未来を切り拓く勉強術:金子哲雄さんの言葉が教えてくれた大人の学び方
最終更新日:2023/11/24
学生時代は勤勉でもなんでもなく、どちらかというとノートを写させて貰う事のほうが多い、怠惰な学生だったと思います。
社会人になった後も、仕事の忙しさにかまけて自己啓発は無駄だと考えていた時期もありました。
そんな私ですが、今では勉強をしていないと何か落ち着かない気分になるので、不思議なものです。
とはいっても四六時中勉強なんて出来ませんので、隙間時間を有効活用するようになったという方が的確かもしれません。
色々と勉強に至るキッカケはあったのですが、「転職」が大きなきっかけだったと思います。
会社にとって自分は必須ではない
現役バリバリで自分しか出来ない事をやっていると「自分はこの会社にとって、必要不可欠な人材」「自分の代わりなんて誰もいない」と思いがちです。現に私もそう思っていた時期もありました。でも、その会社を辞めて、辞めた後の状況を聞いても大抵なんとかなっているんですよね。
自分は必要不可欠と思っていたのは自分だけであり、会社からしてみれば私は「必須」の存在ではなかった訳です。
『自分は特別ではない』
『自分の代わりは要る』
わりと衝撃的なこの事実。現にリストラが社会問題となった当時は、脱力する方も多かったようです。
この観点が私自身の勉強しなくては!という意志の開花につながりました。
書面での第一印象
『資格なんて実業務に使えないから取っても意味がない』という意見をよく聞きます。
確かに資格試験、特に情報処理系の資格はほとんど無意味な場合が多いです。
ですが、ある時ふと気付きました。
『未来永劫今の仕事で食べていけるという保証はどこにもない。』
『終身雇用なんてハナから期待していない自分にとって、ある日突然解雇されたら?』
自分には自分のスキルを客観的に評価出来る指標がない事に気付きました。そう、資格試験とはスキルを客観的に評価出来るツールだという事に気付けた訳です。
履歴書に資格欄が空白と記載有りなら印象が違います。年齢が上になればなるほどジワジワと効いてくる箇所です。
書面での第一印象で『客観的』に判断出来る資格試験の勉強へと繋がっていきます。
明日が来る事を当たり前と思わない
流通ジャーナリストで金子哲雄さんという方がおられました。2012年に肺カルチノイドという症例が非常に少ない病の為、41歳という若さでこの世を去られました。
私自身、この方がテレビによく出演されていた頃はあまりいい印象はなく、軽い内容を面白おかしく吹聴しているな、という認識でしかありませんでした。ですが、私の認識はお恥ずかしい限りで、金子哲雄さんは努力の塊のような人で、無くなる直前まで仕事を行い、自分のお葬式まで自分で手配・プロデュースしたのです。
この話を聴いた時、今までの認識を改め、尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。
この本は、金子哲雄さんの死後に出版された手記です。
『自分が70歳、80歳の頃どうなっているかを前は想像していたのに、想像する事が出来なくなった』というニュアンスが非常に胸に刺さりました。
明日が来ることが当たり前に感じていますが、それはとても特別な事なんだという思いがひしひしと伝わってきます。
こんなに生を渇望している人がいる傍ら、私自身は毎日を無駄に浪費しているのではないだろうか・・・。
いつの頃からか、そう感じるようにもなりました。
「あの時こうしていれば」「この時こうだったら」と現在テレビで「東京タラレバ娘」というドラマをしているそうですが、「たられば」ばっかり言っていても仕方が無い訳です。
この世の中には生きたくても叶わず亡くなられた方が大勢いる。そんな人達に失礼のないように一生懸命生きなければ!というのが私が出した結論でした。
振り返れば、私自身の人生なんて一瞬の出来事です。
それも歴史には何の影響も与えないちっぽけな存在です。
だからといって、なんとなく日々を暮らすのはどうかなと。
ブログを始めたのも、今になって思えばそんな想いがあったからなのかもしれません。
『自分に出来ることを一生懸命やる』
そんな当たり前の事を大事にしていきたいと、金子哲雄さんの本をあらためて手にして感じた気持ちをそのまま書いてみました。