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東日本大震災 障害者関連報道 2011年9月

3月4月 1(1〜10日)4月 2(11〜20日)4月 3(21〜30日)5月6月7月8月9月10月11月12月
災害と障害者・病者:東日本大震災

作成:有松 玲 last update:20111014
*以下については別頁にも記事掲載されています。
人工透析  ◆ALS

◆テレビ報道

◆救援活動の写真 https://picasaweb.google.com/107166457718666569802
 「マスコミや各団体の広報等に活用できるように下記のURLに救援活動の写真をUPすることにしました。ご自由にダウンロードしてお使いください。」とのことです。

新聞記事見出し
◆2011/09/30 東日本大震災:震災時の身障者行動アンケ 災害弱者の現状、深刻さ浮き彫り /千葉
河北新報 2011年9月30日
http://www.kahoku.co.jp/spe/inochi/20110930_03.htm
◆2011/09/30 震災時介護、孤立の不安(下)
河北新報 2011年9月30日
http://www.kahoku.co.jp/spe/inochi/20110930_03.htm
◆2011/09/30 震災時介護、孤立の不安(中)
河北新報 2011年9月30日
http://www.kahoku.co.jp/spe/inochi/20110930_02.htm
◆2011/09/30 震災時介護、孤立の不安(上)
河北新報 2011年9月30日
http://www.kahoku.co.jp/spe/inochi/20110930_01.htm
◆2011/09/30 地震・津波対策 「最大級」への備え急げ
中国新聞 2011年9月30日
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201109300096.html
◆2011/09/29 クローズアップ2011:中央防災会議最終報告 5分で避難、足りぬビル
毎日新聞 2011年9月29日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110928k0000e040018000c.html
◆2011/09/28 東日本大震災:自宅流された全盲の女性…華道再開を目指す
毎日新聞 2011年9月28日
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110928k0000e040018000c.html
◆2011/09/27 孤立防ぎ生活支援 都内の医師が在宅診療
東京新聞 2011年9月27日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/health/CK2011092702000070.html
◆2011/09/24 視覚障害者:災害から守る 県立盲学校・加藤さん講演 /高知
毎日新聞 2011年9月24日
http://mainichi.jp/area/kochi/news/20110924ddlk39040337000c.html
◆2011/09/24 自家発電装置 県が購入補助
朝日新聞 2011年9月24日
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001109240001
◆2011/09/23 被災障害者の実態深刻 JDFいわて本部開設 支援へ 団体超えて連携
しんぶん赤旗 2011年9月23日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-23/2011092314_01_1.html
◆2011/09/20 東日本大震災:あと少しの支援あれば 元養護学校校長、被災の障害者調査 /福島
毎日新聞 2011年9月20日
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110920ddlk07040050000c.html
◆2011/09/20 福島の障害児親子が神戸へ 支援団体が招待
神戸新聞 2011年9月20日
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004483142.shtml
◆2011/09/14 【群馬】「災害弱者」が見た大震災 福島の障害者支援施設長 高崎で講演
東京新聞 2011年9月14日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20110914/CK2011091402000072.html
◆2011/09/13 再興への道:東日本大震災から半年/3 福祉避難所を広域整備へ /茨城
毎日新聞 2011年9月13日 地方版
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20110913ddlk08040146000c.html
◆2011/09/12 生活訓練で前向きに 神戸へ避難の視覚障害者夫婦
神戸新聞 2011年9月12日
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004460908.shtml
◆2011/09/11 東日本大震災:半年 もしも願いがかなうなら…帰りたい 宮城からの避難一家 /岐阜
毎日新聞 2011年9月11日 地方版
http://mainichi.jp/area/gifu/news/20110911ddlk21040024000c.html
◆2011/09/11 大震災半年:仮設暮らし、積もる課題 ほころび始めた共同体
毎日新聞 2011年9月11日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110911ddm003040136000c.html
◆2011/09/10 東日本大震災:仮設の身障者不安 「夜に何か起きたら…」
毎日新聞 2011年9月10日
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110911k0000m040079000c.html
◆2011/09/10 被災地の手話通訳活動を聞く防災講演会
伊那MYウェブニュース 2011年9月10日
http://inamai.com/news.php?c=kyofuku&i=201109101931290000044211
◆2011/09/10 いま、被災地は:岩手でボランティア体験/中 陸前高田、大船渡を再訪 /佐賀
毎日新聞 2011年9月10日 地方版
http://mainichi.jp/area/saga/news/20110910ddlk41040422000c.html
◆2011/09/10 栃木で備える:震災半年/8 「給水弱者」支援 /栃木
毎日新聞 2011年9月10日 地方版
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20110910ddlk09040199000c.html
◆2011/09/10 大震災半年:被災地首長アンケート(その2止) 財源難、再建の壁
毎日新聞 2011年9月10日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110910ddm010040025000c.html
◆2011/09/10 大震災半年:被災地首長アンケート 42首長、高台移転「積極」3割
毎日新聞 2011年9月10日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110910ddm001040164000c.html
◆2011/09/10 【東日本大震災】「地震即避難」実践わずか2・5% 意識は向上 西日本4地域の津波120人意識調査 (2/2ページ)
産経新聞 2011/09/10
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110910/dst11091000070002-n2.htm
◆2011/09/10 【東日本大震災】「地震即避難」実践わずか2・5% 意識は向上 西日本4地域の津波120人意識調査 (1/2ページ)
産経新聞 2011/09/10
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110910/dst11091000070002-n1.htm
◆2011/09/09 【とちぎ震災半年】「未来築きたい」 車いすの妻と生活再建 那須烏山・仮設住宅の曽根原さん
下野新聞 2011/09/09
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20110909/606246
◆2011/09/08 【千葉】原発事故で集団避難 鴨川青年の家 代替施設確保めど立たず
東京新聞 2011/09/08
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20110908/CK2011090802000050.html
◆2011/09/08 災害時の要援護者マップ作成へ 益子町
下野新聞 2011/09/08
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/region/news/20110907/605324
◆2011/09/07 「情報障害者」震災時支援は
朝日新聞 MY TOWN高知 2011/09/07
http://mytown.asahi.com/kochi/news.php?k_id=40000001109070002
◆2011/09/05 聴覚障害者:情報伝達、震災機に高まる重要性 権利保障の法整備求め署名活動 /佐賀
毎日新聞 2011/09/05
http://mainichi.jp/area/saga/news/20110905ddlk41040246000c.html
◆2011/09/05 田村市、公費支出を却下/障害者女性
朝日新聞 MY TOWN福島 2011/09/05
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001109050006
◆2011/09/04 時代の風:認知症と情報通信技術=東京大教授・坂村健
毎日新聞 東京朝刊 2011/09/04
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20110904ddm002070091000c.html
◆2011/09/03 栃木で備える:震災半年/3 災害弱者の避難 /栃木
毎日新聞 地方版 2011/09/03
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20110903ddlk09040151000c.html
◆2011/09/02 「防災の日」 「そなえーる」来館続々 千歳 公共施設耐震化 道半ば 恵庭では総合避難訓練
北海道新聞 2011/09/02
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/315786.html
◆2011/09/02 東日本大震災:家族と暮らせない 障害福祉サービス利用急増 /福島
毎日新聞 地方版 2011/09/02
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110902ddlk07040105000c.html
◆2011/09/02 「最悪」に備える 防災の日、各地で訓練
asahi.com MY TOWN岐阜 2011/09/02
http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000001109020003
◆2011/09/01 天災は忘れなくてもやってくる
読売新聞 2011/09/01
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20110831-OYT8T01152.htm



 
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◆2011/09/30 震災時介護、孤立の不安(下)
河北新報 2011年9月30日
http://www.kahoku.co.jp/spe/inochi/20110930_03.htm
「◎講演/遷延性意識障害/広南病院東北療護センター長・長嶺義秀氏
<高齢化進めば問題深刻に>
 遷延性意識障害の定義は(1)自力で移動できない(2)自分で食事できない(3)意思疎通がほとんどできない―など6項目に当てはまる状態が3カ月以上続いた場合とされている。40年以上前につくられた定義だが、国内では現在も一般的に通用している。脳幹の機能が残っていて自発呼吸があり、脳死とは全く異なる。
 仙台市太白区長町南にある東北療護センターは、自動車事故で重度の脳障害を負った人々の支援を目的にした専門施設。独立行政法人自動車事故対策機構により設置され、財団法人広南会広南病院が運営を委託されている。病棟はワンフロアで、3交代で看護している。短期入院制度もある。
 治療法で一番大事なのは、五感への刺激。五感は脳神経と深く関係している。窓の外の景色やテレビを見る、ラジオや音楽を聴く、アロマを嗅ぐなど、看護に五感刺激を取り入れている。音楽に合わせてトランポリンで上下運動をする音楽運動療法なども行っている。看護は患者の小さな変化を見逃さないことが大事。退院した人の半数以上に改善が認められる。
 全国の遷延性意識障害者数は1970年代、600〜1000人程度といわれ、最近は2万5000人程度との報告もあった。広南病院の藤原悟院長と河北新報社が昨年実施した調査で、宮城県内の患者数は968人に上ることが判明した。これを基に全国の患者数を推計すると、5万5000人強。驚くべき数字だ。脳卒中や高齢の患者が多い。高齢化社会が進めば深刻な問題になる。
 療護センターは東日本大震災で大きな被害はなかったが、一時、患者を屋外に待避させた。9月初めに弘前市であった日本意識障害学会でも災害時の対応が話し合われ、「学会として患者の移送手段やケアなどの対応マニュアルをつくるべきだ」との提言もあった。
◎意識回復、早坂満人さん訴え/重度障害者も地域で暮らせる社会を
 シンポジウムには、遷延性意識障害を脱却した福島市の早坂満人(みちと)さん(28)もスタッフとして参加した。
 早坂さんは2002年、交通事故で意識不明になった。家族の献身的な介護や本人の努力で、車いすでの生活や意思表示ができるまで回復した。
 開会前、早坂さんは母親の佳代子さん(49)と会場入り口に並び、来場者にパンフレットを直接手渡した。
 閉会時は、父親の栄さん(56)とあいさつ。栄さんは「事故後、病院の医師に生存は99%不可能と言われたこともあった。多くの関係者の力を借りて妻と2人で懸命の介護とリハビリを行い、寝たきりで意思疎通が困難な状況からここまで回復した」と、9年間の軌跡を説明した。さらに「どんなに重い障害があっても、その人がその人らしく尊厳を保ちながら地域で生きていける社会であってほしい」と支援を訴えた。
 栄さんの隣に車いすで並んだ早坂さんは、栄さんの言葉に強くうなずき、聴講者に理解と協力を求めた。
<ながみね・よしひで>脳神経外科医。東北大医学部卒。広南病院脳神経外科医長を経て、98年に東北療護センター副センター長、2000年から現職。59歳。」(全文)


 
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◆震災時介護、孤立の不安(中)
河北新報 2011年9月30日
http://www.kahoku.co.jp/spe/inochi/20110930_02.htm
「◎医療・福祉の現場
<職員戻らぬ病院も/大川原順子さん>
 郡山市にある太田綜合病院付属太田熱海病院に勤務している。震災後、福島県富岡町の特別養護老人ホームの入所者が郡山市の公共ホールに避難してきた。県の災害マニュアルに従って避難したら、どの施設も満杯で4カ所目でようやく入れたとのことだった。しかし、床に寝るだけの状態で体調を崩すことが懸念されたので、太田熱海病院の院長の判断で修復の終わった病棟に受け入れた。
 県内の避難所では、介護サービスが使えなかった人、寝たきりになってしまった人がたくさん出ていた。何とか介護保険サービスを届けたいと、1次判定だけでケアプランをつくれる方式を導入した。ビッグパレットふくしま(郡山市)で始まった方式で、今は県全域で実施している。
 原発事故後、避難した病院職員はたくさんいたが、多くの人はすぐに戻ってきた。しかし、職員の戻らない病院もある。
 子どものいる母親や妊婦は戻りたくても戻れない状況にある。被ばくによる健康被害を選ぶのか、避難による生活崩壊を選ぶのかということを突き付けられている。
<県内外に一時避難/佐藤正広さん>
 ふきのとう苑は相馬市にある障害者支援施設で、福島第1原発から38キロの距離にある。入所者は53人で、最も重い区分の障害者が約6割を占め、遷延性意識障害者は7人いる。
 震災での施設被害はそれほど大きくなかったが、自宅が流されたり、家族が被害に遭ったりした職員が多く、人員確保が難しかった。
 南相馬市にある協力病院をはじめ、ふきのとう苑以南の病院は全て(原発事故で)閉鎖された。利用者の安心、安全確保のため施設全体で避難することを決め、関係機関と調整した。
 福島県内で重度障害者を受け入れられる施設に空きがなかったので、重度の利用者は県外に避難することになった。避難者は県内施設が8人、県外施設が33人だった。
 体調管理が心配だったが、相馬市に来ていた災害派遣医療チームの医師が同行してくれた。避難中に体調を崩す入所者は1人もいなかった。
 4月になって利用者や家族から施設再開の要望が上がり、準備を進めた。5月末には震災前とほぼ同じ利用状況に戻った。
■パネリスト
・患者家族
  園田淳子さん(55)=仙台市太白区=
・患者家族
  車谷晴美さん(48)=須賀川市=
・福島県医療ソーシャルワーカー協会会長
  大川原順子さん(60)=郡山市=
・障害者支援施設「ふきのとう苑」施設長
  佐藤正広さん(64)=相馬市=
■司会
  沼田孝市・宮城県ゆずり葉の会会長」(全文)


 
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◆震災時介護、孤立の不安(上)
河北新報 2011年9月30日
http://www.kahoku.co.jp/spe/inochi/20110930_01.htm
「病気や交通事故などで脳に重い損傷を負い、ほぼ寝たきりになった遷延性意識障害者の家族は、東日本大震災が引き起こした大規模停電と福島第1原発事故により綱渡りの介護を強いられた。不安にさいなまれる日々を送った震災時の体験を踏まえ、災害時の支援の在り方をテーマにしたシンポジウムが25日、郡山市の「ビッグアイ」で開かれた。患者の家族らでつくる「宮城県ゆずり葉の会」(沼田孝市会長)の主催。在宅で介護している家族を代表して2人が震災当時の心境を語り、緊急時の支援を訴えた。病院や施設の関係者もパネリストとして参加し、さまざまな困難に直面した避難行動などを振り返った。
(「いのちの地平」取材班)
◎在宅の現場
<原発事故追い打ち/車谷晴美さん>
 長女(21)は中学1年だった2003年10月、柔道部の練習中に頭を強打し、今も意識が戻っていない。
 地震発生時は自宅にいた。前後に揺れていた娘の体とベッドの手すりを押さえ、「大丈夫だよ」と声を掛けたが、揺れは5〜6分続いた。娘にしがみつき、「早く止まって」と祈るだけだった。
 停電でたんの吸引器が動かず、起こしていたベッドも戻せなくなった。これまで地震のたびに、ベッドを平らにするようヘルパーにお願いしていたのに、私はベッドを押さえるだけで精いっぱいだった。
 地震の影響で翌日から訪問看護・入浴ができなくなった。1日5回来ていたヘルパーも車のガソリンが確保できず、回数が減り、来られない時期があった。娘の体調が不安定になり、17日に救急搬送されて6日間入院した。
 そうした中で原発事故が起きた。この先、ヘルパーが来られないのではないか、医師も看護師もいなくなるのではないかと不安だった。
 震災で命の大切さがあらためて問われている。娘も、せっかく助かった命。私たちは笑顔で普通の生活をしたいだけだ。
 須賀川市には今、ショートステイやデイサービスの引受先がない。遷延性意識障害者と家族は孤立している。命をつないでいる人が医療や福祉から取り残されることがないようにしてほしい。
<停電、寒さとの闘い/園田淳子さん>
 2007年6月に夫(60)が脳梗塞で倒れて寝たきりになり、半年後の12月から在宅介護している。マンション22階の自宅で地震に遭い、夫が横たわるベッドのそばで「大丈夫だからね」と話しかけながら、揺れが収まるのを待った。
 ライフラインで最初に復旧するのは電気と聞いていたが、停電は4日間続いた。電動の介護ベッドを30度以上、背上げしていて元に戻すことができず、夫の排便や摘便ができなかった。
 電動式のたんの吸引器も使えなくなったが、在宅介護を始める際に足踏み式の吸引器を用意していた。薬や経管栄養食はたまたま2週間以上の蓄えがあり、助かった。
 ただ、暖房器具が使えず夫の体が冷たくなっていた。ペットボトルにお湯を入れて湯たんぽ代わりにし、夫の両脇と足元に入れた。
 主治医や訪問看護師は階段で22階まで上がり、夫の様子を見に来てくれた。主治医の顔を見て安心したのか、いつもは無愛想な夫がにっこり笑ったのが印象的だった。
 4月下旬、たまたまテレビで激しく揺れる室内の映像を見て、「あのような状況に自分もいたのだ」と初めて実感し、怖くなって泣いた。夫に「よく頑張ったね」と言うと、普段はしない「大きなうなずき」を返してきた。夫も不安で怖かったのだろう。よく乗り切ってくれたと思う。」(全文)


 
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◆地震・津波対策 「最大級」への備え急げ
中国新聞 2011年9月30日
http://www.chugoku-np.co.jp/Syasetu/Sh201109300096.html
「東日本大震災の教訓を踏まえ、政府の中央防災会議専門調査会が地震・津波対策の最終報告書をまとめた。
 千年に一度の「最大級」の地震まで視野に入れたという。報告に基づき、国は年内をめどに防災基本計画を改定する。自治体も最悪の事態に備え、足元の防災体制を強化する必要がある。
 報告書はまず「いかに逃げるか」に力点を置く。津波到達時間が短い地域では、避難完了までの目安を5分とした。まちづくりの一環として、避難場所や避難路の整備を提案している。円滑な避難を可能にするために、生活圏ごとの入念な点検が求められよう。
 政府が東日本大震災の被災者を対象にした調査では、震災発生直後に避難した人は57%にとどまった。42%の人は家族を捜したり自宅に戻ったりしている。報告書が「迷わず、迅速かつ自主的に、できるだけ高い所に避難することが津波による人的被害を減らす基本」と強調するのは当然だ。
 住民の防災意識の底上げも重要である。日ごろから、高齢者や障害者といった災害弱者の状況を把握しておく必要があろう。地域ぐるみでシミュレーションを重ねられるよう、結束力をどう育むか。少子高齢化時代の課題といえる。
 報告書は、津波警報を携帯電話メールで一斉に速報するなど、伝達手段の多重化・多様化の必要性にも言及した。行政施設や病院などは津波による浸水のリスクがないか、少ない所に建設して機能を維持するよう求めている。
 原発立地地域では地震の震源域など、より詳細な調査・分析が必要との指摘も盛り込んだ。
 太平洋側では今世紀前半にも、駿河湾から四国沖の海底を震源とする東海、東南海、南海の3連動地震が起きると懸念されている。瀬戸内海沿岸に及ぶ津波は満潮時で最大3メートル超の恐れがある。到達時間は山口県の一番早い所で90分との見方がある。
 山陰側は日本海東縁部の地震による津波が多いと知られている。
 地形が複雑なため見極めは困難だろうが、地域ごとに津波の高さや到達時間を想定し、対策を再構築してもらいたい。
 広島県は5月、地域防災計画を見直すプロジェクトチームを設置した。想定を超える規模の津波対応などについて、39項目にわたる課題を洗い出した。
 うち帰宅困難者対策や救援物資の受け入れ搬送、燃料の調達計画など20項目は、国の改定を待たず修正作業に入るという。行政の危機意識と迅速な実行力こそ、被害を食い止める鍵となろう。
 東日本大震災では広域的な避難や支援が求められた。今回の報告書でも、複数の地方公共団体が共同で防災計画の策定に取り組むことを課題に挙げている。
 南海地震が発生すれば大津波による四国への被害が懸念される。中国地方は支援に動かなければならない。自治体間が速やかに連携できるよう、日ごろから役割を明確にしておくべきである。」(全文)


 
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◆クローズアップ2011:中央防災会議最終報告 5分で避難、足りぬビル
毎日新聞 2011年9月29日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110928k0000e040018000c.html
「東日本大震災を受け中央防災会議の専門調査会が28日まとめた最終報告は、津波対策の拡充が最大の柱だ。ハード・ソフト両面の対策を組み合わせることで、「5分程度で避難が完了するまちづくり」を目標に掲げた。実現すれば犠牲者は大幅に減らせるが、実現へ向けた課題も多い。【池田知広、八田浩輔】
 3月11日、宮城県気仙沼市の気仙沼中央公民館の2階屋上には、住民ら約450人が避難した。同公民館は市が指定した「津波避難ビル」。津波は2階まで達し、火災も迫ったが、ヘリコプターなどで全員救助された。
 同市は、浸水想定地域のどこでも500メートル以内に津波避難ビルがあるよう、15カ所を指定していた。東日本大震災では全て浸水したが、屋上まで水没した所はなく、2500人以上の命を救った。
 専門調査会が掲げた「5分で避難完了」の達成には、気仙沼市のような取り組みが必要になる。総務省消防庁の津波対策ガイドラインによると、避難時の歩行速度は毎秒1メートルが目安で、5分間で移動できる距離は300メートルに過ぎないためだ。
 東海地震発生時、5分以内に津波が到達すると予想される静岡県焼津市。津波避難ビルを30カ所指定し、今年度中に数億円かけて津波避難タワー5棟も着工する。震災後は、賃貸マンションなど195棟の協力を得て、災害時に避難者が逃げ込めるようにした。
 それでも避難施設は足りない。海岸線は15・5キロあり、半径300メートルごとに設置するには、さらに数十カ所の避難タワーなどが必要だ。同市の北川雅己・危機管理課長は「市独力で確保するのは難しく、国の財政支援が必要だ」と訴える。
 ◇車利用、渋滞で犠牲者も
 避難方法も課題だ。専門調査会は「5分」達成へ向け、車での避難を状況に応じて認めるとした。仙台市障害者福祉協会副会長で左足が不自由な同市若林区の相沢新弥さん(66)は震災当日、妻の運転する車で最寄りの津波避難所に避難した。歩くと約15分かかり、相沢さんは「5分で避難するには絶対に車が必要」と言う。内閣府が震災で避難した857人に聞いた調査によると、57%の485人が車を利用した。
 ただ、車で逃げた人のうち34%は渋滞に遭遇していた。警察庁によると、岩手県と宮城県で車内から見つかった死者は677人。車外に投げ出された人なども含めると、車で避難中に死亡した人はさらに多いとみられる。
 南海地震で津波被害が懸念される高知県須崎市。今月4日に市としては初めて、想定浸水区域内にあるグループホームに入所する7人を乗用車3台で高台へ避難させる訓練を実施した。市の担当者は「約10分でスムーズに避難できたが、夜間に施設の職員が1人しかいない時などは、車に乗せることさえ難しい」と課題を挙げる。
 同市地震・防災課の楠瀬晃係長は「入所施設からの避難には車が要るし、海に面した山あいの集落では歩いて避難するのは難しい。車を使った避難のルール作りも必要だ。ただ、地震で道路が崩れれば避難できなくなる。車だけでの避難は想定しない方がいい」と話す。高知県南海地震対策課の担当者は「みんなが車で避難すると混乱する。地域ごとに『この人は災害時に車で逃げる』というコンセンサスが必要」と指摘した。
 ◇避難計画なし、45.5% 沿岸自治体、津波対策遅れ
 実は、国は以前から自治体に津波対策を促してきた。93年の北海道南西沖地震の津波被害を受け98年、地域防災計画で津波対策の充実を求める「手引き」を作成。堤防などの整備▽高地移転を含む津波防災のまちづくり▽避難体制−−を組み合わせた対策を求めた。基本的に調査会の最終報告と同様の内容だ。
 だが、財政事情や津波の発生頻度の低さから対策は後回しにされてきた。総務省消防庁の調査(今年1月現在)によると、全国の沿岸648自治体の45・5%で津波避難計画がなかった。岩手、宮城、福島3県でも約3割が未策定。国土交通白書によると、昨年3月末時点で全国の海岸堤防(約1万5000キロ)のうち約17%は想定津波高より低く、約24%は津波高の想定すらない。
 東海、東南海、南海地震に日向灘沖を加えた4連動地震への危機感を強める宮崎県日向市も、津波避難計画がなかった。津波は東南海、南海地震で5メートル以上、連動時は1・5〜2倍になるとの試算もある。市の防災担当者は「土砂災害に力点を置いてきた」と説明する。
 震災当日には、避難計画がなく、国や県との連携も不十分だったことの問題点が露呈した。津波警報発令で沿岸の国道の一部が通行止めとなったが、周辺の市県道は迂回(うかい)した車で渋滞。大きな津波があれば多数の犠牲者を出す恐れもあった。
 同市は年内に海抜を表示した地図を作製する予定で、津波避難ビルの選定に向けた物件の洗い出しも進めている。担当者は「高い建物が少なく対策は容易でないが、避難計画の策定を優先的に行いたい」と話す。
 最終報告は、市町村役場や病院など防災拠点の立地に関し、最大クラスの津波でも浸水しない場所に置くよう求めている。しかし、これらの施設が想定浸水域にある地域は少なくない。「ゼロ」から対策が必要になる地域が多いのが実情だ。
 調査会委員の今村文彦・東北大教授(津波工学)は「ハザードマップや避難計画作成の緊急対策は1〜2年で行う必要がある。5年で重要施設の移動、10年で防潮堤の整備と段階的に実施することが大切だ」と指摘する。」(全文)


 
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◆2011/09/28 東日本大震災:自宅流された全盲の女性…華道再開を目指す
毎日新聞 2011年9月28日
http://mainichi.jp/select/wadai/news/20110928k0000e040018000c.html
「指先の感覚を頼りに華道をたしなむ全盲の女性がいる。岩手県陸前高田市の菊池栄子さん(66)。海から数百メートルの平地にあった自宅を津波で流され、同じく全盲の夫利美さん(70)と仮設住宅で暮らす。作品づくりに励む余裕はないが「家が広くなったら、また始めたいわ。お花は我が子のようなものだから」【豊田将志】
 3月11日は自宅で営んでいたマッサージ・はり治療院の客を送り出した直後、大地震に襲われた。「家がグンと持ち上がったかと思うと、ぐるぐる回り出すようでした」
 津波が来ると直感し、利美さんの肩にしがみついて家を飛び出した。四方八方から聞こえてくるガレキのぶつかり合う音。足首に感じる水の冷たさ。「危ないから、もう少し右に寄って逃げなさい」と声をかけてくれた近くの女性は津波の犠牲になった。周りの助けを借りて山をよじ登って高台の施設にたどりついたころ、誰かが「家が流されていく」とつぶやく声を聞いた。
 視神経が萎縮する病気で視力を失ったのは30歳前。自宅を新築した85年ごろ「自分が生けたお花を玄関に飾れたら」と憧れるようになり、04年末から教授の資格を持つ視覚障害者支援団体メンバーの窪田真佐子さん(57)の指導を受けている。
 指先で剣山の位置を探り、花の形や茎の長さ、太さを確かめる。「空間を把握する感覚に優れています」と窪田さん。震災前は治療院の玄関に飾っていたが「私が生けたと言っても、信じてくれない人が多かった」と笑う。咲いている花に「もう少し散らないでいなさいよ」と声をかける栄子さんを「一人で何を言ってんだ」と冷やかす利美さんは、過去に生けた花の種類や色を点字で記録していた。しかし、資料も津波に流されてしまった。
 4畳半の部屋が二つしかない仮設住宅の暮らしは3カ月を過ぎた。作品を飾るスペースもないが、空き家になっている栄子さんの実家は被災を免れたため、少しずつ準備を整えて引っ越すことも考えている。「やっぱりお花がないと、さみしいものね」。再開した治療院の玄関に花の香りが満ちる日を夫婦で待ちわびている。」(全文)


 
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◆孤立防ぎ生活支援 都内の医師が在宅診療
東京新聞 2011年9月27日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/health/CK2011092702000070.html
「東日本大震災から半年が過ぎた。被災地の医療は震災前の水準には程遠い。避難生活で生活機能が低下した被災者への支援などの課題も山積している。そんな中、都内の医師が「在宅診療で孤立を防ぎたい」と宮城県石巻市内に診療所を設立、地元の期待を集めている。 (安食美智子)
 「調子はどうですか」。石巻市鹿妻地区に住む曽根令子さん(78)と、弟の英郎(ひでお)さん(75)宅を訪れた医師の武藤真祐さん(40)が、二人の問診を始めた。
 数日前に転倒し、目と足を負傷した令子さんが「足が腫れてて硬い」と訴えると、武藤さんは視力や足のむくみなどを確認。「これはリンパ浮腫。だから転びやすい。足を上げたりしないとね」と助言、聴診器で心音などを確認した。
 二人は市営住宅二階に住んでいたが、津波で一階が完全浸水、避難所生活を余儀なくされた。六月から東京都中野区の有料老人ホームで過ごし、九月に帰宅。だが、半年の避難生活で生活機能が低下、二人は「疲れやすくなり通院もおっくう。かかりつけ医は(震災後)待ち時間がかかる」と訴える。
 武藤さんは、東京都文京区で在宅医療診療所「祐ホームクリニック」を経営。今月、石巻市内で第二の規模を持つ同市水明地区の仮設住宅のそばに、二十四時間態勢の診療所を開設した。医師三人のほか、事務職員(運転手含む)五人、看護師二人の計十人で、医師以外は地元採用。「二年以内に地元医師に引き継ぎたい」と語る。
 武藤さんは五月、石巻市などで医療支援に当たった。介護避難所では要介護度が高く段ボールベッドに寝たきりの被災者が目立ち、生活や認知機能の著しい低下が見られた。
 慣れ親しんだ環境を離れ、コミュニケーションも失っていた。「介護避難所が閉鎖する秋以降、どうなってしまうのか。在宅医療で患者を見守る仕組みが早急に必要だ」と決意、六月から準備に入った。
 当初は地元医師の支援を考えたが、被災地の医療再建の現実は厳しかった。「この三カ月で皆、再建をあきらめ、勤務医の道を選んでいた」と武藤さん。被災した開業医の一人は、診療所のがれきの中から患者のカルテを掘り出し、泥をぬぐい再建に全力を注いだが、三カ月後「心が折れてしまった」と断念した。
 石巻保健所管内(同市、東松島市、女川町)では、震災前の二百二十九医療機関のうち、二割の計四十六機関が休・廃止。石巻市医師会の新妻博事務局長は「医師は皆、高齢で二重ローンの不安もあり、再建に踏み出せない」と実情を訴える。
 そうした状況を踏まえ、武藤さんはクリニックの院長に就いた。診療は車で三十分以内の地域に住む高齢者や障害者が対象。石巻赤十字病院やケアマネジャーなどの情報で、十六人の患者を診療する。「在宅医療のニーズは想像以上」という。
 一日平均六〜七人を訪問診療。担当医師の専門外の症状には、文京区のクリニックに在籍する医師がモニターや音声などの通信網を通じて支援。診療所の脇にはホールを設け、「研修や地域のふれあいの場に」と語る。
 市内の避難所は十月で閉鎖、仮設住宅への移行が加速化する。同市健康推進課は「孤独死を引き起こしかねない。医療が完全復旧しない現在、見守りを含めた在宅の支えが必要」と期待を寄せる。
 今後、心のケアや買い物支援などにもつなげていく。「医療は生活の中心になれる。孤立を防ぎ、コミュニティーをつくるのが夢。石巻をモデルに新しい社会のあり方を打ち出したい」と武藤さん。挑戦は始まったばかりだ。」(全文)


 
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◆視覚障害者:災害から守る 県立盲学校・加藤さん講演 /高知
毎日新聞 2011年9月24日
http://mainichi.jp/area/kochi/news/20110924ddlk39040337000c.html
「◇「手を引っ張り逃げれば、緊急性伝わる」
 視覚障害者に対する災害時の情報支援を考える学習会が23日、高知市大膳町の県立盲学校であった。東日本大震災の被災地で視覚障害者の支援にあたっている東日本大震災視覚障害者支援対策本部事務局長の加藤俊和さん(66)=京都市在住=が講演し、「震災が起きたら、視覚障害者の手を引っ張って逃げることが何よりも大切だ」と訴えた。
 近いうちに起こるとされる南海地震の要援護者への対策を多くの人に考えてほしいと市民団体「県視力障害者の生活と権利を守る会」が企画。視覚障害者やケアマネジャーら約30人が集まった。
 加藤さんは視覚障害者らの避難方法について、「普段から周辺の人が要援護者のいる場所を把握することが必要」と述べ、「逃げる時は説明も何もいらない。とにかく家から引っ張り出すこと。視覚障害者も、その状況から何か緊急事態ということを把握できるはず」と説明した。
 また東日本大震災の避難所でトイレが最も大変な問題になっていると指摘。ほとんどの避難所で水が止まった状態で「バケツの水をひしゃくで流すが、視覚障害者にはどれ位の水を、どこにかけるのか、非常に困難な状況だ」と話した。トイレが水浸しになると、視覚障害者のせいにされることもあり、トイレに行かないように飲み食いをほとんどしない視覚障害者もいたという。
 参加した高知市春野町の長崎秀子さん(61)は「災害が起きれば、自分たちが非常に弱者になってしまうことを改めて実感した。近くの人との関係を大切にし、何かあった時に困らないようにしたい」と話していた。【黄在龍】」(全文)


 
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◆自家発電装置 県が購入補助
朝日新聞 MY TOWN 山形 2011年9月24日
http://mytown.asahi.com/yamagata/news.php?k_id=06000001109240001
「◇ 老人保健福祉施設など対象
 災害による停電時でも人工呼吸器などが利用できるよう、自家発電装置を整備する老人保健福祉施設や障害者支援施設に助成する事業を県が始める。県内109施設が申請する見込みで、県議会に提案中の一般会計9月補正予算案に関連経費約6700万円を計上している。
 人工呼吸器や喀痰(かく・たん)吸引器などを使用している入所者がいる施設に対し、電源確保のために自家発電装置を購入した経費(上限900万円)の半額を補助するもの。これから導入予定の施設だけでなく、3月11日の東日本大震災以降にすでに購入したものも助成対象に含める。
 停電による長期間の人工呼吸器の停止は生命に直結する問題だ。停電が起きた4月7日の地震では、尾花沢市の女性が自宅の酸素吸入器が停止したことが原因で死亡。県長寿社会課によると、県内の介護施設などでも、車のバッテリーから急きょ電源を確保するなどして対応した例もあった。震災後、自家発電装置の導入を希望する施設が増えたが、機器の納入に時間がかかり、まだ十分に普及していないのが現状という。
 今回の事業では、県内の老人保健福祉施設163施設のうち、105施設が申請する見込み。障害者支援施設も4施設が予定している。同課は「小型ならば十数万円でも購入できる。制度を導入が進むきっかけにしたい」と話している。」(全文)


 
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◆被災障害者の実態深刻 JDFいわて本部開設 支援へ 団体超えて連携
しんぶん赤旗 2011年9月23日
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-09-23/2011092314_01_1.html
「日本障害フォーラム(JDF)東日本大震災被災障がい者支援いわて本部の開設式が22日、盛岡市中央公民館で行われました。
 同いわて本部の田村幸八代表が開会あいさつをしました。東日本大震災から6カ月へても障害者の生活は厳しい状況に置かれているとのべ「各障害者団体がそれぞれ支援活動を行ってきたが、JDFいわて本部をたち上げて、さらに支援を盛り上げていきたい」と訴えました。
 JDFを代表してあいさつした森祐司政策委員長は宮城、福島についで岩手の支援本部が開設したことで被災3県そろって国に要望できるとのべました。
 各障害者団体からの報告では、震災後、会員の安否確認をするのに苦労したことや、個々の団体の力だけでは支援に限界があり、ほかの団体の協力で助かったことなどが語られました。
 全国脊髄損傷者連合会岩手県支部の日當(ひなた)万一副支部長からは「会員がバリアフリーの仮設住宅を要望したが普通のところに入居させられて、段差があって、フロ、トイレに手すりもないので生活できない」という実態が出されました。
 JDF総合支援本部の藤井克徳事務総長は「岩手の被災障害者の拠点をつくることで団体を超えて連携し、広範な対応ができる」と本部開設の意義を語りました。
(写真)東日本大震災被災障がい者支援いわて本部の開設式=22日、盛岡市中央公民館」(全文)


 
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◆2011/09/20 東日本大震災:あと少しの支援あれば 元養護学校校長、被災の障害者調査 /福島
毎日新聞 2011年9月20日
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110920ddlk07040050000c.html
「◇身障手帳所持、102人死亡
 元養護学校校長が、東日本大震災による障害者の被災状況の実態調査を進めている。県沿岸部の津波被災地を中心に足を運んで31人の当事者や家族から聞き取ったところ、人工呼吸器を装着しているため避難に手間取ったとみられる障害者や、スロープがないため逃げ遅れた可能性のある車椅子利用者がいた。自治体への調査では、身体障害者の死亡率はそうでない人より3割高かったといい、「あと少しの支援があれば。教訓を生かしたい」と切実な思いを語っている。【町田徳丈】
 調査しているのは、00〜03年に県立平養護学校校長などを務めた県点字図書館(福島市)館長の中村雅彦さん(65)。震災後、教え子の安否確認を進めるうち、「ささやかな幸せを感じていた人たちの日常がなぜ奪われたのか」との思いに駆られ、調査を始めた。
 教え子のほか、各地の民生委員らを訪ね歩き、視覚障害8人▽聴覚障害5人▽知的障害9人▽自閉症3人▽車椅子利用6人−−の10〜80代計31人の状況を調べた。このうち知的障害者3人と車椅子利用者2人が亡くなっており、中村さんは家族らの話から「津波が原因だった」とみる。
 車椅子生活だったいわき市の30代男性は、親族が助けに向かったが、目前で津波にのみ込まれた。重さ約4・5キロの人工呼吸器を付けていたが、近隣住民には障害が重いことを知られておらず、避難に手間取ったようだった。同じく車椅子を利用していた浪江町の60代女性は夫の留守中に津波にのまれ亡くなった。夫は「高さ約40センチの玄関から外に出るスロープがなく、戸惑っている間に津波が来たようだ」と涙をこぼしながら語った。
 知的障害がある相馬市の10代男性も、津波の犠牲になっていた。母親によると、いつも一緒にいる祖母が道路に散乱した屋根瓦を片付けていたため、逃げずに自室にとどまったという。中村さんは「軽度の知的障害者は自分で買い物をしたりできるが、災害時に自分で判断して避難するのが難しいことを改めて痛感した」と唇をかむ。
 中村さんはまた、県社会福祉協議会と共同で、新地町からいわき市まで県内沿岸10市町に、身体障害者手帳を持つ障害者のうち、6月末時点での震災死者数や障害の種別を尋ねた。
 10市町の昨年10月時点の人口は52万7639人で、震災死者は1673人。身体障害者手帳の所持者2万5577人(昨年4月時点)のうち亡くなったのは102人。死亡率は0・40%で、持っていない人の0・31%の1・3倍だった。102人の内訳は身体障害60人▽内部障害(心臓、腎臓、呼吸器の疾患など)26人▽視覚障害10人▽聴覚障害6人。このほかに知的障害者9人と精神障害者7人も死亡していた。
 調査は今も続けており、「障害者がいる家庭に普段から声をかけるなど支援システムの構築が急がれる」と中村さん。「知的障害者に小さな時から『海のそばにいて地震があったら津波が来る。すぐ高台に逃げて』と繰り返し教える必要がある」と悔やむ。調査結果をまとめて、教育、行政の現場で共有したいという。」(全文)


 
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◆2011/09/20 福島の障害児親子が神戸へ 支援団体が招待
神戸新聞 2011年9月20日
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004483142.shtml
「東日本大震災20+ 件で被災した、福島県いわき市の自閉症の男児とその家族が17〜19日、神戸を訪れ、須磨海岸や六甲山などでリラックスした時間を過ごした。
 関西に滞在して疲れを癒やしてもらおうと、神戸市内などの障害者20+ 件支援団体で作る「神戸ユニバーサル研究会」が企画。いわき市の永山和子さん(42)が応募した。
 長男の拓樹君(11)は自閉症で、弟の智之君(10)と一緒に同市内の小学校に通う。放射線量も比較的低く校庭も使えるが、土は触らないよういわれ、運動会もビニールシート上で行った。
 和子さんは「低量でも長期的な影響は分からないし、大きな余震のときに長男だけで身を守れるか不安。でも県外避難は経済的にも精神的にも厳しい」と悩む。
 この3日間は神戸市灘区内のマンションに滞在し、専門家に心のケアを受けながら心身を休めた。震災20+ 件後初めて家族で新鮮な魚を使った手巻きずしを食べたといい、和子さんは「心配は尽きないけど、頑張ります」とほほ笑んだ。
 同会は今後も受け入れを続ける予定で、神戸ユニバーサル研究会の田伏高治代表(38)は「被災者が前を向く手助けをしていきたい」と話した。
(広畑千春)」(全文)


 
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◆【群馬】「災害弱者」が見た大震災 福島の障害者支援施設長 高崎で講演
東京新聞 2011年9月14日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20110914/CK2011091402000072.html
「福島第一原発事故に伴い、高崎市へ集団避難している障害者支援施設「光洋愛成園」(福島県富岡町)の寺島利文施設長が十三日、同市高松町の高崎シティギャラリーで講演し、「災害弱者」の視点からこの半年間を振り返った。
 施設は原発から約十キロの警戒区域内にあり、四月十五日から入所者約七十人と職員約三十人が、同市寺尾町の国立重度知的障害者総合施設「のぞみの園」に避難している。
 講演は同園が主催した福祉セミナー「災害時における知的・発達障害児者の支援について」の一環。全国各地から施設や行政の担当者や保護者ら計約三百人が来場した。
 寺島施設長はまず、三月十一日の地震発生直後の防災無線が施設では聞こえなかった実態を指摘した。
 一行は翌日施設から逃げたが、既に健常者で混雑した避難所二カ所には入れず、午後五時半ごろのおにぎり一つずつがその日最初の食事に。寺島施設長は「避難所は弱者に対して、決して優先ではなかった」と強調した。
 その上で「各県にのぞみの園のように、障害者を集団で受け入れられる福祉向けの避難所を用意してほしい」と求めた。
 また「三月十一日から自分の時計は止まったまま。戻れる時期が分からないのがつらい」と苦しい胸の内を明かした。 (菅原洋)」(全文)


 
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◆再興への道:東日本大震災から半年/3 福祉避難所を広域整備へ /茨城
毎日新聞 2011年9月13日 地方版
http://mainichi.jp/area/ibaraki/news/20110913ddlk08040146000c.html
「「茨城県沿岸に津波警報発令。大至急、高台に避難せよ」。3月11日、東日本大震災発生から3分後の午後2時49分。大洗町内の45カ所に配置されたスピーカーと全世帯、全事業所に配布された戸別受信機に、町消防本部からの避難命令が流れた。高さ最大4・2メートルという、誰も体験したことのない大津波。「自宅に絶対に戻らないでください。津波は繰り返し襲ってきます」。注意を呼び掛ける声が町内に響き渡った。
 沿岸から約400メートルの高台にある指定避難所の町立南中には、約500人が避難していた。高齢者の姿が目立った。「仮設トイレは段差が高く、年寄りで足が悪い私のような人間には利用できない」。城戸幼子さん(81)がつぶやいた。脊椎(せきつい)に腫瘍ができ、つえをついて歩いていた女性(76)は、体を伸ばすスペースがなく、丸24時間座りっぱなしだった。
 高齢者、障害者など一般の指定避難所での生活が困難な被災者のため、国は「福祉避難所」の指定を全国の自治体に推奨している。
県内で指定している自治体は8市2町1村(3月末現在)。
 県は震災を受け、「一般の避難所では対応が不十分だった」(福祉指導課)として、高齢者や障害者などの要援護者の避難計画を早期に策定するように各自治体に通知。これを受けて自治体側も動き出した。
 笠間市はバリアフリーなどが整備された市内の民間社会福祉施設22施設全てと、災害時に福祉避難所として施設を利用できるとする災害時協定を締結。震災前から福祉避難所を指定していた取手市も、福島県から避難してきた介護の必要な高齢者をケアしきれなかった経験を踏まえ、福祉施設との災害時協定締結の検討を始めた。
 ただ、大洗町の体験は、従来のように自治体単位で福祉避難所を整備するだけでは済まない側面を浮かび上がらせた。
 自治体が社会福祉施設との災害時協定締結を目指すのは、高齢者や障害者のケアに適した環境が整っているからだ。しかし、南中に押し寄せた避難者の中には、社会福祉施設3施設の入所者が相当数いた。町福祉課は「大災害では、町内の施設だけでは要援護者への対応をしきれないかもしれない」と話す。
 県福祉指導課も「大災害に備え、広域的なシステムを作っていく必要がある」と認める。既に福祉避難所指定に関するアンケートを各市町村を対象に実施しており、今後結果を分析し、指定を呼び掛ける方針だ。【杣谷健太】=つづく」(全文)


 
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◆生活訓練で前向きに 神戸へ避難の視覚障害者夫婦
神戸新聞 2011年9月12日
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0004460908.shtml
「福島県南相馬市から神戸市内に避難している視覚障害の夫婦が、神戸市西区曙町の神戸視力障害センターで、音声パソコンや点字訓練に取り組んでいる。土地勘のない神戸で家に閉じこもりがちになり、孤立感を深めていたが、センター入所後は目標を持つことができた。東日本大震災から半年。不安もあるが、少し前を向けるようになった。
 南相馬市でマッサージ治療院を営んでいた西村隆さん(54)と妻の恵美子さん。福島第1原発事故で緊急時避難準備区域となって介護ヘルパーの派遣も中止。兵庫県内に住む長女を頼って4月下旬、神戸市西区の市営住宅に入った。
 神戸では介護ヘルパーが訪ねてくれるが、慣れない土地では外出もしづらい。支援団体から送られてくる情報紙を読むことができず、福島の状況を少しでも知ろうとテレビやラジオを流しっぱなしの日々が続いた。南相馬市に連絡すると、「ヘルパーがおらず戻らない方がいい」と言われた。
 「1年間は神戸で暮らそう」。先が見えない中、そう決意したころ、生活訓練が受けられる視力障害センターが神戸市内にあることに気づいた。6月下旬に夫婦で入所し、センターの寮で暮らし始めた。
 被災前は取り組めなかった音声パソコンや歩行訓練、点字を学ぶ。恵美子さんは「若くないから覚えることは大変だけど、点字で書いた文を人に見てほしい」。隆さんも「一人でスーパーや散歩に行けるようになることが楽しみ」と、それぞれの目標を持った。
 震災から半年がすぎ、南相馬の自宅周辺は店舗が再開。介護ヘルパーも戻ったと聞くが、緊急時避難準備区域のままだ。地震直後は水道と電話が止まり、誰にも助けを求められなかった。群馬県に一時集団避難した恵美子さんには、避難所で掃除や物資仕分けを手伝えず、集団生活になじめなかった苦い思いがある。
 「避難が必要になったとき、また孤立するかと思うと戻れない。私たちが帰れるのは一番後でしょう」と隆さん。先の見通しは立たないが、夫婦は「センターでほかの入所者と話し、新しいことを教えてもらえる。以前よりは明るくなれた」と笑顔をみせた。(若林幹夫)
写真:妻とともに福島県南相馬市から神戸に避難した視覚障害者の西村隆さん。音声パソコンを学んでいる=神戸視力障害センター」(全文)


 
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◆東日本大震災:半年 もしも願いがかなうなら…帰りたい 宮城からの避難一家 /岐阜
毎日新聞 2011年9月11日 地方版
http://mainichi.jp/area/gifu/news/20110911ddlk21040024000c.html
「◇安定しない生活、不安なお大きく
 「震災前の生活に似せようとするんですけど、やはりどこか気持ちがついて行けなくて」−−。東日本大震災から11日で半年。宮城県気仙沼市で被災し、夫(57)や長女(11)、長男(10)とともに岐阜県内で避難生活をしている女性(48)は、そう言ってため息をついた。日常生活を取り戻そうと努力しても、先が見通せない不安はあまりにも大きい。【石山絵歩】
 あの日、女性は知的障害のある長男の面談のため高台にある特別支援学校にいた。津波が来ると聞いて長女らと合流しようと車を走らせたが、渋滞で短いトンネルを抜けるまで40分もかかった。抜けた先の道路脇では火の手が上がり、町は変わり果てていた。
 道路は通行止めになり、3日間を避難所や車の中で過ごした。ようやく夫や長女と再会。まだ燃え続ける民家の間を家族4人で手を握り合って歩いた。自宅に戻ると、家の屋根には津波で流されてきた船があり、2階に車が突っ込んで止まっていた。「子どもの前で泣いてはいけないと思うのに、涙が止まりませんでした」
 5月末、親戚が暮らす岐阜県に引っ越した。環境の変化にことさら敏感な長男と多感な時期の娘を思い、気仙沼市にとどまりたかったが、仕事を見つけるための決断だった。
 引っ越してきた当初、前の学校の写真アルバムを一日中眺めていた長男は、最近はアルバムを見なくなった。夫の仕事も決まり、県内での生活は安定し始めている。ただ、雇用契約の期限がくれば新たな仕事を探さなければいけない。「仮の生活でしかないから、時間が前に進んでいるとは思えなくて……」と女性は漏らした。
 長女も不安を胸の内に抱えている。一日も休まずに登校しているが、「気仙沼に戻れないかも」と両親がつぶやくと落胆した表情をするという。
 震災に関する質問をしても口をつぐんでいた長女に「もしも一つだけ願いがかなうなら?」と問いかけてみた。すると「帰りたい」とつぶやき、その後、気仙沼市の友達とトランプをした思い出や、土日にこっそり友達に電話するのが何よりの励みだと笑顔で話してくれた。
 県の集計では、県内で暮らす避難者は10日現在で福島、宮城、岩手など7都県からの計392人。県内にいつまでとどまるか決まっていない人も多い。女性は「いろんなところでいろんな人が一生懸命生きている。不安ばかりじゃないと信じたいです」と祈るように語った。」(全文)


 
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◆大震災半年:仮設暮らし、積もる課題 ほころび始めた共同体
毎日新聞 2011年9月11日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110911ddm003040136000c.html
「東日本大震災から半年が経過、被災者の多くは避難の場を仮設住宅に移した。復興の先行きが見えず、仮設住宅暮らしが長期化する可能性もある中、コミュニティーづくりや生活環境の確保は大きな課題だ。被災者は厳しい生活を送るが、過去の震災で指摘された孤独死や健康悪化を防ぐため、独自の取り組みも始まりつつある。
◇大規模施設、見えぬ隣人
 岩手県大船渡市猪川町の総合公園仮設住宅団地。県内最多の308戸が建ち並び、市外からの入居者も多い。
 「どこに誰が住んでいるんだか、訳が分からない」。市内で被災した新沼枝美子さん(82)はため息をつく。部屋は団地の出入り口から遠く「歩くだけで疲れてしまう」と話す。
 夫と入居する陸前高田市の門間サツキさん(67)は「夫しかしゃべる相手がいない」。たまにバス停で知った顔を見かける程度で、「都会のマンションみたい」と苦笑する。
 市は当初、同じ地域の住民がまとまるようにしていたが、次第に個別の申し込みに応じて空いた部屋を割り振るようになった。自治会もなく、市の担当者は「作るかは住民が決めることで、こちらはきっかけ作りをするしかない」と話す。
 一方、大槌町の安渡(あんど)地区にはわずか7戸の仮設住宅団地がある。入居者は全員、同じ安渡地区の住民で顔見知り。小国勇さん(69)は妻と長男との家族3人で暮らし、「大人数よりまとまりがいいんじゃないの。知っている人ばかりだから、話もしやすい」という。【市川明代、神足俊輔】
◇点在する「みなし仮設」
 行政が民間賃貸住宅を借り上げる「みなし仮設住宅」の入居戸数が8200戸と、仮設住宅入居戸数の6倍以上に達する仙台市。市内各所に点在するみなし仮設で暮らす住民らは自ら、コミュニティーを保つ方法を模索している。
 被害が大きかった同市若林区荒浜地区。自宅を失った会社経営、河野哲さん(46)らは地区を離れてみなし仮設に入った住民向けにブログを開設した。仮設住宅であるイベントや復興への動きを紹介し、県外からの問い合わせも多い。
 河野さんは4月、父親の介護のため避難所からみなし仮設のアパートへ。物資配給や医療などの支援情報を得る機会を失い、情報を求めて仕事の合間に避難所や仮設を回った。「同じように孤立している人がいるはず」とブログを思いついた。
 住民でつくる荒浜復興まちづくり実行委員会が地区の全737世帯中507世帯から回答を得たアンケートでは、入居先は仮設が2割、みなし仮設が6割。ブログは好評だが、ネットに縁遠い高齢者もいる。河野さんは「荒浜から遠いマンションに入り、顔なじみがいる仮設になかなか足を運べない高齢者もいる。復興への思いを一つにできる場にしたい」と話す。【堀智行】
◇他地域へ移転、募る孤独
 福島県では原発事故のため、住み慣れた土地を離れ、気候風土が異なる地域に建てられた仮設住宅に多くの住民が入居している。同じ自治体内での入居に比べ、不安や孤独感が増す可能性もあり、自治体もコミュニティー維持に腐心している。
 全町避難する大熊町は、21の行政区ごとにまとまって入居する形式にした。だが、沿岸部の大熊町と違って雪が多い会津地方で冬を迎える不安などから、入居のキャンセルが続出。住民が他地方に流れて分散し、コミュニティー維持が懸念される事態になった。
 市内23カ所に仮設住宅を建設した南相馬市は、各仮設住宅に自治会設立を呼びかけた。13自治会が発足し、会長を中心に市への要望や意見をとりまとめたり、持病を抱えた高齢者の薬を手配して被災者の孤立を防ぐ。
 県が16カ所で進める高齢者サポート施設整備も住民交流を促し孤独死を防ぐ取り組みだ。5日に富岡町と川内村の約300世帯が暮らす郡山市の仮設住宅に第1号がオープン。県は支援強化のための連絡会議を設置、対策の検討を始めた。【福永方人、神保圭作】
◇「高台」高齢者に厳しく
 内陸部の高台に建つ仮設住宅では、車を運転できない高齢者が「交通弱者」に追い込まれている。
 宮城県塩釜市伊保石(いぼいし)の仮設住宅で避難生活を送る女性(70)の悩みは、約2キロ離れた中心部の病院へ往復で約3000円かかるタクシー代だ。2カ月に1度の障害者年金約10万円のうち、5万円以上を占める。「こんなギリギリの生活が続くのだろうか……」
 36歳の時に遭った交通事故の後遺症に苦しみ通院が欠かせない。震災前に住んでいた同市新富町のアパートは病院も近く、3万5000円の家賃は月約4万円の生活保護と障害者年金で賄えた。だがアパートは被災。中心部で家賃が同程度の物件はなく、仮設住宅に入るしかなかったが、入居に伴い生活保護は打ち切られた。障害者や介護が必要な高齢者向けにタクシー代の一部補助制度があるが、仮設入居だけでは対象にならず、市長寿社会課は「助成拡大は財政的に難しい」。タクシーの領収書を保管する女性は「どうにか補助してほしい」と話す。
 一方、岩手県釜石市は東京大と連携し、高齢者ケアや医療体制を充実させ、商業施設も設置する先進的な仮設住宅を同市平田の平田総合公園に設置した。玄関が全て同じ方向を向いている一般的な仮設住宅と異なり、玄関を向かい合わせにするなどコミュニティーづくりを促す工夫もされている。
 高齢者が入る「ケアゾーン」60戸▽子連れ世帯が入る「子育てゾーン」10戸▽「一般ゾーン」170戸−−の大型仮設住宅。中心には高齢者の通所施設があり、民間介護事業者が24時間の見守り態勢をとる。診療所も月内には開設予定だ。
 3人の子供と子育てゾーンに入居した上野里恵さん(30)は「通所施設が始まったら職員として働きたい」と話す。ただ、9月の予定だったスーパーの開店は11月にずれ込んだ。妻と入居した柏木功好(かつよし)さん(68)は「生活にはスーパーが欠かせない。買い物に行く足が無く、車を買った」と少し不満そうだ。
 東大高齢社会総合研究機構の小泉秀樹准教授は「仮設住宅にもある種の『豊かさ』が必要。医・職・住がある『仮設の街』として、まちづくり協議会があるとよい」と自治組織設立を提案。9月中にはブロックごとにリーダーを選ぶという。【宇多川はるか、池田知広】
◇入居率87%−−被災42市町村・本紙調査
 岩手、宮城、福島3県の沿岸37市町村と原発事故で避難措置がとられた5市町村の計42自治体に対する毎日新聞の調査では、予定の93%にあたる計4万6627戸の仮設住宅が完成した。ただ、入居戸数は4万467戸で入居率は87%にとどまる。完成率、入居率とも福島県が最も低く、古里から離れた地域での整備や入居の困難さを表している。
 今回の震災では、被災者が入居した民間賃貸住宅の家賃が一定以下の場合、仮設住宅として扱い、行政が費用を負担する制度が実施された。
 42市町村のみなし仮設住宅は計3万9346戸に上る。宮城、福島では「みなし仮設住宅」入居者が、通常の仮設住宅入居者よりも多くなった。
 仮設住宅の設置は原則2年3カ月まで。それまでに自宅再建が難しい被災者のために、恒久的な災害公営住宅(復興住宅)の建設が必要になる。だが、現時点で42市町村で建設の計画があるのは2205戸にとどまっている。【北村和巳】
◇仮設住宅の完成・入居状況と復興住宅の建設予定戸数
       完成戸数  完成率  入居戸数  入居率 みなし仮設入居戸数     復興住宅
◇岩手
洋野町       5 100%     5 100%         5        0
久慈市      15 100%    15 100%        69        0
野田村     213 100%   189  89%        84       未定
普代村       0    −     0    −         0        0
田野畑村    182 100%   173  95%        24      100
岩泉町     143 100%   121  85%        17       未定
宮古市    2010 100%  1680  84%        70       未定
山田町    1940 100%  1882  97%       301      120
大槌町    2106 100%  2011  95%       126       未定
釜石市    3164 100%  2693  85%       432       未定
大船渡市   1801 100%  1725  96%       721      270
陸前高田市  2197 100%  2132  97%       無回答      無回答
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小計    13776 100% 12626  92%      1849      490
 ◇宮城
気仙沼市   2776  80%  2574  93%      1412      無回答
南三陸町   2195 100%  2105  96%         0       未定
石巻市    6113  84%  4447  73%      5720      調査中
女川町     959  75%   941  98%       393      調査中
東松島市   1727 100%  1585  92%      1219      800
松島町       0    −     0    −        51        0
塩釜市     206 100%   200  97%       220      300
利府町       0    −     0    −        53 整備基準満たさず
七ケ浜町    421 100%   409  97%       149       未定
多賀城市    373 100%   351  94%      1154       未定
仙台市    1505 100%  1237  82%      8200      600
名取市    1104 100%   969  88%      1037      検討中
岩沼市     384 100%   380  99%       318       未定
亘理町    1126 100%  1072  95%       652        0
山元町    1030 100%  1001  97%       697      調査中
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小計    19919  95% 17271  87%     21275     1700
 ◇福島
新地町     573 100%   573 100%        59       未定
相馬市    1500 100%  1190  79%       275       未定
南相馬市   2000  66%  2000 100%      3618      調査中
浪江町    2847 100%  1950  68%      3269      未精査
双葉町     755 100%   204  27%       無回答        0
大熊町     612  48%   545  89%      2168       未定
富岡町    1248  67%   969  78%      2848       未定
楢葉町     817  68%   767  94%      1377       未定
広野町     375  54%   365  97%       781       15
いわき市    189 100%   152  80%      1267       未定
飯舘村     665 100%   575  86%        未定       未定
川俣町     230 100%   194  84%         0        0
葛尾村     440 100%   405  92%       190        0
田村市     360 100%   360 100%       240        0

川内村     321 100%   321 100%       130        0
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小計    12932  87% 10570  82%     16222       15
合計    46627  93% 40467  87%     39346     2205
 ※みなし仮設住宅は、仮設住宅として行政が借り上げた民間賃貸住宅」(全文)


 
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◆東日本大震災:仮設の身障者不安 「夜に何か起きたら…」
毎日新聞 2011年9月10日
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110911k0000m040079000c.html
「身体障害者向けにつくった岩手県大船渡市のバリアフリー型仮設住宅で8月、1人暮らしの60代女性が転倒して顔を負傷し、入院した。この仮設住宅(計6戸)は入居済みの3戸のうち2戸で車椅子の利用者が1人で生活を送っている。女性が転倒した際には、近くの人が偶然、これに気づき救急車を呼んだが、別の入居者は「もし誰も助けてくれなかったら」と不安を募らせている。
 この仮設住宅は身体障害者がいる世帯に限って入居できる。大船渡市盛町の佐倉里(さくらり)公園内にあり、段差をなくした通路やスライド式の玄関など、車椅子の利用者が移動しやすいよう配慮がなされている。道路を挟んでスーパーもあり、買い物も便利になっている。
 入居者らの話では、負傷した女性は8月13日夕、居間から手を伸ばし、外に干していた洗濯物を取り込もうとしたところ、体勢を崩して地面に転倒。砂利に顔を強打した。近くの公園にいた人が見つけ、女性は救急車で病院に運ばれた。女性は5日間、入院した。
 仮設住宅の床から地面までは約55センチあり、あごに痛々しい傷痕が残る女性は「不注意だった私にも責任がある。今後の参考にしてほしいけど、住まわせてもらってるだけでも感謝しなきゃ」と遠慮がちに話す。
 ただ、同じ造りの仮設住宅に夫(55)と2人で入居している別の女性(45)は「誰も気づかなかったら、どうなっていたか。市に『何かあった時に、すぐ連絡がつながるような仕組みを整えて』と頼んだけど『難しい』と言われた」と話す。この女性は6年前、リンパ浮腫を患い、歩くのが難しいが、夫が日中は仕事に行っているため、1人で過ごす時間が長いという。
 身体障害者のいる世帯のみを対象とするバリアフリー型仮設住宅は岩手、宮城、福島の被災3県で大船渡市だけにしかない。市の要望でバリアフリー型仮設住宅を建てた岩手県は今回の事故後、木製のベランダを設けた。市などの「運営支援員」も1日数回、各戸を訪問するようになった。
 市都市計画課の担当者は「支援員を増やすなり、社会福祉協議会などの協力で入居者らのコミュニケーションを深めていくしかないのでは」と話すが、民生委員(66)は「夜間に何か起きた時、どうすればいいかなど課題は残っている」と指摘している。【豊田将志】」(全文)


 
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◆被災地の手話通訳活動を聞く防災講演会
伊那MYウェブニュース 2011年9月10日
http://inamai.com/news.php?c=kyofuku&i=201109101931290000044211
「東日本大震災の被災地で活動した手話通訳者の話を聞く防災講演会が10日、箕輪町の地域交流センターで開かれました。
 上伊那聴覚障害者協会など5団体が開いたもので、およそ50人が講演を聞きました。
 講師は、松本保健福祉事務所の専任手話通訳者、山田良子さんです。
 4月23日から27日までの5日間、宮城県名取市に派遣され、耳の不自由な人から体の具合や家の状況などの聞き取りをしました。
 山田さんは、日頃近所付き合いをしていたのに、津波が来た時に声を掛けてもらえなかった人の話を紹介し、「一番の問題は情報が入ってこないこと。耳の不自由な人達が震災によって受けた心の傷は健常者より深い。心のケアが必要」と話しました。
 また、避難所では、情報が入ってこない、プライバシーの問題などで生活できず、耳の不自由な人達が自宅や知り合いの家に移ってしまったことを話しました。
 山田さんは、「この状況を考えてほしい。福祉避難所という言葉をよく聞くけれど、全ての障害者を満足させる施設である必要がある」と話していました。」(全文)


 
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◆いま、被災地は:岩手でボランティア体験/中 陸前高田、大船渡を再訪 /佐賀
毎日新聞 2011年9月10日 地方版
http://mainichi.jp/area/saga/news/20110910ddlk41040422000c.html
「◇「忘れない」心に誓う
 ボランティア活動などのため9月1日から東日本大震災被災地の岩手県に入った。2日目は台風12号の影響で災害支援活動が中止になった。このためレンタカーを使い、5カ月前に取材でお世話になった人、場所を再訪した。
 全世帯の7割以上が被害を受けた陸前高田市にある障害者施設を運営する法人の菅野正明理事(53)と再会した。同法人は震災で、市街地で完成直後のケアホーム(障害者が支援を受けながら共同生活を送る施設)が津波で流された。一時は、利用者約30人が行き場を失った。
 現在は雇用促進住宅に一部の利用者が入居。仮設グループホームの準備も整い、生活再建は始まりつつある。
 ただし懸念もある。仮設グループホームのある場所は市街地から遠く、利用者が楽しみにする買い物は十分にできない。住環境が変化したことへの不安も強く、菅野さんは「できるだけ震災前の環境を整えてあげたい」と話す。
 5カ月前の取材期間のほとんどを過ごした大船渡市。中心部の公園に、障害者のための仮設住宅が建っていた。入り口にスロープが付き、玄関には段差がない。「バリアフリー設備」だが、入居者をサポートする支援員の女性は「入居者の気持ちが分かってない」と怒りの声を上げた。
 理由は、約25センチある浴室入り口の段差。車いす利用者はもちろんのこと、足腰の弱った高齢者にも恐怖感がある高さだ。入居している車いすの男性は「あきらめてっけどなあ」と自宅の風呂を使わず、週2日あるデイサービスの入浴介助を頼りにしている。
 「建てて人が入れば終わり、では済まないことがよく分かった」と支援員の女性。「入居者は『言っても苦情としか受け止められないから』と主張を抑える。どう支えてあげられるのだろう」と苦渋の声を漏らした。
 「久しぶりに見て、どうだい?」。公園近くの商店街で呉服店を営む鈴木義博さん(64)が声をかけてきた。迷いながら「少し、整いましたか」と答えると「毎日見てるからよく分からないんだよなあ」と視線を遠くに移してつぶやいた。
 被災地で暮らす人々の生活に「終わり」はない。住民は、目の前の一日を積み重ねることに必死だ。生活再建の道のりは半年、1年という「節目」でかなうものでない。現地にいると、「復興」という言葉は、空々しさすら感じてしまう。
 「忘れられるのがね、一番さみしい、悲しいですよ」。別れ際、菅野さんは漏らした。「忘れません」。私は目を見て言葉にし、心に誓った。【蒔田備憲】」(全文)


 
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◆栃木で備える:震災半年/8 「給水弱者」支援 /栃木
毎日新聞 2011年9月10日 地方版
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20110910ddlk09040199000c.html
「◇近所の情報共有がカギ 役所の配布能力に限界
 「給水車まで行けない」「重い水が持てない」−−。最長で4月末まで断水した地区があった矢板市。給水車を配置したが、市役所には連日悲痛な「給水弱者」の声が届いた。
 ある高齢者の夫婦。妻(76)はほぼ寝たきり、夫(75)も腰を痛め、運転免許証はない。給水ポイントまで車なら10分だが、自転車で重い水を運ぶのは無理だ。夫婦は地区の民生委員女性(64)に要望し、2日に1度、水を運んでもらった。
 女性は震災直後、自分の担当のうち、特別に支援が必要な障害者など12世帯を見回った。要望はこの夫婦を含めて5世帯からあったという。タンクを車に積み、来る日も来る日も給水の列に並んだ。
 この後、女性は市の高齢者台帳を基に、改めて担当の170世帯を一軒一軒訪れた。元気と思った高齢者でも寝たきりの人がいた。「給水弱者」を見落としていたことになるが、「全世帯の給水支援はとてもできない」。
 別ルートでの支援もあった。同市の消防団員(42)。団の役割は断水地区に生活用水を送ることだったが、顔見知りの80代女性のため個人的に水を運んだ。「団員になり福祉の気持ちは日常的に持っていたから」と話す。
 市役所では要望を受け、給水車が各住宅を回る方式も検討したが、見送った。市上下水道事務所の担当者は「(細かな運行管理を)手配する職員が足りなかった」と話す。市福祉高齢課では、地域包括支援センター職員の派遣も手配したが、届くのは早くて翌日。市の支援能力の限界を超えていた。市の担当者は「民生委員らには活躍してもらったが、もっと近所の力が必要だった」と振り返る。
 市は震災後、近所の人に高齢者を支援してもらう「声かけふれ愛隊」などの結成を後押し。市内68地区のうち30地区で誕生した。だが、給水を手助けした民生委員が担当する地区にはまだない。地区の会議では「高齢者がいるという個人情報を、近所の人々に開示してよいものか」と結論が出せなかった。
 一方、消防団は毎年2回、女性団員が消防設備確認で独居高齢者を訪問するが、付き合いはこの時限りだ。知り合いの女性に水を運んだ団員は「高齢者リストがあればもっと手助けできた」と話す。
 高齢化で災害時だけでなく普段の生活も困難な世帯は増える一方、民生委員や消防団など地域の生活を守る担い手は不足している。限られた力を結集させるための情報共有や、地域の優先順位を決める合意形成が、今後の課題のようだ。基盤には、やはり近所づきあいが欠かせない。【泉谷由梨子】=つづく」(全文)


 
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◆大震災半年:被災地首長アンケート(その2止) 財源難、再建の壁
毎日新聞 2011年9月10日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110910ddm010040025000c.html
「□復興の障害・課題
 ◇福島、見えぬ道筋
 復興へ向け最大の障害や課題を一つ選んでもらったところ、「財源」が26人で6割を占め、震災3カ月時点のアンケートより3人増えた。岩手は4分の3の9人、宮城は9割超の14人に上った。
 菊地健次郎・多賀城市長は「産業再興や居住地確保、避難道路整備に多額の経費を要し、職員数も限界があるため、アウトソーシングも視野に入れている」と答えた。柾屋伸夫・普代村長も「早く漁業再建に支援策を実施したいが、財源が乏しく事業化できない」とし、伊達勝身・岩泉町長は「学校移転先用地を確保する財源について国の方針が定まらない」と不満を示した。一方、戸田公明・大船渡市長は「集団移転などを巡り、個々の考え方、希望、利害関係などが絡み、最も時間がかかるのではないか」として、「住民の合意形成」を挙げた。
 福島の10人は「原発事故」を挙げた。山田基星・広野町長は「事故の収束、除染が前提」、遠藤雄幸・川内村長も「放射能汚染が全てに影響する」と指摘。「放射能汚染で帰還可能な時期が不透明」(馬場有・浪江町長)、「事故収束、放射線量、除染の実証など、時間軸、エリア軸ともに確定できない」(渡辺利綱・大熊町長)など、いまだ復興に向けた道筋がはっきりしない実情も浮かんだ。
写真:震災から半年がたとうとしているが、いまだに復興の姿が見えてこない岩手県陸前高田市内。一面が水浸しのままだ=2011年9月8日、岩下幸一郎撮影
 □集団移転・まちづくり
 ◇都市機能集約を評価
 津波被害を受けた地区の再生方法として、高台や内陸への集団移転を「積極的に住民に提案して進める」としたのは3割余りにとどまった。県別では岩手3人、宮城5人、福島4人だった。
 佐藤仁・南三陸町長は「住まいは高台へ」と明確に回答。国に対し「高所移転や、その財源確保について考え方や具体的な制度がよく見えない」と注文した。斎藤俊夫・山元町長も「移転を進めながら、新たな市街地を形成する」と答えた。
 「希望が強い地域のみ限定的に行う」と答えたのは岩手3人、宮城4人、福島2人で、「積極派」と拮抗(きっこう)。阿部秀保・東松島市長は「震災直後から沿岸部住民を中心に要望が出されている」とした。沿岸部を中心に1万9334戸(5日現在)が全壊した石巻市の亀山紘市長は「国の全額補助と移転要件の緩和が必要で、実現には大きな壁があり慎重に見極めたい」と課題を指摘した。
 自治体内に適地がないなどの理由で、岩手1人、宮城2人は「同じ場所での再生を進める」と回答。平野部の市街地が壊滅的被害を受けた陸前高田市の戸羽太市長は「(住民に)アンケート中」と答えた。
 政府の復興基本方針は「高齢者や子ども、女性、障害者などに配慮したコンパクトで公共交通を活用したまちづくり」を掲げた。有識者の間でも、高齢化や人口減少に対応した都市像のモデルとして整備に期待がある。
 「ぜひ採用したい」と答えたのは宮城5人と福島2人。渡辺敬夫・いわき市長は「効率的な都市機能の集約は震災以前から掲げている。以前に増してコンパクトで公共交通を活用したまちづくりは不可欠」と強調した。
 「可能なら採用したい」は岩手7人、宮城8人、福島8人の23人。戸田公明・大船渡市長は「コンパクトなまちづくりを進めるため、息の長い話だが、町や集落の中心部に人口が集まるよう施策を進めたい」。野田武則・釜石市長は「市の基本的な考えと合致」と答えた。「採用しない」は岩手の4人だった。
 □復興計画
 ◇全自治体、年度内策定を予定
 自治体の復興計画について聞いたところ、全てが今年度中の策定を予定していた。久慈市が7月22日に策定するなど、既に4市町が計画を打ち出している。計画実施期間を10年前後とするところが多く、完了時期は最長が22年3月、最短が16年3月だった。
 毎日新聞は震災から4カ月時点でも、今回対象の42市町村のうち沿岸部の37市町村に復興計画についてアンケートした。その際「未定」とした福島の4自治体も策定予定時期を示す一方、当時の見通しより作業が遅れている自治体が9あった。
 策定予定を2カ月遅れの9月末とした大船渡市は「国の復興に関する制度の詳細や財政支援措置が不明確で、責任ある復興の道筋を示すには不確定要素が多い」と回答。1カ月遅れの10月中旬とした名取市は「策定会議で土地利用計画に関し時間を要した」とした。
 復興にかかる総費用を示したのは8自治体。これだけでも計2兆8591億2500万円に上る。算定していないところも含め、12自治体が国の100%負担を求めた。
 津波被害地の再生を巡り、15自治体が高台や内陸への集団移転を想定している地区数などを回答した。現段階では少なくとも計141地区、計約5240戸。7自治体が地盤かさ上げを想定している地区数などを答えた。
 □原発政策
 ◇「将来は全廃を」36%
 今後の原発政策については、36%の15人が「脱原発を進め、将来的に全廃すべきだ」と答えた。ただ県別でみると、福島は15人のうち過半数の8人に上る一方、宮城は1人だけだった。
 東京電力福島第1原発が立地する双葉町の井戸川克隆町長は「私たちの苦しい思いを全国の立地住民に味わわせたくない」と回答。加藤憲郎・新地町長は「事故の悪質さや核燃料サイクルが未完成なこと」、古川道郎・川俣町長は「政府が最終処分場を確定しない状況での原発の稼働は大きな問題」と理由を挙げた。
 また、小田祐士・野田村長は「(原発を)人間の力で完全に制御するのは無理だ」と答えた。ただ、菅野典雄・飯舘村長は「一時的な感情でなく、経済発展の面からも考える必要がある」とした。
 一方、「安全基準を厳しくしたうえで必要最小限の原発は残すべきだ」と回答したのは岩手4人、宮城6人、福島ゼロ。「急激な脱原発は経済情勢に与える影響が大きい」(山内隆文・久慈市長)など、電力供給不足による経済への悪影響を懸念する声が目立った。
 「その他」は12人。多くが原子力に代わるエネルギーが確立されていないことを指摘した。東北電力女川原発を抱える安住宣孝・女川町長は「代替エネルギーが十分あるなら、すぐにでも『脱原発』で構わない。そうでない中で脱原発と言うのはおかしい」と主張。井口経明・岩沼市長は「国は長期的なエネルギー供給計画を立案し、原発をどうすべきか国民に明示する責任がある」と求めた。
 原発の即時全廃や現状数維持、増設を選んだ首長はいなかった。
 野田内閣に原発事故への迅速な対応を求める声も相次いだ。草野孝・楢葉町長は「被災した家屋の補償、雇用、子育て可能な環境を完全回復できるよう具体的な施策で示してほしい」。冨塚宥〓・田村市長は「(放射性廃棄物の)仮置きストック容量が満杯。最終処理施設の実現を望む」と訴えた。松本允秀・葛尾村長も対策の実施内容明確化を求めた。
 この特集は、山中章子、宮崎隆、金寿英、宇多川はるか、平元英治、津久井達、堀智行、林奈緒美、垂水友里香、喜屋武真之介、小林洋子、春増翔太、前田洋平、和泉清充、種市房子、太田穣、坂本智尚、神保圭作、長田舞子、藤沢美由紀、北村和巳、加藤隆寛、合田月美、長野宏美、喜浦遊が担当しました。(グラフィック 菅野庸平、編集・レイアウト 佐々木宏之)」(全文)


 
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◆大震災半年:被災地首長アンケート 42首長、高台移転「積極」3割
毎日新聞 2011年9月10日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20110910ddm001040164000c.html
「◇国支援未定、慎重意見増え
 東日本大震災で被災した岩手、宮城、福島3県の42市町村長に毎日新聞がアンケートしたところ、有効な津波被害対策とされる高台や内陸への集団移転を「積極的に進める」と答えたのは3割にとどまった。「元の土地に戻りたい」という住民も多いほか、国の具体的な支援が示されないことが背景にある。復興の最大の課題は6割が「財源」を挙げ、財政悪化を懸念する声が強い。震災から半年を迎えるが、復興計画を策定できたのは4市町にとどまっている。(3面に「大震災半年」)
 アンケートは沿岸部37市町村(岩手12、宮城15、福島10)と東京電力福島第1原発事故の警戒区域、計画的避難区域にかかる5市町村の首長計42人に行った。
 沿岸部の首長37人のうち、集団移転を「積極的に住民に提案して進める」と答えたのは32%の12人。佐藤仁・宮城県南三陸町長は「集落のコミュニティーを維持しつつ高台移転を進める」。沼崎喜一・岩手県山田町長は「二度と犠牲者を出さないため」と説明した。
 ただ、震災後3カ月時点のアンケートでは68%の25人が高台移転手法に賛成していた。「希望が強い地域のみ限定的に行う」は24%の9人。宮城県石巻市の亀山紘市長は「(集団移転には)国の全額補助と移転要件の緩和が必要。慎重に見極めたい」と話し、実現には大きな支障があることが、首長を慎重にさせている。「同じ場所での再生」をんだのは3人で、他手法と組み合わせ集団移転も検討するとしたのが6人だった。
 政府が7月29日に決めた復興基本方針については、74%の31人が「ある程度評価する」と答えた。だが、具体的内容では「集団移転・土地利用」について「あまり評価しない」の19人が最も多く、高台移転が明記されていないことや補助の見直しなど具体的な制度づくりまで踏み込んでいないことを理由に挙げる首長が目立った。
 一方、復興へ向けた最大の障害・課題は、62%の26人が「財源」を挙げ、震災3カ月時点より3人増えた。国からの補助などが不透明な中、住民の被災や流出による税収減も必至なことから、69%の29人が今後の財政状況は「かなり悪化する」と答え、3カ月時の45%から大幅に増えた。【まとめ・北村和巳】」(全文)


 
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◆【東日本大震災】「地震即避難」実践わずか2・5% 意識は向上 西日本4地域の津波120人意識調査 (2/2ページ)
産経新聞 2011/09/10
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110910/dst11091000070002-n2.htm
「 ただ、震災後の意識の変化について尋ねたところ、120人全員が「避難への意識が高まった」と回答。「どう高まったのか」との問い(複数回答)には、「地震後すぐ避難すべきだと思った」が75人▽「避難路や避難場所を確認した」が67人▽「家族らと話し合った」が61人−だった。
 これに対し「津波の知識を得ようとした」は19人にとどまっており、震災の教訓から、知識より迅速な避難への姿勢を高めようとしている様子がうかがえた。
 一方、調査からは、高齢者など避難困難者のいる世帯や、障害者自身が避難しにくかった傾向も表れ、対策が不可欠であることを浮き彫りにした。
 「避難しなかった」46人のうち、理由を「自宅に避難困難者がいる」「自分の体が不自由」としたのが計5人。「避難した」74人の中でも、「車で避難した」理由を「自宅に避難困難者がいる」としたのは6人いた。記述形式で「体が不自由で逃げる自信がない」と訴えた回答者も2人いた。
 また、「自宅など生活圏内の徒歩15分以内に、10メートル以上の高所・高台がある」と答えた人が111人いた半面、「避難タワーがほしい」との回答は32人、「堤防の整備を望む」は25人、「避難経路の整備が不十分」も3人で、震災被災地の被害状況を踏まえ、現状の防災体勢に不安を抱えている状況も表れた。
 調査結果について、片田教授は「(公的な)情報頼りの避難では非常に厳しいといわざるを得ない。しかし、注目すべきは、東日本大震災からの教訓で住民が『地震即避難』の必要性を痛切に感じ始め、そのための行動を起こし始めていることだ」と指摘。「避難タワーを求めている人が多いのもその現れだ。このような住民意識の高まりがあるうちに、各自治体では避難への取り組みを強化する必要がある」としている。」(全文)


 
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◆【東日本大震災】「地震即避難」実践わずか2・5% 意識は向上 西日本4地域の津波120人意識調査 (1/2ページ)
産経新聞 2011/09/10
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110910/dst11091000070002-n1.htm
「東日本大震災から11日で半年となる中、震災発生時に西日本沿岸部では、比較的防災意識が高いとみられる地域でも住民はすぐに避難せず、警報や勧告などの公的情報に依存したケースが多かったことが、群馬大災害社会工学研究室(片田敏孝教授)と産経新聞の共同調査で明らかになった。津波への備えの鉄則とされる「地震即避難」がほとんど実践されなかったが、震災後、すぐ避難すべきとの意識が高まっていることも判明。一方で高齢者や障害者が素早い対応を取りにくい傾向も浮かび、自治体は対策を求められそうだ。
 全国で津波避難行動の研究や防災教育を進める同研究室が産経新聞と連携し、三重県尾鷲市、和歌山県広川町、高知県黒潮町、徳島県美波町でそれぞれ30人ずつ、計120人(男性64人、女性56人・10〜80代)に聞き取りで調査。津波避難の訓話「稲むらの火」の発信地である広川町をはじめ、いずれの自治体も防災意識が高いとされる。
 ところが、震災時に「避難した」人は全体の6割強にあたる74人に上ったものの、いつ避難を開始したかは「津波警報後」が45人、「避難勧告後」が24人と目立つのに対し、「地震直後」は全体の2・5%となるわずか3人だった。
 一方、避難しなかったと答えた46人に理由を尋ねたところ、「地震時、高台にいた」9人のほかは、「(いた場所が)浸水想定域の外だった」が10人、「予想波高が小さかった」が8人と多く、避難した人と同様に、公的な災害情報に行動の選択を依存していたことが鮮明となった。」(全文)


 
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◆【とちぎ震災半年】「未来築きたい」 車いすの妻と生活再建 那須烏山・仮設住宅の曽根原さん
下野新聞 2011/09/09
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20110909/606246
「東日本大震災から半年になるが、那須烏山市岩子の仮設住宅には今も19世帯、計約60人が避難生活を送っている。同住宅代表の同市小倉、無職曽根原勉さん(63)は9月からようやく全壊した自宅の取り壊しを始めた。新しく建て替える予定のマイホームは、重度障害の妻くみ子さん(61)が車いすでも動きやすい間取りにするつもりだ。「今はどんなにつらくても、前向きに考え未来を築きたい」。曽根原さんは生活再建に向けてゆっくりと歩き出している。
 荒川沿いに並ぶプレハブ住宅。玄関前に植えた日よけ用のゴーヤのつるは高さ2メートルを超えた。曽根原さんは「川の風が入るから比較的過ごしやすい。狭くても工夫をすれば、そんなに大変じゃない」と笑う。
 間取りは2K。夫婦一緒に食事をするスペースがなかったり、大量の羽根アリが出たりと悩みは尽きない。しかし「妻のために玄関にスロープを付けてもらえた。外の歩きにくい所は砂利を敷いてくれるなど、県と市はよくやってくれる」。
 新潟県生まれ。大手電子部品会社の東京本社に勤務した。約20年前に宇都宮営業所へ配属になったことをきっかけに、都内を離れ同市小倉に2階建ての自宅を構えた。理由は「病気の妻を温泉に入れてあげたい」だった。
 大震災の3月11日。自宅に戻ると柱が壊れ、壁も抜け落ちていた。外から家の中が見えた。市内のデイサービス先にいるくみ子さんの薬を探すため、冷蔵庫やタンスを必死にひっくり返した。無事だったくみ子さんをさくら市の施設に移し、自分は車や避難所で11日間寝泊まりした。
 仮設住宅の生活は9日、5カ月目に入る。入居者の中から自宅の修理を終えて仮設住宅を出る人も出てきた。「各世帯ばらつきはあるが、生活再建に向けて動き始めている」
 自宅の後片付けに追われていた曽根原さんも、1日から取り壊しに入った。敷地の地質調査の結果や資金面を考慮して、来年6月までに自宅の建て替えを決める予定だ。
 「車いすで風呂場に入れるようにするなど、妻を中心にしたレイアウトにする。これから年も取っていく。1日でも長く一緒に暮らせる家にしたい」。曽根原さんは、くみ子さんをやさしく抱きかかえた。」(全文)


 
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◆【千葉】原発事故で集団避難 鴨川青年の家 代替施設確保めど立たず
東京新聞 2011/09/08
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20110908/CK2011090802000050.html
「東日本大震災の発生から間もなく半年。鴨川市太海の県立鴨川青年の家には、福島第一原発事故で被災した6つの福祉施設の入所者278人が今も集団で避難生活を送る。帰郷するには福島県内で代替施設の確保が必要だが、手当てのめどは立っていない。近くでアパート暮らしを続けながら入所者の面倒を見ているスタッフ90人とともに、福島へ一日も早く戻れることを心待ちにしているが…。 (福原康哲)
 青年の家では七日、食堂に集まった入所者がおいしそうに伊勢エビのみそ汁を昼食に食べていた。伊勢エビは、鴨川市を中心にウミガメの保護と育成活動をしている「ウミガメ倶楽部」(椎野瑞穂会長)と同市が、協力して百五十匹を差し入れた。同倶楽部と市からの差し入れは豚汁、かき氷に次いで三度目。「不自由な生活を強いられている入所者を励ましたい」(椎野会長)と支援を続けている。
 避難生活をしているのは、社会福祉法人「福島県福祉事業協会」が運営する六つの福祉施設で生活していた、知的障害などがある六〜六十七歳までの男女。六施設の大半は福島第一原発と第二原発の五〜十キロ圏内にあったため、震災翌日には避難を強いられた。
 避難指示の拡大などで当初は移転先を転々とし、突然の環境変化で落ち着きを失ったりする入所者が続出していた。
 これを知った鴨川市などが青年の家の提供を申し入れ、四月上旬に受け入れが実現した。入所者は施設ごとにまとまり、表向きは福島県の施設と同じように暮らす。障害の軽い人は草取りなどの奉仕活動を行っている。
 ただ、スタッフら関係者の胸中は複雑だ。
 青年の家は県内唯一の海洋型社会教育施設で、年間七万人が利用する。入所者が大半の部屋を使っているため、一般の人は日帰り利用のみ。
 福島県福祉事業協会の渡辺行二事務局次長は「四月に移ってきた時、青年の家は四万人の予約客をキャンセルしたと聞いています。それ以来、ずっと施設を使っているが、いつまでも迷惑をかけられない。早く戻ることができればいいのですが、こちらでもいつ戻れるかは見当がつきません」と話す。
 元の施設に戻るには放射能の問題もあって無理。入所者が福島に戻るには仮設の施設建設が必要になっている。ただ、福島県内での仮設の施設確保は「すでに二施設の用地は確保されたが、残り四施設はまだ用地の確保もままならない状態と聞いています」(鴨川市幹部)というのが現状のようだ。
 仮設施設の建設は国や福島県の問題。一般の仮設住宅と比べ、入所者の障害の程度に応じた施設にしなければならず、用地の確保も周辺住民や自治体の同意が必要となる。入所者が福島県に戻れるのはしばらく時間がかかりそうで、鴨川市は「入所者がいる間はできる限りのことをしたい」(同)としている。
 受け入れのきっかけをつくった災害拠点病院の亀田総合病院(同市)は入所者の健康面の支援をバックアップし、海外からも支援金は届けられている。
 それでも避難してきたスタッフの一人は「周囲の人に親切にしてもらえばもらうほど、早く福島に戻りたいと思う」と漏らした。」(全文)


 
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◆災害時の要援護者マップ作成へ 益子町
下野新聞 2011/09/08
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/region/news/20110907/605324
「【益子】町は本年度、災害時に援護が必要な高齢者世帯などの安否確認をよりスムーズにするため、要援護者の自宅を地図上に示す「要援護者マップ」を作成する。マップはデータベース(DB)化し、これまで庁内各部で持っていた障害者なども含めた災害弱者の情報を一元化する。町健康福祉課は「自治会などと協力し、地域一丸となって迅速に対応できる体制づくりを進めていきたい」としている。
 東日本大震災で町は、地震発生直後の3月11日から翌12日午前中にかけて、高齢者だけの家族や寝たきりの高齢者など全445世帯で安否を確認した。この際、町職員らは要援護者の台帳と住宅地図を照らし合わせながら巡回したが、停電でコピー機が使えないなど災害時の問題に直面したという。
 これを受け、以前から検討されていたマップ作りを急ぎ、必要時すぐに活用できるよう準備することにした。
 マップには町が毎年行っている要援護者調査の結果を反映させていくほか、障害者や、家族と住んでいても昼間は1人となってしまう高齢者らの情報も登録。データは庁内のみで管理運用する。町は本年度予算に500万円を計上、全額県の補助事業を活用する。
 町は個人情報となるマップをどう活用するか検討中で、要援護者一人一人に情報をどの程度開示してよいかなどの確認作業を進めているという。
 町健康福祉課の担当者は「3月の震災時は、いち早く安否確認に行ったことで安心したという高齢者が多かった。DB化することで、個人の事情に合わせた対応もできるようになる」と話している。」(全文)


 
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◆「情報障害者」震災時支援は
朝日新聞 MY TOWN高知 2011/09/07
http://mytown.asahi.com/kochi/news.php?k_id=40000001109070002
「視覚や聴覚に障害がある「情報障害者」への震災時の支援を考える勉強会が、23日午前10時から、高知市大膳町の県立盲学校である。「東日本大震災でも情報障害者への支援は不十分だった」として、南海地震に備えて高知型の支援態勢を模索する。
 視覚障害者ら約100人でつくる「県視力障害者の生活と権利を守る会」が主催。勉強会では、東日本大震災視覚障害者支援対策本部の事務局長として、現地調査もしている加藤俊和さんが「大震災と視覚障害者支援はどうあるべきか」と題して講演する。
 守る会学習部長の藤原義朗さん(51)は「被災地では自分のことで精いっぱいで、情報障害者は忘れられやすい。阪神大震災で課題になったことが、今回の大震災でも全く解決されなかった」と指摘する。勉強会には、視覚障害者だけでなく行政や介護関係者、一般から広く参加を呼びかけている。
 勉強会では他に、高知市障がい福祉課の担当者の講演も予定している。無料。問い合わせは藤原さん(090・7787・4007)へ。(中島嘉克) 」(全文)


 
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◆聴覚障害者:情報伝達、震災機に高まる重要性 権利保障の法整備求め署名活動 /佐賀
毎日新聞 2011/09/05
http://mainichi.jp/area/saga/news/20110905ddlk41040246000c.html
「◇4団体30人、JR佐賀駅前で
 聴覚障害者の情報やコミュニケーションの権利を保障するよう法整備を求める署名活動が4日、佐賀市のJR佐賀駅前であった。聴覚障害者や手話のサークルなど4団体の約30人が要望書を配ったり署名を募るなどして、「聴覚障害者の真の社会参加にご協力ください」と呼びかけた。
 署名活動は全日本ろうあ連盟など6団体からなる「聴覚障害者制度改革推進中央本部」が昨年から全国各地で展開し、120万人の署名を目指している。要望書によると、現行の障害者自立支援法では、聴覚障害者などに対するコミュニケーション支援が市町村による事業と位置づけられているため、自治体の財政や考え方によって大きな地域差がある。
 東日本大震災では、災害情報の大半が音声のみでしか伝わらず、聴覚障害者の多くが物資補給や避難などに必要な情報を得られなかった。震災後、自治体によっては文字や手話など音声以外の迅速な情報伝達実現に向けた取り組みも始められたが、関係者らは「命にかかわる情報に地域差があってはならず、国が保障制度を確立すべきだ」と訴える。
 市聴覚障害者協会の黒仁田利治会長(66)は「震災によって聴覚障害者をとりまく問題がクローズアップされた今こそ、聴覚障害者の情報保障の必要性と、健常者と聴覚障害者の互いの理解が必要であることを訴えていきたい」と話していた。【田中韻】」(全文)


 
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◆2011/09/05 田村市、公費支出を却下/障害者女性
朝日新聞 MY TOWN福島 2011/09/05
http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000001109050006
「○避難で新たに介護/女性 県に審査求める
 重い障害を持つ田村市の女性が、震災による避難生活で新たに必要になった介護費用について公費の支出を求めたところ、市が却下していたことがわかった。国は震災後、障害者に対して柔軟な対応をとるように通知し、他の自治体は同様の支出を認めている。女性は県に審査を求めている。
 同市の鈴木尚美さん(44)は脳性まひで全身を動かすことが難しく、車いすで生活する。介護なしでは食事やトイレができず、日中は事業所で介護を受け、朝晩はヘルパーが自宅に訪問する。訪問介護は1カ月に235時間まで公費の支出が認められている。
 震災後、自宅は落下したガラスが散乱。事業所の仲間や職員と避難し、県内外の宿泊施設を転々とした。慣れない環境はトイレや食事、移動などいつもよりヘルパーの手を借りることが多く、4月4日に自宅へ戻るまで、規定より計32.5時間多く介護サービスを利用した。
 鈴木さんは5月、増加した時間分(約6万5千円)も公費から支出するよう田村市に申請したが、6月27日付で却下された。市は、鈴木さんの自宅は原発事故による避難区域でもなく、全半壊の状態でもないとし、「自主的な判断による避難であり、増加した時間分は公費で支出できない」と説明する。
 これに対し、他の自治体は震災で必要になった介護を積極的に認めている。福島市は50歳代の2人に、規定より45時間長く身体介護を認め、公費を支出した。いずれも一人暮らしで、避難先でのトイレなどに通常より時間を費やした。自宅は無事で、避難区域でもない。厚生労働省は震災後、障害者が不利益を受けないよう、各種制度の弾力的な運用を自治体に通知しており、郡山市、相馬市も同様の措置を執っている。
 鈴木さんは「私は介護がなければ何もできない。なぜ田村市は公費を出してくれないのか」と訴える。(神田大介)
 ○震災で障害者後回し
 障害者問題に詳しい中島隆信・慶応義塾大教授の話―― 震災の大きな被害の陰で、少数者である障害者の要望が後回しにされていないか。行政は基本ルールから外れた仕事が苦手。国は今回のような場合を想定し、運用を地方任せにしないことも考えるべきだ。」(全文)


 
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◆時代の風:認知症と情報通信技術=東京大教授・坂村健
毎日新聞 東京朝刊 2011/09/04
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20110904ddm002070091000c.html
「◇「有事」に生かせる社会を
 他の大きな悲劇の陰に隠れているが、自閉症や認知症の患者の方々やご家族を、3・11以後、第二の悲劇が襲っている。
 04年の新潟県中越地震のとき、自閉症や認知症のため避難所の集団生活がうまくいかず、自家用車の中での長期生活を余儀なくされた多くの方々がいた。家族に静脈血栓塞栓(そくせん)症(俗に言うエコノミークラス症候群)で亡くなる方まで出たという。なのに、今回の震災でこの時の教訓がまったく生かされていないらしい。
 筆者は25年近く「イネーブルウェア研究会」という情報通信技術関係者と障碍(しょうがい)のある方々を結ぶ活動を続けてきた。7月に行った公開シンポジウムでは、東京福祉大学の立松英子先生、高崎健康福祉大学の田中聡一先生、NPO法人「はーとわーく」の山本知子代表など、この分野の専門家をお呼びして、お話を伺った。
 「話が通じない」「覚えてもらえない」「不条理な怒りを受ける」……。
 本人はもとより介護者にも多くの負担がかかる。特に介護者にとっては、努力の成果が実感できないことが肉体的負担以上に心理的負担になるという。
 ここでの問題はコミュニケーションや記憶という情報に関するもの。ならば情報通信技術が生かせる場面は多いだろう。
 毎日の生活の細かな事を例えば眼鏡に付けた超小型カメラで自動記録したり、モノや場所に付けた電子チップから個人の思い出を引き出し回想を助けるとか、また介護者が患者の状況を少ない労力で把握できるようにするなど、いろいろな事が考えられる。情報の記録で介護者の努力が目に見えれば、心理的な負担も減るだろう。
 若年性アルツハイマーを描いた映画「明日の記憶」での渡辺謙さんの迫力ある演技が記憶に新しい。ある段階での認知症では一見常態のように見えるせいで、かえってもめ事になる。問題は見た目だけでは分からないというところにある。
 記憶の齟齬(そご)のせいで諍(いさか)いになるとか、急に怒り出され相手もヒートアップするとか、取り繕いを信じてトラブルになるとか、巻き込まれた人には一体何がという感じだろう。
 外見からわかりにくい障碍には、わかりにくいゆえの問題がある。「イネーブルウェア研究会」でお付き合いいただいているNPO法人「日本聴覚障害者コンピュータ協会」の顧問、長谷川洋先生にお聞きした話だが、聴覚障碍の方がクラクションを鳴らされても気がつかなかったため、怒ったドライバーに後ろから殴られた事があったという。
 震災による物理的被害といった解決しにくい問題に比べると、問題の本質が情報なので、情報通信技術を持ちださなくても、状況が改善できる事もある。
 外見ではわかりにくい障碍を抱えた方が、周囲に知ってもらうために付けるマーク−−身体内部に障碍がある方の「ハート・プラスマーク」や、聴覚障碍の方の「耳マーク」といった取り組みが以前からあった。それらをインターネットで入手して避難所で使った例もあるらしい。
 自閉症の患者との付き合い方について、早い時期に周知できた避難所では、比較的うまくいったという。インターネットで対処を学び皆に周知することで支えられたコミュニティーもあったという。
 そういう「わかれば助けてくれる社会」という前提があった上で、情報通信技術をこの面でさらに生かすなら、そういうマークの電子化という可能性がある。
 各自の持つスマートフォン同士で通信して、近くにいる人に知ってもらいたい自分の属性を発信できるようにする。その属性がどういう意味で、どういう心遣いが必要かもネットからわかればトラブルも減る。
 さらに、本人が発信をコントロールするだけでなく、非常時には本人の意識がなくても自動発信するとか、周囲の自動車だけには知らせるなど、単なるマークと違いプライバシーの細かい管理も可能だ。家族を超えて、理解されにくい障碍を持つ人々と向き合える社会にするには、そういう情報インフラが必要だ。
 行政がやるのはその通信手順の標準化と、問題が生じた時の責任の切り分けなど関連法整備。おそらく個人情報保護法の変更も必要だ。
 地域サービスから救急救命まで、個人情報保護法のためにうまくいかないという問題が被災地でいろいろ出ている。現場の判断でそれを曲げて対処する場合が多いという。そもそも日本の法制度は有事と平時のモードシフトを意識していない欠陥がある。しかし、それを現場の責任で判断させるのは間違いだ。
 ネット時代のプライバシーの意味は、「他人に知られない」ことより「自分の情報がどう流れているかを把握し管理できる」こと。むしろ必ず起こるであろう次の「有事」に向け−−これからのプライバシーについて我々が自ら考え、進んだ情報通信技術を前提とした新しい社会構造を、今こそ提案すべきなのだろう。=毎週日曜日に掲載」(全文)


 
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◆栃木で備える:震災半年/3 災害弱者の避難 /栃木
毎日新聞 地方版 2011/09/03
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20110903ddlk09040151000c.html
「◇頼みは「近所づきあい」 支援計画、策定は2割
 11階建てマンションの10階に取り残され、外部と連絡が取れない孤独が続いた。1人暮らしで車いすだった引地豊さん(42)=宇都宮市。3月11日、地震で部屋の真上に位置する貯水タンクが壊れ、水浸しになった部屋から逃れ出たものの、動かないエレベーターの前で行き場を失った。長袖シャツ1枚とジーパンはずぶぬれで、ぶるぶる震えた。ペットボトルに半分残ったコーラを少しずつ含みながら救助を待った。「見捨てられたな。このまま死ぬのか」。夜も更けたころ、半ばあきらめていた。ようやく階下の住民が見つけてくれたとき、地震発生から19時間が経過していた。
 高齢者や障害者など1人で避難するのが困難な災害弱者。阪神大震災(95年1月17日)でクローズアップされ、国は06年、体制整備に着手。(1)どういう人を「災害弱者」とするか、その支援体制を決める「全体計画」作り(2)災害弱者の名簿作り(3)支援者を決め避難を助ける「個別計画」の作成−−を全国の市町村に求めた。だが、今年4月1日現在、県内自治体の策定率は(1)66・7%(2)48・1%(3)22・2%にとどまっていた。数字は現在もほとんど変わっていない。
 宇都宮市は現在、(2)までを済ませ、(3)の個別計画を策定中。災害弱者1人につき2〜4人の支援者を決めるという。市内を39地区に分け、自治会長など地区のリーダーと個人情報保護に関する協定を締結したうえで名簿を渡し、計画作成を委託している。協定を結んだのは28地区で、引地さんが住む地区は今も結んでいない。引地さんは現在、つえで歩けるようになったが、早く体制ができるのを望んでいる。
 なぜ協定締結が進まないのか。市の担当者は「協定を結んだ本人が、外出中などで助けられなかったら責められるのでは」と過度に責任を恐れる意識を指摘。この意識を変えられなければ、個別計画の作成は困難だ。
 だが、同様に個別計画を定めていない芳賀町は「震災当日に全員の安否確認ができた」という。町の担当者は「近所同士のつながりが残ってるんですよ」と言う。宇都宮市内の福祉関係者も「今の制度は昔は当たり前だった近所づきあいを名簿化するようなもの。そうでもしないと昔のようには戻れないということだな」とつぶやいた。地域のつながりの再生が一番の備えだ。都市部でもこのことを学び直すよう、震災が教えてくれたはずだ。【松本晃】=つづく」(全文)


 
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◆「防災の日」 「そなえーる」来館続々 千歳 公共施設耐震化 道半ば 恵庭では総合避難訓練
北海道新聞 2011/09/02
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/sapporo/315786.html
「【千歳、恵庭】1日は「防災の日」。88年前に関東大震災29 件が起きた日で、東日本大震災が発生した今年は一層、防災への関心が高まっている。千歳市では防災学習交流センターそなえーる(北信濃)への視察や見学が相次ぎ、恵庭市はこの日に5年に1度の総合避難訓練を計画している。(山田芳祥子、鈴木誠)
 そなえーるは、実際にあった地震の揺れを体験できる施設。昨年4月に開館した。
 震災後の今年4〜8月の利用者は2万7206人で、前年同期と比べ31%増えた。地方議会など全国各地の視察団のほか、道央圏の学校や幼稚園も訪れている。同館は「震災前に比べ、非常時に持ち出す物など具体的な質問が増え、意識が高まっている」と話す。
 市は10月15日に、恒例の総合防災訓練を予定。町内会などから数百人が参加し、倒壊家屋からの救助、土のう作成、炊きだしなどを行う。
 一方、ライフラインや公共施設の耐震化は道半ばで、埋設水道配水管・総延長680キロのうち、耐震性が確認されているのは昨年度末で17・45%。避難所や病院など市街地62カ所を新たな耐震性配水管で結ぶ構想もあるが、10億円かかることもあり、具体的な計画には至っていない。
 収容避難所は市内に58カ所あり、耐震化率は64%。残り21施設のうちコミュニティーセンター2棟は2012年度、学校7校は13年度までに改修する。
 恵庭市の訓練は、1日午後1時から道文教大(黄金中央)で行う。震災や火災を想定した消防隊員による高層ビルからの救出訓練や、煙を充満させた部屋での市民向け避難訓練などを実施。東日本大震災で使用した陸上自衛隊の入浴テントも展示する。
 市は「災害時の市の対応や、日ごろからどのような準備が必要かを知る機会にして」と、市民の参加を呼び掛けている。
 07年度に市が策定した最新版の地域防災計画の見直しも進んでいる。国の新たな試算で、当初より被災者数が倍増すると想定されたためで、市は備蓄品を増やすほか、高齢者や障害者に対応する福祉避難所を指定することを検討中だ。
 東日本大震災で避難所に指定していた公共施設が被災したことから、民間施設を避難所として使うための防災協定を結ぶなどの対策も考えている。」(全文)


 
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◆東日本大震災:家族と暮らせない 障害福祉サービス利用急増 /福島
毎日新聞 地方版 2011/09/02
http://mainichi.jp/area/fukushima/news/20110902ddlk07040105000c.html
「◇避難で介助できず
 福島第1原発の事故で避難を余儀なくされた住民の中で、障害福祉サービスを初めて利用する人が急増している。避難先で体調が悪化したり、介助する家族と離ればなれになって施設入所を余儀なくされる人もおり、原発事故が障害を抱える人たちの日常を一変させた現実を示している。【野倉恵】
 警戒区域と緊急時避難準備区域、計画的避難区域を抱える県内10市町村に毎日新聞が聞いたところ、震災から7月末までに施設入所や訪問介護などの障害福祉サービスの利用を申請し、新たに認められたのは南相馬市23人▽双葉町17人▽浪江町7人▽田村市、富岡町、大熊町各4人▽飯舘村3人▽楢葉町2人▽川内村、葛尾村各1人。南相馬市や浪江町の担当者は「例年の同時期の2倍以上」と説明。役場ごと避難した双葉町の担当者も「手元に資料はないが、感覚では1年分程度に達している」と話す。
 南相馬市小高地区の警戒区域内に住んでいた雫川(しずかわ)信之さん(55)は3月末、山形県上山市の総合療育訓練センターに入所した。30年前のオートバイ事故で頸椎(けいつい)を損傷し、車椅子を利用している。福島県内の仮設住宅で家族と暮らすことを望んでいるが、自治体のバリアフリー対応は不十分で、願いはかないそうもない。「ここに来て風呂に入れてもらった時はほっとした。でも、いつまで……」
 同センターは本来、障害者の機能維持訓練などをする施設だが、「県内の施設が被災者で満杯状態」(南相馬市)だったため、受け入れてもらった。
 雫川さんは小高地区で生まれ育ち、自動車部品製造の内職などをしながら妻(61)、母親(76)と暮らしてきた。家は段差のないバリアフリー仕様。震災直後、2人と離ればなれになり、避難所に駆け込んだ。しかし、トイレの問題などから車椅子で過ごせず、校庭に自家用車を止めて寝た。3日後、双葉町の勤務先にいた妻と合流し、2人で埼玉県などのビジネスホテルを転々とした。妻の実家の宮城県栗原市にたどり着いたが、疲労で衰弱し、施設に入所することになった。
 母親の消息が分かり、南相馬市の避難所で再会したのは5月。今は山形県内の高齢者施設に入っている。妻はがんで胃を摘出していて避難所暮らしができず、実家に滞在せざるを得ない。
 「家族一緒に暮らしたい」。8月初旬、南相馬市に仮設住宅の相談に出向いた。だが担当者は「車椅子でトイレを使えるよう広げるには浴室を取り払う必要がある。お風呂は近くのデイサービスセンターで」。床ずれができやすい雫川さんは毎日の入浴が欠かせない。デイサービスでは好きな時間に入れない。風呂もトイレも改装するのは困難と分かり、施設生活を続けざるを得なかった。雫川さんは「原発事故で避難していなければ、お盆を一人で過ごすこともなかった。普通の生活に戻りたい」と訴える。
 毎日新聞が各自治体に取材したところ、南相馬市ではこのほか、1人暮らしで車椅子を利用する50代男性が避難所での生活が難しく県内の身障者施設に3月下旬に入所。浪江町でも1人暮らしの60代の知的障害の女性が親族のいる栃木県の知的障害者施設に入った。
 役場ごと避難したり、福祉施設が被災者を受け入れた自治体では、サービスの提供を避難先の市町村に頼らざるを得ず、県外施設の利用者も少なくない。」(全文)


 
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◆「最悪」に備える 防災の日、各地で訓練
asahi.com MY TOWN岐阜 2011/09/02
http://mytown.asahi.com/gifu/news.php?k_id=22000001109020003
「防災の日の1日、県内でも各地で訓練があった。県は、3月の東日本大震災を踏まえて、広域での被害を想定。岐阜市立の全小中学校は、緊急地震速報を利用した校内放送を流した。大震災の避難者や専門家は「最悪の想定を」と指摘する。
 午前6時半、東海、東南海、南海の3連動地震が発生。1時間後に大垣市を震源とした直下型地震が誘発される――。今年の訓練は、「超」広域での災害を想定した。
 震源に近い安八町の町総合運動公園では、体育館の屋根が倒壊し朝練中のバスケット部員が負傷したと想定。町職員や大垣消防組合員が、けが人の症状によって4色に分かれたシートに避難させた。1人を防災ヘリコプターで搬送した。
 県庁では、被災時での担当任務を確認する図上訓練があった。全42市町村が参加し、被害状況を電話やFAXで県庁に設置された災害対策本部に報告した。
 県の震災対策検証委員会が、自衛隊や消防との連携や他県ヘリの受け入れ態勢強化を提言しており、新しく担当を設けた。本部長代理の渕上俊則副知事は「実践力がつく訓練にしていくのが課題」と話した。
 岐阜市立の小中学校では、夏休み中に設置された緊急地震速報機を使って訓練した。震度5以上の地震が予測されると、校内放送を通じて全校に警告される仕組みだ。
 「緊急地震速報です。強い揺れに警戒して下さい」
 岐阜市切通5丁目の長森南小では、午前10時半に緊急地震速報が鳴ると、830人の児童たちが一斉に教室の机の下に潜った。「独特な大きな音を、まずは一度聞くというのが狙い」と市教委の担当者。速報の20秒後に震度7の揺れが起きるという想定で、児童は速やかに体育館に避難した。
 東日本大震災後、県教委は各校に災害対策マニュアルの見直しを求めている。(増田勇介、安仁周)
◇要援護者への対応課題/災害発生予測できぬ
 日本防災士会県支部の加藤博史事務局長(防災士)は「以前は『見学する』ことが多かったが、今は参加する訓練が増えた」と歓迎する。経験することで、地域の防災力向上につながると考えるからだ。
 今後は高齢者や障害者、外国人など要援護者への対応が課題という。「どのように避難できるか実際にやってみる。家庭でも機会を作って、防災について話し合ってほしい」と話す。高齢者福祉施設などと協力して訓練することを薦める。
 宮城県で東日本大震災に被災し、岐阜市に避難した政井英典さん(57)は「一番最悪の状況を想定すること」と助言する。
 地震発生後、車に乗って高台に逃げたという。訓練では交通渋滞を防ぐために、徒歩で逃げるように言われていたが、政井さんの家からは「とても間に合わない」と思ったからだ。避難ルートは交通量が少ないということも頭にあった。
 昨年2月末、チリ地震津波で大津波警報が発令され、一家4人で避難した経験も生きている。「備えは大事。自然災害は本当にいつふりかかるかわからない」と話した。 」(全文)


 
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◆天災は忘れなくてもやってくる
読売新聞 2011/09/01
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20110831-OYT8T01152.htm
  「「東日本」教訓に訓練内容に変化
 1日は「防災の日」。全国各地で防災訓練が計画されているが、今年は東日本大震災を教訓にした訓練に内容を変更する自治体も多い。県内では、県が障害者の救援を念頭に置いた訓練に取り組んだり、吉野町が初めて町主催の防災訓練を計画したりと、変化が生まれている。
 県の防災総合訓練は3日、大和郡山市と共同で、県浄化センター(大和郡山市)で、過去最大の約1000人が参加して行われる。今回の震災で、高齢者や障害者を受け入れる「福祉避難所」の必要性が再認識されたことから、同市社会福祉会館内に聴覚障害者らの福祉避難所を想定したサテライト会場を設置。さらに、インターネットの災害用伝言板を使った安否確認や、手話サークルのメンバーによる救援物資配布も行う。
 県浄化センターでは大型テントやNTTの移動基地局の展示も行われ、県防災統括室は「避難所の具体的なイメージをもってもらえたら」と期待する。
 吉野町が計画している訓練は10月、吉野運動公園で震度6強の地震を想定して実施。消火活動や倒壊家屋に閉じこめられた人の救出、倒木の除去などの訓練を行う。
 近い将来の発生が予想される東南海・南海地震にも備え、自主防災組織など12団体100人が参加する予定で、町の担当者は「初めてのことなので色々な課題が浮かび上がってくると思う。今後も継続してやっていきたい」と話している。」(全文)

*作成:有松 玲
UP:20111014 REV:20110914
災害と障害者・病者:東日本大震災 
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