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「純文学」を読む気が全く無い人間の意見ですね。純文学というジャンルに対して偏見で凝り固まっていて最初から理解する気がなく、人間関係ぐちゃぐちゃなだけのラノベの方が複雑だと思っている。読解力ってそんな表面的な話じゃないでしょう。
純文学にしてもラノベにしても、ピンからキリまであるので、読解力が身につくかどうかはジャンル分けで決まる物じゃ無いですよ。とはいえラノベの流行り物は特に、物事が単純化されているから読解力があまり必要無いものが多いのは確かですね。深く考える必要が無いから流行るとも言えるでしょう。
#スレイヤーズが出た当時は「こんなの小説じゃない!」とか言ってる人も居たっけなー#作者も「下半分はメモ用紙に使えてお得!」みたいな自虐をあとがきでしていた覚えがw
純文学を読む->純文学の読解力がつく。ラノベを読む->ラノベの読解力がつく。少なくとも,どちらを読んでも,ある区間の一様連続と各点連続の違いがわかるとは思えないですし,プログラミング言語で書かれたものも読めるとは思えないです。(ラノベだったら,扱っているのあるかな?長門有希はSQL(もどき)をしゃべっていたし。)
学校図書館司書の方へのインタビューを読んだことがあるのですが、「マンガにはマンガの読み方」があって、小説ばかり読んでいては身につかないそうです。親がマンガを与えないという方針で育った子は、マンガの読み方がよく分かっていないので、最初は指導しないとなかなかマンガが読めない。義務教育の責務として、日本の文化に触れる機会を作ってやることが重要なので、学校はマンガの在庫も充実させているという話でした。
ということで、ラノベにはラノベの、純文学には純文学の読み方があるのは自明でしょうね。
# 小説で身につく読解力は、恐らく科学論文の読解力とは違うわけですし、純文学とラノベのどちらが読解力が付くかなんて、個人的には狭い世界の議論だなあと思います。
ここにぶら下げよう。
なんだかさーねー、純文学ってその「純」ってのがものすごく高慢ちきでさーなんか我こそは文学の中の文学、文学オブ文学で、純文学意外は言うなれば格下じゃん? なに偉そうな事言ってるの?的なイメージ、あるんだよねぇ _(:3 」∠)_
純文学って、武士は食わねど高楊枝ってやつですね! (ドヤァ
…まぁジャンル分けは必要でしょうけど、なにもヒエラルキーは必要ないって思います。
最近アメトークでも読書芸人とかやってるけど、なんだろうなあーその本そのものが高尚か低俗か薄いか厚いかなんて関係なく、もう少し読書の「体験」を重視してほしいっつーか、こういう別の世界の扉が開くというか(≒夏の扉)そういう体験が出来るものって読書ぐらいしかないと思うんだけど、それを一度味わうとまた次に手を出してしまうそれを味わってないとなかなか本を手に取れない…
読書広めるんだったら、そういうのをどうにかせにゃならんのに、体験した人間が優越感持って(フフンってしてるってのがまるで童貞を叩くノリと一緒なんだよなぁ
むしろ、文豪ストレイドックスやFateシリーズで各種作品や伝承がモチーフとして取り入れられているように、「大衆文化の更なる源流」としての立ち位置をはっきりと確立出来れば、純文学の「権威」もすんなりと社会に広まって行きそうな気も…。例えば、基礎科学が一般大衆にも「何となく凄い学門」と認識されているのも、基礎科学の成果の一部でも、工学やその他の応用科学で一般社会に還流しているのも一因なのではないかと。無論、初めから「何の役に立つのか」を考えていては基礎研究は進みませんし、科学者はいつもそのことを口を酸っぱくして言っています。しかし、一方で応用研究の人間はその基礎研究の成果を取り込んで各種製品を作っているわけで、その応用研究が結果的に基礎研究の(箔付け的な)社会的後援者になっている面もあるのではないかと。実際、創作神話であるクトゥルフ神話が現代も大御所として親しまれているの、その派生作品が広く世界に広まっている為でしょうし。# いっそ、ラノベ作家(を目指す人間)の参考文献として普及すれば、純文学の権威も強まるのでは…。
高校生の頃かなあ…ダンバインの原作だー! と思ってリーンの翼に手を出して思いっきり凹んだ青春時代に比べればなんて幸せな人生なんだよまったく!!
# 野生時代な本ってもうないのかなー
1974年に創刊1996年に休刊2003年に新創刊2011年に「小説 野性時代」に誌名変更したのは
野性時代 です。
JUNe文学の事でしょ。(最近はBLと呼ぶらしい)
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アレゲは一日にしてならず -- アレゲ研究家
読解力以前の問題 (スコア:3, すばらしい洞察)
「純文学」を読む気が全く無い人間の意見ですね。
純文学というジャンルに対して偏見で凝り固まっていて最初から理解する気がなく、人間関係ぐちゃぐちゃなだけのラノベの方が複雑だと思っている。
読解力ってそんな表面的な話じゃないでしょう。
純文学にしてもラノベにしても、ピンからキリまであるので、読解力が身につくかどうかはジャンル分けで決まる物じゃ無いですよ。
とはいえラノベの流行り物は特に、物事が単純化されているから読解力があまり必要無いものが多いのは確かですね。
深く考える必要が無いから流行るとも言えるでしょう。
#スレイヤーズが出た当時は「こんなの小説じゃない!」とか言ってる人も居たっけなー
#作者も「下半分はメモ用紙に使えてお得!」みたいな自虐をあとがきでしていた覚えがw
ψアレゲな事を真面目にやることこそアレゲだと思う。
Re: (スコア:2)
純文学を読む->純文学の読解力がつく。
ラノベを読む->ラノベの読解力がつく。
少なくとも,どちらを読んでも,ある区間の一様連続と各点連続の違いがわかるとは思えないですし,
プログラミング言語で書かれたものも読めるとは思えないです。
(ラノベだったら,扱っているのあるかな?長門有希はSQL(もどき)をしゃべっていたし。)
Re: (スコア:4, 興味深い)
学校図書館司書の方へのインタビューを読んだことがあるのですが、「マンガにはマンガの読み方」があって、小説ばかり読んでいては身につかないそうです。
親がマンガを与えないという方針で育った子は、マンガの読み方がよく分かっていないので、最初は指導しないとなかなかマンガが読めない。
義務教育の責務として、日本の文化に触れる機会を作ってやることが重要なので、学校はマンガの在庫も充実させているという話でした。
ということで、ラノベにはラノベの、純文学には純文学の読み方があるのは自明でしょうね。
# 小説で身につく読解力は、恐らく科学論文の読解力とは違うわけですし、純文学とラノベのどちらが読解力が付くかなんて、個人的には狭い世界の議論だなあと思います。
Re: (スコア:2)
ここにぶら下げよう。
なんだかさーねー、純文学ってその「純」ってのがものすごく高慢ちきでさー
なんか我こそは文学の中の文学、文学オブ文学で、純文学意外は言うなれば
格下じゃん? なに偉そうな事言ってるの?的なイメージ、あるんだよねぇ _(:3 」∠)_
Re:読解力以前の問題 (スコア:3)
あと,ホラーが読みたい時にはジャンルはホラーの方が探しやすいし,SFもしかり。
純文は芸術の一形態だとは思ってますが,反面,身も蓋もないことをいえば,
純文は一般的なジャンル分けからあぶれたもののゴミ箱,みたいな気もします。
Re:読解力以前の問題 (スコア:2)
純文学って、武士は食わねど高楊枝ってやつですね! (ドヤァ
…まぁジャンル分けは必要でしょうけど、なにもヒエラルキーは必要ないって思います。
最近アメトークでも読書芸人とかやってるけど、なんだろうなあー
その本そのものが高尚か低俗か薄いか厚いかなんて関係なく、
もう少し読書の「体験」を重視してほしいっつーか、
こういう別の世界の扉が開くというか(≒夏の扉)そういう体験が出来るものって
読書ぐらいしかないと思うんだけど、それを一度味わうとまた次に手を出してしまう
それを味わってないとなかなか本を手に取れない…
読書広めるんだったら、そういうのをどうにかせにゃならんのに、体験した人間が
優越感持って(フフンってしてるってのがまるで童貞を叩くノリと一緒なんだよなぁ
Re:読解力以前の問題 (スコア:2)
ふらっと立ち寄って、平積みのなかから,タイトルと帯とジャケで買ったり。
アタリがあったり外れたり。
想像を超えた展開に涙ぐんじゃったり。
とっかかりが映画よりも簡単な分,当たったときの感動もデカイ。
外れたときの悔しさも含め, その一喜一憂が読書体験の醍醐味であって,
読解力を付けるために,なんて考えて読んだことなんかないし,
ジャンル分けの無意味さなんて小学校で思い知ったし。
小学校の時読んだ山岡荘八の徳川家康と井伏鱒二訳のドリトル先生航海記は本当におもしろかった。
中日新聞に掲載されてた小松左京の首都消失も楽しみだった。
Re: (スコア:0)
むしろ、文豪ストレイドックスやFateシリーズで各種作品や伝承がモチーフとして取り入れられているように、「大衆文化の更なる源流」としての立ち位置をはっきりと確立出来れば、純文学の「権威」もすんなりと社会に広まって行きそうな気も…。
例えば、基礎科学が一般大衆にも「何となく凄い学門」と認識されているのも、基礎科学の成果の一部でも、工学やその他の応用科学で一般社会に還流しているのも一因なのではないかと。無論、初めから「何の役に立つのか」を考えていては基礎研究は進みませんし、科学者はいつもそのことを口を酸っぱくして言っています。しかし、一方で応用研究の人間はその基礎研究の成果を取り込んで各種製品を作っているわけで、その応用研究が結果的に基礎研究の(箔付け的な)社会的後援者になっている面もあるのではないかと。
実際、創作神話であるクトゥルフ神話が現代も大御所として親しまれているの、その派生作品が広く世界に広まっている為でしょうし。
# いっそ、ラノベ作家(を目指す人間)の参考文献として普及すれば、純文学の権威も強まるのでは…。
Re:読解力以前の問題 (スコア:1)
高校生の頃かなあ…ダンバインの原作だー! と思ってリーンの翼に手を出して思いっきり
凹んだ青春時代に比べればなんて幸せな人生なんだよまったく!!
# 野生時代な本ってもうないのかなー
Re: (スコア:0)
1974年に創刊
1996年に休刊
2003年に新創刊
2011年に「小説 野性時代」に誌名変更したのは
野性時代 です。
Re: (スコア:0)
JUNe文学の事でしょ。(最近はBLと呼ぶらしい)