浅野ゆう子、芸歴50周年の感謝を届けた新しい歌声 “ディスコクイーン”の帰還の歓びに満ちた夜

浅野ゆう子、芸歴50周年記念ライブレポ

 昨年5月25日に芸歴50周年を迎えた浅野ゆう子。彼女の単独コンサート『YUKO ASANO 50th ANNIVERSARY SHOW「KANSYA」』が今年1月18日に大阪・心斎橋パルコ SPACE14での昼夜公演からスタートし、1月26日に東京・I’M A SHOWでファイナル公演を迎えた。俳優として活躍を続ける彼女だが、キャリアのスタートは歌手。音楽愛好家に高く評価されている名曲の数々のほか、新曲も披露された東京公演の模様をレポートする。

 コンサート本番前に報道関係者との質疑応答が交わされた取材会では、三宅裕司が作詞した新曲「わくわくマンボ」のパフォーマンスからスタート。スポットライトを浴びながら軽快にステップを踏み、歌声を伸びやかに響かせる姿が、コンサートへの期待を高めてくれた。そして「わくわくマンボ」の後はフォトセッション。「かわいらしいポーズでお願いします!」というリクエストを受けて無垢な少女のようなポーズを決めるなど、サービス精神旺盛な姿が空気を和ませていた。

 「1974年にアイドル歌手としてデビューさせていただきまして、昨年の5月で丸50年。1985年に最後のシングルを出して以降、新曲を発表していないんです。25歳の時に俳優一本でやっていきたいという気持ちが強くなりまして、そこから芝居の道に進むことになりました。芝居ではない素の浅野ゆう子を観ていただいて、楽しい時間をお祭りのように過ごせたらいいなあという気持ちでコンサートを企画しました」――記者との質疑応答のなかでコンサートの主旨を語った彼女は、三宅が「わくわくマンボ」の作詞を手掛けるに至った経緯も説明した。「私は、三宅裕司さんを尊敬しております。関西出身なので関西の笑いで育ってきたのですが、三宅さんの東京の洗練された笑いに触れた時に衝撃を受けて、『熱海五郎一座のお芝居に出させていただきたい』と思ったのが13年前。アポなしでNHKの楽屋に飛び込んで、念願叶って2回出していただきました」。

 ラジオ番組『三宅裕司 サンデーヒットパラダイス』(ニッポン放送)に生出演した際に「新曲を書いてください」と依頼をして、三宅は快諾。「みんなで楽しく踊れちゃうような曲がいいです」というリクエストによって誕生したのが「わくわくマンボ」なのだという。そして、もうひとつの新曲「すべてのあなたに」についても彼女は語った。三宅曰く、この曲は“浅野ゆう子版マイウェイ”。「三宅さんが50年間の私の仕事をずっと見てきてくださったんじゃないかなと感じまして、非常に感謝しております。『応援してくださっているすべてのあなたへお礼をしたい』という曲です」という言葉は、深い愛着を滲ませていた。

 記者会見のあとには、花束を贈呈。「わくわくマンボ」と「すべてのあなたに」の作編曲、今回のコンサートの音楽プロデュースを手掛けた大崎聖二が登場し、「残念ながら会場にこられない」という三宅から預かった手紙を代読したのだが……「このコメントを読んでる頃に参上します」という言葉の直後に舞台袖から三宅が突然ふらりと登場。計画通り、大成功のお祝いサプライズとなった。真っ赤なバラの花束を受け取った際、「このお花の数、年齢ですか?」と問いかけた浅野。すると「年齢じゃないです。50周年をお祝いして50本です」と返した三宅。ユーモアが言葉の端々に滲むふたりのやり取りは、心あたたまるものがあった(なお、浅野は三宅の片腕を担ってきた小倉久寛の生誕70年を記念したコントライブ『小倉久寛 生誕70年記念 コントライブ ザ・タイトルマッチ3 お楽しみはこれからだ~ You ain't heard nothin' yet ~』に日替わりゲストとして出演することが決定している)。

 取材会の数時間後、東京公演がスタート。オープニングを飾ったのは、「TSOP (The Sound of Philadelphia)」だった。この曲は、スリー・ディグリーズが歌う「ソウル・トレインのテーマ」としてもお馴染み。伴奏を会田敏樹(Gt)、原田達也(Pf)、金南嬉(Key)、金山徹(Sax)、柴田雄三(Ba)、曽根未宇司(Dr)がスタートさせると、コーラスを務めるAMAZONSの斉藤久美・大滝裕子・吉川智子が登場。彼女たちの出演を楽しみにしていた観客もたくさんいたはずだ。数々のビッグネームのバックコーラスを務めてきたAMAZONSは、長年にわたって日本のポップス界を支えている。会場いっぱいに広がった3人の歌声が起爆剤となった直後、浅野の登場によってさらに高まった熱気。客席後方の扉が開いて現われ、通路を歩きながらステージへと上がった彼女を歓声が包んだ。ドナ・サマーの曲のカバー「ホットスタッフ」に突入した頃には、ステージにすっかり釘付けとなっていた観客。名曲カバーの2連発が、ウキウキする心を掻き立ててくれた。

 「1970年代はディスコブームでした。その頃、筒美京平先生は“ジャック・ダイアモンド”という名前でDr. ドラゴン&オリエンタル・エクスプレスというバンドを組んで、和製ディスコサウンドを世に送り出していたんです。私も“ディスコクイーン”なんて呼ばれていたことがあったんですよ」「私は筒美先生の曲をいただいて歌いました。15、16歳の頃ですが、私の人生で最大のヒット曲。ベスト10まで入った曲です」――約50年前を振り返ってから披露されたのは、通称“ディスコ三部作”。「セクシー・バス・ストップ」がスタートすると会場には手拍子が響く。続いて「ハッスルジェット」と「ムーンライトタクシー」も届けられたが、アイドル歌手時代の振り付けを交えているのがかわいらしい。全力の歌とダンスが、1970年代を彩ったディスコ歌謡サウンドをフレッシュに輝かせていた。

 歌手時代を一気にたどる5曲、「浅野ゆう子 ゴールデンヒット」も大盛り上がりとなった。光を反射させてキラキラ輝くカチューシャを着用して歌い始めた「とびだせ初恋」は、1974年にリリースされたデビュー曲。当時の彼女のトレードマークはカチューシャだった。2ndシングルの「恋はダン・ダン」、1975年リリースの「太陽のいたずら」、1981年リリースの「気分はアカプルコ」……大人っぽさを増していく曲調が歌手としての軌跡を追体験させてくれた。1981年にリリースされた「バレンチノ インフェルノ」では帽子を目深に被り、おおたけこういち、西海健二郎と一緒にダンス。エンディングを迎えて帽子を脱いだ瞬間に零れ落ちたロングヘアが妖艶だった。

 森山かよ子の曲「沖縄サンバ」を歌う前に語られたリリース当時のエピソード。1980年にこの曲のカバーした際、キャンペーンのステージをサポートしてくれたのがAMAZONSを結成する前の斉藤だったのだという。こうしてまた同じステージに立てる喜びに満ちながら、AMAZONSと響かせた歌声は活き活きとしていた。そして「沖縄サンバ」が披露されたあとは、AMAZONSのコーナーがスタート。ステージの前方で3人が届けたのは、スリー・ディグリーズの「にがい涙」。続いて歌った「When Will I See You Again」もスリー・ディグリーズのカバーだ。途中で浅野も加わり、“フォー・ディグリーズ”として響かせたハーモニーがあたたかい。AMAZONSのコーラスとしての出演は浅野の熱望によって実現したそうだが、ともに歌うピュアな喜びに溢れていた4人の姿は、観客に幸せのお裾分けをたくさんしていた。

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