テレビを守ろうとする意志

このように柔軟に状況に対応しながらMCとして活躍を続ける中居正広は、“テレビの申し子”のようなところがあった。

もちろんそれは、メインを務めた2014年の『FNS27時間テレビ』で「武器はテレビ。」というフレーズを掲げたSMAPにも当てはまることだ。だが解散後、必然的に中居はひとりのタレントとしてテレビに出演することになった。

特に近年の中居正広については、本人がそのようなことを意識していたかどうかはわからないが、テレビを守ろうとする意志のようなものを感じさせることが多かった。

テレビはあらゆる世代に見てもらおうとする。それがメディアとしての特徴だ。そして実際、昭和くらいまではそうだった。年齢や性別を問わず誰もが見て楽しめる。それがテレビの強みだった。しかし近年はネットのコンテンツが豊富になったこともあり、そうしたテレビの強みは失われつつある。若者のテレビ離れなどが指摘されることも多い。

時代が変わりつつあるなか、中居正広は、SNSなどに対しても距離を置き、頑ななまでにテレビにこだわり続けた。そして『金スマ』などでは、大御所から若手までさまざまな世代の芸能人をゲストに迎え、フラットなMCスタイルで貴重な証言やエピソードを引き出した。その姿は、テレビ本来の魅力を再確認する行為にも見えた。

被災者支援を続けたワケ

2011年の東日本大震災発生を契機として始まった『音楽の日』(TBSテレビ系)の司会を続けたことも、別の意味でテレビの果たすべき役割を意識したものだろう。

大きな災害があったとき、エンタメを担うテレビの出演者がそこにどう寄り添うかは、SMAPが1995年の阪神・淡路大震災以来模索し、実践し続けたことでもある。東日本大震災の発生直後の『SMAP×SMAP』の緊急生放送、そして通常回でも被災者への義援金を呼びかけ続けた。2015年には東日本大震災の被災地でおこなわれた『NHKのど自慢』に出演したこともあった。

写真=iStock.com/Yusuke Ide
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テレビは私たちの日常生活、ひいては社会と密接なメディアであるという原点を、SMAP、そして中居正広は忘れなかった。むろんひとりの人間やエンタメにやれることには限界もあるだろう。しかし、自らのポジションにおいてなんらかの行動を起こすことは決して無駄ではない。その信念においてSMAPも中居正広も一貫していたと思える。