Web3.0はどうなるか

mechaag:

GoogleがGoogle+を縮小しつつある。俺もGoogle+は利用していなかった。Googleのサービスは結構重要なところで使っているので、逆に「必要以上に結び付けられる」と困るんだよね。

ちょっとまえにWeb2.0という言葉が話題になった。いろんな人で定義が違っていたが、振り返ってみればはやりSNS的な「統合」の時代だったと思う。twitterのアカウントを他のサービスのログインに使えたりと。

Web1.0がハイパーリンクによる情報と情報の結びつきの時代だったとすれば、Web2.0は人と人との結びつきの時代。それは素晴らしいことだし大きな成果を上げた。これからも上げていくだろう。


一方で揺れ戻しがあるように思う。人は必要以上にプライアバシーを暴かれることを好まない。「忘れられる権利」などもそうだけど、情報を制限しようと言う動きがあるように思う。それは今後しばらくの間、Web1.0やWeb2.0がそうであったように、10年単位ぐらいの長さで続くのではなかろうか。(俺は個人的には情報を制限するのは好まないけどね。あくまで世の中の流れとして)。

ただそれを法律で実現するのは限界がある。というか無理。となると技術的に実現する方法が求められる。Web3.0は「匿名化」の技術の時代になると俺は思うがどうか。国家のみならずGoogleなどの多国籍企業から、個人を守る技術。これまではそれぞれの国の法律や企業のモラルに頼っていた。


Googleなど世界規模のサービスは今後ますます増える。そしてそうでなければならない。それによって人々は幸福になっていく。しかし一方でそれは諸刃の剣であり、国家や企業の情報収集活動から個人のプライバシーを守る重要性が日に日に切実さを増している。むろんこれはやみくもに個人情報を防御すればいいというものではない。そんなことをしたら不便になるだけ。

どのような情報をどのような方法で匿名化するか。そうした技術が今後研究され発展していくだろう。そしてその中で、匿名とか実名とかの「あるべき論」も意味がなくなっていく。0か1ではなく、もっと1.3とか1.5とか細かなバリエーションが増えていくだろう。

リアル世界でさえ、住所や名前の重要さや必要な場面は減っていくと思う。人をたったひとつの「名前」や「住所」で認識・特定することが意味のない世界になっていく。もともと人間は多面性がある。家族に見せている顔、子供に見せている顔、同僚に見せている顔、国民に見せている顔。


情報処理が未発達な時代はなんとなく処理されていたが、そうした多面性がシステム的に整理され、社会の仕組みもそれに合わせて変化していくはず。ちょうどSSLなどが発達してきて、それまで人間が漠然と使用してきた「信用」という概念をシステムとして捉えなければならなくなったように。

文明が発展してくと、それまで経験的に漠然と処理していたことを再定義する必要に迫られる。数学とかもそうだよね。角度を3次元に拡張した「立体角」とか。あと無限の大きさとか。「数える」とはどういうことか?自然数の集合と1対1の写像を作ることが「数える」ことなのだ、と。そうやって本質に遡り定義を拡張していけば、「無限」も数えられるわけだ。

今度は「プライバシー」とは何か?を再定義する時代。その意味では「著作権」とかも新しい定義が必要になっていくのだろうけど、こっちはもう少し先(Web4.0?w)だろうね。創造性とはなにか?を定義しなければならない。これはまだ難しい。