2023年のセンバツで山梨学院を県勢初の甲子園優勝に導いた吉田洸二監督(55)は、前任校の清峰(長崎)を率いた09年にも春の頂点に立った。複数校で優勝を達成した史上4人目の監督は、ときに流行の逆を行き、「自主性と強制」を使い分けて結果を残…
2023年のセンバツで山梨学院を県勢初の甲子園優勝に導いた吉田洸二監督(55)は、前任校の清峰(長崎)を率いた09年にも春の頂点に立った。複数校で優勝を達成した史上4人目の監督は、ときに流行の逆を行き、「自主性と強制」を使い分けて結果を残してきた。常に変化し続ける生徒との向き合い方を聞いた。【聞き手・野田樹】
指導は長男と「分業制」
――山梨学院では長男の健人部長と「分業制」で指導しているそうですね。
◆選手の育成は部長が担当し、試合の打順やサイン、選手起用のタイミングは僕が判断しています。選手を育てるコーチと起用する監督は別がいいんです。手塩にかけて育てると、情が移る時もあります。でも、監督はチームの代表として生徒や保護者、スタッフの夢を背負って采配するので、情に流されてはいけません。分業した方が的確な試合運びができるのではないかと思っています。
高校野球は入り口と育成、出口の三つが大事です。部長に一番時間がかかる育成を頑張ってもらい、僕が一緒に戦う生徒を集める入り口と、大事な生徒を次の監督に託す出口を担当しています。
――強豪がひしめく関東地区で4年連続のセンバツ出場を決め、23年は優勝、昨年は8強入りしました。自主性が重んじられる時代にどのように指導してきたのでしょうか。
◆清峰で指導していた頃から「自主性と強制」の使い分けがテーマでした。時期によって、選手に練習メニューを組ませたり、こちらで全て考えたりしていました。20年前に今はやりの自主性を重視した指導をやっていたから、09年のセンバツで優勝できたのかもしれません。
ここ5年ほど、選手の自主性(重視)なんて絶対にやらないと思って、部長を中心に厳しい練習を選手に課してきました。練習からミスをしてはいけないという緊張感を持つことが、試合でのエラーを生まないと考えていました。今風ではないけれど、他の学校が今風にやっているので、他にない粘り強さが維持できました。よそと違う方法で山を登れば優勝するというのが本能的にあるんでしょうね。
「強制は足し算、自主性はかけ算」
――強制重視だった指導方針を今冬に変えましたね。
◆23年まで3年連続で秋季関東大会の決勝に進出したので、強制重視の方が勝ちやすいかなと思う一方、長続きしないなとも感じていました。生徒も無理をしていましたし、本当に厳しい練習は指導者も疲弊します。勢いが夏まで続かなくて、ここ2年は夏の甲子園出場を逃していました。
いつか指導方針を振り返る時が来るかなと思っていたら、昨秋の関東大会準々決勝で千葉黎明に敗れました。部長も考え直したようで、選手に「一から十」まで言うのをやめて「一から五」くらいにしました。選手の動きが良くなって、ピリピリと張り詰めていた練習に活気が生まれました。
――選手の自主性に委ねた方が伸びるのでしょうか。
◆自主性の中で育てた方が伸びる生徒もいれば、まだこちらが強制的に教えないと自主的にやれるところまで育っていない生徒もいて、僕の中でこれがベストという育て方はないです。昔からよく言っているのは「強制は足し算、自主性はかけ算」。チームに一人でも「0」の生徒がいると自主性はうまくいかないので、地道な足し算も大切です。
一方、チームとしては、こちらが強制してつらいことを乗り越える時間も必要です。清峰では、冬に血へどを吐くくらい走り込んで倒れるまで追い込みました。13年に山梨学院に着任した当時はやめていたのですが、なかなか結果が出なくて3年目の冬に厳しい練習をしたら、次の夏に甲子園に出場できました。走れなくなった仲間のユニホームを引っ張ってでも全員で走ろうとする一体感は、最後の夏にはすごく要るんです。それからは冬の地獄の走り込みが定番になり、最近までやっていました。
――今はやめたのですか。
◆追い込み方を変えました。今はウエートトレーニングやサーキットトレーニングを中心にして、一体感を生み出そうとしています。昔は走って走って心肺機能を追い込みましたが、今の生徒には理不尽な走り込みに映って人が集まらなくなってしまうので、そこは昔と指導を変えたところですね。「今までこれで勝てていたから」という経験に頼らず、メリットとデメリットを整理して常に変化の途上にあります。
複数校で甲子園優勝、共通項は?
――複数校で優勝できたのは、監督の柔軟な指導があったからでしょうか。
◆「どうすれば優勝できるんですか」と聞かれても、方法は分からないです。複数校で優勝した監督は4人だけでしょう。それはきっと、こうすれば優勝するという方程式がないからですよね。
ただ、(2校の)どちらにも共通していたのは、選手やスタッフら「人の縁」に恵まれたことです。清峰は地方の県立高で、学校の近くに住む子どもたちだけでしたが、甲子園を自分たちの庭のように思える心の強さがありました。
また、大躍進した一番の理由は、清水央彦(あきひこ)コーチ(当時)という良き参謀の存在です。僕は試合で(攻撃の)サインを出すのが得意で、清水コーチに守りの部分を任せていました。山梨学院でも、部長が相手打者の研究や守備の練習をしているので、清水コーチが息子に変わったという感じです。
――良い縁を引き寄せる力があるのではないですか。
◆縁は目に見えないものなんだけど、自然と集まりましたね。本当に2回の優勝は他力でしたから。清峰の時に「吉田は清水コーチがいないと甲子園に行けない」と言われたことがありましたが、事実なので全く気になりませんでした。一つ言うとすれば、「おれのおかげで勝っている」と思っている指導者は長続きしないですよ。
――高校野球の指導で生徒を長年見続けていて、変化は感じますか。
◆今と昔の生徒で大騒ぎするほどの違いは感じません。時代による変化はありますが、生徒はいくらでもこちら側の色に染まります。部長の言う通りに練習していた生徒も、冬に雰囲気を変えたら順応しています。だから、指導者が上からいいものを流せば、生徒は生き生きと泳ぐことができるのだと思います。
略歴
吉田洸二(よしだ・こうじ)。1969年5月6日生まれ。長崎県出身。佐世保商から山梨学院大を経て、長崎で教員になる。清峰を春2回、夏3回甲子園出場に導き、2009年センバツで長崎県勢初優勝。13年から山梨学院監督。春6回、夏5回出場し、23年センバツで優勝。甲子園通算23勝のうち、春に18勝している。専任で監督を務める。