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昔は、まず純文学といったものだけが、いわゆる読み物としての本であって小説なんかは、今でいうところのマンガと同じ扱いだった私の母親などは子供のころ、当時、朝日新聞に連載中だった氷点や続氷点を食い入るように読んでいたそうだが母の父、つまり私の祖父などからは、「そんな下らないものばかり読んでいないでもっと本を読め」と毎日のように言われていたそうだそれどころか、母が小中高と集めに集めた三浦綾子関連の全ての本を、大学受験のあたりで全部捨てられたとも……
しかし今やどうだろう?氷点を読むことを“読書”と認められない人が居なくなったばかりか、「ラノベを読んでも読解力は身につかない」などとドヤ顔で説教する始末であるこのまま行くとそのうち、「マンガを読んでも読解力は身につかない」などとドヤ顔で語るラノベ愛好家が出てきそうで恐ろしい
その前は純文学も馬鹿にされてましたけどね。考えようによっては、他人の人生を覗き見する下世話な書き物ですし。
文士なんてクズ・ろくでなし・人格破綻者・社会的不適格者の代名詞みたいなもの。その前の時代だったら、戯作者とかは趣味の延長みたいなもの?
森鴎外がその典型だね。子供の名前も「茉莉」、「杏奴」、「不律」、「類」とDQNネームの走りだし。
日本では、自分の人生をただただ赤裸々に描き出す自然主義文学とか私小説とかいう分野もございまして、下手をすると、SNSで自爆する若者のようにも見えますが、そこをカバーできる文章力があるのが、生き残っているのでしょうね。
# まぁ、田山花袋の「蒲団」はどうなんだろうとはずっと思ってますが。# 「蒲団」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000214/files/1669_8259.html [aozora.gr.jp]
日本では、自分の人生をただただ赤裸々に描き出す自然主義文学とか私小説とかいう分野もございまして/p>
自分の人生をただただ赤裸々に描き出す随筆では、新しい順に、徒然草(鎌倉末期?)、方丈記(鎌倉中期)、枕草子(平安中期)辺りまで遡れますからねぇ。枕草子なんてハーレムラノベの始祖源氏物語と同時期。
私小説と文壇ゴシップや変態的な性愛に対する好奇は切っても切れない関係にありますが、同じ田山の短い「少女病」 [aozora.gr.jp]などを読むと、馬鹿にされたのもやむなしと思いました
森鴎外の舞姫なんてほぼ実話だからねぇ。しかも、そんな奴が日露戦争時の陸軍の軍医、しかも、高級士官だったこと。おかげで、森鴎外は日露戦争で日本兵を一番殺した士官として有名になってます。
正直「私小説」というやつは気持ち悪い
昔は純文学だけって、純文学が明治以降ってこと知らんの?昔からあるのはラノベ。
昔は黄表紙とか滑稽本とか読本とか言うた。ブンガクとかショウセツとかいう言葉はよく判らん。
どのジャンルにもあるやつですね。ぱっと思い浮かぶ当たり音楽とかビデオゲームとか。
サザンがヒットしたてのころの「音楽評論家」の評価は、・歌詞が聞き取りにくいので評価以前の問題だ・騒々しいだけなど散々でしたね。
もっと古くでいうと、漢詩に対するひらがなに対する揶揄。夏目漱石の文章も軽過ぎて低俗だとして揶揄されてた。ピラミッドには、建設当時の労働者が若者に対する愚痴を壁に書きこんでいる。これらは全部、人間という種の持つ同じ習性から出てるんだと思う。
> ・歌詞が聞き取りにくいので評価以前の問題だ> ・騒々しいだけ
完全に正しいじゃん。
「歌詞が聞き取りにくい」までは正しいが、その結果「評価以前の問題だ」と評価した事に、論理の飛躍がある=誤りである。聴衆にとって非ネイティブ言語の歌は、大抵「歌詞が聞き取りにくい」が、それで聴衆にとって音楽性が失われるわけではない。
日本語の歌詞が日本人にとって聞き取りにくかったら聞き取れる人いないじゃん。そんなの歌としてはダメ。あんなのは歌じゃない。というのがその音楽評論家の意見だったんだろう。俺も同意見。
音楽評論家は、結局は何を目的としているのか。狭い範囲の一部のオタク基準で論評するだけであれば、それこそ何でもいい。それは結局は「好き嫌い」を色んな切り口で論じているだけにすぎない。あなたの「俺も同意見」と同じ。それは単なる好き嫌い。
大多数に対し一般化できるような評価を「評論家」として論じるのであれば、日本語が聞き取れるかどうかという、大多数の日本人が当時結局は重視しなかった要素を、さも大前提のようにとらえた時点で、評論としては失敗ですよね。完全に読み違えている。
というか古今東西「母国語話者でさえ歌詞が聞き取りづらい歌」なんてのはいくらでもあるので、それをもって「歌じゃない」(歌としてデキが悪い、という意味なんだろう)なんて語っちゃダメですよね。まだこう、「大衆歌謡としては、聞いた人が歌詞を聴き取れるようにせねば」とかなら分かる。(同様の論として「アニメの主題歌は~」と言えば、同意するかはさておき理解はできると思う)
実際は感覚的に肌に合うかどうかが先にあり、その嫌悪感をどうにか言語化しようとして「聞き取れないからダメ」って言ってるだけじゃないかなぁ。彼らは聞き取りやすい歌も歌ってるけど、それだってナントカして否定したくなっちゃうんじゃなかろうか。
どうでもいいけど、あのひと気持ち悪いよね。俺らの周りでは歌う身体障害者って言われてた。
# 身体障害者に失礼だとは思うけど、身体障害者は馬鹿にしていい風潮があった時代の話。
ほぇ、桑田佳祐??そんな感じはなかったが…世代?
スキャットとか、外国語(極端なこと言うと自分が知らない言語でも)などは、歌詞を理解しなくても気持ち良ければいいんじゃないの?歌詞を理解すれば、より評価しやすいけど、歌や歌付きの音楽、歌なしの音楽だって気持ちよければ、そういう評価だろう。
文字に書き起こしたものが、文学に分類されるのか、単なる文字列(を印刷した本を国会図書館に納品してお金をもらう話がありましたね)なのか、その中間なのかは置いといて、それを読んで気持ちよければ、その時間を作り出したものに対して評価すべきじゃないかなぁ。
読解力なんて、天声人語をありがたがってる時点でどうでもいいじゃ
音楽は間違いなく衰退していると思う。クラシック音楽みたいに時間をかけて真剣に聴くようなものは流行らない。文学も同様じゃないだろうか。
ビデオゲームはよく知らない。
流行り廃りの話なんですか?これって
そうでしょ。高尚な純文学でなく低俗なラノベが流行ってるのが気に入らないってのとそれが気に入らない人との罵り合い。
そもそもクラシックが流行った時代ってあったんですかね。
19世紀初頭から20世紀初頭のヨーロッパはクラシックの黄金時代でした。
当時の話を読むと、ベートーベンに始まってワーグナーやブラームス、ドボルザークなどの作曲家、マーラーやフォン・ビュロー、トスカニーニなどの指揮者、リストやパガニーニなどの演奏家は現代のロックスター並みの扱いを受けています。
クラシックが衰退しているのは、20世紀に入って「かしこまってありがたく聴きやがれ」という風潮があらゆるクラシック作品に適用されてしまったからじゃないかと、個人的には思っています。
実際にはそんなご大層なものばかりじゃないんです。ドボルザークは基本的に流行歌みたいにきれいなメロディを聞き流すもの、ワーグナーは舞台版ロード・オブ・ザ・リングみたいなもの、マーラーは臆面もなく垂れ流される厨二病を楽しむもの、リストやパガニーニの作品は「指が速すぎワロタwww」と超絶テクニックに感心するもの、モーツァルトのオペラに至ってはおバカなプロットをギャハハと笑い飛ばせばいいだけ。
もっと肩の力を抜いてコンサートに来てもらえるようになればクラシックも息を吹き返すのかなあ。
歌芝居であれば、セラミュ(セーラームーンのミュージカル)テニプリのミュージカルみたいに多数の人にとって、時には親子連れで泣き出さずに舞台に夢中になることができる作品がもっと多ければさらによいのかも。
ドラマや映画に出てくる知能の高いカリスマ犯罪者みたいのが大抵クラシック好きの設定でクラシックに詳しい製作側が「クラシックはご大層/高尚なもの」として描いてる感がするのでクラシック自体がなんか嫌になった
王様が音楽に通じてるとは限らんだろ。
純文学ってのは小説の一種だ。
君の認識は根本から間違ってるぞ。
俺もそう思った。小説でない純文学って何だ?
戯曲、詩歌、随筆、評論とか>小説でなく純文学になりうるもの
随筆や評論を純文学と呼ぶのはかなり無理があるんじゃないか。戯曲は小説の変種とも言えるし。歌集や詩もそういう一分野で、純文学と呼ぶ中には入らないと思う。
まあ、純文学自体の定義があいまいだけどね。
> 戯曲、詩歌、随筆、評論とか>小説でなく純文学になりうるもの
Wikipediaには、「純文学(じゅんぶんがく)は、大衆小説に対して『娯楽性』よりも『芸術性』に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語」とありますな。もっと簡単には、芥川賞が穫れる小説かと。戯曲、詩歌、随筆、評論では、芥川賞は無理ですね。
純文学とか大衆文学とかの括りがそもそも無意味であったのと同様に(大菩薩峠とか太陽の季節とかが純文学と言われても、ねえ)、通常の小説とラノベの区別も無意味でしょう。どちらも、宝物の様な作品が少数、後は箸にも棒にもかからない、な訳ですから。
http://www.weblio.jp/content/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6 [weblio.jp]>2. 哲学・史学を含む広義の文学に対し,美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類。三省堂大辞林よりもwikipediaの方を信用したいのであればご自由に。
http://www.weblio.jp/content/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6 [weblio.jp] >2. 哲学・史学を含む広義の文学に対し,美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類。三省堂大辞林よりもwikipediaの方を信用したいのであればご自由に。
ぷぷぷ。
辞書辞典で複数の項目のある場合、その意味が強いものが先に載せられているのだよ。だから、http://www.weblio.jp/content/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6 の様に、
1.大衆文学・通俗文学に対して,読者に媚(こ)びず純粋な芸術をめざした文学作品。2.哲学・史学を含む広義の文学に対し,美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類。
とあったら、wiki
三省堂大辞林の記述では、1,2ともに「~に対し」という表現になっていますこのツリーではラノベと純文学が話題にされていますから、1と解釈するのが自然ですね
おなじ辞典の「文学」の項には> ① 〔literature〕 言語表現による芸術作品。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など。文芸。 「 -作品」 「 -書」 「 -を愛する」とありますが
日本大百科全書(ニッポニカ)の「純文学」の項には> 文芸用語。読者に迎合する興味本位の通俗文学・大衆文学に対し、純粋な芸術的感興を唯一の必然として書かれた小説をさす。とはっき
三省堂大辞林では> 1.大衆文学・通俗文学に対して,読者に媚(こ)びず純粋な芸術をめざした文学作品。と、「めざした文学作品」となっています
ニッポニカでも> 文芸用語。読者に迎合する興味本位の通俗文学・大衆文学に対し、純粋な芸術的感興を唯一の必然として書かれた小説をさす。と、「書かれた小説」とされます
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典でも> > 日本の近代文学および文壇における独特の用語。読者の娯楽的興味に媚 (こ) びるのではなく,作者の純粋な芸術意識によって書かれた文学というほどの意味。と、「書かれた文学」と書いてあります
いずれにしても作家の意識のみが問題にされているようです
> いずれにしても作家の意識のみが問題にされているようです
粘るねえ。
論語、為政第二に「子曰く、学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆し」てのがあるが、危ういヤツそのものだな。可哀想に。
とのコメントがありましたので、その通り、内容や形式によって純文学かどうかが決まるとは言えず、しかし、現在のところ小説以外のものを純文学と呼ぶことはあまりないと述べました
わたしは対立する意見の両方に対してそれぞれを支持する補足を一つずつ、すなわち (#3133728) に対する補足として(#3134559)を書き、(#3133951)に対する補足として(#3134666)を書きましたですから「粘った」という事実はないのです「粘った」という表現は、一方の立場から何度もコメントした場合にのみふさわしいと思いますが、いかがでしょう
あなたが、わたし(#3134587)(#3134559) がそれ以外のコメントをしたと考えておられるのなら、具体的にどのコメントか挙げてくださるとうれしいですよろしくお願いします
> (#3133951)に対する補足として(#3134666)を書きました
(#3134666)はあなたのコメントでしたわたしが(#3133951)に対する補足として書いたのは (#3134587) です失礼いたしました
#3134666で「粘るねえ」と書いた理由は、「いずれにしても作家の意識のみが問題にされているようです」が何に対してなのか判然としない、というよりは文学作品/小説/文学の語を併用しているからには、このコンテキストで小説以外のものを純文学とする間抜け#3133951 [srad.jp]や、強弁するために記述の第二項のみを書き出した#3134462 [srad.jp]と軌を一にするものと考えたからです。誤爆であったのなら、大変申し訳ない。
当然、源氏物語も同じでした。
そりゃそうだ。男だったらシナの古典を読むべきで女だからあんな下品なもの書いたり読んだりしても許されたんだろ。
源氏物語なんて今でいうハーレム系ラノベそのものだし
今のレディスコミックの立ち位置だね。
昔は「作り話ばっか読んでたら駄目になるぞ」的な。ラノベは中身スカスカな奴が多いってのは思いますが。
音楽でも、クラッシックは昔はポピュラーな物だったはず。
えっ、とっくにマンガ読みが「(RPGやノベルゲーなどの)ゲームをやっても読解力は身につかない」とかドヤ顔する時代になっていると思っていました。
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時代が変わった (スコア:4, すばらしい洞察)
昔は、まず純文学といったものだけが、いわゆる読み物としての本であって
小説なんかは、今でいうところのマンガと同じ扱いだった
私の母親などは子供のころ、当時、朝日新聞に連載中だった氷点や続氷点を食い入るように読んでいたそうだが
母の父、つまり私の祖父などからは、「そんな下らないものばかり読んでいないでもっと本を読め」と毎日のように言われていたそうだ
それどころか、母が小中高と集めに集めた三浦綾子関連の全ての本を、大学受験のあたりで全部捨てられたとも……
しかし今やどうだろう?
氷点を読むことを“読書”と認められない人が居なくなったばかりか、「ラノベを読んでも読解力は身につかない」などとドヤ顔で説教する始末である
このまま行くとそのうち、「マンガを読んでも読解力は身につかない」などとドヤ顔で語るラノベ愛好家が出てきそうで恐ろしい
Re:時代が変わった (スコア:3)
Re:時代が変わった (スコア:1)
その前は純文学も馬鹿にされてましたけどね。
考えようによっては、他人の人生を覗き見する下世話な書き物ですし。
Re: (スコア:0)
文士なんてクズ・ろくでなし・人格破綻者・社会的不適格者の代名詞みたいなもの。
その前の時代だったら、戯作者とかは趣味の延長みたいなもの?
Re: (スコア:0)
森鴎外がその典型だね。
子供の名前も「茉莉」、「杏奴」、「不律」、「類」とDQNネームの走りだし。
Re: (スコア:0)
日本では、自分の人生をただただ赤裸々に描き出す
自然主義文学とか私小説とかいう分野もございまして、
下手をすると、SNSで自爆する若者のようにも見えますが、
そこをカバーできる文章力があるのが、生き残っているのでしょうね。
# まぁ、田山花袋の「蒲団」はどうなんだろうとはずっと思ってますが。
# 「蒲団」 http://www.aozora.gr.jp/cards/000214/files/1669_8259.html [aozora.gr.jp]
Re: (スコア:0)
日本では、自分の人生をただただ赤裸々に描き出す自然主義文学とか私小説とかいう分野もございまして/p>
自分の人生をただただ赤裸々に描き出す随筆では、新しい順に、徒然草(鎌倉末期?)、方丈記(鎌倉中期)、枕草子(平安中期)辺りまで遡れますからねぇ。
枕草子なんてハーレムラノベの始祖源氏物語と同時期。
Re: (スコア:0)
私小説と文壇ゴシップや変態的な性愛に対する好奇は切っても切れない関係にありますが、
同じ田山の短い「少女病」 [aozora.gr.jp]などを読むと、
馬鹿にされたのもやむなしと思いました
Re: (スコア:0)
森鴎外の舞姫なんてほぼ実話だからねぇ。
しかも、そんな奴が日露戦争時の陸軍の軍医、しかも、高級士官だったこと。
おかげで、森鴎外は日露戦争で日本兵を一番殺した士官として有名になってます。
Re: (スコア:0)
正直「私小説」というやつは気持ち悪い
Re:時代が変わった (スコア:1)
昔は純文学だけって、純文学が明治以降ってこと知らんの?
昔からあるのはラノベ。
the.ACount
Re: (スコア:0)
昔は黄表紙とか滑稽本とか読本とか言うた。
ブンガクとかショウセツとかいう言葉はよく判らん。
Re: (スコア:0)
どのジャンルにもあるやつですね。
ぱっと思い浮かぶ当たり音楽とかビデオゲームとか。
Re:時代が変わった (スコア:1)
サザンがヒットしたてのころの「音楽評論家」の評価は、
・歌詞が聞き取りにくいので評価以前の問題だ
・騒々しいだけ
など散々でしたね。
もっと古くでいうと、漢詩に対するひらがなに対する揶揄。
夏目漱石の文章も軽過ぎて低俗だとして揶揄されてた。
ピラミッドには、建設当時の労働者が若者に対する愚痴を壁に書きこんでいる。
これらは全部、人間という種の持つ同じ習性から出てるんだと思う。
Re: (スコア:0)
> ・歌詞が聞き取りにくいので評価以前の問題だ
> ・騒々しいだけ
完全に正しいじゃん。
Re: (スコア:0)
「歌詞が聞き取りにくい」までは正しいが、その結果「評価以前の問題だ」と評価した事に、論理の飛躍がある=誤りである。
聴衆にとって非ネイティブ言語の歌は、大抵「歌詞が聞き取りにくい」が、それで聴衆にとって音楽性が失われるわけではない。
Re: (スコア:0)
日本語の歌詞が日本人にとって聞き取りにくかったら聞き取れる人いないじゃん。
そんなの歌としてはダメ。あんなのは歌じゃない。
というのがその音楽評論家の意見だったんだろう。
俺も同意見。
Re: (スコア:0)
音楽評論家は、結局は何を目的としているのか。
狭い範囲の一部のオタク基準で論評するだけであれば、それこそ何でもいい。
それは結局は「好き嫌い」を色んな切り口で論じているだけにすぎない。
あなたの「俺も同意見」と同じ。それは単なる好き嫌い。
大多数に対し一般化できるような評価を「評論家」として論じるのであれば、
日本語が聞き取れるかどうかという、大多数の日本人が当時結局は重視しなかった要素を、
さも大前提のようにとらえた時点で、評論としては失敗ですよね。
完全に読み違えている。
Re: (スコア:0)
というか古今東西「母国語話者でさえ歌詞が聞き取りづらい歌」なんてのはいくらでもあるので、
それをもって「歌じゃない」(歌としてデキが悪い、という意味なんだろう)なんて語っちゃダメですよね。
まだこう、「大衆歌謡としては、聞いた人が歌詞を聴き取れるようにせねば」とかなら分かる。
(同様の論として「アニメの主題歌は~」と言えば、同意するかはさておき理解はできると思う)
実際は感覚的に肌に合うかどうかが先にあり、その嫌悪感をどうにか言語化しようとして「聞き取れないからダメ」って言ってるだけじゃないかなぁ。
彼らは聞き取りやすい歌も歌ってるけど、それだってナントカして否定したくなっちゃうんじゃなかろうか。
Re: (スコア:0)
どうでもいいけど、あのひと気持ち悪いよね。
俺らの周りでは歌う身体障害者って言われてた。
# 身体障害者に失礼だとは思うけど、身体障害者は馬鹿にしていい風潮があった時代の話。
Re: (スコア:0)
ほぇ、桑田佳祐??
そんな感じはなかったが…世代?
Re: (スコア:0)
スキャットとか、外国語(極端なこと言うと自分が知らない言語でも)などは、歌詞を理解しなくても気持ち良ければいいんじゃないの?
歌詞を理解すれば、より評価しやすいけど、歌や歌付きの音楽、歌なしの音楽だって気持ちよければ、そういう評価だろう。
文字に書き起こしたものが、文学に分類されるのか、単なる文字列(を印刷した本を国会図書館に納品してお金をもらう話がありましたね)なのか、その中間なのかは置いといて、それを読んで気持ちよければ、その時間を作り出したものに対して評価すべきじゃないかなぁ。
読解力なんて、天声人語をありがたがってる時点でどうでもいいじゃ
Re: (スコア:0)
音楽は間違いなく衰退していると思う。
クラシック音楽みたいに時間をかけて真剣に聴くようなものは流行らない。
文学も同様じゃないだろうか。
ビデオゲームはよく知らない。
Re: (スコア:0)
流行り廃りの話なんですか?これって
Re: (スコア:0)
そうでしょ。
高尚な純文学でなく低俗なラノベが流行ってるのが気に入らない
ってのとそれが気に入らない人との罵り合い。
Re: (スコア:0)
そもそもクラシックが流行った時代ってあったんですかね。
Re: (スコア:0)
19世紀初頭から20世紀初頭のヨーロッパはクラシックの黄金時代でした。
当時の話を読むと、ベートーベンに始まってワーグナーやブラームス、ドボルザークなどの作曲家、マーラーやフォン・ビュロー、トスカニーニなどの指揮者、リストやパガニーニなどの演奏家は現代のロックスター並みの扱いを受けています。
クラシックが衰退しているのは、20世紀に入って「かしこまってありがたく聴きやがれ」という風潮があらゆるクラシック作品に適用されてしまったからじゃないかと、個人的には思っています。
実際にはそんなご大層なものばかりじゃないんです。ドボルザークは基本的に流行歌みたいにきれいなメロディを聞き流すもの、ワーグナーは舞台版ロード・オブ・ザ・リングみたいなもの、マーラーは臆面もなく垂れ流される厨二病を楽しむもの、リストやパガニーニの作品は「指が速すぎワロタwww」と超絶テクニックに感心するもの、モーツァルトのオペラに至ってはおバカなプロットをギャハハと笑い飛ばせばいいだけ。
もっと肩の力を抜いてコンサートに来てもらえるようになればクラシックも息を吹き返すのかなあ。
Re:時代が変わった (スコア:1)
歌芝居であれば、
セラミュ(セーラームーンのミュージカル)
テニプリのミュージカル
みたいに多数の人にとって、時には親子連れで泣き出さずに舞台に夢中に
なることができる作品がもっと多ければさらによいのかも。
Re: (スコア:0)
ドラマや映画に出てくる知能の高いカリスマ犯罪者みたいのが大抵クラシック好きの設定で
クラシックに詳しい製作側が「クラシックはご大層/高尚なもの」として描いてる感がするので
クラシック自体がなんか嫌になった
Re: (スコア:0)
Re: (スコア:0)
王様が音楽に通じてるとは限らんだろ。
Re: (スコア:0)
純文学ってのは小説の一種だ。
君の認識は根本から間違ってるぞ。
Re: (スコア:0)
俺もそう思った。
小説でない純文学って何だ?
Re: (スコア:0)
戯曲、詩歌、随筆、評論とか>小説でなく純文学になりうるもの
Re: (スコア:0)
随筆や評論を純文学と呼ぶのはかなり無理があるんじゃないか。
戯曲は小説の変種とも言えるし。
歌集や詩もそういう一分野で、純文学と呼ぶ中には入らないと思う。
まあ、純文学自体の定義があいまいだけどね。
Re: (スコア:0)
> 戯曲、詩歌、随筆、評論とか>小説でなく純文学になりうるもの
Wikipediaには、「純文学(じゅんぶんがく)は、大衆小説に対して『娯楽性』よりも『芸術性』に重きを置いている小説を総称する、日本文学における用語」とありますな。もっと簡単には、芥川賞が穫れる小説かと。戯曲、詩歌、随筆、評論では、芥川賞は無理ですね。
純文学とか大衆文学とかの括りがそもそも無意味であったのと同様に(大菩薩峠とか太陽の季節とかが純文学と言われても、ねえ)、通常の小説とラノベの区別も無意味でしょう。どちらも、宝物の様な作品が少数、後は箸にも棒にもかからない、な訳ですから。
Re: (スコア:0)
http://www.weblio.jp/content/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6 [weblio.jp]
>2. 哲学・史学を含む広義の文学に対し,美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類。
三省堂大辞林よりもwikipediaの方を信用したいのであればご自由に。
Re: (スコア:0)
http://www.weblio.jp/content/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6 [weblio.jp]
>2. 哲学・史学を含む広義の文学に対し,美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類。
三省堂大辞林よりもwikipediaの方を信用したいのであればご自由に。
ぷぷぷ。
辞書辞典で複数の項目のある場合、その意味が強いものが先に載せられているのだよ。だから、http://www.weblio.jp/content/%E7%B4%94%E6%96%87%E5%AD%A6 の様に、
1.大衆文学・通俗文学に対して,読者に媚(こ)びず純粋な芸術をめざした文学作品。
2.哲学・史学を含む広義の文学に対し,美的形成を主とした詩歌・小説・戯曲などの類。
とあったら、wiki
Re: (スコア:0)
三省堂大辞林の記述では、1,2ともに「~に対し」という表現になっています
このツリーではラノベと純文学が話題にされていますから、1と解釈するのが自然ですね
おなじ辞典の「文学」の項には
> ① 〔literature〕 言語表現による芸術作品。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など。文芸。 「 -作品」 「 -書」 「 -を愛する」
とありますが
日本大百科全書(ニッポニカ)の「純文学」の項には
> 文芸用語。読者に迎合する興味本位の通俗文学・大衆文学に対し、純粋な芸術的感興を唯一の必然として書かれた小説をさす。
とはっき
Re: (スコア:0)
三省堂大辞林では
> 1.大衆文学・通俗文学に対して,読者に媚(こ)びず純粋な芸術をめざした文学作品。
と、「めざした文学作品」となっています
ニッポニカでも
> 文芸用語。読者に迎合する興味本位の通俗文学・大衆文学に対し、純粋な芸術的感興を唯一の必然として書かれた小説をさす。
と、「書かれた小説」とされます
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典でも
> > 日本の近代文学および文壇における独特の用語。読者の娯楽的興味に媚 (こ) びるのではなく,作者の純粋な芸術意識によって書かれた文学というほどの意味。
と、「書かれた文学」と書いてあります
いずれにしても作家の意識のみが問題にされているようです
Re: (スコア:0)
> いずれにしても作家の意識のみが問題にされているようです
粘るねえ。
論語、為政第二に「子曰く、学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆し」てのがあるが、危ういヤツそのものだな。可哀想に。
Re: (スコア:0)
> 戯曲、詩歌、随筆、評論とか>小説でなく純文学になりうるもの
とのコメントがありましたので、その通り、内容や形式によって純文学かどうかが決まるとは言えず、
しかし、現在のところ小説以外のものを純文学と呼ぶことはあまりない
と述べました
わたしは対立する意見の両方に対してそれぞれを支持する補足を一つずつ、すなわち (#3133728) に対する補足として(#3134559)を書き、(#3133951)に対する補足として(#3134666)を書きました
ですから「粘った」という事実はないのです
「粘った」という表現は、一方の立場から何度もコメントした場合にのみふさわしいと思いますが、いかがでしょう
あなたが、わたし(#3134587)(#3134559) がそれ以外のコメントをしたと考えておられるのなら、具体的にどのコメントか挙げてくださるとうれしいです
よろしくお願いします
Re: (スコア:0)
> (#3133951)に対する補足として(#3134666)を書きました
(#3134666)はあなたのコメントでした
わたしが(#3133951)に対する補足として書いたのは (#3134587) です
失礼いたしました
Re: (スコア:0)
#3134666で「粘るねえ」と書いた理由は、「いずれにしても作家の意識のみが問題にされているようです」が何に対してなのか判然としない、というよりは文学作品/小説/文学の語を併用しているからには、このコンテキストで小説以外のものを純文学とする間抜け#3133951 [srad.jp]や、強弁するために記述の第二項のみを書き出した#3134462 [srad.jp]と軌を一にするものと考えたからです。誤爆であったのなら、大変申し訳ない。
Re: (スコア:0)
当然、源氏物語も同じでした。
Re: (スコア:0)
そりゃそうだ。
男だったらシナの古典を読むべきで
女だからあんな下品なもの書いたり読んだりしても
許されたんだろ。
Re: (スコア:0)
源氏物語なんて今でいうハーレム系ラノベそのものだし
Re: (スコア:0)
今のレディスコミックの立ち位置だね。
Re: (スコア:0)
昔は「作り話ばっか読んでたら駄目になるぞ」的な。
ラノベは中身スカスカな奴が多いってのは思いますが。
音楽でも、クラッシックは昔はポピュラーな物だったはず。
Re: (スコア:0)
えっ、とっくにマンガ読みが「(RPGやノベルゲーなどの)ゲームをやっても読解力は身につかない」とかドヤ顔する時代になっていると思っていました。