ラッシュにも重なり、内陸部への幹線道路は車列で埋め尽くされた。
「安全に避難するためにも、車の利用はお年寄りや障害者などを優先し、徒歩圏内に施設をつくりたい」(市防災企画課)という行政側の考え方と、現実との落差が歴然となった。
奥山恵美子市長は25日の記者会見で、「避難施設がないなかで、車優先の避難になるのは無理からぬこと」としたうえで、「車の避難率20%が至上命令ではない。地域に一番いいあり方を探りたい」と述べた。
市は来年1月以降も説明会を重ね、住民の意向を踏まえつつ、施設の場所などを3月にも最終的に決める方針だ。(長嶋晶子)
◇東電賠償8割が「不満」 震災避難者アンケート 群大まとめ=群馬
(2012.12.28 読売新聞東京朝刊 群馬1 27頁)
東日本大震災で県内に避難している人たちの現状を知り、支援のあり方を考え直そうと、群馬大社会情報学部の西村淑子准教授がアンケート調査を実施し、結果をまとめた。就労状況や健康状態の悪化に加え、東京電力福島第一原発事故での損害賠償額に満足していない実態がわかった。
調査は、県内の避難者680世帯を対象に8月1日から同25日にかけ、各自治体を通じてアンケートを配布する形で実施。居住状況や仕事、子育て、今後の生活予定などを質問し、185世帯から回答があった。
調査結果によると、東電への損害賠償を「請求していない」と答えた人が24%に上った。専門家へ相談したり、説明会に参加したりした人は約半数にとどまり、東電へ直接請求した人も多かった。
西村准教授によると、県内でも弁護士などが説明会を開いているが、自ら参加したり、書類を書いたりすることが難しい高齢者などには対応が行き届いていないという。また、弁護士などの第三者が間に入らないケースでは、避難者に有利な補償が受けられていない可能性も指摘している。
その結果、請求方法と賠償の対象に関しては、4割弱が理解しにくいと評価。賠償の対象や金額については、約8割が不満を持っていた。
このほか、就労調査の項目では、震災前には45%が正社員だったが、現在は38%に減り、無職の人も21ポイント増えて38%となっている。 世帯主の収入を2010年と11年で比較すると、200万円未満が28%から32%に増えた一方、200万円以上400万円未満は35%から29%に、400万円以上600万円未満も15%から11%となり、収入は減少傾向となっている。
家族の健康状態は6割強の世帯で、「震災後、不調を訴える家族がいる」と回答。「イライラや憂うつな気分になる」「よく眠れない」といった不調が挙がった。
今後必要な支援は、多くの人が「高速道無料化などの地元を行き来するための助成」や「高齢者、障害者、子どもなどがいる世帯への支援」を挙げた。
西村准教授は「今後の見通しがつかないことへの不安が大きい。国や行政が、はっきりと方針を示し、分かりやすく伝えるべき」としている。
◇県避難所運営マニュアル:災害時要援護者に配慮 検討委が改定案提示 /三重
(2012.12.24 毎日新聞地方版/三重 23頁)
大災害時に備え、県が今年度内の改定を目指す県避難所運営マニュアル策定指針について検討する有識者などの委員会が23日、県庁で開かれた。災害時要援護者への配慮を盛り込んだ最終改定案を提示し、大筋で合意した。
最終案では、更衣室、授乳室を設置▽トイレを男女別にする▽外国人がいる場合は、食事、宗教、文化の違いに配慮する▽介助、介護ができるスペースを作る▽必要があれば専門知識を持った医師、看護師、ホームヘルパーなどの派遣を依頼する――など、女性、外国人、高齢者、障害者の支援のあり方が盛り込まれた。改定案は来年1月、市町に公表される。
現行指針は04年に策定され、避難所の開設から撤収までの業務を記している。東日本大震災をきっかけに、災害時要援護者への視点が欠けていることが課題となり、指針を見直すことにした。【大野友嘉子】
◇[医療ルネサンス]震災後の福島で(4)支える側にも心のケアを(連載)
(2012.12.14 読売新聞東京朝刊 生活B 14頁)
◇通算5473回 シリーズこころ
福祉施設や行政職員など、住民の暮らしを支える人々の負担は、震災前より重くなっている。こうした人たちの心をどうケアしていくかも重要な課題だ。
福島県南相馬市の障害者福祉施設に勤めていた生活支援員の佐藤節子さん(60)。2011年11月に職場復帰し、同じ法人が経営する別の障害者福祉施設「ぴーなっつ」で働き始めた。
同施設は震災1か月後に再開したが、14人いた職員は6人に。新規採用もしたが、一人ひとりの負担は増えた。佐藤さんは、十数人いる利用者の食事やトイレ、入浴介助などを行う。
穏やかだった職場の雰囲気が変わったように感じている。震災後、若い職員から人間関係の相談を受けるようになった。「どう対応したらいいかわからず、眠れなかったり、涙を流したりしたこともありました」と佐藤さんは話す。
佐藤さん自身、自宅が津波で流され、今も仮設住宅に家族3人で暮らしている。「部屋は狭く寒いです。洗濯や掃除の時間にも気を使います」と話す。
施設長の郡(こおり)信子さん(51)は震災後、精神的に不安定な職員が見られるようになったと感じている。
職員に声を掛けたところ、理由もなく激しい言葉が返ってきたことがあった。翌日送られてきた謝罪のメールには、「いっぱいいっぱいです」とつづられていた。郡さんは「職員は想像以上に気持ちを張りつめ、余裕を失っていると感じました」と振り返る。
郡さんは、震災後に医師らがつくったNPO法人が運営する「相馬広域こころのケアセンターなごみ」に相談。今夏、職員の個別面談をしてもらった。
担当した臨床心理士の羽田(はだ)雄祐さん(28)は「震災や原発事故で気持ちにゆとりがなくなっている人が多くいる。自分の生活基盤が整わない状態で、他の人の生活を支える仕事をしており、今まで許容できたことが、できなくなることもあると思います」と話す。
同センターは、消防署員や高校教員への面談も行っているが、受診が必要な人もいたという。羽田さんは「面談では、話を聴き、つらかった体験に共感するようにします。気持ちを理解してくれる人がいると思えるだけで、安心感が生まれます」と説明する。
不安感が強いと感じられたり、うつ傾向が見られたりする人には、継続的なケアを行う。羽田さんは「地域で生活する人たちを、心の面から支えられるよう、今後も活動を続けていきたいです」と話す。
◇[伝えたい・12衆院選](4)医療 開業医減少に危機感(連載)=岩手
(2012.12.14 読売新聞東京朝刊 岩手 29頁)
障害者の自立を支援する社会福祉法人「やまだ共生会」(山田町)はNPO法人の助成を受けて、昨年7月から高齢者や障害者らを対象に通院時などの無料送迎サービスを続けている。
「サービスのお陰で助かってます」。5日朝、町中心部の医院前で送迎車から降りた村上セツさん(81)は、運転手に会釈した。慢性的なリウマチで、以前は約5000円をかけてタクシーで通院していたという。
共生会によると、サービスの利用者は月に500人以上。仮設診療所で運営を続ける県立山田病院や宮古市、釜石市まで送迎することも多い。被災した鉄道の復旧などが進まない事情もあるが、共生会理事長で「山田町の地域医療を守る会」の佐藤照彦会長(72)は厳しい現状を説明する。
「以前は町に開業医が9人いたが、震災で亡くなった医師もいて、今は3人。診療科も減り、かかりつけ医がいなくなりつつある」
町には小児科、産婦人科の開業医もいたが、今は内科、整形外科、皮膚科のみ。佐藤会長は「小児科や産婦人科がなければ、住民が子どもを産み、育てていくことにも不安を感じるようになる」と心配する。
県医療局によると、県内の人口10万人当たりの医師数(2010年12月現在)は、全国平均の230・4人に対し、全国40位の193・7人。盛岡地域は287・1人で全国平均を上回っているが、釜石地域は137・4人、宮古地域は119・1人などとなっており、偏りも目立つ。
震災後、支援を申し出る医師が駆けつけ、沿岸部を中心に県立病院の常勤医は一時的に増加。昨年3月末から今年8月までに28人増えて551人となった。しかし、今後、この状態が維持されるのかは不透明だ。開業医が減り、地域から診療科がなくなる傾向も変わっていないという。
県立宮古病院の佐藤元昭院長(63)はこうした状況を踏まえた上で、「必要な医療はもちろん確保すべきだが、医師不足の窮状は簡単には解消しない。少ない医療資源をいかに有効に使うかが大事だ」と指摘する。
「救急医療を基幹病院に集中させ、地域病院にリハビリや療養機能を置くなど、機能分担を図ることや、住民と病院が地域の医療のあり方を考える環境作りなどが必要だ」と佐藤院長。
守る会では、住民と病院関係者による懇談の場を設け、町出身の医師約25人に開業を呼びかける手紙の発送準備を進めている。町に働きかけ、開業に向けた補助制度も創設されたが、“成果”はまだない。
「医師に一定年数の地方病院勤務を義務化してくれれば、地方も助かり、医師らが地方で働くきっかけになるのだが……」と佐藤会長。「住民が努力して地域の医療を守らなければ。町出身者が難しいなら、その人たちに知人を紹介してもらおうと考えている」と打ち明けた。(おわり)
(この連載は、宮下洋介、鈴木希、岡本立、阿部明霞が担当しました)
◇10万人当たりの地域別医師数の状況
盛 岡 287.1
岩手中部 140.0
胆 江 154.1
両 磐 150.1
気 仙 142.3
釜 石 137.4
宮 古 119.1
久 慈 123.5
二 戸 141.3
県全体 193.7
(単位・人、県医療局まとめ、2010年12月現在)
◇災害時障害者支援 あす東区で講演会=愛知
(2012.12.11 中部朝刊 名市内 33頁)
大規模災害の発生時に障害者に必要な支援について考える講演会が12日午後1時30分?同3時30分、名古屋市東文化小劇場(名古屋市東区大幸南)で開かれる。
東区障害者自立支援協議会と同区役所が主催。東日本大震災で被災地に入り、物資を届けたり、障害を持つ子どもを一時的に預かったりするなどの支援を行ってきた社会福祉法人「むそう」(半田市)の戸枝陽基理事長が、現地での体験をもとに語る。
当日は、要約筆記や手話通訳もある。問い合わせは東区役所福祉課(052・934・1181)。
◇災害時要援護者 介護施設に避難 琴浦町、7事業所と協定=鳥取
(2012.12.04 読売新聞大阪朝刊 鳥取2 32頁)
琴浦町と老人福祉施設などを運営する町内の7事業所は、介護施設を災害時の要援護者の避難場所として使う協定を結んだ。
大規模な災害時に町の要請で障害者や独り暮らしの高齢者をデイサービスセンターなどで受け入れる。中国電力島根原発(松江市)で事故が起きた場合も、30キロ圏内の社会福祉施設の入所者や医療機関の入院患者の避難先とする。10施設で約220人を受け入れられるという。
町役場での締結式で、町社協の中原正会長が「東日本大震災では要援護者の避難が課題とされた。高齢者や障害者のお役に立てれば」と話していた。
◇七尾市が福祉避難所協定 寿老園と締結 災害時要援護者支援へ=石川
(2012.12.02 読売新聞東京朝刊 石川2 28頁)
七尾市は、介護老人保健施設「寿老園」(七尾市中島町)などを運営する医療法人の辻口昇理事長と福祉避難所に関する協定を結んだ。災害で避難生活が長期化する可能性がある場合、通常の避難所では生活が困難な高齢者や障害者など在宅の災害時要援護者を受け入れる。
不嶋豊和市長は「協定は心強く、ありがたい。東日本大震災を教訓とし、七尾市でも要援護者のための福祉避難所をしっかりと手当していきたい」とあいさつ。辻口理事長は「万が一の場合は、全力を挙げて対応していきたい」と、協力を約束した。
同市内には約4200人の要援護者がいるとされる。今回の協定で計約400人の受け入れ態勢が整ったが、同市は今後も他の社会福祉法人などに受け入れ協力を求める方針。
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